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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(48) 皆既月食 2/3





12 March at 21:00


鳴海は最寄り駅の改札を抜けるとゆっくりと立ち止まり、近くの壁に寄りかかった。右手首に嵌めた腕時計で時間を確認する。職場の送別会に参加した帰り、とはいえ、飲み会帰りにしては早い時刻。勝に一人で留守番させているので一次会の終わりも待たずにお暇して来たのだ。こんな時、いつもならばエレオノールが勝を預かってくれるので安心なのだが、今夜のところは彼女にも用事が入っているので仕方がない。鳴海は暗い瞳で、ふう、と肩で息を吐いた。
エレオノールはリシャールとディナーに出掛けている。


携帯を取り出して、とあるアプリを起動させる。これは位置情報追跡アプリ、画面に現れた光点はエレオノールの今現在の居場所を表している。
去年の暮れ、エレオノールが痴漢に遭った後、彼女の方からこのアプリをインストールして欲しいと頼まれた。確かに彼女の周りにはその手の懸念が付きまとうので自衛手段としては有効なのだろうが、どことなく妻の浮気を疑う寝取られ亭主みたいだし、エレオノールのプライベートを浸食しているようで一度は断った。でも、どうしても、と彼女に頼みこまれ押し切られた。交換条件としてエレオノールにも同じアプリをインストさせて、その携帯からは鳴海の位置情報が見られるようになっている。これでフェアというものだ。それに自分の位置情報なんて自宅か会社の二択だから、エレオノールに対してやましさなんてひとつもないし困らない。


まあ、色々な理由を付けて固辞したものの、結局はこうして甚く個人的な理由からエレオノールの位置情報を調べている自分がいる。
年明けてからのエレオノールはどういう心境の変化からか、ちょくちょくリシャールとディナーデートをするようになった。これまでは彼の誘いを完全シャットアウトしていたのに、だ。エレオノールの個人的な付き合いに口を出すつもりはない。それにエレオノールに結婚を勧める話をしたのは自分だ。けれど、気になるものは気になるのだ。
ふ、と知らず溜息を吐く。
エレオノールは     この駅に向かう線路上にいるらしい。
「良かった…もう、帰りか…」
鳴海は安堵して、強張っていた頬を緩めた。どこかの高級ホテルの上に位置情報が出なくて本当に良かった。
「もうちょっとすれば……この駅に着く、な」
鳴海は勝に電話を掛けながら、改札から吐き出される客たちに視線を向け、目当ての人物の到着を待った。





12 March at 21:14


エレオノールは改札を出るとすぐ近くの壁際に背の高い男を見つけて、たたた、と駆け寄った。
「ナルミ」
「よう」
鳴海もすぐに探し物の銀色を見つけて手を挙げた。
「ちょっと待てばおまえも駅に着くのが分かったから」
「待ってたの?」
エレオノールが鳴海の位置を確認した時から逆算すると、彼はここに15分近く待っていた計算になる。
「寒かったでしょう?弱いけど、雪が降ってるのよ?」
「道理で。冷えると思った」
ふたり肩を並べて歩き出す。
「マサルさんは大丈夫?」
「大丈夫。さっき連絡入れたし」
エレオノールを待ってから一緒に帰ろうかと思う、と伝えたら、絶対にそうしろ、と言われた。
「早く帰ってあげないと。割合遅くまで留守番できるようになったと言ってもまだ小さいのだから」
「一応、晩飯は用意しておいたし、平気だって」
「ああ…私、今夜の約束、断れば良かった…」
「いいんだって。おまえはおまえの…付き合いを優先すべきだ」
寒い中自分の帰りを待っていてくれたくせに、リシャールと一緒だったと知っているのに、そんなことを言う鳴海がエレオノールは恨めしい。本当に、保護者として、守ってくれているだけなんだと思い知らされる。
階段を登ろうと足を持ち上げた時、鳴海の上体が、ぐら、と大きく傾いだ。


「ナルミ?もしかして飲んでる?」
「え?アルコール、頼んでねぇけど…」
下戸の鳴海は専らオレンジジュースかコーラだ。今日はオレンジジュースだった。
「あ…でも、隣の女子社員の酒と似たような色だったから…間違えて飲んだ、かもしれねぇ」
色んな食べ物の匂いが入り混じっている場では然程鼻も利かないし、飲み口が甘くなっていると気付かないこともある。
「気を付けないと。ナルミは分解酵素が皆無なんだから…」
今夜は会社の会だと聞いていたからどうしても心配だった。鳴海は変にモテるから、飲めない彼をどこかに連れ込もうとする女送り狼がいないとも限らない。
「ナルミ…酔いが回ってる?」
「さっきまでそんなことなかったんだけどなあ…」
エレオノールの無事が分かって、エレオノールに無事に会えて、安心して気が緩んだせいだろう。
「んー?…ま、気分はいいよ。気持ち悪くねぇし」
「本当に、ナルミはお酒に弱いのねぇ…」
後一段で登り切る、というところで鳴海の足が縺れ身体が大きく振れたから、エレオノールは咄嗟にその腕を支えた。
「悪ィ」
「もう。大丈夫…?」
大きな身体を支える振りをして、そのまま逞しい腕を抱き締めて、腕を、手を、絡めて歩く。これが行き過ぎた行動だと、鳴海はきっと分かっている。それでも振り払わないで並んで歩いてくれるのは、彼がやさしいから。そして、自分のことを何とも思っていないから。
本当に。こんなにも近いのに、鳴海は世界で一番遠い場所に居る。


