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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(33) 宵待草 5/6





「待てど 暮らせど 来ぬ人を
 宵待ち草の やるせなさ
 今宵は月も…出ぬそうな …」


エレオノールは幾度、このフレーズを口にしているだろう。
店で流す曲を探してケンジロウのコレクションのレコードを漁っている時に見つけた歌だ。とても短い歌詞の中に、エレオノールの心情がこれでもかと詰まっていて、気付くと口ずさんでしまっている。
戸口に、来ない待ち人の影が揺れるのをじっと待つ。
心がずっと痛くて、吐き出す息には棘が含まれているみたいで。
時計の針は、じり、とも動かない。
彼のいない世界は時間が止まっている。
彼と一緒にいる時は、恨めしい程に、経つのが早い時間なのに。


「ちょっとしばらく、エレオノールんとこ寄れないかも」
そう告げたあの日の鳴海はどこか様子が変だった。あんな風に無愛想な態度の鳴海は、見たことがなかった。何でもない態を装っていたけれど、何かに憤っていることがエレオノールには分かった。
何に怒っているの?私に怒っているの?
前の日、店で、私は知らないうちに、何か鳴海を怒らせるようなこと、していたの?
「それとも、リシャールのこと…?」
少しでも、妬いてくれたの?
それはない、すぐに首を振る。自問自答にもならない。
「だってよ。お邪魔しちゃ悪ィだろ?」
『お気になさらず。ごゆっくり』
それを、鳴海は笑顔で言ったのだ。エレオノールは両手で顔を覆う。彼は、自分とリシャールがどうなろうと、興味がない。


忙しい、のはきっと口実で。
こうして会わないでいるのは、たぶん私のことを怒っているから。
もしかしたら鳴海に、嫌われてしまったのかもしれない、そう思うと、エレオノールの足元には真っ黒な奈落が口を開けた。何をしたんだろう?何がいけなかったんだろう?そればっかりを考えた。
まだ客のいる店で、公私混同甚だしい姿を晒したから?それをナルミがふしだらと思ったのだとしたら?ナルミのプライベートに踏みこんで勝手に不機嫌になる真似をした私を、本当は不快に思っていたのだとしたら?私に対する塵のような不満が山となって、それにもう耐えきれなくなったとか?マサルさんに対する態度に「母親になりたい」という欲求が露骨に透けていたのかもしれない、それをナルミに敬遠されのだとしたら…?
ただでさえ、住む家が離れて、胸にぽっかりと空いた穴に困っていたのに。
ナルミにとって私は『ただのご近所さん』だから、会えなくなると私がどんなに苦しいのか、彼には分からない。
私にとってのナルミは『最愛のひと』だから、その想いの差が、私をどんどん莫迦にする。
私は苦しい恋の下、浅く息をすることしか出来ない。
ただただ貴方が恋しいと、待つことしか出来ない愚かな女に成り下がる。


いつの間にか世界が、こんなにも狭くなっていた
何を考えても、何を思っても、
世界の全てが彼へと向かっていく
どうして


エレオノールの心は鳴海で溢れてしまった。
鳴海がいるから、この町で生きて行くことに決めた。
その鳴海に見放されたら、生き方がもう分からない。
呼吸の仕方が、分からない。
「ナルミ…」
名前を呼んだだけで心が騒ぐ。
会いたい 会いに来て 顔を見たいの 声が聞きたいの
こんなにも自分が、誰かに恋焦がれることが出来るとは。
滑稽なくらい、恋煩いに苦しんでいるだなんて。
エレオノールは自分の腕で自分の身体を抱き締めた。彼の家に行けば、会える。でも。
「何しに来た」と冷たい目を向けられたらと考えると、脚が竦んで動けない。
時計に冥い目を遣る。
もう鳴海は勝のために家に帰り付いている時間だ。
もう、閉めよう。今日も、会えなかった。
溜息をついて、力無く、視線を戸口へと彷徨わせ、
エレオノールは大きく目を見開いた。







逸る気持ち、怖い心地、結果を知りたくない本音。
様々な感情を綯い交ぜにして、心臓をドキドキ言わせながら、取っ手に手を掛ける。音をさせないように戸をゆっくりと横に引くと、鍵の掛かっていないそれはあっさりと滑った。一歩踏み出し、暖簾を潜るようにしてカーテンを捲る。
すると、驚いたことに目の前にエレオノールが立っていた。
「ナルミ…」
瞳を濡れたようにユラユラ光らせたエレオノールが、ホッとしたような笑顔で悩める男の名前を呼んだ。久し振りに見るエレオノールはガッカリしてない、というか、むしろ喜んでるように見えた。淡く、微笑んでいた。
何だ、悩むこたぁ、なかった。
エレオノールの待ち人はオレだったんだ。
ようやく安堵して気がつくと、鳴海の心臓はとんでもない勢いで跳ね回っていた。言葉が出ない。
それにしてもカーテンに影が揺れただけで戸口にまで駆けつけて、出迎えてくれるとは思わなかった。
そんなにも、エレオノールはオレのことを待ってくれてたのか。
甘酸っぱい何かで胸がいっぱいになってしまって、鳴海は何度か唾を呑み込んで、ようやく少し上ずった声で
「よお」
と手を挙げて挨拶をした。ぎこちないながらも、顔が幾日かぶりの明るい笑顔を形作る。


