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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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舞台設定、人物設定、その他もろもろ完全創作です。





白銀縁起 7/7





鳴海は仏間に寝かされて祈祷を受けた。
この部屋に寝るのも、あの奇しい婆さんに会うのも祈祷を受けるのも、神隠しに遭った以来だった。婆さんはまだ生きてたんだ、なんて思った。
布団を囲む様に立てられた四本の青竹は、低い日本家屋の天井に窮屈そうに首を曲げつつ、細い注連縄で四角く括られ、お札がベタベタ貼られている。その足元にはこんもりと盛り塩が置かれた。


とりあえず「寝ろ」と言われて変な匂いの甘ったるい薬を飲まされる。
切れ切れに悪夢を山ほど視た。夢の中で何度も生死を彷徨った。全身冷や水を浴びたようにびっしょりだった。お陰で中途半端な時間、おそらくは『丑三つ時』と呼ばれる時間帯にうつらうつらして目を覚ますことになる。
気持ち悪く静まり返っている室内を、何かがザリザリと這い廻っている気配がする。身体が重い。出来る範囲で辺りを見渡すと、盛り塩が、明らかに変色していた。最初は点けたままの電灯の色が移っているのかと、気のせいで片付けられるレベルの黄ばみだったものが、見る見る間に真っ黒に腐食していった。
かなりヤバいモンが部屋の中を周回しているのだと悟った。


耳鳴りも、頭痛も、吐き気も酷いもので、風邪も引かない健康優良児なのが自慢の鳴海にしてみたら、有り得ないことだった。
今の鳴海には布団に横になっているしか出来ない。起き上がる力が無い。胸に置いた右手が無意識に守り袋を探した。
「何でこんなことになっちまったのか…」
境界線は明らかに、神社参拝だ。祈祷師の婆さんは「連れて来たモノが大き過ぎて私の力では祓えないかもしれない」と言った。鳴海の足取りは割れていたから「廃神社の神様の逆鱗に触れたのではないか」と皆に言われた。さめざめと涙を溢す女神の横顔を思い出し、
「オレ…そんなに悪いことしたのか…?アンタに…」
蒼ざめた唇を噛んだ。


祟られるくらい
嫌われるくらい
いなくなるくらい
離れるくらい


オレが、他の女を抱いたの、そんなにイヤだった?
でもよ、女神様が、ただの、生身の、人間の男に惚れるって?
ありえない


爺さん達が言っていた。
鳴海に与えられた銀色の髪はマーキングのようなものだったと。
廃れた神社の山の女神は、自分を祭らなくなった人間を恨んでいる。その憂さを晴らすために、若い鳴海を惑わして誑かして遊んでいたら、その鳴海が他に恋人を作ってしまった。その恋人がまた、醜女の女神には耐えられないほどの器量良しだから尚のこと、逆鱗に触れてしまった。可愛さ余って憎さ百倍、鳴海を祟ったに違いないと。
神体に刺さっていた丑の刻参りの怨霊は、既に女神の眷属で、それをけしかけて鳴海を憑き殺そうとしている。女神の魂胆は初めから鳴海を取り込むことだったのだから、遅かれ早かれこうなっていたと。
大人の言う事を聞かなかったからだ、と過去を遡って叱られた。


ああ、やはりオレが悪いんだ
女神は悪いヤツだった
オレはバチが当たったのか
それは万死に値する罪なのか
手足が氷のようだ


罪の意識に、死にたくなる
醜悪な感情が、じわりと、湧いてくる
視るのは悪夢
恨んだり、憎んだり、苛められたり、殺されたり、犯されたり
気を抜くと狂気が心を浸して、自分を、壊したくなる
きっと、自分は消えた方がいい
きっと、死んだら楽になれる
痛い、苦しい、寒い、熱い、辛い