駅を出ると雪はもう止んでいて、雲の切れ間から大きな月が覗いていた。





12 March at 21:33


ゆっくり、ゆっくり寄り添って歩いたのにもうエレオノールの自宅に着いてしまった。
「マンションまで一人で平気?送って行こうか?」
幾分、アルコールが回っている鳴海にそう言うと
「おまえを一人で夜道を歩かせたくねぇからオレは待ってたのに。それじゃ元の木阿弥じゃねぇか」
と笑われた。鳴海のマンションまでは歩いて5分も掛からないから大丈夫だとは思うけれど。
「気をつけてね」
「うん、そんじゃあ…」
チークキスを交わそうと向かい合う。すると、腰を屈めた鳴海の瞳が、寂しそうな色に染まって、切なそうに細められた。
「…ナルミ?」
触れ合っていたせいでもうずっとドキドキしっ放しのエレオノールの鼓動は更に加速度を増す。何か言いたげに薄く開いた男らしい唇から、鳴海の顔から視線が逸らせない。


偶然、太い指に耳朶をそっと掬われた。
ふる…、と快感が駆け下る。
懸命に押さえ込んだ振動が、鳴海に伝わらないでいてくれたらいいのだけれど。
五本の指のそれぞれが頬を撫で、髪を梳き、首筋に添う。鳴海の掌は大きくて、指は長いから、エレオノールの細くて小さな骨格は、すっぽりと取り込まれてしまう。エレオノールは鳴海の厚い手の甲に自分の両手を添わせた。どさくさに紛れて鳴海に触れる。
手の平に受ける、左右で違う感触にエレオノールは唇を噛んだ。鳴海の左手に嵌められた手袋。瘢痕の色素沈着を防ぐため、紫外線予防で嵌めている手袋。彼の日常にこんな面倒を掛けてしまったのは自分のせいだと、エレオノールの胸が痛む。
私はあなたの隣にいてもいいのだろうか、あの日から続く自問自答。


「ナルミ…?」
真上から、温かな視線が降って来る。
夜なのに、まるでエレオノールの上にだけ、太陽が輝いているような。
鳴海の視線がやけに熱っぽいのはアルコールのせい。
鳴海はただ酔っているだけ。
勘違いを、しては駄目。
今も、こんな風に頬を両手で包んだ状態で相手をじっと見つめる行為は、恋人以上の関係でなければしないということも、こんなことをされたら勘違いしてしまう馬鹿な女を相手にしていることも、アルコールの回った鳴海は頭から抜けてしまっている。
ゴツゴツした手。
自分の物とはまるで異質の、大きくて硬い、男らしい力強さ。
押し包む鳴海の匂い、濃い男の匂いに、身体の芯が融け出していく。


「どうかし…」
「今夜は満月なんだな」
確かに。鳴海の背後には皓皓と大きな大きな丸い月が上っている。
だけど、それが一体何だと言うのか。
全く予想だにしなかったことを言われて、エレオノールは鳴海の手の中で小首を傾げた。
鳴海は唇から落ちそうになった言葉を一度呑みこんで、エレオノールが泣きたくなるようなやさしい笑みを上せた。
「おまえのでっけぇ瞳に、月が映り込んでる」


ああ。だから。
ナルミはじっと私の瞳を見つめていたのね。
私の頭が動かないように固定して。
ナルミの瞳に映っていたのは、私じゃなくて、月。


ねえ、ナルミ?
月は、太陽がないと光ることの出来ない、ただの石くれなのよ?
私は、ナルミから離れて光ることが出来るかしら?
無理よね。
きっと私に訪れるのは、半永久的な皆既月蝕。
でも、あなたの身体に日蝕を起こす私は、あなたの、側から…


「…お月見なら、直接、月を観た方が綺麗よ…?私の瞳に映った小さな月を見なくても、ずっと綺麗な本物が中空に輝いているのだから」
エレオノールが言うと、鳴海は笑った。
「いや、このままが一番綺麗だ。見惚れっちまうくれぇによ」
鳴海が自分の目の中に融けて吸い込まれたがっている、そんな錯覚にエレオノールは囚われる。


だから。勘違いをしては駄目。
ナルミが見ているのは、月。


「こんなにも近いのにな」
「はい?」
「こんなにも……のに、この世で一番遠いとこに在る」
頬に鳴海のキスが落ちた。
閉じ腐ったリボンを解くことを断念したかのように、鳴海の手はエレオノールの頬から離れて行った。途端、肌が夜気に晒されて、一目散に逃げる温度、湿度、距離、言葉、情調。
「さあっ、帰って風呂入って寝るかぁ」
「あ、ナルミ、私もあなたにキスを」
「そっか」
どことなくフラつきながら伸ばした腰をもう一度屈めた。リシャールのキスを受けた唇が上書きを求めている。でももう鳴海に迷惑をかけないと決めたから。唇に程近い頰へのキスで我慢する。
「おやすみなさい」
「…おやすみ、エレオノール」
おどけた調子で大きく伸びをして、鳴海は大股で歩き出す。
「ああ、月がきれいだ」
鳴海の言葉にエレオノールも空を見上げた。月の狂気が心に染み渡る心地がする。エレオノールは遠ざかる広い背中に
「そうね。きれいね」
と呟いた。



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