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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(53) 紫陽花や白とは云えど移る色 4/7





プロポーズや帰国の話は、きっと出るに違いないと構えていた。エレオノールにしたら単純にめでたい話でも、鳴海サイドにしたらとんでもなく込み入った話だ。勝がいない今日が最適、でも、買い物してる時も、夕食や明日の仕込みを手伝っている時も、彼女の心尽くしを頂いている時も、流れる時間は穏やかで、あまりにも楽し過ぎたから、いざ彼女から打ち明けられた際に全くのノーガードだった自分を責めることは出来ない。
分かっていたのにな。「折り入った話」が「夕食」にすり替わったのは、死刑宣告がほんの少し延期されただけなんだって。
土手っ腹に師父の崩拳を打ち込まれたのかと思った。胃に凄絶な痛みが走り、本気で吐くかと思った。咄嗟に口をついた「ここんとこ体調が悪くて」をエレオノールは信じてくれたようで助かった。逃げるように彼女の家を後にした。何を口走って出て来たものか、記憶にない。


気がついたら、鳴海は近所のコンビニで雑誌の立ち読みをしていた。どうやら真っ直ぐに帰宅したくなかったようだ。目を上げると篠突く雨、身体が然程濡れてないところを見ると、無意識でも雨が降ってたら傘を差すくらいの生活習慣は保っていたようだ。
おそらくもう長いこと、ここで木偶の坊に成っているんだろう、コンビニ店員の胡散臭そうな視線を感じる。おまけに手にしてるのが女性誌とくれば尚更だ。雑誌を棚に戻し、迷惑代として牛乳とヨーグルトを買って出た。傘を叩く雨が耳に五月蝿かった。


次に我に返った時は自宅のダイニングにいた。テーブルに買い物袋を置き、牛乳パックを手に俯いていた。夢遊病なんじゃないかと思うほどの意識の途切れっぷりだ。パックの口を抉じ開けようとして、左指の引き攣りを覚え手を止めた。牛乳をテーブルに置き、左手を覆う手袋を外す。白々とした電灯の下、真新しい肉色の肌を晒す、手首から手の甲へ、指の股から第二関節まで延びるケロイド状の火傷痕。
拳を握ると関節部分の皮膚が攣れてスムーズに形を成さない。やはり若干の緊縮が残ってしまった。服越しに左腕を摩ってみる。痕は腕の中程まで続いている。本当にこの傷を被ったのが彼女でなくて良かったと思う。
自分のものにはならないヒトだけれど、彼女には真っ白なままでいて欲しい。あの姫紫陽花のように見事に咲き綻んでくれればいい。


改めて牛乳パックを開き、直接口を付けて飲む。冷たい液体が喉を下る感覚に、幾らか頭の中の蜘蛛の巣が取り払われた。ふと、時計に目が行って、他所様宅にご厄介になっている息子のことを思い出す。
「マサルから連絡が入ってるかもしれねぇなぁ」
大事な息子をド忘れしていた自分にやれやれと、尻ポケットに手を当てる。が、ない。
「…あ、あれ?」
身体中のポケットを弄ってみたものの携帯がない。
「あー…やっちまった…」
道中で落とした、か、エレオノールのとこに忘れて来たか。
「道かコンビニ、どっちかにしてくれ…」
どのツラ下げてエレオノールに会えばいいのか。しかし、ない、となると非常に困るのが携帯だ。エレオノールの家にあるなら取りにいかねばならない。鳴海はゲンナリした気持ちを抱えて、雨降る夜道に戻ることにした。


