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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(10) 包帯の向こう側 1/3





年が明け、幼稚園が始まって最初の金曜日の出来事。


「そこ、段差があるから気を付けて……はい、ここ、上がり框」
エレオノールは鳴海の手を取って加藤家の玄関を誘導してあげる。
「情けねぇなぁ、自分ちだってのによ」
「仕方ないわよ、目が見えてないんですもの」
その言葉の通り、鳴海の両目はアイパッチでしっかりと塞がれ、その上から白い包帯が幾重にも巻かれていて、視界は真っ暗、方向感覚がまるでないのだ。
匂いと、靴の裏に伝わる感触で「ああ、ここはウチの玄関、かな」と思う程度の覚束なさだ。
昔、拳法の師父に目隠しをして多数と乱取りさせられた経験があるので何とかなるかと思ったが、日常生活で常にあのレベルで気を張り詰めているわけにはいかないと知る。
「あ痛!」
あえなく勝のオモチャトラップに沈む。
「後で床の上を点検しておくわね」
エレオノールの声が苦笑ってる。どうにかこうにかリビングのソファに辿り着き、ぐったりと身を沈めた。
「けっこう疲れるな、これ」
「はい、これを乗せてね」
エレオノールが濡れタオルを手渡してくれた。包帯の上から目に乗せる。


何故、鳴海が怪我をしているか、というと。
今日の昼休み、仲間数人とランチを済ませて帰って来たときのこと。
鳴海の務める社屋では修補作業が行われていて、通り道の駐車場でモルタルが作られている最中だった。
折しもとんでもなく風の強い日で、運悪く材料の砂が大量に巻き上げられてしまった。砂は礫となって鳴海の一団を直撃、直前に発せられた「危ない!避けて!」の声に身を竦めて身構えたため、砂塗れになるくらいの被害で誰もが済んだ中、鳴海だけが顔面に思い切り砂を被弾した。
鳴海が一番、作業現場に近い位置にいた、というのも原因のひとつかもしれないが、「危ない!避けて!」の声よりも先に異変を察知してしまったため思わずその方向に顔を向けてしまったのが敗因だ。人並外れた動物的反射神経が仇になったいい事例と言えよう。
即刻緊急搬送された先で目を洗浄された。大事には至らなかったものの目の表面にけっこうな傷が付いたため、感染症を警戒し、下手すると視力低下は免れないからと数日間の安静を言い渡された。


「はあ…よかった…。一時はどうなることかと」
「面目ねぇ」
病院で「誰か迎えの方を」と言われて鳴海はエレオノールの連絡先を教えた。病院から鳴海が目を負傷したと連絡を受けたエレオノールの心痛たるや、この大男は何にも分かっていない。包帯を巻いて視界を閉ざされた鳴海には、エレオノールが心配と安堵から流した涙が見えなかったのだから。
「痛ぇのはともかく…家ん中のコトが何にも出来やしねぇ…」
自分だけならともかくも、勝がいる環境で前後不覚の視覚状況は「困った」としか表現のしようがない。
「大丈夫よ。ナルミが治るまで私が泊まり込むから」
「は?」
「だって何も出来ないのが四六時中なわけじゃない?」
「え、だ、ちょ、ちょっと」
「あ、もうこんな時間。ナルミ、大人しくしててね。私、幼稚園に行ってマサルさんを引き取りながら、事情を説明してくるから。園のネームタグどこ?」
「えと、あー…玄関の…」
ネームタグの在り処を聞くだけ聞いて、エレオノールは「行って来ます」のチークキスを一方的にすると、ガチンと固まった鳴海を置き去りに出て行ってしまった。
「ちょ…ちょっと、おまえ……泊まり込むって、何よ…?」
今夜から、我が身に巻き起こりそうな嵐の予感に、鳴海は見えない自分の手の平をじっと見た。







「おとうさーん!」
玄関で靴を脱ぐや否や、勝は鳴海の元に駆け出していった。
「あ、戻ったか。お帰りマサル」
「だいじょぶ?いたいの?」
涙目の勝は鳴海を正面から覗き込み、その胸元に飛び込んだ。
「エレオノール、ありがとな」
「先生が『お大事に』って」
エレオノールが鳴海の傍らに大きな茶封筒を置き、勝から身に着けたままの園帽や園バックを取り上げた。
「いたい?だいじょうぶ?」
勝が父親の顔を小さな手で摩る。
おそらく、触られると痛いのだろう、大きな身体がびくっと跳ねた。
「おう、病院に行って来たから大丈夫。痛ぇが痛くねぇ。ただ、しばらく包帯巻いたまんまで目が見えねぇってだけだ」
「め、なおるの?」
「治る治る」
鳴海が笑って見せると、勝もホッと頬を緩めた。


