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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(47) 皆既月食 1/3





12 March at 20:26


「ここの料理もエレオノールの口に合わない?」
向かいに座るリシャールにそんな言葉を投げかけられ、実際に気も漫ろでどんな話の流れだったかも定かでないエレオノールは
「え?ううん、そんなことは」
と慌てて言い繕った。しかし、彼女の前に置かれた皿の上ではメインのローストビーフが無残なミンチと化している現状、説得力はまるでない。
「どこの店に連れてっても、食が進まないからさ」
コース料理は重たいとエレオノールが言うので、リシャールが「ここは」と思うフレンチのレストランやビストロを予約するのだけれど毎回、彼女はこんな調子だ。
「ごめんなさい」
エレオノールは諦めてナイフとフォークを置いた。
「謝らなくてもいいさ。オレにしてみたら、エレオノールが食事の誘いを受けてくれるようになっただけで嬉しいんだから」
リシャールと食事の約束を取り付けただけで喜ぶ女性は世に多かろうが、エレオノールにとっては約束したからこなすべきの消化作業でしかない。リシャールには申し訳なく思う。
エレオノールはカトラリーの位置を整えながら、ふ、と息を吐いた。
「溜息がちだね」
「そ…うかしら」
と言いながらも自分が溜息がちである自覚はある。何故ならば今晩、自分はこうしてリシャールと食事をしているけれど、鳴海もまた会社絡みの外食の予定が入っている。エレオノールはそれが心配で心配で仕方がない。鳴海の会社関係には鳴海に懸想する女性がいる。酒の席、ともなると下戸の鳴海がいいようにされそうで、不安が溜息となって出てしまう。チラ、と手首の時計に目を落とす。


「どこの店ならエレオノールの舌を満足させられるんだろう?」
エレオノールは皿の上の気の毒な料理に目を落とした。別に舌が肥えているわけじゃない。ある意味、鳴海の料理を美味しく思うあたり肥えていると言えなくもないけれど、ファミレスだって商店街のラーメン屋だって美味しいと思う。
鳴海と、一緒ならば。
ふ、とまた溜息が漏れた。そんな連れを見つめるリシャールもカトラリーから手を離した。
「ねぇ、エレオノール?」
組んだ指の上に顎を載せる。じ、と向かいで浮かない表情の佳人に
「ずっと訊いてみたいことがあったんだけど」
と言った。
「何?」
「おまえの店でたまに見かける、ガタイのいい子持ちのムシューとはどういう関係?」
「どういう…ってどういう意味?」
指の力が狂って、カトラリーがカチンと音を立てた。


「彼が怪我をした時、おまえんとこに同居してたろう?」
「包帯が取れるまでよ。今は家に戻ってる。あれでは家事ができないし。…彼の怪我は、私が原因だし」
「おまえのストーカーに劇薬ぶっ掛けられたんだって?」
「どうして知ってるの?」
「人の口に戸は立てられぬ、ってね」
銀色の瞳に傷ついたような色を差して、エレオノールは俯いた。
「何でもない男を家に引き入れないだろう?子供連れの男をさ。それも月単位だ。オマケにおまえのストーカーに嫉妬されて逆恨み食らう男。…そのお陰で結構な数のライバルが脱落したわけだけど」
町内でも絶世の美女と名高いエレオノールの自宅を朝に晩に出入りする、デカい男のことはあっという間にご近所で噂になった。鳴海の祖父ケンジロウが町内の名物男だったため、元々鳴海の顔の方が知れていた。ケンジロウの店を継いだ美人店主が遥々日本にやって来た理由は憶測を呼んでいたし、鳴海が子持ちのシングルとあって噂には面白おかしく尾ひれ羽ひれが付いた。そのことを鳴海はとても困惑していたようだが、エレオノールは少しも気にならなかった。


