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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(51) 紫陽花や白とは云えど移る色 2/7





ああでも。束縛したい。
自分だけのモノにしたい。
でも、こうして捕まえていても、絶望的に遠い。
この世で一番、形があるモノの中で、オレから遠いのは、エレオノール。





己で懸命に積み上げてきた関係性の中に、鳴海の気持ちはもう収まり切れない。自分に課した決め事よりも、願望の方がはるかに天秤量りの腕を下げてしまった。そんなことは最初から分かっていたことだけれど、もう膨らみ切った想いの臨界点が近い、どうにかしないと爆発する。
おかげでこんな脊髄反射な、理性をまるで無視した行動をしてしまった。腕を解かないといけない、でも、身体が言うことを聞かない。鳴海はエレオノールの肌から香るそれを、胸いっぱいに吸い込んだ。じやじやと、臍の下が熱くなる。
すると、かくん、と、エレオノールの膝から力が抜けた。鳴海に腰を抱かれ、愛する男の温もりで敏感になっている部分に、その唇を感じてしまったら立ってなどいられる筈がない。バランスを崩したエレオノールは鳴海の膝の上に落ちた。グラスが倒れる。それをエレオノールの手ごと掴む。そっと、握る。
「ごめんなさい、ヒールが…床板に引っ掛かって…」
エレオノールは慌てて、偽りの言い訳をした。まだ膝がガクガクする。
「いや…オレが、カウンターに向かおうとして腕を引っ掻けたから…すまん…」
細い首筋に目頭を押し当てる。エレオノールの腰の周りに檻を作りたがる腕を必死に叱咤して、鳴海は唇を噛み締めた。
エレオノールは、鳴海の膝に乗る、それだけで蕩け出す自分のカラダを恥じた。


ナルミの腕はたまたま引っ掛かっただけ。なのにどうして私は、その行動の裏に何か意味があるのではないか、なんて考えたのだろう。ナルミの唇だって、位置的に勢いでぶつかっただけ。なのにどうして私は、キスをくれた、なんて感じたのだろう。
意識し過ぎだ。
ナルミの心にはずっと、あのヒトがいるから。私になんか手が伸びるわけないって分かり切っているのに。ただの偶然を、抱きしめてくれたように錯覚して、糠喜んで、莫迦みたい。


紫陽花を透かすレトロガラスを雨垂れが幾筋も伝い出す。まるでエレオノールの心の中のように。
「ああ、けっこう雨足が強くなってきたみたい」
その言葉を受け、鳴海がグラスの姿勢を確認してからエレオノールの手を開放した。両手で彼女の腰を支えてゆっくりと立たせる。
「ごめんな。どこか痛くしなかったか?」
「ううん、大丈夫…」
沈黙が流れて『月光』が耳に痛い。鳴海は腕の時刻を見、壁に掛かった時計の文字盤にも目を遣った。その動きからエレオノールも同じことを連想したようで
「そろそろ下校時刻かしら」
と言った。
「うーん…あいつ、カサ持って出たっけなぁ…」
梅雨の季節、ぐずぐずした空模様は毎日だから折り畳み傘を持って出ていると思うけれど、今朝の出掛けは確認しなかった。
「大丈夫よ、マサルさん、しっかり者だもの」
「だといいんだが」
鳴海と目が合う。その途端、エレオノールは自分の顔が熱を持ったことに気付いた。
「あ…そうそう、お代わり。少し待っててね」
誤魔化しながらカウンターの内側に急いで戻る。先程の、不慮の体勢を思い出すと顔どころか身体が火照ってくる。鳴海と接した部分から伝わってきたのは、この身を焼き焦がすほどの『熱』。エレオノールの腿の裏や、腰、厚い胸に寄りかかった背中など、強く密着した個所は今でも放熱しているような気がして、落ち着かない。鳴海の膝に腰を下ろしたのは二度目、『上書き』をお願いしたあの夜に交わした愛撫を思い出してしまう。
でも、カウンター越しの鳴海は難しい表情でノートパソコンの画面に目を据えている。もう仕事モードに戻っている。互いを意識しているのは自分だけなのだと、改めて思い知らされる。


