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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(29) 宵待草 1/6





「おとうさん…。今日もびっくりするくらいの手抜き朝ごはんだね…」
ぼそ、と勝が言った。
テーブルに並ぶのは二人分の納豆ご飯と豆腐単品のお味噌汁、それだけ。
「エレオノールが、ひっこしちゃったから?」
「……」
一週間前、エレオノールはお隣りから旧ケンジロウ邸へと越して行ってしまった。リフォームが済めば転居することは彼女が喫茶店を引き継ぐことが決まった段階で織り込み済みだし、引っ越しの日取りだって大分前から知っていたし、引っ越し当日だってわざわざ有休を取ってまで手伝ったし、返す返す分かっていたことなんだけど『エレオノールの不在』『エレオノール成分の希薄化』が日々浸透するに従ってやる気がどんどん失せていく。
「だから元気がないんでしょ」
「…そうやって図星差すなよなぁ…」
鳴海は渋い表情で味噌汁を啜る。
「そーゆーおまえこそ。一発で起きなくなったし、支度だってダラダラになったじゃねぇか。エレオノールの目がなくなったからお利口さんやんなくて良くなったもんな」
「……」
勝はふくれっ面でかき混ぜた納豆を白飯の上にのせた。
エレオノールが隣家から去り、彼女との半共同生活が終わって初めて、あの数ヶ月間は本当に薔薇色の日々だった、幸せだったのだと痛感した。それは鳴海だけでなく、勝も同じ思いで、溜息がちの朝が続いている。
エレオノールがいなくなってから瞬く間に、家の中はまた散らかしたら散らかしっぱなし、床の上には足の踏み場もないくらいに物が散乱し、洗濯物は干しっぱなしか畳まれずに山積みのまま、そんな花のない男所帯に戻った。





引っ越しの日の朝、いつも通りの朝を終えた加藤宅の玄関先で
「長いこと大変お世話になりました」
と、まるで嫁ぐ娘が両親にする挨拶の定番を口にして、ぺこり、と頭を下げるエレオノールに、鳴海はかける言葉がなかった。エレオノールは、自分無き後のふたりを心配し
「新居に移っても、朝は手伝いに来ようか?」
と申し出てくれた。でも、それを鳴海はきっぱり断った。傍らの勝からはブーイングの嵐が巻き起こったが、鳴海は「けじめだ」と言った。
「近所って言っても、屋根があってどんな天気でも平気だった時と訳が違う。それにこのまま甘え続けたら、いつかエレオノールが終わらせたくなった時に落とし所が見つからなくなる。エレオノールだって近いうちに開店すんだ。負担かけらんねぇよ」
もっともなことを言いながら、鳴海は自分に言い聞かせていた。
けじめは、自分がつける必要があった。
誰よりもエレオノールを求めている自分が。


「そう?」
生活が大きく変わるからだろう、エレオノールも少し寂しそうに小さく笑った。
「ナルミ…。引っ越しをしても変わらずによろしくね」
「そりゃあもちろん」
「私…ナルミしか頼れる人がいないから」
エレオノールの細い手が胸の前で祈るように組まれた。
「ナルミに見放されたら…日本で独りぼっちになっちゃうもの」
そう言って見上げてくるエレオノールの瞳がまるで崇める者のそれのように感じて、彼女のこの国での縁が自分だけという事実から心の奥底に昏い悦びを満たした自分の得体が知れなかった。





「朝ごはんががぜん、茶色くなったよね…」
元々はこんな感じでふたりで生活していたし、片親で頑張ってくれているし、そうは言っても晩ご飯はちゃんとしたものを用意してくれるし、別に父親に不満があるわけではない。エレオノールが恋しいだけだ。
文明が進化した生活に慣れた人間は昔の不便な生活に戻れないものだが、加藤家は強制的にエレオノールの現れる前の原始生活に戻されてしまった。
「エレオノールがいないと、おとうさんてこんなに力ぬけちゃうんだね」
かくいう勝だって力が抜けてる。今日の納豆は硬いなぁ…なんて思う。
「……しばらくは我慢しろ」
「しばらくってどれくらい?」
「オレがエレオノール不在に慣れるまで」
「それってきっと、ずっとだよね」
「分かってるじゃねぇか」
はぁ、とふたりは同時に溜息を吐いた。もくもく、と機械的に口が動いて味気ない食事を噛み砕く。
「ま…確かにな。食事を楽しいと思わせる色味が足りねぇよなぁ。ニシメ色だけじゃ、な」
「うん、9割方がニシメ色じゃ、ね…」
もっとも、鳴海とって必要な色味は緑でも赤でもなく、銀色なんだけれど。
ふたりはぼそぼそと黙って米を噛んだ。







