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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(52) 紫陽花や白とは云えど移る色 3/7





クリスマスの夜、鳴海に言われた。
自分が結婚して伴侶を持てば、安心できるのだと。
「おまえが所帯持って幸せそうに笑っていりゃあ、あいつだって自分の出る幕じゃねぇって思い知るだろ?オレだって、おまえがそうなりゃ安心だし」
鳴海からそう言われた時、どれほど傷ついたろうか。世界で誰よりも愛している鳴海の口から「『保護者』としておまえが大事だから、おまえを守ってくれる伴侶が出来ることを望む」などと言われてしまったら、エレオノールの選択肢は一つしかない。


確かに自分が誰かと結婚すれば、あのストーカー男の目は鳴海に向かなくなる。鳴海の身の回りから危険が消える。自分が鳴海から距離を取れば、彼に不運が降りかかることもなくなると思う。
エレオノールが生涯結婚したいと思える男性は鳴海だけだ。けれど、鳴海の心の中には既に棲んでいるヒトがいる。エレオノールは鳴海に伴侶として選んではもらえない。
ならばもう、誰と結婚しても同じだと思った。リシャールはこんな、他の男を愛し切っている女でも愛する、結婚しようと言ってくれた。
喫茶店が足枷になるなら、自分が日本で働くように仕事を変えてもいいし、ローンを肩代わりしてエレオノールが帰国できるようにしてもやれるとリシャールは言ってくれた。
自分がリシャールと結婚すれば、愛が成就したリシャールは喜ぶし、保護者を自負している鳴海もホッと胸を撫で下ろしてヒナの門出を喜んでくれるだろう。
自分さえ、自分を殺せば、リシャールも鳴海も幸せになれる。鳴海の傍にいられないのであれば、エレオノールの幸せなんかどこにもないのだから、自分の幸せなんて考慮に入れる必要もない。


出来るなら『Cirque』で店主としてありたい。他の男性に抱かれる身になっても、出来るだけ鳴海の近くにありたい。
でも、結婚してしまったら『万が一』すら失ってしまう。想いが報われぬ絶望に耐えられる気がしない。店主を続けられる自信がない。いっそフランスに逃げ帰ってしまいたくなる。
でも、鳴海の笑顔を見ていたい、ケンジロウの店で店主を続ける限りそれは叶う、その、堂々巡り。


「ナルミ…あのね…」
「ん?」
「あの、私ね…あなたに…折り入って話が…」
エレオノールがそこまで言葉にした時、どうしてか鳴海は眉を寄せた。それは本当に一瞬のことで、瞬きの間に鳴海の表情は元に戻っていたけれど、鳴海は確かに瞳を険しく細めていたと思う。エレオノールは咄嗟に
「ううん…あの、良かったら今晩、うちでご飯食べない?」
と別のことを口にした。こんな風に鳴海と一緒の時間を持てると思っていなかったから、よく考えれば、ふたりきりで夕食をとることも可能なのだった。高校生だった自分が、隣家に入り浸って鳴海と晩ご飯を毎日楽しめたあの頃みたいに。
気が重たくなるような話は、最後でいい。エレオノールもしたいわけじゃない。おそらく、今晩が鳴海とふたりで心行くまで過ごせる最後の夜になる。打ち明け話はそれを満喫し切ってからでいい。
「晩メシ?マサル、いないけど?」
鳴海は、ふたりだけの食事、にピンときていない顔でコメカミを掻いている。エレオノールは、自分と鳴海との間に在る温度差を目の当たりにして心が蒼然としたが、懸命に持ち堪えた。
「別にいいじゃない、ふたりでも」
とエレオノールが言うと
「ああ…そっか… …なんか久し振りだなぁ…」
何が「そっか」なのか分からないけれど、苦笑しながら「そうするか」と言った。ようやくエレオノールの肩から力が抜ける。


