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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(34) 宵待草 6/6





「初めてランチをダイニングでって言った時から思ってたの。ナルミに渡した方がいいのかなって。今回みたいに忙しくて来れない時もあるし」
何でオレに渡すことに拘るんだ?
と訊きたかったけれど、訊けなかった。
訊く迄もない。
オレを信頼しているから。人畜無害だって思っているから。カトウナルミという存在に安心してくれているから。だから
「勝手に鍵開けて、いつでも入って来てくれていいの。これなら夜遅くなっても気にせず会えるでしょう?」
なんてことを平気で言うんだ。
男に自宅の鍵を渡すことの意味。
夜遅くに男を自宅に上げることで生じる世間体。
そんなものを頭ッから除外できるくらいに、エレオノールにとってオレは『男』じゃねぇってこった。分かり切っていることなのに。
鳴海は、エレオノールに鍵を手渡されるくらいに信頼されている事実を、喜ぶ以上に甚く残念に思う。以前彼女が口にした「第2の家」、彼女はきっと自分たちを「家族」みたいに思ってくれている。ただ彼女にとっての自分は決して「伴侶」ではなく「兄のようなもの」、なのだろう。ギイの代わり、強いて言えばそんなところなのだろう。だからと言って、鳴海はエレオノールを「妹のようなもの」とは絶対に見ることが出来ない。
「本当に、いつ来てくれてもいいの」
エレオノールはそんな鳴海の心中も知らず、涼しげに笑っている。
「分かった」
鳴海も笑った。
「鍵、大事に持っとくよ」
鳴海は自分のキーホルダーを取り出すと、早速エレオノールの鍵をくっつけた。
「これでいいだろ?」
目の前でチャリチャリと振られる鍵に、エレオノールは満足そうだったから、これでいいんだ、と鳴海は思うことにした。


「本当に、良かった…」
エレオノールが大きく息を吐き出した。
「良かった?」
って何が?と訊いてくる鳴海にエレオノールは、ううん、と首を振る。
「深い意味は…元気で良かった、って思って。久し振りに会ったから」
「ああ、元気だった」
とは言い難かった、あまり嘘も吐きたくなくて言葉を途切らせる。潤んだ大きな銀色の瞳が、じっ、と見上げて来て、気恥ずかしくなった鳴海はコーヒーを啜るフリをして視線を逸らした。
「つか、それくれぇしか取り柄ねぇし。ま、久し振りって言ってもほんの半月ばかしの話だろ?」
一日千秋だった本音は隠して「ほんの」を付け加えた。エレオノールは僅かに瞳を細めると、やっぱり涼しげに「そうよね」と答えた。
「幾らか痩せたか?」
と訊ねると
「ほんの少し、ね」
と返事が来た。
「もしかしてエレオノール、この半月オレに会えなくて、寂しかったりした?」
いつでも「冗談」と返せるように、ワザと茶化した口調で言ってみる。でも、言ってすぐに後悔した。「寂しくなかった」って言われたらどうするんだ、冗談に冗談を返されて「寂しかったわよ?」なんて言われても嫌だし、と鳴海は迂闊な自分の腿に指を食い込ませる。


案の定、エレオノールからは
「大丈夫。ここのお客さんはみんな優しいから。何とかなったわ」
と返事が来て、何食わぬ顔で「へ、へえ」と声を押し出すので精一杯だった。
エレオノールが恙無くいられたッってんだ、喜べよ、オレ!、笑えよ、オレ!と自分を励ます。すると、エレオノールが苦く小さく笑った。
「私は心配かけないように、それだけを……言うべきだと思うのだけれど……」
エレオノールが胸に抱えたトレーに爪が当たり、カチカチと鳴った。
「本当のことを言えば私、寂しかった。ナルミにしばらく来られない、って言われたその日から、ずっと…寂しかったわ」
そして怖かった。嫌われているのだとずっと思っていたから。もう笑顔を見られないと思っていたから。
「エレオノール…」
寂しさを思い出して悲しそうに俯くエレオノールに対し、鳴海の心が罪悪感でキリキリと引き攣れる。
「寂しいけど、ずっと我慢してた。ナルミは仕事で忙しいんだから、って」
エレオノールの首が大きく前に折れて、白い顔が前髪に隠れて見えなくなった。
「ここの人達がやさしいのは嘘じゃない。皆、温かい。でも…やっぱり…」
ナルミがいなくちゃ
エレオノールが吐き出すように言った言葉に、鳴海の胸が詰まった。エレオノールが、自分を必要としてくれていたことが痛いくらいに分かった。なのに何であんな風に、寂しいだなんて、感じたのか。


寂しかったのはエレオノールの方だった。
そうだった。エレオノールは寂しがり屋だった。
それを、自分だけが分かっていたのに。
幼稚な我儘で、思い込んだ自分勝手で、張り通してしまった意地のせいで、鳴海はエレオノールに寂しい想いをさせてしまった。
覚えなくてもいい寂しさに、心を痛ませてしまった。
本当にオレはバカ野郎だ!と己を罵倒する。
「ああ、ごめん」
と謝ったものの
「ナルミが謝ることじゃないでしょう?忙しかったのだから」
エレオノールにやさしく微笑まれて、全部嘘でした、八つ当たりしてました、ヤキモチ焼いてましたとも言えず、しかたなく呑み込んだ自業自得の虚偽にまた胃が痛くなった。
「それでも、ごめん」
と謝るしかなかった。
「こんなことじゃいけない、強くならなきゃって、思うのだけど。いつまでも、ナルミに頼ってばかりじゃ駄目だって分かっているのに」
「オレだっておまえをさんざん頼ったじゃねぇかよ。気にすんな、お互い様だ。それに大丈夫、幾らでも頼ってくれても」
エレオノールになら、鳴海がいないと生きていけないと泣き付かれるくらい頼られてもいい。
「ありがとう」
とエレオノールが嬉しそうに笑う。
「まだしばらく忙しいの?」
と訊ねられ
「いやもう明日から普通になった」
と都合よく答えた。


