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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(54) 紫陽花や白とは云えど移る色 5/7





うつらうつらと、浅い眠りを漂っていると、花の香りが濃くなった。
細い指が鳴海の髪を撫でている。
ああ、エレオノールだ、エレオノールが傍にいる。
エレオノールが傍にいるのなら起きなくちゃ…
心をもっと砕いて、粉になるまで磨り潰して、今度はエレオノールに気を遣わせないように、もっと普段通りを心掛けて。


好きなんだ、エレオノール。
オレが愛してるのはエレオノールだ。
本音を言って楽になりたい。
だけど、おまえは他の男のものになるんだもんな。
仕方、ねぇよな。我慢、しなきゃ…


眠りがもっと浅くなる。
ほんの少しだけ、ごく薄く目を開くと、すぐ近くにエレオノールの綺麗な顔があった。
周りは仄暗くて、何でこんなにエレオノールが肉迫しているのかも理解できなくて、やっぱりこれは、夢の中なのかもと目蓋がまた合わさった時。
羽根のように、エレオノールの唇が、降って来た。







鳴海にほんの少しだけ、キス出来れば満足だった。
だから最初から、軽く触れたらすぐに身を起こすつもりでいた。
これでもう、充分だった。
短い時間でも、思いの丈をこめて愛するひとにくちづけることが出来たから。
エレオノールはゆっくりと唇を離した。
鳴海と距離を取りながら、その感触の余韻に浸る。
すると唐突に、彼女の身体は強い力で引き戻された。何が起きたのか分からないうちに、エレオノールは鳴海の両腕に抱え込まれ、食むようにして唇を奪われた。
「…ッん…んぅ…」
エレオノールは逃れようとするも、鳴海の戒めを彼女の力で振り切れる筈もない。


唇が重なった刹那から、鳴海の舌が伸び、エレオノールの歯列を割った。下方から掬い上げるようにして鳴海の舌がエレオノールのそれを絡め取り、彼女の口内を弄った。
頭の中が真っ白になる。鳴海の、熱のこもった濃密なキスにエレオノールの身体から力が抜けていく。
高校を卒業して母国に帰る最後の夜、鳴海がくれたあのキスを思い起こさせる。もう一度、鳴海とこんなキスがしたいとずっと望んでいた。
望んではいたけれど、これではいけない。鳴海は寝惚けて相手を間違えている。エレオノールが逃げるも、鳴海は首を伸ばして追いかける。そのうちに、鳴海の片手で頭骨を、もう片手で腰をしっかりと押さえられ、退路を断たれた。


懸命に止めるように声を出そうとしても、鳴海の舌に阻まれた口元からは切なそうな喘ぎ声しか出ない。鼻から抜ける、自分で聞いていても嫌になるくらい、甘ったるい声。唇の間から垂れた自分の唾液を鳴海が吸い取り、呑み下す音に目眩がする。
どうしてこんなことになってしまったのか。
渾身の力を込めて、両手で鳴海の胸を押し返しているつもりなのに、硬い筋肉に合わせた乳房は柔らかく潰れたまま元に戻らない。


鳴海の手の平がゆるゆるとエレオノールの背中を撫で上げた。
「…ん…っ…」
びくり、と細い背中が反り返り、息を呑む。
愛しい男の温もりが移動しただけで反応してしまった自分に、エレオノールは激しい羞恥を覚えた。息苦しいくらいに、血潮が身体中を駆け巡っている。
鳴海の手指がエレオノールの身体のラインを確かめるように、そして冷えた身体を温めるかのように、辿る。その度に、エレオノールの身体は翅を捥がれた蝶の如く自然と捩れてしまう。


鳴海がエレオノールの身体を抱えたまま、カウチの上で反転した。ギシ、という大きな音とともに天地が逆転し、鳴海に圧し掛かられる。
いよいよもってエレオノールに逃げ場はなく、首を傾ける鳴海の舌は更に深く、容赦なく、エレオノールの口腔を犯した。
熱い肌、苦しくも心地よい重み、絡まる舌、鼻腔を満たす愛しい男の匂い。
鳴海の全てに応えてしまいそうになる。鳴海と、こんな濃厚なキスを交わしたくて交わしたくて、ずっと夢を見ていた。
でも、いざとなると本当に、鳴海と肉欲の滾るくちづけを交わすことに恐れが湧く。彼の矜持を、純愛を壊していることに。自分はまた、鳴海から大事なものを奪ってしまう。
でも、快楽に激しく追い立てられて、冷静に物を考えられない。本当に、これではいけない、判断が出来ないままに流されてしまう。


