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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(46) 父の詩 2/2





そして、カウンターにギイと並んで腰かけて、娘の淹れたコーヒーを啜りながら、件の男の到着を待ち構えていた。時計はもう12時を大きく回っている。店内のテーブルは自分たちのいるカウンター以外は満席になった。娘の店の盛況さに正二は満足しつつも、なかなか現れない男に「まだか」と苛立った。別に会う約束しているわけでもないのだが、どうしてかドタキャンされた気分になってくる。
「遅いな」
「土曜日は学校があるから。来るのはそれからになるの」
「学校?」
どういうことだ?その男はまだ学生なのか?エレオノールより6歳年上という話だったが?ならば何の学校に行ってるんだ?
などと浮かんだ疑問を頭の中で整理していると
「いらっしゃい」
とエレオノールがこれまでとは違うどこか喜色混じりの声で新しい客を出迎えた。
「おう、お?ギイじゃねえか!」


声量のある低い声が、即座に見つけた古い馴染みに声を掛けた。
「久しいな、ナルミ」
「何だよ!こっちに来るなら来るって言えよ!」
正二も男を見遣った。服の上からでも身体を鍛えていることの分かる、背の高い男だった。あけっぴろげな笑顔には人の良さが窺える。
正二の鳴海に対するファーストインプレッションは「まともじゃないか」だった。鳴海とは友人だというギイに
「おまえから見てどんな男だ」
と訊いたところ
「イノシシ、ゴリラ、脳筋、筋肉ダルマ、野蛮人」
と返答されていたからだ。あんまりな評価だった。
「それって人間か?おまえたちは友人なんだよな?」
「そうだね。野蛮人なところは父さんと気が合うと思うよ」
とはどういう意味だ、と思わざるを得ない。ともあれ、とんでもなく前評判が低かったために、正二の相手に対する印象は「人間で良かった」から始まった。


そこに
「どうしたの、おとうさん」
と小さな男の子の声がした。男の後ろからピョコと顔を出す。大きくて円らな瞳の、賢そうな子だった。学校とはこの子の事情を指していたと理解する。
それにしても「おとうさん」とは?子持ちなのか?相手が妻子持ちだから、進展がないのか?よもや不倫ではあるまいな?
推測で好感度ゲージがマイナス方向に動いた。
「おとうさんの知ってる人?」
「こいつはギイって名前の」
「私の兄です」
「こんにちは、エレオノールのお兄さん。僕の名前は勝です」
勝はギイの前にやってくると、ペコ、とお辞儀をした。
「よろしく、マサル。…ふうん、おまえが育てているにしては礼儀正しいじゃないか」
「へへ…だろ?」
笑顔を見せる男と、正二の目が合った。初対面なのにも関わらず、射るように睨めるようにの不可思議な視線に、鳴海は戸惑いを見せつつ会釈をした。するといかにも気が乗らない声でエレオノールが紹介をした。


「ナルミ?こちらは私の父です。お父さん、こちらがカトウナルミさん。以前、隣人だった…」
「は?え?」
「初めまして。エレオノールの父、正二です。娘が大変お世話になっているとかねがね」
正二は立ち上がると(舐められてはいけないし、体格では到底敵わないので)威厳たっぷりに胸を張り、手を差し出した。
「いえっこちらこそっ。お世話になっているのは自分の方でっ。加藤鳴海と申しますっ」
鳴海は手を握り返した。手骨が砕けるかと思った。とんでもない馬鹿力だった。腕力でも敵いそうもないと実感した。
「よろしく」
痛みを顔に出さぬように頑張った。
「これは息子の」
「勝です」
勝がにこっと笑った。その笑顔の愛らしさに正二の気合の六割方が殺がれてしまった。
「初めまして。勝くんは幾つだい?」
「7歳です。小学一年生です」
「7歳か…鳴海くんの、ずいぶん若い時の息子さ」


