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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(9) チークキス 2/2





朝晩の空気はひんやりとして冬間近と思わせるものの、太陽さえ出れば暖かな11月。
今日は快晴で風も穏やか、小春日和というやつだ。
鳴海は商店街から住宅地へと向かい、途中、顔見知りに挨拶しつつ旧『曲馬団』の横手にある小さなフェンスを開けて勝手に入り込んだ。椿の生け垣を片側に見ながら、続く小道を行くと店の庭側に回ることができる。そこには濡れ縁が昔ながらの佇まいを見せていた。
母屋の建物が作る庭の日陰には、大きなレジャーシートが敷かれていて、その上には大量の本や雑貨が並べられている。喫茶店に所狭しと置かれていた物だ。
おそらく、今日のこの家の新しい持ち主は、好天を利用して虫干し作業に精を出していたのだろう。
「そんでもって、くたびれて寝ちまった、と」


この店を買うに当たり、エレオノールは土地建物だけでなく店の中にある一切合財を引き継いだ。思い入れがある鳴海だって正直、ガラクタでは?と思わずにいられないこともないブツだ。
とはいえこれら全てを保管し続けるのは流石に無理で、エレオノールは取捨選択をしなくてはならなず、大半は捨てなくてはならない。その作業をエレオノールは毎日少しずつ、故人を偲びながら時に胸を痛めつつ行っている。
「いっそ全部捨てちまえよ。新しい店はおまえの好きにしていいからさ」
とエレオノールがそこに存在することが第一義と考えを切り替えた鳴海はそう勧めるけれど、エレオノールは
「出来る限り残してあげたいの」
と淡く笑っていた。


鳴海はカバンを庭草の上にそうっと置いた。
足音を立てないように気をつけながら、濡れ縁に転がって寝息を立てるエレオノールの傍らに腰を下ろす。
濡れ縁には天日干しをしていたらしく、座布団が何枚も並べてあって、その一枚に下した鳴海の尻はポカポカと温められた。
「やー…こりゃァ、寝ちまうのも分かるわ…」
鳴海は両手を後ろにつくと、眩しそうに空を見上げた。
空が高い。
そよそよと、心地よい風が庭を渡り、玄関脇の山茶花の淡い香りを運んでくる。
大きくひとつ深呼吸をして、肺の中を清しい空気で満たすと、鳴海は自分の左側で無邪気に眠るエレオノールを見下ろした。
エレオノールはすやすやと眠っている。
「……同じ部屋で過ごした時間はけっこうなるけど……そういや、エレオノールの寝顔って記憶にねぇかも…」
晩ご飯を食べた後、気持ち良くなって居眠りするのはいつも鳴海の方だった。
そう思うと、エレオノールの寝顔って貴重かも、と鳴海はまじまじと見入る。
陶磁のような滑らかな肌。
エレオノールは寝ていても綺麗な顔をしていた。
白い寝顔は、無邪気で、あどけなくて、いとけなくて。
彼女の長くて濃い睫毛も、形の良い薄桃色の唇も、長さの揃った前髪すらも、どこか幼げだ。
思わず魅入っている自分に、鳴海は誰も見ていないのに顔を赤くした。


そうっと手を伸ばし、エレオノールの頭を撫でてみる。
エレオノールの頭は鳴海の手には小さくて、まるで卵のように形が良い。
銀糸は柔らかくで、滑らかで
「触り心地がいいんだよなぁ…」
鳴海の独り言に、楽しい夢でも見ているのか、エレオノールの唇の端が緩やかに持ち上がった。
今はもうしっかりした大人だけれど、こうやって無防備にしている間はオレが守ってやんなくちゃな。
と、鳴海は思う。
普段はちょっと偉そうな口を利くけれど本当は、エレオノールは傷つきやすくて寂しがり屋なのだ。
そのことを、自分だけが知っている。


「♪甘い愛には罠があるのよ 
wonder girl グッドモーニング 
今日も声かける 
笑いかけて誘い出して…」


穏やかな時間、規則正しい寝息、愛しい温もり。
鳴海は何だか気分が良くなって、調子っぱずれの歌を口ずさんだ。





エレオノールは昔から、鳴海の歌が大好きだった。
課題をやっている時、料理を作っている時、皿を洗っている時、洗濯物を干している時、鳴海はよく歌っていた。深く響く低温の声はやさしくて、心地よかった。
どんな歌でも聴いていると元気になる気がした。
もっと歌って。
そうせがんだことは何度もある。





「ふふっ…」
寝ているとばかり思っていたエレオノールが突然笑いだしたので、鳴海は
「ああ、やっちまった…」
と頭を掻いた。
「私、いつの間にか寝てたのね」
エレオノールが眩しそうに目を開けた。
ついウトウトしちゃって…
涎跡を気にして相手に見えないように、さりげなく口元を気にする仕草も
なんかかわいい
と鳴海はきゅんとする。


