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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(37) 死滅回遊 3/8






鳴海はエレオノールを家に送り届け、施錠したのを見届けてから自宅に向かった。手早く身支度をして「帰ったらエレオノールの家に来るように」と勝に書置きをし、すぐに家を出る。途中スーパーで食料の調達をして再度エレオノールの家に向かう。あの調子では自分で食事の用意が出来なさそうだったし、何より痴漢した奴の正体が正体だったので、彼女をひとりにしたくなかったのだ。
相鍵を使って玄関から上がる。家の中に特に変わった様子はない。エレオノールは風呂に浸かっているようだった。買い物袋をキッチンへと運び、夕飯作りをしているとしばらくして風呂上がりのエレオノールがリビングへとやって来た。寝間着代わりの着古したシャツドレス、その裾から伸びた白い脚が目に眩しい。
「ナルミ…来てたの…」
「エレオノール?どうだ、調子は」
エレオノールはリビングのソファにくったりと座り込む。
「あんま調子良くなさそうだなぁ」
力の無い瞳、らしくなくボサボサの洗いざらしの髪の先からぽつぽつと滴を垂らしている。
「髪…もうちょい拭いた方がいいぞ。風邪引いちまう」
「そう…?」
エレオノールは首に掛かったタオルを取り上げると右手だけで髪を拭く。軽く握られた左手は、身体から極力離れた位置に力無く放り出されている。


左手を嫌う、エレオノールの行動の真意が鳴海には分かる。片手では髪も満足に拭けないだろうに。鳴海はエレオノールの手からタオルを抜き取ると、洗い髪を丁寧に拭いてやった。鳴海の大きな手の中の、エレオノールの頭蓋骨は形がよくて、卵の殻みたいで、乱暴に扱ったら壊れてしまいそうだ。
「寒気がするとか、気持ち悪ィとか、頭痛ぇとか、ねぇか?」
鳴海の手の内側で小さな頭が横に振れた。エレオノールは黙って、為すがまま、気持ち良さそうに揺られていた。
「これでいいな」
乱れた髪を手櫛で整えてやる。
「今メシの支度してるからよ。ちょっと待ってろ?カラダの温まるもん作ってやるから」
「あまり…食欲が無いの…」
「食えるだけでいいさ。あ、後よ、下の客間借りるぜ?明日休みだし、勝と一緒に泊まり込んで看病してやる」
「でも、そんな迷惑…」
「いーの。おまえを一人にしとくの、オレが心配なの」
ソファに腰かけるエレオノールの真ん前にしゃがみ込み、下からじっと覗き込む。
「オレらがいるのがおまえの迷惑になるってなら、話は別だけどよ」
「ううん…迷惑だなんて。そんなことない…」
「だったら。な?」
鳴海の大きな手がエレオノールの頭の上に乗った。その温かさと触れ合いが、今日のエレオノールには嬉しくもあり辛くもあった。







形を変える度にゴロゴロガラガラ鳴る出来上がったばかりの氷枕を抱え、反対の手には水を張った洗面器を持ち、エレオノールの部屋に向かう。鍵を預かったとはいえ、さすがに彼女の寝室に足を踏み入れたことはない。相当緊張して興奮した面持ちで、鳴海は「お邪魔します」とエレオノールの部屋の敷居を跨いだ。
「どうだ?」
鳴海は床の上に洗面器を下ろし、自分も枕元で膝を折る。
エレオノールは熱を出していた。子どもじゃないのだから、と本人は否定しているが結局は知恵熱のようなものだろう。普段平熱がやたらと低いエレオノールにしたら、37度ちょっとでもしんどそうだ。見るからにぐったりしている。鳴海はタオルで巻いた氷枕を、そっと持ち上げた銀色の頭の下に置いた。
「食欲がない」と言っていたエレオノールだったが、鳴海の用意した夕飯が美味しかったようで予想していたよりもたくさん食べてくれた。けれどその後すぐに「横になりたい」と言い出して今に至る。
「滅多に出さねェ熱だから、身体がびっくりしてんだ」
「ありがとうナルミ…」
布団の中から、紅い頬のエレオノールがやっぱり申し訳なさそうに言った。
「いいっつってんのに」
洗面器から濡れタオルを引き出して、大きな手で一絞り、それをエレオノールの額に載せてやる。
「気持ちいいだろ」
エレオノールは小さな顔には少し大きめのタオルの下から細めた瞳を覗かせ、「うん」と笑顔を見せた。
「ゆっくり休め。ぐっすり寝て、脳味噌から疲れが取れれば、次起きた時にゃァ熱も下がってるからよ」
布団を首元までしっかり引き上げて、上からぽすぽすと押さえてやった。