「良かった…。なら、急いで片付けてしまおう」
白い手がぽんと打たれて、勝たちのテーブルの皿をテキパキと重ね出す。
「片付けて、買い物に行って…」
「オレも手伝うよ。買い物も付き合う。明日の仕込みもあるんだろ?」
鳴海もカウンターに広げた仕事道具をしまい出す。
「でも、ナルミはお仕事が…」
「いーよ、こんなん。夜、家帰ってからやるから」
「そう?だったら…お言葉に甘えて。先に買い物に行ってもいい?」
「おう」
「いつものスーパーじゃなくて、エキナカのお店でもいい?ちょっと遠くなるし、雨が降って手間だけど…」
「了解。あっちの方が品揃えもモノもいいしな」
そう答えると、エレオノールが心から嬉しそうに微笑んだので、鳴海は少し面喰って分厚い筋肉の下で鼓動を速めた。
「一度帰って着替えて来る?」
「んー、いいや、このままで」
窓の外に目を向ける。雨は結構強いし、駅まで行って帰ればかなり濡れるだろう。今は店中で快適だけれど、表に出れば暑いわ湿気るわで汗もかく。買い物を済ませてから家に帰ってシャワーを浴びて、勝の荷物を阿紫花さんちに届けつつ、エレオノールの家に戻ってくればいいのではなかろうか。
「では出掛けましょうか」
パタパタと財布を取りに行くエレオノールを見送って、鳴海は何とも落ち着かない気持ちを持て余してガリガリと胸元を掻いた。







カートを押しながら買い物をしてても、エレオノールは老若男女の衆目を集めて、同時に鳴海にも向けられる羨望と嫉妬の眼差しは非常に鳴海の優越感をくすぐった。
精肉売り場で選ぶエレオノールを、鳴海が少し離れたところで荷物番しながら待つ。
エレオノールに夕食を誘われた時、すぐにピンと来なかったのは再会してからこの方、食事を囲む時は必ず三人だったからだ。夜、どちらかの家で過ごすとなった場合、鳴海は意識して勝を同席させた。理由は当然、自分の理性に信用が置けなかったからに他ならない。そんな考えでずっとい続けていたために、逆に、勝がいないとエレオノールと食事をしてはいけない頭になっていた。自分がしっかりしていればいい話、エレオノールは鳴海の受け答えに訝しそうな瞳をしていたから、もしかしたら今夜の食事を鳴海が気乗りじゃないと感じたかもしれない。
もうひとつ、すぐにピンと来なかった理由。
「折り入って話がある」と言われた時、思い浮かんだのは「リシャールのプロポーズを受けることにした」「近々フランスに帰ろうと思う」、そんなこと。それを打ち明けられるのではないかと構えてしまった。物凄く心臓の痛い想いをしたから、折り入った話が「食事」だと分かって拍子抜けしてしまったのだ。
「ホントに良かった…」
尤も、決定的な未来を知らされる時が、ほんの少し延命されただけなのかもしれないが。


ぼうんやり、エレオノールの姿を眺めていると、近くの売り場のおじさん店員が
「ダンナの奥さん、物凄い別嬪だなあ」
と声をかけてきた。近所の商店街やスーパーだと面が割れているので、そういった関係で誰も見てくれないから(誰も言わないだけで『準夫婦』的な関係じゃないかと勘繰られていることを当事者だけが知らない)、初めて『夫婦』と言ってもらえた鳴海は、目の前にいるおじさん店員を心底、「いい人だ…」と思い目頭が熱くなった。
振り返ったエレオノールと目が合う。エレオノールはにっこりと微笑むと、その唇を「もう少し待ってね」と動かした。
「オレのカミさん、美人でしょ」
と鳴海が調子づくと、おじさん店員は
「しかも奥さん、ダンナにぞっこんと来たもんだ。ダンナ、幸せだねえ」
と来た。
だから、さすがにそれはねぇよ、と心の中で苦笑する。ぞっこんなのは、今も昔もこれからも、オレだけだ。
「奥さん、たまに買い物に来てくれるの見かけるんだよ。彼女、破格に美人じゃない?」
「うん」
「美人過ぎて近寄りがたくて、冷たいヒトなのかなあって思ってたわけよ」
「……」
「けど、何かの折りに話した時に笑顔を見せてくれて。ああ、キレイに笑うヒトなんだなって」
「そうですよ」
鳴海はおじさん店員の言葉に大きく頷いた。