その時、がたがたん、と騒々しい音を立てて入口の引き戸が開いた。
「こんにちは、エレオノール!」
ランドセルを背負った男の子がふたり、入って来た。
「わー、珍しっ、ガラガラだ…あれ?おとうさんなんでいるの、こんな時間に」
互いに沈黙を持て余していた丁度、鳴海もエレオノールも闖入者の存在を感謝する。
「おう、ちょっと時間があってな。お帰り、マサル」
「いらっしゃいませ、マサルさん。へーまさんもいらっしゃい」
「こ、こんにちは」
エレオノールの出迎えに一端に赤くなっている息子の友達が、鳴海は微笑ましい。ふたりのランドセルがしっかり濡れているので「ああカサ持って出なかったんだな」と思う。
「あのね、エレオノール。カサ貸してもらえる?」
「おまえ、雨のたんびにここで傘借りるなよ」
「だって、ここ通り道なんだもん」
確かにある意味しっかり者だ。
「気にしないで?へーまさんもカサいる?」
「は、はいっ」
近所で悪童として名の通っている平馬のお行儀の良さにエレオノールはくすりと笑った。鳴海は、ガキのくせにいっちょ前に美人を前にすると照れんだなあ、なんて思う。


「ねぇおとうさん、お腹空いたー」
都合のいい財布発見とばかりに、勝はおねだりをした。育ち盛りは食べたがりなのだ。
「だめぇ?」
なんて息子に上目遣いで見られると鳴海は弱い。
「分かったよ、へーまも一緒に座れ」
「いいの?マサルの父ちゃん?」
「いーよ。エレオノール頼むわ」
エレオノールは微笑んで、小さなお客さん達をテーブル席に案内する。
「エレオノール、ランチの時間過ぎてるけどカレー食べられる?」
「大丈夫よ。飲み物は何がいい?」
「僕がオレンジで」
「オレ、コーラ」
「かしこまりました」
「ここで食うならやっぱカレーだよなぁ」
「分かる!給食のカレーが物足りなくなるよね」


仕事に戻ろうと子どもの生意気な会話を背を向けた時、自分の身体から微かに花が香った。さっきのエレオノールの移り香だ。エレオノールがまだ膝の上にいるような気がする。彼女の柔らかさや重みが、この手で彼女の奥底まで触れた記憶を呼び起こす。
馬鹿だな、オレは。不用意に触れることは、自分を辛くするだけなのに。
仕事をしている体裁を整えても、ノートの画面に浮かぶ内容なんて頭に入ろうはずも無い。表情だけが硬く難しくなっていく。
「あ、おとうさん」
と勝に呼びかけられた。鳴海は想いを振り切って、体ごと勝に向き合う。
「おう、どうした」
「あのね?今日へーまんちに泊まりに行ってもいい?」
「かまわんが?でも明日の学校は?」
「お休み」
「ああ…明日は第3土曜日か」
鳴海達の住む区の公立小は第2と第4土曜日が半ドン、他は休校日になっている。
「明日、へーまんちで釣りに行くんだって。それに連れてってくれるって」
「あ、マジで?いいのかよ、へーま」
「うん。オレ一人でねーちゃん三人って辛いから。マサルがいてくれたら気が楽」
平馬には年の離れた姉が三人いる。揃いも揃って気が強く、口も立つので平馬は歯が立たない。三人にいいように使われて終わりだ。勝も一緒に使われるのがオチだけど、仲間がいれば心強いのだ。