「あ、おとうさん、おてがみ」
勝は園が寄越した封筒の中身を漁る、数枚のプリントを鳴海の膝にバシと置いた。
「お。おう、どれどれって…読めねぇよ」
「私が読むわよ」
エレオノールの指が鳴海の手からプリントを摘まみ上げた感触が伝わった。
「ええと…一枚は園からのお見舞いのお手紙。お怪我が早く治りますように、と……それから、明日のおもちつき大会のお手伝い、無理なさらないように、と……出席が難しいようであれば……」
「あ!」
「あ、ちゃー…」
鳴海親子が同時に声を上げた。
「明日、だったか…おもちつき…」
お正月の風物行事、臼と杵を持ち出して「おもちをつく伝統を子ども達に味わわせる」という肉体労働イベント。土曜日に設定されている辺り、どう考えても父親の労働力が当てこまれているのがよく分かる。
鳴海は筋肉ダルマなので杵ごときどうってこともないが、運動不足のひ弱いサラリーマンパパが腰を痛めた、ってのは後日よく聞く話。
幼稚園にとっても、鳴海の欠席は痛い。
先だって勝を園に迎えに行った際、職員が総出で倉庫から臼を出している場に遭遇した鳴海は、通常は数人で運ぶ重たい臼を複数、一人で肩に担いで運び出したのだ。時短にも負担軽減にも貢献してくれた鳴海に、園の職員は感謝しきりだった。
女教諭ばかりの職場で、力仕事に重宝する鳴海のような保護者は園にとって有り難い存在なのだ。


「おとうさん、これる?」
勝が心配そうに父親の目があるら辺を覗き込んだ。
「……無理だ、な…。見えねぇし、オレ病院にも行かなきゃだし…」
「ええ…」
勝がひどくがっかりした声を出した。鳴海が行けないととなると片親の勝はひとりになってしまう。友達は誰も彼も親と一緒なのに、勝だけが先生と一緒になってしまう。
「マサルくんのお父さん凄いね」
この間、鳴海が臼を運んだ時に先生や友達、その場に居合わせた友達のママに言われたこと。その言葉でどれだけ勝の鼻が高くなったことか。
「おとうさんきてよ!みえなくても!」
勝がダダを捏ねるなんて初めてのことだ。
「そうは言ってもなァ…」
行ってやりたいのは山々だがこればっかりはどうしようもない。鳴海が何と言えば勝の心が傷つかないで済むかを必死で考えていると
「もし差し支えなければ、私が代わりに行くわよ?」
と、静かな助け船が出された。
お互いの主張を繰り返していた男達の口がピタリと止まった。


「ほんと?えれおのーる、きてくれるの?」
つい数秒前まで「おとうさんじゃなきゃやだ!」と言っていた息子が、あっさり手の平を返し、「やったー!えれおのーるといっしょー!」とはしゃぎ出した。
「いや、おまえ、いいのかよ」
鳴海はおそらくこっちにエレオノールがいるだろう、と思われる方向にデカイ手を突き出した。手は右に15度ばかりズレていたが、それはともかく。
「いいわよ別に。あなたの病院とマサルさんの園と、ちょっと忙しないけれど」
「おもちつき!ぜったいにえれおのーるといっしょがいい!」
「オレとがいいって言ってたのはどこ行ったんだよ」
勝に耳元で大声で訴えられて、逃げようのない鳴海は腹を括った。
「わ…わかったわかった。だから怒鳴るな。声が目に沁みる…」
「やったー!」
「エレオノールすまねぇ。明日…あっちもこっちも」
「気にしないで」


あなたの傍に居られるのだもの。少しも平気。
エレオノールの顔に少女のような微笑みが浮かぶ。
すると真っ暗闇の鳴海の近くで花が咲いた気がした。鳴海の周りの空気が、花が咲いたように柔らかくなった。エレオノールがどんな表情をしているのかが妙に気になった。見えないならせめて、手で触れて確かめてみたかった。
「お父さんの代わりにお餅ついたりは出来ないけど。お餅一緒に丸めたりは出来るから」
「うんっ!それでいいっ!」
勝の声は物凄く嬉しそうだ。マサルがいいならいいか…鳴海は疲れた身体をソファにめり込ませた。



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