そんなエレオノールのいない朝に鳴海がやっとこ慣れ、紫陽花が綺麗に色づき出した頃、旧『曲馬団』は『Cirqu』と店名を変えてオープンした。『Cirqu』も『曲馬団』同様、フランス語でサーカスを言うのだから、読み方は今まで通り『サアカス』で構わないとエレオノールは笑っていた。
大きなレトロガラスの引き戸の入り口の前にはたくさんのお祝いの花が並んだ。ケンジロウ時代の馴染み客でエレオノールの女子高生時代を知るじいさんばあさん達がこぞって花をくれた。勿論、鳴海も贈った。リメイクした昔からの看板の脇、一番目立つ場所には加藤家と、フランスから届いたギイと父・正二の祝い花。
店内は壁の白と木材の茶色が基調、作りつけられた棚にはケンジロウの人形たちが整然と並べられている。
庭に面した壁は抜いてもらい、そのまま庭に出られるようにしてもらった。硝子戸を開け放すと、吹きこむ風が気持ちいい。庭先には銀木犀の枝が広がり、適度な日陰を作ってくれる。
ケンジロウが遺した植物達をメインに、エレオノールはガーデニングも楽しんでいる。
今の季節は緑の中に涼し気な、紫陽花の花。


オープン初日は、エレオノールがただでコーヒーを振舞ったこともあり、たくさんの人が訪れた。目付きの鋭いじいさんから美貌の独身女性に店主が代わったという噂がどこをどう駆け巡ったのか、『Cirque』の客はいかにもエレオノール目当ての男性客が殆どになった。それは鳴海が最初から懸念していた事態ではあったのだが、それが現実となってはっきりとした焦燥になった。ただでさえ引っ越して行って彼女の動向が見えづらくなっているというのに、明らかに『常連』になろうと躍起になっている連中が犇めく様に鳴海は心中穏やかではいられない。
鳴海も出来るだけ『Cirque』のオープン時間内に立ち寄りたいと思ってはいるものの、如何せん職場は遠くはないとはいえ電車の距離であり、仕事を終えて帰宅する頃には店はクローズしている。エレオノールの店はカレンダー通りに日曜祝日をお休みにしているし、19時までには閉店してしまうために、鳴海はなかなか客になれない。


会えない日もある、そんな日は漠然とした寂しさを感じてしまう。
とりとめのない、ただの独り善がりの予感が心を占める。
エレオノールを遠く感じてしまう。
どうして遠く思うのか。
会えないと、エレオノールとの間に少しずつ距離が生まれているような気がする。


なかなか客にはなれないけれど、休みの日には勝を連れて遊びに行く。話を聞けば孤軍奮闘しているエレオノールは忙しそうだったし、別に店が開いている時間帯を選ばなくても、鳴海はエレオノールの店に入れたからそれで満足するかと溜飲を下げた。
エレオノールの周りに不特定多数の男どもが群がっている状況に納得したわけじゃないけれど、連中はクローズ後の店には入れない。
そのうちにむしろ閉店後、客のいなくなった頃に顔を出した方がエレオノールとゆっくりおしゃべりが出来るのだと気が付いた。掃除や後片付けを手伝ったりするとエレオノールが「とても助かる」と喜んでくれたので、時間が合う日はそうすることにした。「申し訳ない」とエレオノールは言うけれど「気にするな」と言った。「マサルさんが待ってるでしょう?」と必ず訊かれたけれど「大丈夫、連絡してあるから」と答えた。


