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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(49) 皆既月食 3/3





13 March at 00:03


月の光で部屋の中が満たされる。
さながら、ここは夜の水槽。
冷たい藍色の透明な水底でじっとしている自分は銀色の魚。
青白色、月色、綺羅綺羅と清けき光は差し込んでは流れて行く。
エレオノールは布団の上に転がって、自分のことを逆様に覗きこんで来る月を見つめ返し、密やかな潤んだ水音に耳を傾けた。


鳴海と観上げた月が見事な満月だったから、エレオノールは月光を浴びて寝ようと思った。
自室のカーテンを開け放って、布団に転がってじっと見上げている。
薄いガラス窓越しに雪を降らせた夜気が室内の温度を下げるけれど、エレオノールは気にならない。
むしろ、この火照った身体には心地いい。
さっきからずっと、欲深な空ろが『あのヒトが欲しい』と疼き、喘ぐので、エレオノールは指先でそれを慰め続けている。


「は…ぅ… んっ…」
開きかける唇を歯で押さえても、もう一つの口がお喋りで、そしてその姦しさを堰き止める術は無い。繊指が割れ目を往復する、蜜に濡れたそれが莢の上を通過する度に、エレオノールの下半身にもどかしい痺れが走る。
暗い水槽の水底で、銀の魚がヒレをしならせ水を打つ。静かな水流が生まれる。
慰めても慰めても、半端に己の性欲を高めるだけで、鳴海がくれたエクスタシーに達するに至らない。この細い指では完全に花を咲かせることが出来ない。
悪戯に、蜜だけを夥しく溢れさせ、身体の奥底にドロドロとしたモノを溜め込むだけ。
「ナルミ…」
愛しい男がいる。生まれて初めて欲しいと思ったヒトがいる。
この爛れるくらいの愛情に気付くこともなく、今は安らかに眠っているのかと思うと涙が出る。
「…私、ほんと…うに…好き、なの…」
永遠に、手が届かない男。


ずるい、ナルミ。
ナルミは私が触れると困ったような瞳をする。
なのに、自分からはあんな風に触れて来る。
どうせ最後までくれない温もりなら、最初から欠片もくれなければ良かったのに。
残酷よ、ナルミ。ナルミのやさしさが一番残酷。
私の心をズタズタに切り刻む。


「… あ… あっ… 」
冷たい夜気に熱ぼったい息を吐く。
くちゅ…ぬちゅっ…と身体が淫らな音を奏でる。
左手をキャミソールの中に忍ばせると、ゆっくりと己の肌を上へと辿り、乳房の丸みに指を這わせながら、布地をたくし上げた。
剥き出しになった柔肉をやわやわと揉み、その突端を蜜に塗れた指で捏ねる。
快感が緩やかにリンクして、背筋を駆け巡る電流に思わず、エレオノールの上体が仰け反った。
指で弄ぶ乳首は硬く尖り、弄る秘裂ははしたない程に蜜液を垂らしている。
でも、エレオノールは求める絶頂に至れない。
鳴海でなければもう、満足が得られない。
彼女の指は、彼女の欲深さには短く細く拙過ぎて。
「どうしたら…私のカラダは楽になれるの…?」


決して自分のものにはならない男。
彼にとって疫病神な自分。
リシャールの言うように確かに距離が近過ぎるに違いない。彼のために自分は側にはいない方がいいに違いない。
自分は彼がいないと死ぬほどの想いに苦しむけれど、自分がいなくなったところで彼は少し寂しく思う程度だろう。


他の男に抱かれてしまえば、彼への想いに諦めがついて日本に住み続けられるのか。
日本を離れる前に彼に一度でも抱いてもらえたら、彼への想いを断ち切れるのか。
覚悟がつかない。


「ナルミ…」
じっと手の平を見つめた。
鳴海の精液を受けた場所、あの時の、肌を焼くような熱さを忘れられない。
エレオノールは自分の手の平を舐ぶって、鳴海の味を想像する。
じくん、とエレオノールの芯がまた疼き始めた。
惑いに答えをくれぬ無口な月は、死滅回遊魚の痴態を感情もなく厭きもせず、見下ろし続けた。


