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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(32) 宵待草 4/6





「ねえ?」
「うん?」
「最近、エレオノールのとこ行ってないんだって?」
寝しな、勝にそんなことを言われた。鳴海は橙色の豆電球をじっと見上げ
「……それがどうかしたか?」
と極力普通の声で言った。
「どうして行かないの?」
「今、仕事が忙しくて。寄ってる時間がねぇんだよ。腹空かして待ってる、おまえのが大事だろ」
「ぼくは…」
父親とエレオノールのためにだったらもうちょっと空腹を我慢しても大丈夫なんだけどな、と思う。もっと小さい頃の記憶に、全くご飯をもらえなくてこのまま死んじゃうんじゃないかと思った記憶がある。それに比べれば、ちゃんと一日三食の今は天国で、少しくらいの我慢はどうってこともない。それに遅くなっても立派な晩ご飯を並べてくれる父親には感謝しかない。
鳴海はもう半月ほど、笑顔が翳ってしまっている。塞ぎがちで言葉数も減った。勝の前で明るく振舞おうとしているのは感じられる、でも、彼の笑顔はこんなものじゃない。もっともっと太陽みたいな笑顔だ。もちろん、この変調の原因には心当たりがある。父親が喜色満面になるのも落ち込むのも、いつも彼女が絡んでる。
だから勝なりに気を遣ってこの話題に触れなかったし、ここしばらくの父親の苦境を何とかしてあげたいのだけれどどうしていいのか分からない。でも黙っているだけでは何も変わらない気がして、今晩、意を決して訊いてみたのだ。


「エレオノールとケンカしたの?」
「ケンカなんか、してねぇよ」
ケンカはしていない、嘘じゃない。勝にも、鳴海が嘘を吐いていないことは伝わる。でも、どうしてかエレオノールに対して臍を曲げているようだ。
「エレオノールにここんとこ毎日訊かれるんだ。おとうさんのこと」
「……」
「最近来ないけれど、具合悪いの?とか…。そんなに忙しいの?とか…」
「なんて答えた?」
「具合悪くなんかないよって。毎日会社行ってるよって」
鳴海は天井に顔を向けたまま、無表情だ。
「どうして行かなくなっちゃったの…?」
「だから、仕事が忙しいんだって」
繰り返される同じ問い、同じ答え。
「…おとうさん、エレオノールのこと、もう好きでなくなっちゃったの…?」
鳴海は深く瞼を下ろした。ごろん、と大きな背中を勝に向ける。
「もう遅いぞ。寝ろ」
こうなると鳴海は梃子でも動かない。
「…うん…おやすみ…」
寝室が、しん、と静まり返った。


どうしよう。
勝は不安に思う。
父親は絶対にエレオノールを好きでい続けると思っていたのに。こんな状態が続けばエレオノールだって父親のことが嫌になるだろう。せっかくエレオノールの中を「カトウナルミの好きなトコロ」で埋めようと頑張っているのに。
エレオノールは下校途中の勝を待ち構えているかのように、勝が店の前を通るとすぐに店の中から飛び出してくる。痛そうに苦しそうに勝に質問する。エレオノールも笑わなくなった。その表情は父親のそれととても良く似てるように思う。
一体何があったんだろう。オニアイのふたりだったのに。
勝は布団を頭までかぶると
「どうにかしなくちゃ…」
と呟いた。







その翌日。
鳴海は久し振りに遠回りルートの帰路を辿っていた。次の角を左に折れると、閉店後しばらく経った『Cirque』の前を通ることになる。別に、エレオノールに会う気は全くないが、無意識に足が向いてしまっていた。
昨夜の勝の話を聞いて、鳴海は更に腹を立てた。こんな小さな子供をメッセンジャーに仕立てようなんてどういう了見だ、気になるならそっちから会いに来ればいいじゃねぇか。それに、オレのことなんかどうでもいいんだろうに。しばらく会えなくても、自分ちから一歩も出る気もおきない程度にどうでもいんだろうに。
ま、話し相手ならオレなんかよりお誂え向きのがいるもんな。
フランスからやって来てくれた彼氏がさ。
心が卑屈に歪んでる。自分でも分かっているけれど、もう鳴海では自分を治せない。
「オレのしゃしゃり出てく場じゃねぇよ…」
心配を口にするなら、店の引けた後に会いに来ればいい。それをしないのは、他の誰かと過ごす時間を優先してるってことだろう。他の誰かと甘い時間に浸るエレオノールを考えて、鳴海は噴き出しそうになる黒煙を奥歯を噛み締めて呑み込んだ。心が寒い。眉間にはずっと深い皺が寄りっ放しで、昨日は生まれて初めて胃薬なんてものを飲んだ。
角を曲がり、拗ねた目で彼女の店を探り    思わずデカイ身体を縮こめて、曲がり角の電柱の陰から様子を窺った。