ガン、


とカレー鍋を打ったおたまが大きな音を立てた。突然の騒音に店内が、しん、と静まり返る。
「どうしたエレオノール」
鳴海が心配そうにカウンターの中を覗き込んだ。
「ごめんなさい。手元が狂っちゃって。すぐにランチを用意するから座って?カウンター席しか空いてないけど」
「いいよ、カウンターで」
鳴海から見えない角度でエレオノールが睨んでくる。「余計なことを言わないでって言ったわよね?次はないわよ、レッドカードよ」と心の声が聞こえてくる。口元に美しい微笑みでも目が凄く笑ってない、あの表情が怒り心頭時の亡き妻にそっくり過ぎて、怖い。コーヒーカップを持つ正二の手がカタカタと震えた。
「ぼく、エレオノールのお父さんの隣でもいい?」
そんな正二に勝が言った。
「え?ああ、いいとも」
「ぼく、(実の)おじいちゃんがいないから。なんかおじいちゃんが出来たみたいで嬉しい」
勝が正二の隣にちょこんと座る。エレオノールの身も心も凍らす笑顔とは雲泥の差の、天使の微笑みに正二は涙ぐむ。
「ならおじいちゃんて呼んでもいいぞ」
「ホント?ありがとう、正二おじいちゃん!」
「すみません、正二さん。ご迷惑を…」
ギイの向こうから鳴海が恐縮しきりに頭を下げた。
「いやいや、迷惑なんか。勝、デザートが食べたかったら言うんだぞ。おじいちゃんが奢ってやるから」
「わー、嬉しい!」
その後の正二は目も心も勝に釘付けで、勝とばかりお喋りをした。


その夜、
「子持ちとはどういうことだ?」
とエレオノールを問い詰めた。
「詳しい事情はこっちに来てから知ったのよ」
と溜息を吐き吐きエレオノールが語るには、勝は、鳴海と別れた昔の彼女との間に出来た子とのことだった。勝の存在を去年まで知らずにいた鳴海は、勝の母親の死去を機に、父親としての責任を取り、シングルファザーとして奮闘している。鳴海が勝の母親と別れることになったのは、ストーカー被害に遭ったりしたエレオノールを色々と面倒をみてくれている間に関係に亀裂が入ってしまったかららしい。そして、鳴海には、死んでしまったその人以外愛せないと宣言されてしまっていることを口にして話を締め括った。
ギイは訳知り顔で黙って話を聞いていた。
「鳴海くんに、おまえの気持ちは」
「伝えられるわけないじゃない。こんな風に想っているって知られたら、ナルミに嫌がられてしまう。親しい友人を越境したら、ナルミは離れていってしまう」
「それでは、ここに居ても無意味じゃないか」
「いいの!それでも、好きなんだもの。ずっと好きだったんだもの。私は彼の、側にいられたらそれでいいの」
苦しい片想いでも鳴海への愛情を貫こうとしているエレオノールにかける言葉はなかった。そして最愛の妻・アンジェリーナを今も忘れられずにいる正二にとって、愛した女性を偲び続ける鳴海の気持ちも理解できるのだった。


秋休みの滞在中に鳴海と会ったのはその時一回だけだった。けれど、学校帰りにエレオノールの店を覗く勝とは何度か遊んだ。その度にエレオノールに隠れて「勝のお父さんてどんな人?」という話題を振って、その人柄やエピソードを訊き出すことに成功した。勝の語った父親像は、おおよそ、エレオノールの大演説の内容を裏付けるものだった。
「エレオノールね、前にぼくのおとうさんのこと『私の父親にどこか似てるのよね』って言ってたよ?」
ある時、勝がそんなことを言った。
「ぼくも、おとうさんとおじいちゃん、似てると思うよ?」
「どこが似てるのかな?」
「うーんと、あったかいところ?笑った顔とか。あと、手かな?」
「手?」
「おじいちゃんは剣術やってるって言ってたでしょ?ぼくのおとうさんは拳法だけど、どっちも大きくて強そうなやさしい手だと思う。困ったときに、誰よりも先に手を出してくれそうな」
一度きりしか顔を合わせていない鳴海に対して好印象を持って帰国できたのは、勝の言葉のお陰だと思う。