彼女が疲れて、眠りに就くまで。





13 March at 19:45


鳴海が閉店後の『Cirque』に辿り着くと、店から少し離れた場所に一人の男が待ち構えていた。彼が自分に用があってそこに立っていることが、鳴海には即座に理解出来た。その用向きも、一言も交わさなくても察することが出来た。
エレオノールの元彼で、彼女をフランスから追いかけて来た男。リシャール。
鳴海はリシャールの前でゆっくりと足を止めた。
「やあ、こんばんは、ムシュー」
「どうも。こんなところでどうかしたか?」
愛想のいい挨拶に、鳴海も気さくにフランス語で返す。
リシャールは間近に立つ鳴海を見上げ、改めてデカい男だなと思った。おまけに締まった筋肉に覆われた分厚い身体。確かに寄りかかっても倒れなさそうだ。目の前の男が、深い関係ではないにせよ、エレオノールが想いを寄せる人物であることに改めて思い至る。


「ムシューにちょっと話があってね」
「エレオノールのこと?」
自分たちの間の共通項なんてそれしかない。鳴海が単刀直入に訊ねると
「彼女にプロポーズした。6月にオレの任期が終わる。エレオノールと一緒にフランスへ帰るつもりだ」
と、潔く力強い言葉が間髪入れずに戻ってきた。
今年に入ってからエレオノールとリシャールは何となく近づいている。二人の間でそんな話になっているとは、想定以上のダメージだ。けれど、きっぱりした物言いに一種の心地良さを覚え、リシャールの人間性を垣間見る。
「そのことであんたに釘刺しておきたくて。あんたはエレオノールと仲がいいみたいだから」
予想通りの宣戦布告か、鳴海は淡く笑った。リシャールが極力、冷静を心掛けているのが分かる。にこやかながら同じ力で受けたら火花が散ると思われる語気。偏に、エレオノールを一途に想っていることの現れだ。
「そうか…でも、エレオノールのことで、オレに釘刺す必要なんてどこにも」
「あんたはエレオノールに惚れてるだろう?」
出会い頭に鳩尾に正拳突きをまともに食らった、そんな感覚。動揺を面に出さないでいられたか、自信が無い。まさかいきなり核心を突いてくるとは思ってなかった。
それと同時に、自分ではしっかり秘めているつもりのエレオノールへの想いが他人に気付かれていた事実に嫌な汗が噴き出す。以前、勝に図星を差されてから気持ちを引き締めていたのに、想いがダダ漏れていたのか、それとも『同類』だから嗅ぎつけられただけなのか。
「いや…別に。オレには…他に、想う女がいるし…」
「エレオノールから聞いてるよ。元カノの、息子さんの母親、ってヒト、だろ?」
「…そうだ。聞いているなら」
「エレオノールにはそう言ったもののさ、実は彼女を愛している、んじゃない?」


リシャールは、エレオノールがこの目の前の男をどれだけ愛しているか知っている。対峙しているこのデカい男は、エレオノールの『神様』なのだから。信仰する神のために殉教も厭わない信心深い人間を、他信教に鞍替えさせようというのだ、容易ではない。
信仰心の篤さもさることながら、彼女は近くに置いて愛でるに値する美しさと才能を多分に持ち合わせている。『神様』だってそれほどの信徒を手放すわけがない。はずなのに。
「違う」
と鳴海は首を横に振った。そして
「おまえさんがエレオノール一緒になりたいなら好きにすればいい。オレは障害にはならん」
と静かな瞳で言った。
「この怪我で、彼女の家に厄介になっちまったから余計な詮索させちまったんだな。すまない」
鳴海は左手を摩って苦笑いを浮かべている。あまりにも淡泊に綴られた鳴海の返事に、リシャールはいささかカチンと来た。


鳴海がエレオノールを何とも想っていないのなら、鳴海がエレオノールを連れて行っていいと言うのなら、それはリシャールにとっては願ってもないことだ。しかし、それでは、ひたむきに鳴海を慕って報われなくとも想い人の傍にいたいと望んでいるエレオノールの気持ちはどうなる?
そんなにも想っているのに、あっさりと他の男に自分を譲られたことを知ったら、エレオノールがどれだけ悲しむか。