「そう言えばナルミ、私の部屋に入るの、初めて?」
「そ、うだな…」
最近では勝手知ったるエレオノールの家、とはいえ彼女の私室にはおいそれと入れない。初めて踏み込んだエレオノールの寝室は濃密な彼女の香りで充満している。はっきり言って、鳴海は落ち着かない。
「あなたに看病させることになるなんて…思ってもみなかった」
「そうかもな。でもよ、マサルがオレんとこ来たばっかの頃はけっこう熱出してさ。だからオレ、看病はトクイだぜ?」
今はすっかり健康優良児の勝だが、鳴海が引き取った頃は痩せっぽちで年中熱をだしたり風邪を引いたりで、慣れない父親業に就いたばかりの鳴海は四苦八苦したものだ。ほんの少し前のことなのに、何だか懐かしい気がする。
「マサルさんが熱出した時…どんなことしてあげたの?」
「ん?果物絞ったり、きれいに取ったダシで雑炊作ったり、眠るまで手ぇ繋いで歌ってやったり?」
他に何したっけな?、と考えていると鳴海の手に、エレオノールの右手が重ねられた。
「私にも。手を握って子守歌を歌ってくれる?」
「あ?」
「ね、お願い…私が、眠るまで…」


ほら。
あなたは私が触れると困ったように瞳を揺らす。
分かっているの、私が触れると、あなたの中の彼女がヤキモチを焼くのでしょう?
でも、こんな時くらいしか、私はわがままを言えないから。
お願い、許して。


差し出されたエレオノールの手を、鳴海は掬い上げ、そっと握ってやった。武骨な手の平にすっぽりと包まれてしまう小さな細い手は、熱の芯が埋まっているように温かった。
「…Loving you is easy 'cause you're beautiful
 Making love with you is all I wanna do …」
鳴海が歌ってくれるのは、元は子守歌だったというラブソング。
鼓膜を振るわせる漣のようなイメージ。
大好きな声。鳴海が自分のためだけに歌ってくれている。
温かな手。しっかりと自分を繋ぎ止めてくれている。
海原に響き渡る、鯨の求愛。
求愛に応えて、蜜の海に沈む。
そんな情景が脳裏に浮かんで、トロトロと微睡みが訪れて、瞼が合わさった途端、疲れ切っていたエレオノールはあっさりと睡魔に捕まった。









カンカラカンカラ、カンカラカンカラ


踏切の警報機がけたたましく啼き騒上ぐ。
茫漠とした黄ばんだ大地に左から右へ、果てなく続く線路。
さっきから電車が引っ切り無しにやってきて、踏切が開く間がない。
線路と踏切しか存在しないこの世界を覆うのは、薄汚く黄ばんだ厚い雲。
開かずの踏切の前に、エレオノールは独り立ち尽くしていた。
どうしてここにいるのか分からない、どこから来て、どこへ行けばいいのかも分からない。
ゴウ、と音を立てて鈍く光る電車が単線の線路の上を転がっていく。
上がることのない黄色と黒のダンダラ棒の前で、エレオノールは文庫の文字を冥い瞳で追っていた。


カンカラカンカラ、カンカラカンカラ


踏切の警報音は鳴りっ放し。
赤の警報灯がチカチカと目に痛い。
危険危険とただただ姦しい。
「あなたはここで何をしているの?」
踏切の向こうから声がした。
そこには銀色の瞳で銀色の髪をした女が立っていた。
鏡に向い合った自分を見ているような気がした。
「私はどうも踏切が開くのを待っているみたい」
「あなた、早くここを去らないと死んでしまうわよ?」
もうひとりのエレオノールはニイと笑った。


