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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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舞台設定、人物設定、その他もろもろ完全創作です。





黄楊の櫛 3/3





「そうね、あんたに言われたことないわね…『愛してる』って」
付き合っていた頃にもない。その時の鳴海がまだ高校生で、期間も数ヶ月と短かったからだと思っていた。でも今の言い方だと、当時から意図的に言わなかったように窺える。
項垂れてシーツを握り締めた。あの夏、鳴海を変えてしまったものは一体何なのだろう。変わらずに良く笑って、優しくて、逞しくて、なのに恋愛となると消極的な男になってしまう。秘密、なんてモノには縁遠い男だと思っていたのに。それさえなければ、今も恋人同士でいられたかも、社会に出た鳴海と結婚出来ていたかも、と考えると口惜しくて仕方がない。
とりあえず、鳴海に女の影がチラチラするのは確かだ。女の勘が訴えるから間違いない。
「あいつのトラウマを払拭出来れば…そのキッカケ、どこかにないかな…」
ふと、ローテーブルの上に置かれた鳴海の守り袋が目に入る。


「あれ…初めて会った時にはもう首に下げてたな…」
小学生の時分ならまだしも、二十歳過ぎた社会人になっても御守りを首から下げているのは珍しい。怪しい信仰宗教に傾倒しているか、古臭い田舎の慣習に縛られているのか。ともあれ、今からセックスに興じようとする時に、そんなものが目に入ると女側はドン引くものだ。
尤も、そういう時は鳴海が自ら必ず外す。奇妙なのは、袱紗のような物をきちんと敷いてその上に置いている点だ。守り袋を異様に大事にしてるのが見て取れる。理由を訊いたら「数珠や教本だって床に直置きしないだろ?それと一緒よ」と軽い感じで言っていた。
どちらにしても狂信じみてて、他のセフレ達が深入りしないのも肯ける。彼女は鳴海の首に下がる守り袋は小さい頃から見慣れているし、彼が無宗教者なのを知っているので、今まで不思議とも思っていなかったのだけれど。


「そうね…どこの御守りなんだろ」
鳴海が後生大事に胸に抱いているもの。もしかしたらそこに秘密を解く鍵があるのかもしれない。
「中のお札にどこの土地のものか分かるかも……御守りと見せかけて、実は写真とか連絡先とか、入ってたりして…」
手掛かりが何か見つかるかもしれない、と思い付いたら居ても立ってもいられなくなった。チラッとシャワールームを見る。中からはシャワーを浴びている音、鳴海はまだ出てこない。そろ、とベッドを下りて守り袋を手に取った。
「ごめんね、ちょっと覗かせて…」
ただの無地の袋、外からの感触では硬い物は入っていない。水引きを緩めて袋の口を開ける。上から見ただけでは入っているのが何なのか、良く分からなかった。薄紙にきちんと包まれた何か、それを指で摘んで引き出して、開いて
「ひっ!」
と声を上げた。中には髪の毛が封じられていた。長い銀色の髪、細くてしなやかな女の髪だ。
「何でこんなものを…」
人の髪には念が籠ると言う。不意に現れた人毛に恐怖や嫌悪を感じるのは仕方の無いことだ。誰の物とも知れないそれを愛する男が肌身離さず身に付けている事実に動揺しても、可笑しくはない。
震える指が、髪を取り滑らせた。さらり、と涼やかに銀髪は落ち、床に触れた瞬間、苦悶する女の声がどこからか聞こえた。


「え…?」
髪の上に半透明の人影がぼうっと現れた。髪に籠められた念だ。
「きゃあっ!」
突然足元に出現したモノに、彼女は悲鳴を上げて鳴海のいるシャワールームを目掛け走った。鳴海も声を聞きつけて濡れた身体のまま、飛び出して来た。シャンプーの泡が流し切れてない。
「どうした?」
「あ…、あそこ」
震える指の指し示す方に首を巡らせて、
「何かがいるの…視える…?」
鳴海は目を見開いた。


見えるか見えないかギリギリの、苦しそうに床に蹲る、朧な人影。
内から輝く光が、消える寸前の燭火のように揺らめいて、今にも視えなくなりそうだ。
白い着物の、髪の長い女、その薄い色の髪も微かに光っている。
ゆっくりと顔が覗く、整った顔立ちの、神々しいほどに綺麗な。
心臓がばくばく鳴っている、得体の知れないモノへの恐怖からではない、鳴海の胸の穴が風音を立てるのを止めた。
女は鳴海を認めて小さく申し訳無さそうに微笑むと、そして明らかに、彼女に向けて深々と首を垂れ、急速に光を失った。


