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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(30) 宵待草 2/6





暦は十月に入り、ずい分と日の短さを覚えるようになって来たある日のこと。
鳴海は珍しく定時ちょっと過ぎで上がることが出来た。当然、喜び勇んでエレオノールの店に直行する。
『Cirque』オープンから4ヶ月ばかり、エレオノール目当ての男性客の数はいまだ多かれど、近頃では互いに牽制しつつも店主に迷惑をかけないための秩序が生まれたようで、鳴海もたまには店内でランチを頂けるようになった。もっとも、いざとなれば玄関に回れるので、混んでいても食事自体は何も困ることはない。ただ視界にエレオノールを収めることができないのが難点なだけだ。エネルギー補給だけが目的なら別にどこで食べたっていい、わざわざここに来るのはエレオノールに会うために他ならない。
「ま、この時間ならさすがに席も空いているだろ」
彼女の淹れてくれたコーヒーを楽しみながら、カウンター越しに愛でることが出来る。


今日みたいに秋の長雨がしとしとと降るとエレオノールと再会したあの日を思い出す。祖父ケンジロウの葬式から一年。エレオノールの姿を5年ぶりに拝めた喜びと、あっさり帰国された悲しみとが一挙に去就したっけな、なんてずい分と前のことのようにも感じる。
お隣り同士だった頃に比べたら不自由を感じるけれど、同じ町、それも徒歩5分圏内に彼女も暮らしている現在は、彼女が遠いフランスにいた5年間とは雲泥の差だ。
秋の異動の季節になって、空いていた加藤家の隣にはまた違う人が住むことになった。今度は若い新婚夫婦だ。仲良さげにいつもくっついている姿には、ちょっとアテられる。


鳴海が雨に濡れながら辿り着いた『Cirque』の店先にはオレンジ色の灯りが点いていて、大きなカボチャ頭が置かれている。今月はハロウィンがあるからそれ仕様の飾りつけがところどころになされているのだが、それらは先週の日曜日に勝と一緒に手伝ったものだ。
「マサル、喜んでたな」
まだ幼くて、生い立ちから『家庭で行われる季節のイベント』から遠ざかっていた勝は、鳴海やエレオノールが用意する機会が嬉しいようで、その度に本当にいい笑顔を見せてくれる。エレオノールも勝のために心を砕いてくれて、鳴海は感謝の言葉しかない。
がらり、と引き戸を開けると
「いらっしゃいませ」
の言葉と一緒に、エレオノールの綿飴みたいな微笑みが出迎えてくれた。よし、カウンター席が空いている。喜びの勢いそのままにどっかと腰を下ろしたら
「もっと静かに座ってくれる?おじいさんの大事な椅子なのだから」
と窘められた。
「後、カバンも。乱暴に置かないで」
「すみませんでした」
すごすごとカバンを下ろし、頭を下げてみせる。
「今日は早かったのね」
「うん。今日は早くに上がれたから。寄ってみた」
差し出された冷たいおしぼりを受け取る。
「ご注文は?」
「いつも通り。おまえさんのオススメでいいよ」
「かしこまりました」


鳴海は、ふう、と息を吐いて、ネクタイを緩めながら店内を見渡した。
客は鳴海を含めて三組、エレオノール目当ても鳴海を入れて三組。もう店じまいが近いから客は帰るばかりだろう。今日は閉店までいて、片付けを手伝って、夕飯を一緒に食べないかと誘う頭でいる。
気まぐれにでも夕飯に誘えた隣人時代と違い、理由を付けないと誘ってはいけないような気がして、鳴海がエレオノールと過ごせる夜(勝付きだけど)はめっきり減ってしまった。休みに遊びに行けば「夜ご飯食べていく?」と言ってはもらえるものの、出来ればもっと会いたいのが本音だ。
出来れば、毎日でもエレオノールの時間が欲しい。
朝はエレオノールに起こされて、夜は「おやすみ」を言い合えた、あの頃がどうしたって懐かしい。理由がなければ会えなくなってから、理由がなくても会えることの有難みが本当に身に沁みる。
「何かいいことでもあった?」
コーヒーを運んできたエレオノールに言われる。
「んー?ちょっとな」
少しニヤけていたかと頬を引き締めた。とはいえ、久し振りの加藤家での団欒だと思うと、数時間後が楽しみだったから仕方ない。


