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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(31) 宵待草 3/6





一晩寝れば、クサクサした気分もどうにかなると思ったのに。
鳴海は寝て起きてもどうにもならなかった胸の痞えに顔を顰めた。もっとも、熟睡からは極同士ほども遠く離れた遠浅の眠りしか得ていないけれど。
朝食を作る気分にはなれなかったものの勝のためだと気持ちを奮い起こし、昨日の晩ごはんの残りを電子レンジの中に放り込む。マイクロ波が飛び交う電子レンジの中をぼんやり眺めながら、昨日のエレオノールと、彼女に馴れ馴れしい男性客・リシャールについて考えた。
「元彼…かな。でも、あいつの口ぶりだと現在進行形ぽかったけど」
親の仕事について海外を転々とした鳴海は、日常会話程度ならフランス語が分かる。だから昨日のふたりの会話はしっかり理解できた。
エレオノールは、鳴海がフランス語を操れることを失念していたのかもしれない。何しろ鳴海がフランス語を披露したのは、彼女が引越しの挨拶をしに来た日の一言二言だけだから、忘れていても不思議じゃない。
エレオノールは思い込んだらまっしぐらなところがあるから、ケンジロウの訃報を聞いて日本に飛んできて、喫茶店を自分が引き継ぐと決めたら彼氏への説明もそこそこに渡日したのだろう。そこだけ切り取れば、あのリシャールってヤツには然程未練もなかったんだろうが、でも
「愛し合った仲、か…」
リシャールとエレオノールが交わしたチークキスを思い出す。フランス人同士だからか、自分のそれとは別物に思えるほどの、堂に入った、濃厚なチークキスに思えた。
「二回ずつ、してたな…」
鳴海の位置からはエレオノールの表情が見えなかった。あの男のキスをどんな顔で受けたのか、どんな気持ちでキスを返したのか。恍惚とした表情で?うっとりと溶けるような気持ちで?
自分とはしなくなったそれを。
「くそ…っ」
鳴海は両の掌で顔を強く擦った。エレオノールの感触を思い出そうとする自分の頬を、ガリガリと指で掻く。昨日から纏わりついて振り払えない考えが頭の中をグルグル回る。





あいつはエレオノールを抱いたんだ。
エレオノールは、あいつに抱かれたことがあるんだ。
何度も、
何度も。




突き付けられた紛れもないその事実が、鳴海をぐだぐたと打ちのめした。
5年。5年のうちにはエレオノールだって恋をすることもあったろう。もう大人なんだから、大人の恋愛をしただろう。鳴海が手を出さないように自制していた少女のエレオノールではないのだから。だから、鳴海の知らないところで彼女が誰かの手で『大人の女』になった可能性は当然、考えていた。
でも、もしかしたら、とも考えていた。
何を都合のいいことを、と分かっている。自分だってエレオノールが国に帰った後、他の女と付き合って抱いたのに。その結果、自分がエレオノール以外の女に興味が持てないことを再確認しただけなのだとしても。エレオノールが自分以外の誰かと寝たからって嫉妬する筋合いじゃない。
エレオノールの元に親し気な男性が現れたとしても何を傷つくことがある?自分だってさんざん、ミンシアとの濡れ話を聞かせたり、ファティマとキスしている場面を見せたりと同じことをしたじゃないか。
何より、自分は彼女に相応しくないと一歩引いている身なのだから。彼女を愛してるが故に日本まで追いかけて来た彼氏がいて、そいつとエレオノールが幸せになるルートが敷かれたのであれば、それは祝福してしかるべきだろう。エレオノールだって嬉しいに決まってる。日本に来るために別れた恋人が仕事を二の次にしてまで、自分を追いかけて来てくれたのならば。
鳴海には出来なかったことだ。
「縒りが…戻ったって、おかしくねぇよな…」
覚悟してた筈だ。シングルファザーの自分は彼女の伴侶に相応しくないから、彼女に誰かいい男が現れたらその幸せを見守ると。なのにいざ、その可能性が眼前に立ち現れただけで、心臓も胃も、変な角度に捻じくれている。


エレオノールから離れていく自分、
自分から離れていくエレオノール、
それらがどうしても許せなかった。
我儘を叫ぶ自分と、そんな自分を叱咤する自分、ふたりの自分が鬩ぎ合い、心と頭がギリギリと引っ張られて不安定になっていく。


子どもっぽい我儘。
最低な自分勝手。
成熟した大人とかけ離れた無分別。


彼女の恋の、破局を願う。
己の心の安定のために、エレオノールの不幸せを願う。
それで自己嫌悪に陥っても、エレオノールの不幸を願わずにはいられない。
エレオノールが一番に幸せな時に、一番近くにいるのは自分でありたい。
なのに、自分と無関係な場所でエレオノールが幸せになってしまうかもしれない。
己の世界がグラグラと傾いでいく。
自分がこんなに愚かしくなってしまうのはいつも、いつもいつも、エレオノールのせい。