ほんの短かな出来事だった。
「待っ……!」
鳴海は駆け寄ったが、触れること叶わず女は淡雪が溶けるように消えてしまった。女の頬があった空間を鳴海の指が掠った。がくり、と膝を突く。人影がいた床の上には、髪の燃え残りがふわふわと漂っていたが、それも細かな煤となってもろもろと空気に散っていった。残り香は懐かしい花の香りだった。
ぽたぽたと、拭いてない身体からも髪からも滴が垂れ落ちる。床にドットを刻むそれらに混じって、涙も落ちた。
「…知ってるヒト…?」
と問われ
「いいや、初めて見る…」
その答えが、自分でも嘘か真実か分からない。


「あの…ごめん」
そろそろと近づいて来た彼女の手には、空になった守り袋があった。それを受け取って、握り締める。
「まさか髪の毛が入ってるって思わなくて…ビックリして落としちゃって…そしたら…」
「いいよ」
鳴海は床を一撫でして膝を伸ばす。
「最低なコトした…私…」
「いいってば。それだけ、オレを想ってくれてるってコトだろ?怒らねぇよ」
「でも、大切なものでしょ」
初めて会った日から鳴海の首に下がっていた。大人になってもその習慣は変わらなかった。中に入っていた髪の毛は確実に、さっきの女性のものだ。
「いいんだ。この守り袋は古くて効力は切れてるから…」
中身を失った袋に力の無い目が落ちた。


五年前、荒れた仏間で目が覚めると首に下がっていた。てっきり祓い屋の婆さんが魔除けにくれたものだとばかり思っていたら、違ったらしい。爺さん達が血相を変えて「外せ」と言うから外したら、酷い寒気がした。途端に目眩と頭痛に襲われその場に吐いた。でも守り袋を戻したらケロッと治った。場を荒らした悪い物の残り滓が鳴海に悪さをしているらしい。鳴海が無事であったことに祓い屋の婆さんは「神の御加護があった」と言った。ならばこの守り袋がそうなんだろうと鳴海はすんなり受け入れた。
以来、守り袋は首から下げている。下げていることに違和感はない。
知らなかった、あんな護りが自分に憑いていたなんて。ラブホでのあれやこれやまで見護られていたことに対する嫌悪感は、不思議だ、まるでない。あるのは、情事の現場を見せてしまった、その悔恨だけ。どうして自分が恋愛に消極的なのか、原因が掴めた。また、風穴が大きく唸り出す。


もう五年も掛け続けた守り袋
御利益のない筈の
でもいつも傍で見護ってくれていた
大丈夫だろうか、あのヒトは
弱々しい光だった
人知れず消えてしまうなんてコトはないだろうか


腕に浮いた鳥肌を擦り、鳴海は根の合わなくなりそうな奥歯を噛み締めた。そっ、とバスタオルが掛けられる。
「ホントに、ごめんね」
深い後悔がストレートに伝わる声、鳴海はふるふると首を横に振った。
「ごめん、て謝んのはオレの方だ」
「私達、もうこれで終わりにしよう」
彼女の言葉に、鳴海の目が苦しそうに歪んだ。


一目で分かった。
鳴海の特別な存在であることが。
あのヒトを見る鳴海の瞳が全てを訴えていた。
そして、この世の者でないことが。
あの夏、あの女性と逢えなくなる出来事があったに違いない。それは、鳴海が辛い記憶を消すに至るほど苦しいもので、その後の恋愛観に影響を及ぼすほどに強烈なものだったのだ。


「今までごめん、いじましく、あんたに声掛けて。あんた、嫌がってたのにね」
控え目に擦り寄る身体をぎゅっと抱き締めてやる。
「謝るなよ、姐さん…全部オレが悪いんだ。姐さんの気持ちを受け止められないことが後ろめたくて…オレは逃げてたんだ…卑怯モンだよ…」
「あんたの苦しみは分かってたけど、それでも私は、あんたに会いたかったの。抱かれたかったんだ…」
最後の口付けを交わす。
「好きだよ、ミンハイ」
「オレも好きだ、ミンシア」