実は勝に「絶対にエレオノールのところに寄ってから帰ってくるように」と言われている。『Cirque』の前を通学路にして、中を覗く度に男性客と接しているエレオノールを毎日見ている勝は鳴海よりもずっと、危機感を抱いているのだ。勝には勝の野望があるため、エレオノールに惚れているのが見え見えなくせにどうしてか腰が引け気味の父親の尻を引っ叩く必要があった。そうでもしないと父親がエレオノールと疎遠になってしまう。のんびりしていたらエレオノールを見ず知らずのトンビに油揚げにされる。
父親がエレオノールを捕まえて来てくれるなら、多少晩ご飯の時間が後ろに倒れたって勝はちっとも構わない。


しばらくはバタバタと人がごった返していた店内も半月後には落ち着きを見せた。椅子の数以上の客は空気を読もうぜ、的な暗黙のルールが男性客の間で生まれたことが大きい。
でもランチタイムは盛況で、昔馴染みのじいさんばあさんや、エレオノールに少しでも顔を覚えてもらおうと日参する最寄り駅近辺で働くサラリーマンで席は埋まる。
エレオノールの店のランチメニューはただひとつ、ケンジロウの味を引き継いだカレーライスのセット、それだけだ。
エレオノールが喫茶店を引き継ぐと言った際、「こいつコーヒーを淹れられんの?」と鳴海は疑問に思ったものだが蓋を開けてみれば、ストーカーからの避難所として入り浸っている時にケンジロウから仕込まれていたのだそうだ。宿題も終わらせて読書にも飽きた頃、ケンジロウから「やってみるかい?」とお誘いを受け教わった。真面目なエレオノールの覚えは早く、遂にはカレーの作り方まで伝授されたらしい。オレには「カレーのレシピは門外不出だ」とか言ってたクセに、と鳴海は苦笑う。
鳴海にしてみれば今は亡きケンジロウのカレーを再び楽しめると思ってもなかったし、昔の常連からも「ケンジロウの味だ」とのお墨付きだし、一元の客にも純粋に旨いしで評判は上々なのだった。


その昼、エレオノールがパタパタとカレーセットの載ったプレートを配り歩いていると、がらり、と店の引き戸が開く音がした。その音に即座に目を遣る。
「いらっしゃいませ」
言いなれて来たそのフレーズに喜色が滲んでしまう。
「よう」
入って来たのは鳴海だった。少し照れたような笑顔を見せて店内に歩を進める。
「どうしたの?こんな時間に来るなんて」
「あー…、ちょっとな。外回りで近くまで来たもんだから」
苦手な嘘を吐く。本当はわざわざ電車に乗ってやって来た。エレオールの店でランチをとろうと思って。
店内には、静かなクラッシックが流れている。奥にアナログなレコードプレーヤーが据え置かれていて、エレオノールがその日の気分で選曲したレコードがクルクルと優雅に回っている。これらもケンジロウの持ち物だった。ケンジロウは収集癖があったのだろう、レコードもたくさん集めていて、彼がよく玄関脇の小さな応接室のソファで音楽鑑賞をしていたのを鳴海もエレオノールも覚えている。
「…満席だなぁ…。でも良かったな、盛況で」
「休んでいる間もないけれど。開店したばっかりで暇、よりはずっといいわ」


言っている先から客からオーダーが入る。見た感じ、すぐに空きそうな席はない。自分はこれからまた電車に乗って帰る時間もあるし、今日のところはエレオノールを見られただけで満足してランチはまたの機会にするか、と考えているとエレオノールが
「ちょっと待ってて」
と一旦奥に引っ込んだ。そしてすぐに戻って来ると鳴海にキーホルダーを手渡した。鳴海のマンションの合鍵がくっついている。エレオノールの持ち物だ。彼女は鳴海に寄るとこそっと小声で言う。
「玄関から中に入ってダイニングで待ってて」
「え…いいのかよ」
「だってナルミだもの。すぐにカレーをお持ちしますから。ね?」
エレオノールの淡い笑顔がキラキラして見える。彼女に特別扱いしてもらえることで甘酸っぱい嬉しさが込み上げてくる。
鳴海は「了解」と頷くと店を後にした。自分たちのやり取りを不可解そうに眺めている他の男性客の視線が少し心地良かった。



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