「そうか。なら、オレが彼女を連れて帰っても、あんたから文句は出ないんだな?」
「オレはとやかく言う立場にねぇからな」
鳴海は芝居がかった仕草で肩を竦めた。ぼそぼそと頭を掻く。
「彼女が最高の幸せを手にするなら文句はねぇよ」
言葉が持つ重みとは裏腹の、鳴海のあんまりにも気の抜けた口振りに、リシャールはふと思う。
もしかしたらこいつは意図的に、深刻さを削ぐ努力をしているのではないか、腸が煮え繰り返るような苛立ちを、必死に押さえ込んでいるのではないか、と。
「だから、おまえさんがエレオノールを幸せにする約束をしてくれるってなら、それでいいと思うぜ?」
鳴海は、これ以上は話すこともないと言わんばかりに歩き出した。
「コブ付きの男は彼女に相応しくない、身を引いてる理由はそんなとこかい、ムシュー?」
すれ違い、リシャールに背を向けたところで足が止まる。眉間に深い皺が寄った。肺の中を空っぽにする勢いで、息を吐き出す。


「文句は無ぇと言ってるものを、何で混ぜっ返す真似をする?」
「有るのに無いって言われても。オレの寝覚めがよくないもんでね」
「だったら、どうした」
「オレならそんなの気にしないと思ってさ。そんなことで彼女への想いを我慢するなんて勿体ない」
「そうかよ。でも生憎、オレは気にするもんでな。オレはオレのことなんざどーでもいいんだ。あいつが誰よりも幸せになれるなら、その隣に立つのがオレじゃなくても構わねぇ。あいつがおまえさんを選ぶならそれでいい。…でもよ」
鳴海はギリと奥歯を噛み締めた。
「エレオノールを泣かせた日にゃァどうなるか…分かってるよな?」
背中合わせで放たれた鳴海の気迫に、ぞっ、とリシャールの襟足の毛が逆立った。反射的に防御態勢を取りかける。
鳴海から受けた威圧は一瞬で、飄々と風を切って歩く後ろ姿からはもう、何も感じなかった。


「泣かせねぇよ、安心してくれ」
広い背中に言葉をぶつけ、リシャールも踵を返す。エレオノールを泣かせているのはあんたじゃないか、は心中で訴えた。冷や汗が背筋を流れた。
「けッ…言うじゃねぇかよ」
鳴海は眉間の刻まれた深い皺と、コメカミの青い三差路を手の平で隠した。リシャールの足音が遠ざかっていくにつれて、鳴海の拳が硬度を増す。
リシャールがプロポーズした。それにエレオノールがどう返事をしたかは知らない。
リシャールはいい男だ。エレオノールを託す相手として申し分はない。その半面、リシャールへの激しい対抗心が湧き上がる。
エレオノールを最も愛しているのは自分であるという、絶対的自信。
この世で一番エレオノールを必要としているのも自分であるという、確信。
エレオノールが誰かと幸せになればいいとする意志に反する、彼女を一生自分の籠の中に閉じ込めたいという願望。
どちらかが折れねば答えの出ない、二律背反。


エレオノールが幸せになればそれでいい。
それが望みだというのは嘘じゃない、鳴海の本心だ。
エレオノールには自分は相応しくない、自分ではエレオノールに最上の幸福を与えられない。コブ付きの、それも血の繋がりのない子供を育てている男以外から伴侶を選ぶべきだという持論も変える気は無い。
だけど。
リシャールに抱かれるエレオノールの姿は、考えたくもない。リシャールに限らない、相手が誰であろうと同じこと、エレオノールを抱く腕が自分の物でないのなら。


皆既月食。
月の前に地球が立ちはだかると、太陽からは月の姿が見えなくなる。
それが、永遠に続く。
なあ、エレオノール。
おまえを空に放つくらいなら、一緒に海に沈みたいんだ。
寂しくなんかさせない、ずっと抱き締めてやる、ずっと笑わせてやるから。
だからおまえは、オレと溺れてくれるか?


鳴海は苦笑する。
オレも弱ったモンだな、と。
「三十路だもんなぁ…やっぱ年かぁ…」
とエレオノールの待つ閉店した『Cirque』の戸を開けた。



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