「か、帰って来たら、灯りがついてるの見えたから。まだエレオノール、いるのかなーって思ってさ」
エレオノールにこんな形で出迎えられて、鳴海は顔が自然とにやけてくるのを堪え切れなくなった。彼女に背を向けるとやたら丁寧に戸を閉めて、店の中に入った。
「あのっ、コーヒー淹れるけど…飲んでる時間、ない、かしら…?マサルさん…」
「ああ、そうだな、マサルに連絡入れるから大丈夫。飲んでくよ」
「ホント?」
ぱあと頬を輝かせると、エレオノールは跳ねるようにしてカウンターに向かった。鳴海も勝に電話をかける。「エレオノールのところに寄ってから帰る」と伝えたら「きっちり仲直りするまでは帰って来るな」と言われた。全く出来た息子だと鳴海は苦笑する。
「何だか、久し振りね。本当に…忙しかったのね」
すぐに漂い出す、深いコーヒーの香り。
「え?ああ、まあ…」
鳴海は何とも罰が悪く、ゆっくりと椅子に腰かけ誤魔化した。
「具合でも悪くしているのかと思って、マサルさんに訊いたら普通に会社に行ってると言うし。忙しくしているなら、私が押し掛けても迷惑かしら、って思って…ここで時間外に電気付けていたら、帰り道にナルミが覗いてくれるかも、って…」
すぐに淹れられるように用意していたとしか思えないほど手際よく、コーヒーは鳴海の前に運ばれた。エレオノールは鳴海の隣の椅子に着き、にこやかに話しかけてくる。いつになく多弁なエレオノール。
「今日も、会うのは無理かも、って思ってたところだったの」
店の控え目な照明のせいか、目はやたらキラキラして見えるし、頬もほんのり染まって見える。
どこか幼げで、まるで誰かに恋をしている少女みたいで。
「な、何かオレに用だった…?」
どうしてか、今夜のエレオノールを見ていると鼓動が速くなってしまう。


「これ」
エレオノールがジーンズの尻ポケットから何かを取り出し、それをテーブルの上に置いた。
銀色の、鍵。
鳴海のゴツイ指がそれを拾い上げると、エレオノールの体温を感じた。意識的にその温もりを掌に仕舞いこむ。
「私の家の鍵。一応、ナルミにひとつ、預かってもらった方がいいかも、って考えていたの。私、独り暮らしだし…他に頼れる人、いないし…」
エレオノールは、はにかんだように笑った。彼女に、頼れる人、と言われて胸の奥がじんわりと温かくなる。
「それをあなたに渡したくて。持っててもらいたくて」
「オレは…構わねぇけど」
また、唇の隙間から焼け焦げた炎が噴き出しそうになる。
「ほら、こないだ、おまえをフランスから追いかけて来たヤツいるじゃん?そいつに…怒られるだろ、こんなん、他の男に渡したら…」
チリ、チリ、と自分の言葉で心が妬けていく。
「リシャールは…関係ないもの…」
「関係ないって。恋人、なんだろ?」
「別れた恋人、よ」
「別れた…?」
鳴海が視線を巡らすと、エレオノールは小さな息を吐いて肩を竦めた。


「日本に来る前に付き合ってたひと。私が働いていた会社の、重役の息子で、押しが強くて…」
「それは分かる気がする」
「私が彼と付き合ったのは…」
何となく「ナルミに似ている」と思ったから。それだけ。「似ている」と思っていた間は楽しかったけれど「似ていない」と思ったら急激に熱が冷めた。付き合った理由も興味を失った理由も、とても酷く失礼だと自分でも重々理解している。お陰で、鳴海にしか興味が向かない自分なのだと知った。でも、それは鳴海には言えない。もちろんリシャールにも。
「私は解消したと思っていたのだけれど」
「どう見ても向こうはそうじゃねぇだろ」
「説得する。お店のお客さんである以上、無碍に出来ないだけ。別に、ストーカーってわけでもないし…必ず閉店には帰ってくれるし…」
「さ、誘われるだろ?」
自分の言葉が風を送り、腹の底の嫉妬心が煽られるが
「誘われるけれど。明日の仕込みがあると言えば、そのうちに諦めてくれるから」
「そ、そっか」
話の流れで、エレオノールがリシャールと縒りを戻す気がないと知り、彼女は誰とも濃密な夜を過ごしてないと分かり、ここ半月に渡る鳴海の心中のボヤは無事に鎮火をみた。
「私は、ナルミに渡したいの。だから…」
縋るように見上げてくるエレオノールの銀色の瞳が本当にきれいで、捩じくれて歪んだ心が元通りの真ん丸になるのを感じた。



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