しにたい しんでしまいたい
だれか おれを ころして くれたら


唐突に、その文言が脳裏に浮かんだ。
白い半紙に薄墨で書かれた文字は瞬く間に濃くなり、じわじわと白い余白を侵食して真っ黒にした。
そして、
「ぐううッ!」
手の中で何かが燃える熱さを覚え、鳴海は正気に戻った。寸前まで、死の願望に魅了されていた自分が信じられなかったし、それを恰も自分の持ち物のように受け入れさせた『何か』の存在に寒気がした。
指一本動かせない、巨石に押し潰されるような圧迫感、動かせるのは眼球だけ。天井に顔を固定したまま、眼だけで辺りを探ろうとして、大人しく瞼を閉じていれば良かったと即座に後悔した。


鳴海に圧し掛かり痛苦を与えているモノ、それは人型の原型も留めていない、複数の人間や動物の身体が融けて固められたような、真っ黒い塊だった。
それぞれの口が、それぞれの恨み辛みを吐き出している。
『アイツが憎い!おれを虐めたアイツが憎い!』
『あの女が死ねば、あの人は私のモノになるのに!』
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
悪意の塊が怨念を巻き込んで、鳴海の中に流れ込んで来る。
コイツか!と思った。
楠の前から追い掛けて来て、オレの中になかった死の概念を押し付けて来たのは、この


『 オ マ エ ガ ニ ク イ 』
耳が痛い!頭が割れる!
思考することも許されない!
他人の悪感情で全身が満たされて、鳴海は死を目前に感じた。
鳴海は金縛りで瞬きも叶わない。鼓膜が破れるくらいの耳鳴りと、脳髄が溢れ出しそうな頭痛と、空っぽの胃袋が裏返りそうな吐き気。
焼け爛れそうなほどに熱くて、凍って腐り堕ちそうなほどに寒い。
それよりも何よりも、悔しくて、寂しくて、悲しくて、恨めしくて、腹立たしくて、狂おしくて、様々な負の感情が濁流となって心の中に押し寄せてくる。顔も知らない他人の、誰かを殺したいと思うくらいの過去が、悪感情が、鳴海に沁みていく。
コイツをけしかけたのが山の女神なのか。
鳴海の眦から涙が流れた。
腐臭を吐き出す醜い顔が肉薄する。眼前の闇が膿のように粘り気の多いものになって、気が遠くなる、その時、
りんっ、
と鈴の音が聞こえた。
は、と一瞬、意識が引き戻される。それと同時に、全身を痺れさせていた重みが拍子抜けする勢いで消えた。同時に金縛りも解ける。先細っていた呼吸が一気に回復し、大量に吸い込んでしまった空気に思わず激しく噎せる。


大きな何かが暴れる音、消魂しい悲鳴。
ばたん、ばたん、と家が揺れる。じじっ、と音がして点けっ放しの電灯が消えた。騒々しさここに極まれり、でも誰も起き出して来ない、誰も騒がない、不思議だ。
再び、しゃんっ、と高らかに鈴の音が聞こえた。
ゲホゲホと、体力の消耗した身体でえづくまで咳き込んで、ふ、と瞼を持ち上げる。細い視界に飛び込んで来たのは、暗闇に眩しいくらいに真っ白な、女の踝だった。
懸命に、鳴海は目線を上げる。
見えたのは自分に背を向ける、長い銀髪の巫女装束の女。朧に輝く彼女は厳然と鳴海の前で仁王立ちし、その華奢な足で、さっきまで鳴海に伸し掛かっていた悪霊を踏み付けていた。


それを見た瞬間、天啓のように鳴海は理解した。
山の神は、皆が言うような悪い物じゃない。
鳴海を祟ってなどおらず、
むしろ、
ずっと守ってくれていたのだということを。


鳴海を取り殺そうとしていたのは、樟に打ち込まれた様々な恨み。数多く穿たれた、誰かから誰かへの深く冥い呪い、その怨讐を鳴海が釘と一緒に引っこ抜いた。鳴海が神木から引き抜いてしまったせいで呪いは不成就となり、恨みを晴らせなかった恨みが鳴海に向けられた。
鳴海は性質の悪い数多の呪いを知らず、引き受けてしまったのだ。
呪いに直に触れることに、全く代償がないとは思っていなかったが、ここまでのモノとも思っていなかった。