「あなたが私の店でハグを頻繁にしていた頃だって客足は落ちたわよ?営業妨害もいいところだったけれど?」
「そんなこともあったっけね」
「それに、あなたは脱落してないじゃない?」
「これしきのことで脱落しているようじゃ、おまえへの愛はたかが知れてる」
エレオノールは肩を竦めた。
「でも。彼と私がどういう関係なのかは、気になる」
「そりゃあね。ふたりの関係如何では恋の作戦も変わってくるだろう?噂は当てにならないしさ」
どこか冗談めかしながらもリシャールの目は真面目だ。エレオノールはどこか厭世的な笑みを口元に浮かべ、神経質にカトラリーの位置を弄り続ける。
「彼、私が前回日本に住んでいた時の隣人なの。慣れない土地に馴染めなかった私を、とても良く助けてくれたのよ。私はその時の恩返しをしただけ」
「恩返し、ね」


お互いにワイングラスを取り上げて、赤ワインで口を湿らせた。
「独身女性が自宅にシングルファザーを引き入れたら、自分が周りからどんな色眼鏡で見られるか、分かってる?」
「別に構わないもの。誰になんて思われたって」
「詰るところは、どう思われたっていい、って関係なんだろう?実際、あのムシューはおまえに惚れてるだろうし」
「ち、違うわ!彼とは何もない!」
テーブルの下で細い指がナフキンを引き千切らんばかりに握り締める。
「違うって、何が」
「彼は…ナルミの心は、私になんか向いていない」
「……」
「…片想いよ、私の」
「エレオノールの?片想い?」
いや、それは違う。とリシャールは思った。リシャールはエレオノールを愛しているから、自分の『お仲間』が良く分かる。あの大男のエレオノールを見る瞳は慈しみに溢れている。あれが愛でないなら一体何だと言うのだ?
「そう、片想い。彼は……死んでしまった、彼女を愛しているの。息子を産んで死んでしまった、彼女を」
銀色の瞳が暗く沈む。
「死人には勝てない。私が彼をどんなに愛しても、彼には届かないの」
ふ、と溜息が漏れた。細い指が今度は、ワイングラスを弄ぶ。
「それでおまえは彼を諦めることにしたの?オレの食事の誘いを受けるようになったってことは。去年の内はまるでけんもほろろだったのに」
誘いを受けるようになった、と言ってもその頻度は10回に1回程度のものだ。9割方は断られているのだが、根が自信家のリシャールはポジティブだ。
「私の周りになんの浮いた話もないと……彼に、私が、彼の子供の新しい母親になりたがってる、そんな風に思われてしまう。彼の近くにいるためには『ほどよい距離感』が必要なのよ」
「オレはそのダシに使われてるってわけか」
「そうよ。嫌ならもう食事に誘わないで」
きっぱりとした言葉で言われ、リシャールは首を振った。


リシャールの診立てではガタイのいいムシュー鳴海は十中八九、エレオノールに惚れている。それも心底惚れている。『店の客』を越えられない自分達と違い、閉店後の店に自由に出入りして天井知らずにエレオノールと会える立場にありながら、そして実際、エレオノールの愛情を一身に受けながら、彼女を遠ざけている鳴海の真意が分からない。
好きだから、会いに行くんだろう?
好きなのに、どうしてエレオノールの気持ちが視えない?
エレオノールの言うように、死んだ女に操を立てているのか?
でもエレオノールに惚れているのに、操を立てる意味が分からない。
何にせよだ、ふたりが相思相愛に気付いていない現状はリシャールにはありがたい。


「幾らでもダシに使ってくれよ。それでおまえと時間を共有できるなら喜んで」
エレオノールに倣い、食べかけの皿にナイフとフォークを並べた。そして笑いかける。
「オレもおまえに片想いしているんだ」
「でも、私は…」
「おまえと、あのムシューの関係と同じだよ。相手は他を見ている、きっと手は届かない、でも、諦めきれない、思い続けることしか出来ない…」
「……」
「それでも…無為だと分かっていても…仕方ないよな。だって、愛しているんだから」
とうとう、リシャールも溜息を吐いた。黙り込むふたりのテーブルから、食べ残しの載った皿が運ばれて行った。