「鳴海くん」
エレオノールの淹れたコーヒーを囲んで一頻り団欒し、勝に「ゲームしようよ」と誘われたギイがイカ人間の姿でインク塗りに悪戦苦闘しつつも没頭し始めた頃
「ちょっといいかな」
と正二は鳴海と連れ立って庭に出た。一月の庭では蝋梅が枝に花をつけ、その足元を薄紫色のクロッカスが飾っている。
「きれいな庭だな。四季折々に花が咲いて。この間来た時には秋の七草が楽しめた」
「オレの爺さんの遺したものをエレオノールが世話してくれているお陰です」
エレオノールを語る鳴海はずいぶんやさしげに笑うな、と正二は思った。
「君とはゆっくり話したいと思っていたんだよ」
「は?な、何でしょうか…」
「高校生のエレオノールを暴漢から助けてくれたのは君なんだろう?」
「あ、」
鳴海は、何を言われるのかと緊張していた表情を緩め
「古い話ですよ」
と苦笑した。


「それから。その腕のこと、事情はエレオノールに聞いている。大変申し訳ないことを」
正二が頭を深く下げると
「いいんですよ、頭を上げて下さい」
と鳴海は右手を振って、それを制した。
「同じ奴の仕業だったんだろう?エレオノールの傍にいる君は、そいつに恨みを買ったとか」
「オレなんか昔から無茶ばっかりだからそんなのはどうってコトないです。良かったですよ、エレオノールが無傷で。彼女にこんな傷がついたらと思うとぞっとします」
包帯の上からでは窺い知れないが、鳴海のような男が「こんな傷」と言う以上は相当酷いのだろうと思う。
「どれくらいで治るんだね」
「包帯はまだしばらく。完治、は無理かも知れません」
「痕が残るということか」
「…そうですね。でも本当に、気にしないでください。エレオノールもこの怪我を、自分のせい、って考えないでくれたら、いいんですけどね」
鳴海は少し困ったように笑った。
「そんなことよりも娘さんの家に厄介になっていること、申し訳なく思ってます。正二さん、本当は凄く嫌なんだろうなって」
改めて謝罪された。
「オレひとりならどうにでもなりますけど、マサルがいるから。助け舟を出してくれたエレオノールには感謝の気持ちしかありません。だからホント決して、間違いなんて起こしません、誓います」


悪い男じゃない、と正二は思った。むしろエレオノールの傍にいてくれたら、安心できる。子持ちなのもエレオノールが気にならないのならば大した障壁でもない。何しろ勝はいい子だ、とても可愛い。正二も妻が他界した後、男手ひとつでギイとエレオノールを育て上げた。だから鳴海の苦労はよく分かる。
けれど、亡くした最愛の伴侶を忘れられない気持ちもよく分かる。如何に娘の気持ちを後押ししてやりたくても、鳴海に「忘れろ」と無理強いは出来ない。
「一人での子育て、大変だろう」
「まぁ、大変じゃないと言ったら嘘になります」
「私も妻が死んだ後、大変だったから分かるよ」
「アンジェリーナさん、ですよね」
「だから最愛の人を想う気持ちも…」
蝋梅の枝にメジロが留まった。メジロの羽の色と、蝋梅の透けた黄色の組み合わせが何とも目に清々しい。色の相思相愛。
「ふふ、今でも思い出すよ、彼女と初めて出逢った日のこととかね。生意気で小憎らしくて。年下の女に言い負かされたのが悔しくてなぁ」
「そうですね、出逢った日か…オレも忘れられないなぁ…。目力一杯に引っ越し蕎麦って」
鳴海はやさしそうな皺を目元に刻んで、思い出し笑いをした。