「店、今日はどうだった?」
「マサルさんが学校帰りに寄ってくれたわ?へーまさんと一緒に」
「あー…、今日はへーまんちに遊びに行くって言ってたなぁ」
「ダイニングでオレンジジュースとおやつを出したけれど、良かったかしら?」
「オレがこうして仕事帰りにコーヒー飲んでんのと変わらねぇって。おまえの負担にならねぇなら……つうか、餌付けすると毎日押しかけてくるようになるぜ?」
「ふふ。別にマサルさんなら構わないわ?実際、第2の家みたいなものでしょう?」
エレオノールはもっと勝に遊びに来てもらいたいと思う。そうすれば、勝に引かれて鳴海も遊びに来てくれるだろうから。
「ぼくね、もしもあたらしいおかあさんができるなら、エレオノールがいい」
幼稚園時代の勝が言ってくれた言葉だ。小学生になった今も、勝がそういう気持ちでいてくれるのかは知れない。可能ならば、その気持ちのまま慕い続けて欲しいと切望する。だから『餌付け』というわけでもないけれど、勝には『居心地のいい場所』と思ってもらいたい。
勝は、自分と鳴海とを繋ぐ、唯一の橋なのだ。
「第2の家…ね」
エレオノールがどういうつもりでその単語を口にしたものか、鳴海は気になった。自分たち三人を『家族』と捉えているのか、ならば、自分たちはどういう関係なのか、自分は彼女の中でどういう位置づけなのか。
「だって、元はナルミのおじいさんの家だもの。実家みたいなものでしょう?」
自惚れは呆気無く挫かれる。口に含んだコーヒーは殊更苦く感じられた。


突然、ガタガタッ、と入口の引き戸が大きな音を立てた。何事か、とエレオノールが物音の方に飛んでいく。鳴海もカウンターに腰かけたまま騒音の元を見遣ると、ひとりの外国人の男が慣れない横開きの扉と格闘していた。男はエレオノールの手を借りて店内に入るといきなり
『エレオノール!』
と叫んで、
その名の持ち主を全身全霊で抱き締めた。
ひゅ、と鳴海の息が止まる。カタ、と指に震えが走ったのが分かったので、取り落とす前にカップをソーサーに戻す。呆気に取られたのは鳴海だけではなく、店内にいる客は誰もその熱烈な抱擁を黙って眺めた。
『え?り、リシャール?』
『エレオノール!会いたかった!』
リシャール、と呼ばれた男が次に取った行動に、鳴海は全身の毛が逆立った。
リシャールが、エレオノールにチークキスをしたのだ。
彼女を腕に抱いたまま、二度ずつ、頬を触れ合わせた。カップから手を放して正解だった、と思った。手にしていたらブン投げていたかもしれない。


あれは。
フランス人なら当たり前の挨拶。
それは分かっている。特に意味などないことも分かっている。
けれど、鳴海にとっては特別な意味を持つ挨拶だった。日々の細やかな楽しみ、潤い、喜びだった。だのにもう、彼女から鳴海は恩恵を受けられない。自分の迂闊さで、エレオノールからチークキスの挨拶をもらえなくなって久しい。
だけれどここは日本で、誰も彼もが彼女のチークキスを受けていないから平気なんだ、と自分を誤魔化していた。
でもたった今、己の脆い心を守っていたロジックが崩れてしまった。


