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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(8) チークキス 1/2





瞼の裏がうっすらと明るくなって、ああまた朝が来やがった、と思う。独り暮らししてた時だって朝はバタバタだったってのに、幼稚園児が加わって二人分の支度となるともう戦争だ。しかも自分ひとりなら平気で抜いてた朝飯もそうはいかない。しかも弁当なんてものも用意しなくてはならない。
そろそろ目覚ましが鳴る頃合いだ。でもそれまではもうちょっと布団の中でグダグダしていたい。
あー…朝ごはんはトーストにハムエッグでいいか…それと弁当の余り物…
ふと、コンソメのいい匂いが鼻をくすぐった。
そうだな、コンソメスープでも作ろうか?
ここんとこめっきり朝は寒くなったし飲めばカラダがあったまる、冷蔵庫にベーコンが残ってたから…
そこまで考えてコンソメの匂いの出どころは何だと思い当たって、ぱ、と目を開けた。すると目の前に逆さまのエレオノールの顔。枕側からエレオノールが鳴海を覗き込んでいた。


「おはよう。今ちょうど起こそうと思っていたところだった」
「おう…おはよ…」
何て起こし方すんだよこいつは。
鳴海の頭上ででかい乳が今にも雪崩を起こしそうだ。
こいつ…5年のうちにずいぶん乳が育ったなぁ…
ずっと眺めていたい、でも逃げたい。
とはいえ頭の両側に手を突かれてその上空をキレイな顔で覆われては身動きが取れない。
どうやって入った、と訊こうとして、ああこいつには合鍵を渡してたっけな、と自己解決する。
というか、下半身が絶賛、男の朝の生理現象真っ盛りなんだが。別に他人に見られて恥ずかしいモノでもないけど、積極的に見せたい状況のものでもない。とにかく早く「どいてくれ」と頼んだ。エレオノールがカラダを引いたので、もそ、と起き上がり膝を立てる。
「もう少しで朝ごはんが出来るから」
キッチンからはコトコトと鍋の蓋が持ち上がる音、洗面所からは洗濯機が回転する音がする。ここ2日ほど洗濯をサボっていたから大量の男の汚れ物が溜まっていた記憶。洗濯機の中には回して入れっ放しのもあったっけ。シンクにも昨日の朝の洗い物がそのまま、ダイニングには勝が遊んだオモチャが散乱して、いやそもそも万年床が敷かれた寝室は足の踏み場もないくらいで、惚れた女にはとてもじゃないけど見られたくない惨状     
に思い当たり、がば、と立ち上がろうとしたものの、おッ起ったモノが治まるまでは二進も三進もいかない。





昨夜の晩、加藤親子とエレオノールは一緒に食事をした。
引っ越し当日のエレオノール宅はまだキッチンが片付いてなかったし、5年ぶりの再会を記念してということもあり、鳴海が延長保育の勝を幼稚園から連れて帰ってから、連れ立って近くのレストランに行った。勝はエレオノールのことを覚えていて「あのきれいなひとだよ、おとうさん」と言った。こんな特徴的な銀色は子どもだって早々忘れられるものではないようだ。
エレオノールが子ども心にもあんまりにきれいだったから、勝はいっちょ前に照れていた。でも食事が終わるころにはふたりはすっかり打ち解けていて、帰り道は三人で手を繋いだ。
食事をしながら「子育ての何が大変か」の話題から「とにかく朝が戦場で」なんてこぼしたから、エレオノールは早朝から特攻してきたのだろう。
ちなみにエレオノールから「引っ越しのご挨拶です」と手渡されたのはやっぱり蕎麦だった。





「朝早くからおまえも大変だろうによ」
「私は今仕事をしているわけじゃないし。それに言ったわよ?恩返しをするいい機会だって」
まぁこいつの生真面目は前っからだしなぁ…、諦め半分で寝ぐせ頭をボリボリ掻く。
「ナルミはシャワーを浴びるのでしょう?マサルさんは私が面倒をみておくから」
「わあったよ」
ばさっと放られたバスタオルを受け取って、それで股間を押さえて立ち上がった。
「マサルさん、朝ですよ」
細い手に揺すられて、いつもと違う朝を覚えた勝は、ぱち、と円らな目を開く。すぐ近くに自分を起こしてくれたエレオノールを見つけ、ふにゃ、とした笑顔を見せた。
「おかあさんがおこしてくれたのかとおもっちゃった」


その言葉を洗面所に向かう廊下で聞きつけた鳴海は、ぐ、と胸を突かれた。母親が不在の家庭、鳴海では『母親の柔らかさ』は用意してやれない。ふたり分頑張ろうと思っても、どうしても女役は無理だ。
マサル、やっぱ寂しいんだろうなぁ。
それを昨日会ったばかりでも用意してやれるエレオノール、というか女性というものを尊敬する。
母性、ってヤツかぁ……鳴海は苦苦と笑って洗面所のドアを閉めた。
同時に、エレオノールも胸を痛くしていた。『勝の母親』から連想するものは『鳴海に愛された人』だから。鳴海の愛情と一緒にあの世に逝ってしまったヒトの忘れ形見が、目の前にいる小さな男の子なのだ。使い古された言葉を使えば『愛の結晶』というものだ。
この子は鳴海の外見を引き継いではいない、ということは母親似なのだろうか?鳴海は勝をどんな想いで見ているのだろうか?勝を見る度に愛した人の面影を見ているのだろうか?
鳴海の一世一代の嘘を信じているエレオノールは、それが辛い。