コンビニにはなかった。「また来たの?」という店員の冷たい目が痛かった。引き返す道に落とし物を探し探し歩いていたら結局、エレオノールの家の前まで来てしまった。
「やっぱここかよ…」
チャイムを鳴らしてエレオノールを呼び付けるのも気が引けたので、合鍵で入り込んだ。彼女はシャワーを浴びているようで、何とか顔を合わせなくて済みそうだ。静かにリビングに足を向ける。
携帯はリビングのローテーブルの上に置いてあった。ここで携帯をいじった覚えはないので、エレオノールが忘れ物を分かりやすい場所に持って来てくれたんだろう。
ローテーブルには携帯の他に、飲まずに放置され温まった紅茶と、お茶受けに用意したと思われる菓子缶が乗っていた。携帯を無事に発見してホッとした喉が渇きを訴えるので、飲み忘れられた紅茶をぐっと煽って空にした。やたら甘いお茶だった。そこにメールの着信音、見れば勝からメールがガンガン入っている。
風呂場の方向に神経を向ける。エレオノールが風呂から上がった気配はない。鳴海はカウチに腰を下ろすとしばし急ぎのメールはないかをチェックするが、殆どが勝からの画像だった。


「へへ。マサルのヤツ…楽しそうで、何より…」
楽しそうな画像を眺めていると、不意に急激な眠気に襲われた。エレオノールに語った寝不足と疲れは嘘じゃない。でもこの眠気はそれだけが原因じゃない。呼気に含まれる匂いがアルコールのものであることに気が付いた。
もしやと思い、カップの中の砂糖の溶け残りを注意深く嗅いでみる。きっちり洋酒の匂いがした。甘い飲み口と、一息に飲み込んだせいで気がつかなかった。酒入りの紅茶だったようだ。
「し、まったあ…」
まさかそんなトラップがあろうとは。眠気の正体が知れた途端、ぐら、と脳みそにアルコールが染みた。これも一種のプラセボ効果なんだろう。頭を抱えてカウチに背中を付ける。ここはエレオノールのお気に入りのスペースで、彼女が良く読書をしている場所だったから、ファブリックに甘い花の残り香が漂った。
「あー…エレオノールの匂いがする…」
エレオノールに抱き締められているような、そんな心地がして気持ち良かった。どんなに強がってもエレオノールを求め愛していたから、間接的な抱擁でもとても幸せでもっと享受したくなった。本物の彼女からは望めないものだから。
気持ちが良くて、両目蓋を合わせたら、最後だった。





++++++++++





「ナルミ…?」
間近にそうっと寄って様子を窺う。カウチから滑り落ちた大きな手の先、床の上に、携帯が落ちていた。自分が風呂に入っているうちに忘れ物を取りに来たようだ。
「どうしてここで寝ているの……あ、紅茶…」
ローテーブルに置かれたティーカップが空になっていた。
「これ、飲んじゃったの?」
カップと一緒に置かれた缶に入ってるお菓子はアルコールが詰まった砂糖菓子で、エレオノールはこれを砂糖代わりにコーヒーや紅茶に入れて飲むのが好きだった。グランマニエやコアントローが香って美味しいのだ。空にされた紅茶はそのお菓子を入れて放置したもの。気持ちが沈んでいたから甘ったるいくらいの紅茶が飲みたくて何個も入れた。当然、甘さに比例して中身の酒量も増える。アルコールにからきし弱い鳴海の電池切れを起こさせるには十分だったのかもしれない。鳴海はクッションに高く頭を寄りかからせて、ぐっすりと寝こけていた。


「体調悪いって言ってたし…寝不足で疲れてるって言ってたし…余計に効いてしまったのかも」
エレオノールはブランケットをクーラーの冷気で寒そうな腹にそうっと掛けてあげた。
「隣人だった頃はよく…こんな寝顔を見てたっけ…」
鳴海を起こすことで一日が始まったあの頃が懐かしい。今夜のところは勝もいないし、家に帰らなくても大丈夫だからこのまま眠らせてあげようと思った。プロポーズを受けようと思う相手がいるなら帰ると言っていたのに、結局、眠り込んで泊まる羽目になって、起きたらきっと落ち込むんだろう。
床に落ちた手足に血が溜まってしまったらいけないと、静かに持ち上げカウチの上に戻してやる。図らずも、手袋とシャツの隙間から肌が覗いた。火傷を負ってから一度も見たことのない傷痕。ちら、と鳴海が眠っていることを確認して、手袋をめくってみた。そしてすぐに元に戻す。手に手を重ね、深い謝意をこめた。
「…ごめんなさい、ナルミ…」
エレオノールが、自分を責めるに充分過ぎる傷痕だった。申し訳なさに震えが来る。自分は彼の拳法家としての未来を取り上げて、大事な拳にも傷を付けてしまった。でも鳴海は何も言わない。いっそ鳴海が少しでも責めてくれたら、後ろ髪を引かれることもなく、彼から離れることが出来るのに。