「天気こんなだけど釣り平気か?」
「行くだけ行って、ダメならダメで他を考えるってオヤジ言ってた」
「そっか。いつもすまねぇなぁ。おし、デザートも食え、好きなの頼め」
「おーやったぁ!」
「エレオノール、今日のデザート何ー?」
「シフォンケーキですよ。でも、阿紫花さんちの夕飯が入らなくなるといけないから、カレーは少なめね?」
「うん、分かったー!」
はしゃぐ子ども達に目を細める。
「あ、そうそう。ぼく、うちに帰って支度してそのままへーまんち行っちゃうから」
「釣りの支度はさすがに無理だろ」
「いーよ、大丈夫」
せっかくの早帰り、自宅ではなく『Cirque』に直行した父親の気持ちなんて痛い程分かる。単にエレオノールに会いたい一心で馳せ参じたのだ。その貴重な時間を削らせるような真似は息子としてしたくない。父親のエレオノールに対する想いを知ってからずい分なるけれど、関係が全く進展していない現状に勝が地団駄を踏みたいくらいだ。


先だって、エレオノールの父・正二と初めて会った時も、幼心にも緊張しきりの父親の姿を見ていられず、勝は自ら緩衝材の役目を買って出たのだ。正二と意気投合して本当の「おじいちゃんと孫」みたいになれたのは瓢箪から駒だけれど。
如何せん、事エレオノールになると意気地の無い父親なのだ。出来ることはこうやって、いじましく会いに来ることだけ。
だから折角のエレオノールとの時間を邪魔したくない勝だった。でも鳴海は息子の気持ちも知らず
「大丈夫じゃねぇから。マサル、おまえは学校の荷物をここに置いて、身一つでへーまんちに行け。泊まりの荷物はオレがまとめて後で阿紫花家に届けるよ。一泊分でいいんだろ?」
と言った。
「でも」
「それに息子が厄介になるんだ。親として阿紫花さんに一言お礼言わねぇわけにいかんだろーが」
父親の言うことには一理ある。だから
「持ってくるの、急がなくていいからね」
と、暗にエレオノールといる時間を長く取ってね、と伝えてみた。





「ごちそうさまでしたー」
「マサルの父ちゃん、ごちそうさまでした!」
「おう。マサルのことよろしくな」
戸口に向かうふたりにエレオノールは
「はい。ふたりともどうぞ」
とビニル傘を二本差し出した。
「ありがとう、エレオノール」
「ありがとうございます」
「それとへーまさん」
紙袋を手渡す。
「何コレ?」
「お土産。さっき美味しいって食べてくれたでしょう?シフォンケーキ」
「いいの?」
「いつもマサルさんと仲良くしてくれてありがとう。雨の中、荷物になってしまうけれど…皆さんで食べてね」
並んだ傘がふたつ、小さくなるのを見送って。エレオノールは店に引っ込む際、店頭の「OPEN」の文字を引っくり返し「CLOSED」にした。いつもよりも遥かに早い閉店時間だけれど、鳴海とふたりきりの、このささやかで幸せな時間を誰にも壊されたくなかった。再来日して一年半、思い返せば鳴海とふたりで共有できた時間は泣きたいくらいに少なかった。


戸口にカーテンを引くエレオノールに
「もう閉店か?」
と鳴海は驚いた声を出した。
「うん。ケーキの在庫もなくなっちゃったし、今日はもう店じまい。これから雨も本降りになりそうだからお客さんも途絶えそうだし」
「あ、そうだ、ケーキ。エレオノール、なんか、気を遣わせてすまねぇな。土産のケーキ代、オレに付けてくれ」
「いいの。あれは私があげたかったから。マサルさんが楽しそうだと私も嬉しい」
そしてあのケーキには平馬に向けて「これからもマサルさんと仲良くしてね」の気持ちもこめた。今後、平馬に会う機会がないかもしれないから。
「ナルミ…あのね…」
「ん?」
「あの、私ね…」
エレオノールには鳴海に伝えなければならないことがあった。





リシャールのプロポーズを受けようかと考えていること。
彼の任期終わりで一度、フランスに帰国しようと思っていること。
そして、ようやく一周年を迎えたばかりのこの店を続けていけるかどうかが、分からなくなってしまったこと。



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