ああなんて、時間はやさしく流れるんだろう。
空気には針が含まれているようだったのに、今は甘やかにすら感じる。
でもまた、ふたりで過ごす時を計る時計は秒針を速めたようだった。


「そろそろ帰るわ。マサルをもう待たせられねぇし」
後ろ髪を引かれながら鳴海はカップをソーサーに置く。
「ナルミ」
「うん?」
「明日、来てくれる?」
「ああ。閉店後、になるけどな」
「待ってる」
「あ、明日、さあ」
「なあに」
「久し振りに一緒にメシ食わねぇか。マサルと三人で」
「いいわね!だったら、うちで食べない?マサルさんも学校終わったら、うちに寄るように言っておいて?」
「分かった」
席を立ち、戸口に向かう。エレオノールも鳴海の背中についていく。


「ごちそうさま」
「それじゃ…おやすみなさい」
エレオノールが微笑んでいる。さっきまでの酷い人待ち顔はどこにいったものか、それが自分のためだったことが鳴海は嬉しい。自分から愛を告げることはないけれど、彼女を誰より愛している。彼女を何より愛おしく思う。
鳴海は意を決して、エレオノールの肩に手を置いた。
そして腰を屈めると、自分から、エレオノールにチークキスをした。初めてのことに、案の定エレオノールはびっくりした目を見開いて固まっている。
そりゃそうだ、ここはキスの習慣のない日本で、オレは日本人だ。
それでも、もう耐えられないと思った。フランス人てだけでリシャールが恩恵を受けてる姿を指を咥えて見ているのは。ならば、エレオノールがくれないなら、自分から取りに行くと決めた。
「おまえとの挨拶が習慣付いちまったもんで。何かここんとこずっと、調子出なかったんだ」
にや、と悪戯っ子のように笑って見せると、エレオノールも鳴海の肘に手を掛けて、口角の上がった唇でキスを返してくれた。柔らかくて滑らかな頬、このまま唇にもキスしてしまいたいけれど、我慢する。
「チークキス、その…」
「欲しがったのはオレの方だ。おまえは気にするこたぁない」
するともう一度、エレオノールから頬を触れ合わせてくれた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
最後に鳴海はエレオノールの髪を一撫でして、『Cirque』を後にした。






次の日、仕事を終えた鳴海は昨日預かったばかりの鍵を早速使い、玄関からエレオノール宅にお邪魔した。今日は客としてではなく、一緒に晩ご飯を食べる目的で来ているので、まだ店で客をあしらっているエレオノールの代わりに夕飯の支度を始める。
客席からは見えないが、エレオノールの自宅のキッチンと喫茶店の厨房は隣接している。鳴海がキッチンにやってくると店中のやり取りが聞こえて来た。勝はもう下校して来て、店で寛がせてもらっているようだ。
すると入口の引き戸がガタガタッと下手くそに開けられる音がした。その主がリシャールだと鳴海には分かった。
エレオノール自身が「別れた恋人」と言ったとしても、彼らが過去に交わした行為は消えない。鳴海がどんなに望んでも、彼女を抱くことは叶わない。だからやっぱり、リシャールが居る限りササクレのような嫉妬心が消えることはないんだと思う。
そしてこれからは自分で獲得すると決めたチークキスを、惚れ切った彼女が他の男ともする事実は面白いものじゃない。自分は、そんなに出来た男じゃない。


『エレオノール!会いに来たよ!』
『ちょ、ちょっとリシャール、厨房には入らないで』
「あー!そこ!お店の人以外は入ったらいけないんだよ!」
頑張れマサル。心の中で応援する。まあ、ヤツは日本語が分からないだろうが。
ふう、と溜息が出る。鳴海のいる場所からは声しか聞こえないけれど、きっとリシャールはエレオノールを抱き締めているに違いない。そしてこれから頬でキスの交換をする。
「辛ぇなぁ…」
と呟いた時
『リシャール。チークキスはもう止して?』
のエレオノールの声が聞こえ、鳴海はハッと目を開いた。耳を聳てる。
『ここは日本なのだからキスの習慣はないの。他の人に変に見られるでしょう?』
『でもこれはオレ達の挨拶で…』
『フランスではそう。でも郷に入ったら郷に従って。それが出来ないならもうお店に来ないで』
『わ、分かったよ…』


リシャールはやりこめられて厨房から追い出されたようだ。やいのやいの言う勝に『子どもがいると調子狂うなぁ』とのボヤキが聞こえた。
鳴海の拳がぐっと握られる。
元彼よりも親しく思われたこと、彼女のチークキスを自分だけがもらえることが叫びたいほどに嬉しい。
「さ、美味いメシを食わせてやらねぇとなッ」
鳴海は腕まくりをすると上機嫌で料理に取り掛かった。


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