あたため終了の電子音が鳴った。
無造作に手を突っ込んで、考えなしに皿を掴んで、あまりの熱さに声をあげる。思わず手を放し、皿は床の上で派手な音を立てて割れた。
イライラと舌打ちする。眼下には後片付けが物凄く面倒くさそうな光景が広がっていた。
「何の音?わ、おとうさんだいじょうぶ?」
物音で起き出した勝に心配されてしまった。
しばし無言で立ち尽くす。
「おとうさん…」
父親の異様さに勝が気付き、黙り込んだ。
「皿が割れた。危ねぇから呼ぶまでこっちに入ってくんな」
はまってしまった悪循環は、この胸の痞えのせいだ、と鳴海は思った。







一方的に、不条理な散々な思いをして、鳴海は職場に向かう。
駅までの道のりを遠回りして『Cirque』の前を通るのは彼女が引っ越してから鳴海の習慣だった。朝の忙しい時間、エレオノールの姿が見られるとは限らない、でもちょっとでもラッキーがあれば、なんて考えてついた習慣だった。
雨の日でなければ、エレオノールは鳴海が通過する頃、店前の掃除をしていたり植物に水をあげたりしていて朝の挨拶をくれた。雨の日でも、エレオノールにニアミスしたくて同じルートを通る。だから今日もいつもと同じ遠回りをしたのは呼吸をするのと同じ、無意識だった。
そして、秋雨前線真っただ中の今日も相変わらずの雨なのにどうしてか珍しく、外で引き戸のガラス拭きをしているエレオノールがいた。視線を感じて、エレオノールが振り返る。
「あ、おはよう。ナルミ」
エレオノールは傘を差して鳴海の元に駆け寄った。彼女はいつもと変わらぬように見えた。変わり映えのしない景色、いつもと変わらない朝、いつもと変わらない挨拶。なのに、鳴海の胸は塞いでいて
「ああ、おはよ」
と自分でもびっくりするくらいにぶっきら棒な挨拶が口をついた。
「ど、どうしたの?どこか具合悪いの?」
エレオノールが一気に心配顔になった。
そりゃそうだ、自分でもびっくりしたくらいの無愛想さだ、エレオノールはもっとびっくりするに違いない。こりゃァいけねぇと幾分声色に気を付けて
「別に、平気」
と答えた。
「それならいいんだけど…」
いいと言いながら、エレオノールの笑顔は曇っている。鳴海には呑み込めない魚の小骨みたいに引っ掛かる懸念があるから。自分が笑えばエレオノールも笑顔になると分かっていても今日に限っては、エレオノールに笑顔になんかなれない。


おまえはリシャールをどう想っている?
あの後、リシャールとどうした?
久し振りの夜を過ごしたのか?
もしかしたら今、オレの頭の上、おまえの寝室で裸で寛いでいるあいつがいるのか?
……訊けない。訊けるわけがない。
そんな権利をオレは、カケラも持ち合わせてはいない。


「あ。あのね、ナルミ。今日、帰りに…」
鳴海の想いを知る由もないエレオノールが、何かを思い出したように言うのに対し
「あの、さ。ちょっとしばらく、エレオノールんとこ寄れないかも」
鳴海からは発作的に、そんな言葉が出た。
「え?」
エレオノールは突然のことに、二の句が継げない。
「仕事がさ……立て込んじまって。で、しばらく帰りがちょっと遅くなるんだ。家に直行するしかなくてさ。マサル、待たせられねえし」
「あ…そう、なの…」
仕事が忙しいのは嘘じゃない、だけど、エレオノールのところに顔を出せなくなる程、帰りが遅くなることはない。
「そう。仕方ない、わね…」
吐きたくもない嘘に、鳴海の胸が痛んだ。エレオノールを振り切るように、鳴海は目を逸らした。
「ナルミ、大変なのね…」
「うん。だから、まァ…顔出せる時、頑張って出すから」
ちらり、と鳴海が視線を上げた先で、エレオノールが小さく笑った。
「いい。無理しないで」
いい、とエレオノールに言われて、鳴海の中で何かが切れた。その後どうやって、彼女と別れて駅に向かったのか、よく覚えていない。気がつくと、目を尖らせて、ムカムカと足を前に出していた。


しばらく会えねぇって言ってるのに、頑張って顔出さなくてもいい?
何だよ?
エレオノールはオレに会えなくても構わねぇってのかよ!
ああ、そうかい。
オレがいなくったってリシャールってのがいるもんな。
淋しくなんか、ねぇんだよな!
独り善がりに結論付けた。
頭が正常に働かない。
我儘、自分勝手、無分別、八つ当たり。
分かっていても、爆発的な嫉妬心が、理性的な思考を妨害した。


それから半月、鳴海はエレオノールと徹底して会わなかった。
行き帰りに遠回りしてエレオノール宅の前を通過するのを止めた。
いつもだったら会っている日曜日も、何くれと用事を入れてエレオノールを避けた。



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