「死ぬって何?電車が脱線でもして轢かれるの?」
「肉体の死はある意味楽だわ。一度死ねばいいのだから」
何が可笑しいのか、もうひとりのエレオノールはくすくすと笑っている。
「死ぬのは精神。ここにいると緩慢に精神が崩壊していくの。砂の城が崩れるように端っこから少しずつ、自分でも気付かないうちに」
「完全崩壊まで苦しみ続ければならない、ってこと?」
「そうね。だから早くこの踏切を渡ったほうがいいわよ?」
「そんなことを言っても、いつまで経っても電車が途切れないのだもの」
エレオノールの前をまた電車が通り過ぎる。
電車の窓から見える、同じ顔のサラリーマン、同じ顔の学生達。
無感情で無関心で、判子を押したような人の林がどの車両からも覗く。


「もしかしてあなた。もうこのまま、動かなくてもいいと考えてる?」
「どうして?」
「じっと黙って動かないでいれば、誰かにキモチヨクしてもらえるかもしれないものね」
「何を…!」
「本当に動けなかった?あいつに弄られて全くキモチヨクなんてなかった、って胸張って言える?彼に」
「わ、私は…!」
エレオノールの前をまた電車が通り過ぎる。
電車の窓から見える、同じ顔のサラリーマン、同じ顔の学生達。
無感情で無関心で、判子を押したような人の林がどの車両からも覗く。
その中にエレオノールがいた。
顰められた眉、苦しそうに喘いで、でも、文庫本がずれる、その口元は笑って、与えられる淫靡な快楽を受け容れて、悦んで。
モットシテ、心の声。
「ああもうダメね。手遅れだわ」
もうひとりのエレオノールがケラケラと笑う。
「見てごらんなさい、自分の左手」
エレオノールが恐る恐る視線を落とすと、手の平から溢れる、粘っこい液体。腐臭を放つ精液。
黄ばんだ空からも精液の雨が降り堕ちて、エレオノールの身体をベタベタと汚していく。


カンカラカンカラ、カンカラカンカラ


踏切の警報音は鳴りっ放し。
赤の警報灯がチカチカと目に痛い。
危険危険とただただ姦しい。
赤い光が白濁液を染める。
エレオノールの真っ白い内腿に生温かな蜜が垂れ落ちていく。
「恐れることはないわ、それはあなたが望んだことよ」
エレオノールの足元に出来た精液溜りからドロドロとした腕が生え纏わりつく。
逃げようとした、でも、もう足首まで欲望の沼に浸かってしまって動けない。
ああ、私、本当に逃げようとしている?本当に動けない?
私の身体の真ん中が蠢くのは、汚されるのを心待ちにしているから?
「あなたは淫乱なの。それがあなたの本性よ?」
「そんなこと…!」
「ないって言えるの?凌辱されるのをただ待っていただけの女が」
「私」
「汚れた女に触れられて、ナルミはどう思ったでしょうね?縋り付かれて気色悪かったと思うけれど」
エレオノールは自分の手に絶望的な視線を落とした。精液に塗れた手がじゅくじゅくと腐食していく。
「あなたは心もカラダも汚れてる。でも嘆くことなんて最初からないの。あなたが汚れてようがいなかろうが、ナルミには関係ないのだから」
あなたが愛されることなんてないのだから。


もうひとりのエレオノールは泣き笑いをしながら白く濁った膿に溶けた。
「分かっているわよ、そんなこと…」
自分の心もカラダも、鳴海には必要のないものだって、痛いくらいに分かってる。
「だったらもう…消えてしまいたい…」
銀色の雫が一粒転げ落ちる。
そうしてエレオノールも時なくして、溶けて、消えた。
カンカラカンカラ、カンカラカンカラ
もう誰もいないのに、踏切の警報音は鳴りっ放し     



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