店にはまだ灯りが点いていた。
いつもだったら閉まっている時間なのに、弱いオレンジ色の光が道路へと伸びている。そろそろと遠巻きに店に寄る。引き戸にはベージュのカーテンが引かれていたが、間近だと中を窺っていることが中にいる人間にバレる可能性があるため、ぐるっと喫茶店の横に回り、垣根越しに側面の窓から店内の様子を覗いた。
「珍しいな…こんな時間に…」
カウンターに、エレオノールが座っていた。
久し振りに見るエレオノール。それだけで、鳴海の胸が震えた。相変わらず、きれいだと思った。純粋に、彼女に逢いたいと焦がれていた自分を再認識する。
エレオノールは本を読んでいた。けれど彼女は気も漫ろなようで、目を文字に落としてもすぐに上げ、戸口の方を何度も見ている。らしくなく落ち着きがない、エレオノールの指が頁を全く捲らない。
「…誰かと待ち合わせ、ってとこか…?」
人待ち顔、ってこたァ、相手は男か?
ああリシャールね。毎日来るって言ってたもんな。
と考えて、鳴海は一気に面白くなくなった。
こんな風にして覗いている自分が馬鹿みたいに思えた。
そうっと垣根を離れ、背中をぐるっと丸めて、お腹を空かせた勝の待つ家に向かった。


その翌日も、鳴海は遠回りルートで帰宅した。
昨日と同じ時間、店の灯りは点いていた。
そして、そのまた翌日も
「今日、も…?」
店の灯りは点いていた。
鳴海はまたもこそっと、店の横から中を覗く。
エレオノールは今日も、カウンターで本を読んでいた。前回同様、エレオノールは読書に集中できないようだった。むしろ、彼女の目はより一層戸口に注がれていて、一昨日よりも酷い人待ち顔をしていた。
「エレオノールの待ち人は…来てねぇのか…」
鳴海に見られているとも知らず、エレオノールは大きな溜息をついた。指を噛み、爪を噛み、唇を噛み、また溜息をつく。


鳴海は長いこと、そんなエレオノールを見て立ち尽くしていた。エレオノールの不安が感染って、鳴海の目元にも細かな皺が寄る。
もう、エレオノールの待ち人が男でも誰でもリシャールでもいいから、彼女の元に訪れて欲しかった。
そうすれば、エレオノールは笑顔になる。
あんなに苦しそうな顔を、鳴海も見ないで済む。
20分近く、じりじりとした気持ちを抱えて、鳴海もエレオノールの来ない待ち人を待った。
そろそろ帰らないといけない。いつもより遅い自分を勝が心配し出すだろう。
暗がりにじっと突っ立ち家を覗く男は充分に不審者で、通りすがりがジロジロと視線を投げて寄越すが、鳴海が三白眼を向けると誰も彼もそそくさと逃げ去った。このままでは警察を呼ばれてしまう。今の鳴海は色んな意味で気が立っているから人相がかなり危ない。
「クソったれ…どこのどいつなんだよ、早く来やがれ…バカ野郎が…」
バカ野郎と悪態をついて、ふと思った。





オレが一番のバカ野郎じゃねぇか。
もしかして。
エレオノールが待ってるの、オレ?
だったり…する…か?





思いついて、物凄く胸が高揚した。今すぐ、エレオノールの前に飛んで行きたい衝動に駆られる。
しかし、それはあくまで思い込みで、自惚れにしか過ぎなかった事実を突き付けられたら、さて、どうする?、という消極性にとって代わられた。
自分の顔を見て「何だ、ナルミか」とエレオノールにガッカリされたら、多分もう、立ち直れない。
「…おとうさん、エレオノールのこと、もう好きでなくなっちゃったの…?」
そう勝に言われて思ったのは、どんなことがあったって、エレオノールを嫌いになんてなれるわけがない、ということ。
エレオノールに臍を曲げたのも、彼女が自分を必要としていないような気がして、その事実から逃げただけだ。「ナルミしか頼る人がいない」その言葉を反故にされた気がして寂しかっただけだ。
こんなにも長く彼女の店に寄らなかったのも、行った先でエレオノールとリシャールがいいムードを醸していたらと考えると怖くて、それに割って入る気持ちにはなれなくて、色んな理由を付けて遠ざけた。
少し距離を置けば、エレオノールが自分の有難みを少しは感じるんじゃないかとか、でも、彼女から会いに来てくれることは一度もなくて、やっぱり自分はそれほど彼女に必要な存在じゃないんだと、「頼る人」云々は彼女のリップサービスでしかなかったんだと思い知らされて、もう心が草臥れた。
何でもいいからエレオノールに会いたかった。彼女の声が聴きたかった。
やはり相手を求めているのは自分だけなのだと、実感を重ねた半月強だった。


もしも彼女が待っているのがリシャールだったら。
でも、彼女の待ち人が自分である可能性はゼロに近くても、捨て切れないわけで。
鳴海は考えて考えて、『Cirque』正面へと足を向けた。
何を怖がることがある。
エレオノールは自分のものにはしないと、自分で決めたんだろうが。
だから、彼女が他の野郎を待ってても、自分が会いたくて行くんだから!
腹ァ括れよ、オレ!
鳴海は大きく息を吐き出すと、真っすぐに温かな灯りをこぼす戸口へと手を伸ばした。



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