その言葉に正二は引っ掛かった。
「引っ越しの挨拶には蕎麦と相場が決まっている」と子供たちにアドバイスしたのは正二本人だった。それからだいぶ経ってエレオノールに「今どき引っ越し蕎麦にこだわる日本人は少ないそうよ!」と叱られた。その時は、年頃の娘は気難しくて困る程度にしか考えていなかったのだが。もしかしたら、想いを寄せている鳴海に蕎麦のことでからかわれて、それでネタ元の自分に抗議していたのかもしれない、と思い当たる。
正二の、最愛の人と出逢った日のエピソードを受けての『引っ越し蕎麦』。それは、鳴海の最愛の人が、エレオノール、ということにならないだろうか。いや勿論、『引っ越し蕎麦』がエレオノールの言うところの鳴海の想い人、勝の母親との逸話である可能性は捨てきれない。『蕎麦』ネタがかぶった、だけの話で。


「鳴海くんは再婚を考えてはいないのかい?」
ふと、そんな質問を投げてみた。この場にエレオノールがいたら「フランスに帰れ!」と噛み付かれることだろう。突然の質問に、鳴海は
「再婚、ですか?」
と目を丸くした後
「いえ全く」
と首を振った。
「あくまで。あくまで、例え話だが。エレオノールはどうかね?」
ごほんごほんと空咳を繰り返し、甚く自然を心掛けた結果、甚く不自然な問いかけだったが、これまた甚く素直な性質の鳴海は問いの裏を読むこともせず、ただ字面通りに
「どう、って再婚相手に、ってことですか?」
「そうだ」
「いや、それは」
と答えた。間髪入れぬ鳴海の答えに正二は、ム、とする。
「うちの娘のどこが不服かね?」
「不服だなんてそんな。むしろ勿体無いですよ、オレには」


問われたので素直に答えただけなのに、思いも寄らず正二の地雷を踏んでしまい、鳴海は泡を食って誤解を解こうとした。
「エレオノールは美人だし、スタイルもいいし、賢いし、やさしいし、気立てもいいし、素直だし」
「うんうん」
「幾らでも相手を選べるんだから、何もオレみたいなコブ付きなんか引き合いに出さなくても」
鳴海は苦笑って頭を掻く。
「エレオノールは誰よりも幸せになれるんだから。でも、オレじゃ、それを与えてやれない」
鳴海の口元は笑みを形作っているのにどうしてこんなにも寂しそうに感じるのか。目元に刻まれた皺がさっきと異なり歪んで見えた。は、と正二はある推測に辿り着く。
「鳴海くん…君は…本当は…」
「ナルミー?」
そこに、リビングの窓から顔を出したエレオノールが鳴海を呼んだ。
「おう、どうしたエレオノール?」
「野菜の下拵えが済んだから、次はどうするのか教えて欲しいの」
「そっか、今行く。すみません、娘さんに呼ばれましたので…」
エレオノールと言葉のやり取りをした鳴海は再び、明るい笑顔に戻っていた。
「いいよ。時間をくれてありがとう。私はもう少し庭を楽しんでから戻るよ」
鳴海は軽く会釈をすると、エレオノールの元に駆け出して行った。鳴海が近づくにつれ、花のように綻んでいく娘の笑顔に、正二は目尻を下げた。





「お父さんと何を話していたの?」
リビングに上がった鳴海にエレオノールが訊ねた。
「うん?謝罪合戦、かな?」
「何それ?」
「正二さんはオレに腕のことを謝って、オレは娘さんちに厄介になってすみませんて言って」
「変なこととか言われなかった?」
「変な…」
エレオノールの目が酷く真剣だ。強いて言えば再婚の件は変と言えば変だけど、それで正二がエレオノールに責められても可哀想なので
「何も」
と言って鳴海は笑った。



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