『ど、どうしてここに?日本に…?』
『どうしてもこうしても!こっちが訊きたいよ、どうしてオレに一言もなくいきなりフランスを離れたんだ?って!…まさか日本でカフェの主人になってるなんて、どうしたんだよ?』
『それは…』
『オレ達は恋人同士なのに。あんなに愛し合った仲なのに水臭いじゃないか』
『リシャール、そんなこと…私、説明したわよね?』
「……どうでもいいコトを長々と……」
いつまで抱き合ってんだよ!
鳴海は手の甲で鼻と口を押えた。そうでもしないと、真っ黒い煙が噴き出してしまいそうで、焦げ臭い息が漏れてしまいそうで。胸の奥で、ゴリゴリと心が削られていく音がする。
ふたりは母国語で話しているからどんな内容でも気にならないのかもしれないけれど、ここにフランス語を解せる者がいる。エレオノールは鳴海に背を向けているから、どんな表情でリシャールに対しているのかが分からない。でも、いつもの彼女からしたらかなり冷静さから遠ざかった声色をしているのは確かだ。
恋人同士、愛し合った仲、なんて生々しく聞こえるんだろう。


『おまえがいなくなってからオレの生活はまるで火が消えたようでさ。だからオレもおまえを追いかけて日本で仕事することにしたんだ』
『え?』
『まぁ、期間限定の出向、くらいしか丁度いいのがなかったんだけどね。でもしばらくは日本にいられるよ』
『あ、あの、リシャール。腕を放して。どうか落ち着いて』
ようやくリシャールがエレオノールを開放する。かと思いきや、改めて緩く抱き締めなおす。
くそ、これだからアムールの国の住人は。
一度恋をすると積極的な愛情表現をするお国柄と、『鳴かぬ蛍』を美徳とする日本人の恋愛観とは相容れない。
『ちょっと、リシャール。お客さんの前で』
『ああでも良かった。おまえを見つけることが出来た。これで毎日会える。オレはおまえに会いに来るよ、安心して』
『毎日って…』
『仕事帰りに。とりあえず、会えた記念に、おまえの淹れたコーヒーを御馳走になろうかな』
リシャールはエレオノールの肩を抱き、まっすぐにカウンター席にやって来る。
オレの隣に座る気かよ?冗談じゃねぇや。
こんな野郎と並んで、どんなツラが出来るってんだよ?
がたん、と鳴海は席を立つ。


「ごちそうさま」
半分も口を付けていないコーヒーカップの脇にお代を置く。
「あ…」
エレオノールがリシャールの腕を解き、鳴海の傍へと急いでやって来る。
「あ、あの、ナルミ…」
「釣りはいいよ」
「で、でも。来たばかりなのに」
「だってよ。お邪魔しちゃ悪ィだろ?」
鳴海は困ったような、でも明るい笑顔を見せて、カバンと背広を取り上げる。エレオノールの胃の底を氷のように冷たい何かが掠めた。
「待って」
顔を上げた鳴海とリシャールの目が合った。
自分よりは低いけれど充分上背がある、がっしりした筋肉質の身体付きだけれどシルエットは細い、黒髪に黒い瞳、精悍だけれど甘いマスク。どことなく自分と似た雰囲気もあるけれど全体的に色男だ。後、金持ちの匂いがする。身に着けているものの仕立てがいい。おしゃれという点ではギイといい勝負だけれど、どこかニュアンスが違う…ああ、ボンボン育ち、だな。
瞬時に、そんな品定めをした自分の性根が嫌になる。
『騒がせてすまない、ムシュー』
リシャールが爽やかに謝ってくる。別に言葉が通じると思ってのものでもないだろう。素直に気持ちよく謝ることのできるいいヤツだ、と思った。だから鳴海も笑顔で返した。
『お気になさらず。ごゆっくり』


鳴海の言葉を聞いてエレオノールは血の気が引いた。
鳴海はフランス語が話せることを思い出した。そして、自分とリシャールの会話を理解した上で笑顔で帰って行ける彼の心が、本当に自分に向いていないことを思い知らされた。
分かっているのに。彼には情しかもらえないことを。
分かっていたのに。彼には愛しているひとがいることを。
穏やかな毎日を過ごしているうちに、ともすると忘れがちで、やっぱり鳴海がやさしいから「もしかしたら」と勘違いをしてしまう。今も、勘違いを、してしまっていた。
「分かっていたことじゃないの…」
この切り裂かれるような胸の痛みは、自分の不用意な勘違いが招いた自業自得。
鳴海の顔が傘の内側に消える。振り返らずに引き戸の向こうに歩み去る鳴海を、エレオノールは呆然と見送ることしか出来なかった。



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