12 March at 20:45


その後はデザートを食べる気分にもなれず、会計を済ませるリシャールをおいて先に店を出た。すると雪が降っていた。
「もう三月なのに…」
黒い宙から白い雪が、螺旋を描いてふわふわと落ちてくる。空気は凍えているけれど弱い雪だ。積もることはないだろう。
「積もった方が…マサルさんは喜ぶわね…」
ランドセルに長靴の出で立ちで新雪に足跡を付けながら笑う勝を思い描いて、少し心が温かくなった。
手に乗る雪の塊は、次第に結晶を丸くして水滴に変わっていった。エレオノールは雪が融けてゆく様をじっと見守り、また宙を見上げた。雪は風が吹き付ける度にその螺旋の軌道を変えて、舞い踊るリズムも変える。エレオノールには、舞う雪に乗って今すぐにでも飛んで行きたい場所があった。


ナルミの会は終わったのだろうか?
誰かと、楽しく過ごしているのだろうか?
他の女の人と一緒だったら、嫌だ…な。


エレオノールは携帯を取り出すと、あるアプリを起動させた。数回タップすると画面に光点がひとつ現れ、その位置を真剣な瞳で確認する。
「あ…もう、電車に乗ってる…家に向かっている…」
胸の中に溜まっていた心配と嫉妬を安堵の息に変えて吐き出した。
「そうよね。誰かと何か、なんてしている時間は、彼にはないものね」
アプリを閉じて、携帯をバッグに仕舞う。真っ白い息を吐き出しながら、雪の舞踏を見上げた。
「お待たせ」
そこへリシャールがやって来た。
「雪かあ…天気予報、雪降るなんて言ってたっけ?」
「リシャール、半分払う。幾らだった?」
「いいよ。オレの奢り。オレに付き合わせてるんだから」
リシャールとはイーブンな関係でいたいから割り勘にしたいのだが、あまり強く言うと彼のプライドに障るので大人しく厚意を受け入れる。次回来店時のコーヒー代を奢ることにする。
「…分かった。ご馳走様」
廂の下から足を踏み出して、無音の雪に身体を晒した。
「傘は…」
「いい。地下鉄まですぐだから」
エレオノールはリシャールの前をさくさく歩き出す。鳴海の方が自宅の最寄り駅に先に到着するだろうが、急げばもしかしたら、帰り道で追いつくかもしれない。ほんの少しでもいいから鳴海に会いたい。


駅にはすぐに着いた。リシャールとはここで別れるので、挨拶をする。
「今日はありがとう。それじゃ」
「エレオノール、待って」
躊躇いなく改札を潜ろうとしたエレオノールをリシャールは引き留めた。
「何だ?」
「オレの日本での任期さ、後、三ヶ月くらいで終るんだ」
「そう…。期間限定、と言っていたものな」
「オレの任期が切れる時。一緒に帰らないか、フランスに」
突然の申し入れに、エレオノールの瞳が丸くなる。
「片想いだって言っときながら……無謀なのは分かってる。でも」
「……」
「結婚して欲しい。玉砕覚悟だ」
リシャールらしからぬ外連味の無い真摯な言葉と態度にエレオノールはくらりと目が回る。だからだと思う、リシャールに抱きすくめられても抵抗する気にならなかったのは。
「エレオノール…愛しているんだ…」
耳元で囁いた唇が、そのまま重なっても、拒めなかったのは。
軽く触れた唇は潔く離れて行った。エレオノールはバッグの取っ手をぎゅうと握り、戸惑う瞳を自分の足先へと向けた。
「あのムシューのことで色々悩んでるんだろう?オレのことはともかくとしても、一度、距離を置いてみるのは悪くない選択だと思うけど。おまえは、あのムシューと近すぎるんだよ、距離が」
「近すぎる…?」
「少し、考えてみてくれ。返事は…任期が切れる、6月いっぱいでいいからさ。じゃ、おやすみ」
リシャールが踵を返した。その場からしばらく動けないでいたエレオノールだったが、駅の掲示板に表示された時刻に背中を押され改札を抜けた。



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