「おやすみなさい…」
零れ落ちそうな涙を堪え、立ち上がる。サイドテーブル上にある読書用の小さなライトの灯りが鳴海の顔に当たっていたので、彼が眩しくないように、大きな身体越しに向きを変えた。
鳴海の傍らについた手に体重がかかり、カウチがギシ、と音を立てた。カウチが発した音に、生々しい想像がエレオノールの脳裏を横切った。
以前、ミンシアから聞かされた、鳴海の寝込みを襲ってセックスに持ち込んだ話。それに触発されて見た、寝ている鳴海を愛撫して抱いてもらう夢。
乱れ始める呼吸を指の背で押さえ、鳴海の寝顔を見下ろす。
眉間の皺、高い鼻梁、閉じた目蓋、半ば開いた唇、男らしい顎、逞しい首、大きな喉仏。それらに落ちた灯りが作り上げるコントラストを見ているだけで、エレオノールの身体はじわりと熱を帯びてくる。破裂しそうな想いを宥めるために、大きく深呼吸をした。
既成事実を作ってしまえば。
そんな短絡的な欲望が心身を支配する。
思い留まらないといけない。彼には好きなひとが他にいる。自分が本懐を遂げることは、彼の純愛を穢すこと。


それでも。
抱かれたい。
ナルミに抱かれたい。
彼が欲しい。
心が手に入らないなら、身体だけでも繋がりたい。


エレオノールは苦しそうに唇を噛み締めた。
「ここにいてはもう…駄目…離れなくちゃ…」
自分を叱咤しながらも浅ましい未練に流されて、せめて、と鳴海の髪に手を伸ばし、そうっとその指を挿し入れた。艶やかな黒髪は、雨に濡れてひんやりとしていた。
髪を梳る。
頭を撫でるように、指をやさしく這わせる。
「…きよ、ナルミ…」
息が詰まる。
堪え切れない想いがエレオノールの胸を引き裂いてドロドロと溢れ出す。限界をとっくの昔に超えている頭はおかしくなっていて、正常な判断が出来ない。
離れなくてはいけないのに。
エレオノールはカウチに腰を下ろすと、今度は真上からその寝顔を見下ろした。
「な…」
名前を呼ぼうとして、止めた。
名前ではない何かか、零れ出てしまいそうで。


「……んぅ……」
その時、鳴海が身じろぎをした。鳴海の唇が微かに動き、無音の声で誰かの名前を呟いた。男らしい鼻筋に切ない皺が刻まれて。
「…愛… …てる…ん… …」
続いて呟かれる愛の言葉。一度でもいいから鳴海の口から聞きたかった言葉。無性に胸が妬けてくる。
そんな顔であのヒトの夢を見ているの?
生きた私がここにいるのに、どうして居ないヒトを視ているの?


ナルミは、私の大切なひと
もう返して
私は、誰にも、渡したくないの


引き結んだ唇を、鳴海のそれにゆっくりと近づける。寝込みを襲って、唇を奪うだなんて、全く愚かしいことだと分かっている。
けれど、こんな機会はきっと、もうないから。
こんな風に、静かに、理性が欲望に負けるなんて。
繊細なワイングラスを触れ合わすように、唇と唇が触れた。








夜闇の帳、村雨の檻、雨垂れの幕、
ここにいるのは、互いを欲しがるふたりだけ



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