「ごめん。起こしちまったな」
「いいの。気にしないで」
寝転がったままエレオノールはにっこりと笑った。
「もうそろそろ引っ込めないといけないの。ナルミの歌はちょうどいい目覚ましだった」
エレオノールは座布団の上で、んんっ、と伸びをする。
「どうしたの?帰る時間にはまだ早いでしょ?」
「ん?外回りして何となくサボってここに寄ってみた」
「わざわざ?サボるなんてダメでしょう?」
エレオノールはゆっくりと身体を起こした。


「まだ寝てたら?毎日こんな作業続きでくたびれてんだろ?」
エレオノールは日中、喫茶店の中の物を虫干ししながら整理、仕分けをしたり、廃棄するものしないものを選別してはまとめたりと、意外と重労働をして過ごしている。
その他に、加藤家の家事炊事洗濯を一手に引き受けてくれている。非常に申し訳ない。
鳴海と勝が三食美味しい食事を頂けるのも、洗濯物が出すだけできちんと畳まれて返ってくるのも、どの部屋にも足元に物が散らからなくなったのも、全部エレオノールのおかげなのだ。
「やってあげられるの。隣人でいる間だけだから」
気にしないで、と言うけれど、エレオノールの負担にならないわけがない。こんなに来なくてもいいと言ってやりたいけれど、でも、勝はエレオノールのことが大好きで彼女が来ると物凄いはしゃぐし、鳴海自身、彼女の存在がとても嬉しい。傍に居てくれるだけでいい。


「ありがとう。でももう大丈夫。少し眠ったら楽になった」
エレオノールは立ち上がると鳴海の頰に「おはよう」なのか「こんにちは」なのかその両方なのかのキスをくれた。もう一度大きく伸びをして、カコカコとサンダルを鳴らしながらレジャーシートに歩み寄る。そして虫干しの済んだ本を持ち上げて、パラパラと頁を繰り、仕事の成果に満足げに頷いた。
「エレオノール、手伝うよ。どうすればいい?」
鳴海も腰を上げる。
「仕事に戻らなくていいの?」
「こいつらを家の中に引っ込めるくらいの時間は平気」
エレオノールは「そう?」と微笑むと、古書を濡れ縁に運ぶようにお願いした。


「ありがとう」
エレオノールがぽつりと言った。
「何が?ありがとうはこっちのセリフだぞ?」
鳴海の言葉にエレオノールは小さく首を振る。
「ナルミは、私に元気をくれるから…。初めて会った頃も…今もね」
エレオノールは濡れ縁に置いた古書の表紙の『希望』という文字を撫でた。
「分ッかんねぇなぁ。オレ、何かした?」
鳴海は腕いっぱいに古書を抱えて、エレオノールを追いかける。
「私が分かっているからいいの。ナルミはいつも通りでいてくれれば」
「はー…意味が分からん」
エレオノールは小さく微笑んだ。


「よし、これで終わり、っと」
きちんと畳んだレジャーシートを濡れ縁の端っこに置いて、鳴海はスーツの膝を叩き埃を落とした。
「ごめんなさい。汚れてしまった?」
「別にこんなん、気にしない気にしない、さー…会社に戻るかぁ…」
鳴海はストレッチをしながら庭草の上に置いたカバンを取りに行く。
「あ、ナルミ」
追いかけてくる、エレオノールが鳴海の右肘にそっと手を置く。それを合図に鳴海がほんの少し腰を屈めると、やや爪先立ったエレオノールが鳴海の頬にキスをくれた。彼女の触れ合う頬が滑らかで柔らかくて、キスを貰う度に自分の肌が熱を帯び困ってしまう。鳴海もキスを返して腰を伸ばす。
「手伝ってくれてありがとう」
「おう。じゃまた後でな」
「行ってらっしゃい」


通りに出た鳴海は、エレオノールの唇の感触が残る頬を手の平で押さえた。
今のは「いってらっしゃい」と「ありがとう」の意味のチークキスだったようだ。
ふたりの間にチークキスの習慣がついてから半月ほどになるけれど、まだちょっと慣れない、というかそれを当たり前と考えるには根本的に鳴海は日本人だし、微妙な関係性なのだ。
エレオノールのチークキスには発生条件がひとつあることに鳴海は気づいた。それは必ず、鳴海とエレオノールの周囲に誰もいない時に起きる。例え勝であっても傍にいるとエレオノールはキスをくれない。逆に、ふたりきりだと挨拶の回数だけキスをくれる。
「あいつ…他でもこんなことしてんのかなぁ…」
自分じゃない誰かにチークキスをしているエレオノール、を想像するだけで胸の中が焼ける。焼いたって、どうしようもないのに。
「はぁ…」
大きな溜息を吐いて、独占欲を強める自分に呆れつつ鳴海は頭を掻いた。





鳴海の知る由もない、もうひとつのエレオノールのチークキスの秘密。
エレオノールが自分からチークキスをするのは、家族を除いては鳴海だけだということ。



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♪Sugarless GiRL / capsule
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