昨日の鳴海の告白にエレオノールは素っ気ない反応をして見せたけれど、彼女にはそうするしか道が無かった。告別式の後、『曲馬団』が売りに出されているのを知ったエレオノールは不動産屋の電話番号を無意識に控えていた。帰国した後もずっと悩んだ。ギイは鳴海に子どもがいることに甚く驚いていたが、「あいつが結婚してないのは確かだぞ?」とも言った。その根拠は分からなかったけれど。
今は日本に戻っていることもギイに教えてもらった。
仮に子どもがいるのだとしてもシングルファザーなのであれば、自分の気持ちが鳴海に届く可能性はある。万が一、妻子持ちなのだとして、決して報われることがなくてもエレオノールは鳴海の傍に行きたかった。気付いてしまった気持ちはもう誤魔化すことができない。鳴海の姿を少しでも見ることが出来る場所に住みたかった。
そう決心した後の行動力は、自分でも驚いた。
鳴海はシングルファザーだった。独身だった。未婚の父親だった。
でも。
鳴海の想いがエレオノールに向くことはないと宣言された。


鳴海から自分に与えられるのはただの『情』。
エレオノールの愛情を鳴海は必要としない。
もしも自分がとんでもなく重たい愛情を抱いていると知ったら、鳴海はきっと萎えてしまうだろう。
鳴海の心は死んだヒトが持って行ってしまった。
だから、エレオノールが鳴海の傍に居続けるためには、いい隣人でなければならない。
鳴海には恋愛感情を微塵も持っていない、そう思ってもらわないといけない。
本当の想いは、心の奥底に沈めて固く封をしなければならない。


「さ、マサルさん。お着換えをしましょうか。自分で出来る?」
「うん、ぼくじぶんでできるよ?」
勝はパッと起きてパジャマのボタンに手をかけた。
「えらいわね。支度ができたら朝ごはんにしましょうね。マサルさんのお口に合えばいいのだけれど」
「え?えれおのーるがつくってくれたの?」
「そうよ?でも…マサルさんのお父さんもいつも作ってくれるでしょ?」
「うんっ!おとうさんのごはん、すごくおいしいの!」
知ってる、エレオノールは心の中で返事した。





「おっし、マサルも送り出したっと」
勝を園バスに乗せて帰った鳴海は、今度は自分の出勤支度だ。
「お帰りなさい」
エレオノールはベランダで一晩洗濯機に放置した洗濯物をバシバシ皺を伸ばし伸ばし干していた。
「いいよ、適当で」
ベランダに寄った鳴海はネクタイを首に掛けながら言った。
「とにかくありがとな。今朝、久しぶりに面倒が一人分だったぜ、オレ」
「楽だった?」
「うん」
「そう?良かったわ」
エレオノールは気分よさそうに洗濯物を干していく。


「後さ」
「なあに?」
「何でマサルのこと『さん付け』なの?」
昨日、初対面時から気になっていた。
「さん、は一般的な敬称でしょう?」
「そうだけども。あれっくらいの男のガキにゃぁ『ちゃん』とか『くん』とかだ」
「老若男女問わず名前の後ろに『さん』を付けとけば間違いないって私に教えたのはナルミよ?」
「そらお前が誰彼構わず呼び捨てにすっから」
でっかい銀目の上で眉が寄った。エレオノールは少し頬を膨らませて、皺を伸ばした鳴海のシャツをハンガーにかけた。
「いい『さん』で。他は使い慣れない。どうしてこんなに日本の敬称は面倒くさいの」
「オレに言うなよ」
鳴海は苦笑う。


財布持った、携帯持った、定期持った、と忘れ物を確認し
「そんじゃぁ、行って来るわ」
と革靴に足を突っ込む。
「あ、ナルミ」
エレオノールはとたとたと見送りにやって来ると鳴海のスーツの肘を掴み、少し下方に引いた。それにつられ「何?」と腰を屈める。するとエレオノールは鳴海と頬を合わせ、ちゅ、と小さな音を立てた軽いキスをくれた。
は?どゆこと?
と鳴海は一瞬固まった。けれどすぐ、こいつはフランス人だったな、と考えが回る。あそこではチークキスは挨拶だ。とはいえ珍しいなと思う。前は一度もチークキスをしてきたことはないし、鳴海自身考えたこともなかった。5年もフランスに戻っている間に習慣付いたんだろう。
こう見えて親に連れられ海外を転々とした経験の豊富な鳴海は、エレオノールの反対側の頬にキスを返した。こんな挨拶をくれるってことはエレオノールの中で自分は「親しい友人」の部類には入っているという証だ。それは純粋に嬉しいと思う鳴海だった。
「家の中、見違えるようにしておくから」
「ほどほどにしといてくれ」
「行ってらっしゃい」
「行って来ます」
ぽんぽんとエレオノールの頭を撫でて、鳴海は家を出た。


速足でエレベーターホールに向かう。途中廊下ですれ違った昔馴染みのおばちゃんに
「ナルミちゃん、熱あるんじゃない?顔が赤いわよ?」
と言われた。確かにあるかもしれない、ちょっと頭が煮えている。変な汗も掻いている。全部、エレオノールがチークキスなんかしてきたせいだ。
「ちっくしょ…ぞくっと来た…」
エレオノールが控え目に触れてきた肘を撫で擦る。
「……チークキス、ちゃんと返せたかな……」
経験あり、と言ってもまだ少年の時分の昔の話だ。キスのマナーが間違ってたら非常に恥ずかしい。どうってことない顔をして出て来た分、恥ずかしい。
鳴海はスマホを取り出すと次回に備えて、『チークキス やり方 フランス』の検索をかけた。





そしてその日、帰宅した鳴海が見たものは、まるで業者が入ったかのように清掃された我が家だった。



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