エレオノールは綺麗すぎるから、高校生の頃もそうやって誤解されて、同性からはヤッカミを受けて苦労した。鳴海自身も、エレオノールと出逢ったばかりのしばらくは「きっと冷たい女に違いない」という先入観を持って接していた。今は、そんなあの頃の自分をブン殴ってやりたい。エレオノールはああ見えて寂しがりの甘えたがりで、それを支えてやれたのは自分しかいなかったのだから。
だからもっと、意気地を出して、彼女に想いを伝えておけば良かった。もう二度と会えないとどうして思いこんだのだろう?正二がアンジェリーナを追いかけたように、自分もフランスに渡れば良かっただけなのに。
母国に帰る彼女の未来を尊重するとか、ただ、断られるのが怖くて言い訳にしていただけだ。断られてもいいから、彼女の未来の選択肢として、自分の存在を提示すれば良かった。
数年後、本当に手も足も出せずに彼女が誰かのモノになる様を見送るしかなくなるのなら、当たって砕けておけば良かったんだ。
「でも……やっぱ、ダンナに見せる笑顔は別モンだねえ。さすがさすが」
「は?」
「取っつき難そうな美人顔が、キラキラして可愛いくらいじゃない?」
「そんな、ことは…」
「お待たせ、ナルミ」
跳ねるように戻って来たエレオノールが大きな肉の塊をカゴに入れた。
「奮発しちゃった。ローストビーフが食べたくなったものだから」
頬を染めてニコと笑う。愛おしくて、ずっと独り占めしたいと思っていた笑顔、これが、自分向けの別物の笑顔だと店員は言う。鳴海が戸惑ったような目を店員に向けると、おじさんはひやかすようなジェスチャーを見せて、仕事に戻って行った。





++++++++++





夜更けから風も出てきたようで、家を打つ雨がザラザラと音を立てている。エレオノールは浴槽で丸くなり、顔半分まで湯に付けながら、その音にじっと耳を傾けていた。
どれだけの時間、湯船に浸かっていただろう。バスソルトのように溶けてしまいたかった。湯上りの身支度をするのがとても億劫だったけれど、このまま風呂にいても仕方がないので上がることにする。


「ご馳走様」の後しばらくして、エレオノールは遂に打ち明けた。リシャールのプロポーズを受けようと考えていること、彼の任期終わりに合わせて一度帰国しようかと思っていること。
打ち明けた途端、鳴海が口元を押さえて身体を九の字に折り曲げた。何事か、と近寄ろうとすると手の平で「来るな」と制された。聞けば、ここしばらくの寝不足と疲れで胃腸風邪気味だったらしい。体調が悪いなら悪いと言ってくれれば無理をさせることはしなかった。食事だって肉料理ではなくてもっとお腹にやさしいものを用意した。でも自分があんまりに浮かれていたから、鳴海も言い出せなかったに違いない。あんなにたくさん美味しそうに食べてくれていたのも、自分に気を遣ってくれていたからだと思うと申し訳なくて涙が出てくる。
「プロポーズを受けようって男がいると、おまえの口から聞いた以上、この家にふたりきりではいられない」
鳴海は蒼褪めた顔でそう言って、帰ってしまった。
「幸せにな」
そう言って笑って、チークキスもくれずに帰ってしまった。


ポタポタと髪から雫を垂らしながらバスマットの上に立ちすくむ。風に煽られた大粒の雨が窓に打ち付けられ、強い音を立てた。ふと、マサルのことを思い出す。
「マサルさん…明日の釣り、大丈夫かしら。雨、止むといいのだけれど」
マサル、から連想されるのはナルミで、特大の溜息を吐き出した。ボディクリームを肌に塗り込む日課もどうでも良くなって、顔に軽く化粧水を叩いただけで洗面所を後にする。エレオノールは半乾きの髪をタオルで拭き上げながらリビングに向かった。
「あ…紅茶、飲まないまま…すっかり忘れてた…」
心のどこかで、もしかしたらプロポーズを思い留まるよう言ってくれるかも、そんな期待を持っていた。万が一にも、鳴海が自分を想ってくれているかもしれない、そんな淡い期待を抱いていた。でもそれは無残に砕かれてしまった。その動揺を鎮めようと温かい紅茶を用意したことを思い出した。けれど、一口も飲まないうちに、湯が沸いた知らせに釣られて風呂場に直行してしまったのだ。リビングに置きっぱなしの紅茶は冷めきってることだろう。
「ナルミが私を見ていないことなんて分かりきっていたわよ…でも、もしかしたら、って期待しても、いいじゃない…」
壁の調光ダイアルでリビングの灯りを絞る。上せ気味の身体には冷めた紅茶が丁度良いかもしれない。


程良く薄暗くなったところでカウチに向かい、エレオノールは心臓が止まるくらいにびっくりした。
カウチの背凭れから人の頭が覗いていたからだ。
長い黒髪のおかげでそれが鳴海だとすぐに知れたけれど、自分しかいない筈の家に予想外の人体を見つけると、流石に心臓に悪い。
「な、ナルミ?」
何でこんなところにいるの?
玄関で見送ったのに?
帰ったんじゃなかったの?
たくさんの質問を抱えて近づくと、鳴海はカウチでぐっすりと眠りこけていた。



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