右手を開くとその中にあった守り袋は消し炭になっていた。怨讐の猛攻に、鳴海の身代わりになってくれたのだろう。
人間に祭られず、忘れられた山の神が、諸悪の根源だと言われ、一瞬でも疑った自分を鳴海は恥じた。実際の彼女は、鳴海を見護ってくれた存在だったのに。
しかし信仰心を失い、神通力は衰えた。しかも守り袋は古い物、耐え切れず燃え尽きてしまった。女神の護りは焼失し、悪霊にとって念願の時が終に訪れた。己の怨讐成就を邪魔してくれた、恨み骨髄の男を呪い殺そうとした刹那、女神が降臨した。


女神が怨霊を踏み躙り、勇ましく小さな鉾を打ち振ると、澄んだ鈴の音が鳴り響いた。清浄な鈴の音と、悪霊の断末魔の音量が反比例していく。
彼女が唱える祓いの呪は、まるで小鳥の囀りのようで、疲れた鳴海の耳には子守唄にしか聞こえない。鈴の音も聞こえなくなった時、自分を脅かす存在が消えたことを実感し、その安堵からまた鳴海の意識が遠くなっていく。
慈悲深い睡魔に捕まる直前、鳴海の顔の近くに白い手が付かれた。
「だから、アレに触れてはダメだと言ったろう」
優しい手が鳴海の頭を柔らかな膝に載せた。見上げると大きな胸の膨らみ越しに、銀色の目と目が合った。
女神の顔を初めて見た。否、本当は何べんも顔を合わせているのだろうけれど、記憶を消されている鳴海には初対面だ。全然、シコメなんかじゃなかった。絶世の美女、というのは彼女のことを言うんだと実感した。それを言葉にして伝えたかったけれど、喉からは唸り声しか出なかった。
白い袂が鳴海の顔を拭う。汗やら洟やら涙やらで汚いだろうに。


「おまえが自分の足で神社に来るとは思っていなかった…嬉しかった…」
優しい手が鳴海の頭を撫でる。
「私から呪いを除いてくれてありがとう…」
彼女の手が動く度に、社殿で嗅いだのと同じ花の香がふんわりと薫った。
「でも、やはりこれではいけない。おまえが私に刺さった恨みを全部引き抜いてくれたから幾らか力が戻って、此処へ駆けつけ悪し物を退けることが出来たものの、こんな危ない橋はもう、おまえに渡らせるわけにはいかない」
おまえはきっと、あそこで釘を見つける度に引っこ抜いてしまうのだろう?と彼女は淡く微笑んだ。その微笑みが幾分、弱弱しいものと気付く。元々力を失っている神様だ、戻った力を悪霊祓いに費やしてとんとんどころかマイナスにさせてしまったのだ。


「だから、おまえは私に纏わること全てを忘れよ」
約束も、白百合の目印も、千代紙も、神隠しも、記憶を失っても忘却しきれない残滓を跡形なく消す。
「それが、おまえのためなのだ」
釘を抜いたのは良かれと思ってしたことだった。でもそれが彼女に更なる負担をかけてしまった。自分が関わらないことはむしろ彼女のためになるのではないか、そう考えた。
彼女は懐から真新しい守り袋を取り出すと、それを鳴海の首に掛けてくれた。
「この守り袋は餞別だ。だが、今この時のことも忘れるから、おまえは自分を祟ったのは私だと思うだろう。私の寄越した守り袋を気持ち悪いと思えば捨ててくれて構わない」
白い手に視界を覆われた。
「おまえの魂は赤ん坊の頃と変わらずに綺麗な色をしているから、皆、欲しがって悪さをする。厄除けを渡せるのはこれが最後…気を付けるのだぞ…」
皆、ってコトは女神さんもオレの魂が欲しいのか?訊きたいけれど無理だ。眠気に全身が浸る。「ありがとう」も「ごめん」も伝えられずに忘れるのかと思うと、彼女が悪者にされるのかと思うと、素直に全部忘れることに抵抗が生まれる。


ああ、いやだ
忘れたくない


左の拳の中に、千代紙の折り紙が握り締められたままなのに気が付いた。汗に濡れて原型を留めていない鶴に、鳴海は一縷の望みを繋いで、そのまま何も分からなくなった。



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