鳴海は自分を好きと言ってくれる。
でも、鳴海の中にはそれ以上に好きなヒト、愛しているヒトがいる。今の鳴海の中からは、そのヒトの存在も、そのヒトを愛した鳴海自身も消えてしまっている。それらは忘れていても、鳴海にとっては掛け替えのないものなのだろう。
だから、欠けた記憶を取り戻した時、そのヒトの居場所がなくなっていることを恐れ、鳴海は誰のことも懐に入れなかったのだ。
例え、そのヒトがもうこの世にいないのだとしても。ヒトではないのだとしても。もう触れることが叶わないのだとしても。
消える間際、あのヒトは「ナルミをよろしく」とばかり頭を垂れて行った。共に人の世で生きられる者に鳴海を託したかったのだろう。本当は、自分の手で鳴海に触れたいだろうに。鳴海と歩んで行きたいだろうに。
敵わない、と思ってしまった。


「もう、泣くんじゃないよ」
と言いながら、自分も優しい涙を流す姉弟子に叱咤されて
「おう」
と返事を返した。









その晩、夢で鳴海は山の中にいた。
薄闇にぽつぽつと光の球が落ちている。しゃがんで見てみるとそれは菫の花だった。それが一列に並び、鳴海の道案内をしているようだった。神知り花に従い、山道を行く。


どれくらい歩いたろう、宙に、ぼうんやりとした光の小窓が浮かんでいた。案内の花は、そこを覗けと言わんばかりに途切れた。壁に沿って、こそり、と覗き込む。
小窓の向こうに見えたのは、今にも朽ちそうな板張りの部屋だった。初めて目にする場所なのに何故だか懐かしい気持ちになる。冷えた空気、でも清廉でキリと気が引き締まる。
ざっと室内を彷徨った鳴海の視線が一箇所に固定された。白い着物を着た女が横向きで俯いているのを見つけた。
ホテルで姿を見せたヒトだ。
とりあえず、消えていないことに安堵する。


室内が灯りも無いのに明るいのは、彼女自身が光っているからだ。けれど、その光も心許ない。
女は、髪に手を当てて何やらをしている。 何をしているのかと目を凝らして、その行為の何たるかを知ると、急に鳴海の胸が切なく苦しくなった。
彼女は鏡に向かって髪を一生懸命に梳っていた。 見れば銀色の長い髪はところどころが短くて、不揃いだった。必死に、身嗜みを整えようと腐心しているようだった。鳴海の目から、ぽろ、と涙が転げ落ちた。


駄目だ。
そんなんじゃ。
綺麗になんかなれねぇよ。
そんな、曇った鏡と、歯の折れた櫛じゃ、さ…


女が手にする鏡と櫛、それをどこかで見た気がする。それは一体、どこでだったか。
女は白く濁った鏡を覗き込み、溜め息を吐くような仕草を見せた。折れた櫛は滑らかな髪にも引っ掛かり、梳く度に髪を傷めてしまっている。
髪で隠れて横顔の殆どが見えないが、スッと通った鼻先から細い顎までのラインが美しい。じっと鏡を覗き込む、震える唇が何事かを呟き、再び、髪を梳かし始めた。梳けば梳く程、毛が傷んでしまうのに、欠けた櫛ででも梳かさずにはいられないようだ。


あんたは誰だ?
どうしてオレに憑いていた?
それでどうしてオレは
あんたを見て懐かしい?
どうしてオレは
あんたが、こんなにも愛しいんだ?
初めて会った、ハズなのに


ふ、と女が鳴海の方を向く気配を感じた。慌てて壁の裏側に隠れる。
他に誰もいない孤独な空間で、そうやって綺麗になろうとする努力は誰のためなのか。右の手の平を見遣る。桜の花弁の形の火傷の痕。
この手で彼女の孤独を癒してやりたいと、強く想った。











翌休日、外出から戻った鳴海は真っ直ぐに神棚に向かうとお札の前に、櫛と手鏡と椿油を供えた。
『ギャラリー・アルレッキーノ』を訪れると件の店員が「やっぱり来たわね」といった顔で出迎えてくれた。
「これでしょ」
と、鳴海が何も言わない内に黄楊の櫛を持って来た。
「これも貰うよ」
と手鏡も手渡す。安月給には結構な金額だったけれど、何とも言えない満足感に浸る。すると
「これはおまけに付けよう」
とフレグランス付きの椿油の小瓶が差し出された。ここのモデルみたいなイケメン店長だった。同じ男でもここまで体型って違うもんなんだなぁ、と思う。
「これを贈られる方が喜ばれますよう心より祈っている」
と不思議な物言いをする店長に、鳴海は礼を言った。


ぱし、と神棚に手を合わせると深く頭を下げた。
「ウチの神様には縁もゆかりもないとは分かってんだけど、これを夢の中のあのヒトに届けてください」
よく映る鏡と滑りの良い櫛で、彼女に見合った身嗜みが出来ますように。
頼んます、と更に深く深く、鳴海は頭を下げた。



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