鳴海の唇がようやく離れ、唾液の糸を引きながら、その舌先がエレオノールの首筋へと滑って行った。
「放して、ナルミ…、も…止して…」
酸素を求めて喘ぎながらも、制止を懇願する。
「お願い、ナルミ、放し…ッう…」
エレオノールの首に熱い息がかかり、齧るような口づけを受ける。エレオノールは与えられる愛撫に耐え切れず、言葉が途切れた。鳴海の胸の下で悶えながらも、その厚い胸を拳で突いた。
「寝惚けてるの?私を、誰かと、間違えて…」
エレオノールが必死に訴えると、彼女の身体を押さえる鳴海の手に力がこもった。


「人違いよ、ナルミ…ね、だから…放して…っや…」
肉食の獣がするように、鳴海はエレオノールの白い首筋を濡れた舌でベロリと舐めた。
「あ…ぅ…」
全身を駆け下る快感を、エレオノールはきつく目を閉じ眉間に皺を刻んでやり過ごす。項を生温かな唾液が垂れていく感覚に、エレオノールの身体がふるふると震えた。
鳴海はエレオノールの耳の付け根に所有印を赤く刻みつけながら思う。
馬鹿だなエレオノール。
オレが誰と、おまえを間違えるってんだ。





確かに初めは寝惚けてもいたし、幾何か残っていたアルコールに後押しされてキスを返した。
でも今は、頭ははっきりしている。
彼女を組み伏せているのは鳴海の意思だ。
触れることをずっと堪えてきた。
エレオノールのために我慢して、ギリギリの崖っぷちで膨らむ想いを抱えて、永いこと途方に暮れていた。
エレオノールのために我慢していたのに、そのエレオノール自身がキスでオレを崖へと突き落としたのだから、オレは喜んで抗わず、真っ逆様に墜落しよう。
想いを解放して、己に科した戒律と一緒に堕ちるところまで堕ちよう。


歯車を狂わせる切欠はほんの些細なこと
本当に細やかなキスがひとつだった
おまえを欲しがる顔を仮面で隠すことはもう出来ない


鳴海は逃がれようとするエレオノールの身体を長い手足で巻き取り、その自由を封じた。
「おまえを抱きてぇ…」
男はふくよかな耳朶を弄り、耳元で囁く。
女は首を振り、弄る舌から逃れた。
「止めて、ナルミ…くすぐったいわ」
身体から力が抜けていくのを必死で留め、理性を掻き集め、強がりを口にする。
今度は大きな手でがっしりと掴まれ逃げる術のない耳朶に吸いつかれる。ちゅ、と耳朶が鳴り、自分の身体を欲しがる男の息遣いが間近に聞こえた。外耳をもどかしく舌先で嬲られれば、あられのない声が突き出されそうになり、顎が上がった。
鳴海はその顎を齧り、相手の唇が自分のそれと重なるように捩り向けた。顎をしっかりと捕えられ、再びエレオノールの口腔に肉厚の舌が捻じ込まれる。
噛みつかれるような口づけ。
まるで犯し尽くそうとするかのように奥へ奥へと挿し込まれた男の舌に、女の舌は容易に巻き取られ、今度は男の口腔への誘われる。
呼吸を求め、ずらされた唇の隙間でかすれた会話を短く交わす。


「ナ、ルミ、人違い、だから」
「エレオノール…」
名前を呼ばれた。人違いじゃない。鳴海がエレオノール自身を欲しがっている。それはエレオノールの心に喜びを満たす反面、恐れも湧き起こす。
「止め、て」
「こっち見て」
「……」
「オレを見て」


一瞬の隙にエレオノールは光源から顔を背け、クッションに顔を押しつけて、懸命に乱れた呼吸を整えた。
「本当に…止して」
「止めて欲しけりゃァ、顔、見せて」
更に深く、顔を背ける。
「エレオノール」
鳴海に両手で頭を押さえられ、強制的に向かされた。エレオノールは出来る限りの抵抗を試みたけれど、元より力で敵う筈もなく。
エレオノールは極近距離で鳴海と顔を合わせた。
鳴海が見たエレオノールは、今まで彼が見たことのない表情を浮かべていた。
いつも鳴海を悩ませた涼しげな顔ではなく、余裕の全く感じられない、ジレンマに苦しむ女の顔だった。感情を理性で押し留めつつも、その濡れたような瞳には滾る情欲が透けている。
エレオノールは自分の中で、これまでずっと懸命に積み上げてきたものが、終に瓦解してしまった音を聞いた。



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