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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(28) あなたに遠い旅をする 2/2





『ワインを嗜む会』は小洒落たフレンチレストランを貸し切って開催されていた。旧伯爵邸だったという建物は小さいながらも瀟洒で落ち着いていて趣味がいい。そこで、世界中の名産地から選りすぐられたワインを、一流シェフが腕を振るうそれに似合った料理と一緒に頂き、紳士淑女と歓談する、という若干ハードルの高い会だった。
鳴海がエレオノールとともに現れると、アッパークラスの皆さんも他の例に漏れず、口を開けたまま、一瞬言葉を失った。どうして皆、いちいち絶句するのかが理解できないエレオノールは、戸惑いつつも丁寧な挨拶とお辞儀をしながら鳴海について歩いた。
給仕がふたりにワイングラスを勧めた。酒の飲めない鳴海はオレンジジュースを頼む。
「んー…」
鳴海は隣にいるエレオノールにだけ聞こえる程度の低い唸り声を上げて、指の背で鼻を塞いだ。
「キツい?」
「ちょっとな。狭い空間にたくさんのワイングラスだからな」
「外に出る?」
「とりあえず、挨拶回りだけは済まさねぇと」
「本当にお酒がダメなのね。こんなに大きなカラダなのに」
「アルコール分解酵素がねぇんだもん。幾ら拳で打たれても平気なのになぁ」
鳴海は苦笑う。
鳴海の言っていた通り、殆どがパートナー連れで参加しており、酒がまるで飲めない鳴海など来たって食べるしか術はなく、自分が一緒に来なければ間を潰すことも出来ず、会の趣旨にはそぐわないのにどうして主催者は彼を誘ったりしたのだろう、とエレオノールは疑問に思っていたけれど
「こちら今日のホストのエリさん」
と紹介された女性を見てすぐに理解した。
ああ、このひとも彼のことが好きなのだな、と。
鳴海が単独でやって来ていたら自分がパートナー役を買って出るつもりだったのだろう。エレオノールと挨拶を交わす瞳には「予定が外れた」と書いてあるのが読めた。


「ええと、それで彼女は」
「エレオノールと言います」
自己紹介をしながら、一部の隙も無いカーテシーを披露する。エリはエレオノールのことをじっと見つめた後、にっこりと
「あなたがエレオノールさん。ナルミさんの家のお隣りの」
と言った。
「そうですが」
「あなたのことはナルミさんから聞いているわ」
「はい?」
「あなたの話題、よく上るもの。銀色の瞳と髪のひとの話」
「は…」
「まァ、いいじゃん、そんな話」
鳴海が見るからに慌てて割り込んで、話の骨を力任せに圧し折った。エリは赤みを帯びた鳴海の表情にクスクスと上品に笑うと
「楽しんでいらしてね」
エレオノールに会釈をして、他の客への挨拶へと向かった。
「私の話って何?」
エリが程よく離れたところでエレオノールは訊ねた。鳴海が外で自分のことをどんな風に語っているのかとても気になる。
「ま…それは、おいおい…」
「そう言って誤魔化す気じゃ……ナルミ?顔が真っ赤よ?もしかして気分悪い?」
「あ、え?ああ、ちょっとそうかも…」
それほど広くない店内に誰も彼もがワイン片手に犇めき合っている場、強い酒気に長いこと晒されると、動物並みに鼻が良く極度の下戸の鳴海はそれだけで参ってしまう。鳴海の顔が赤いのはワインのせいばかりではないけれど、実際、酒の匂いが相当キツい。
「挨拶回りって済んだの?」
「大方。エリさんに挨拶出来たから、もういい…」
鳴海は大きな手の平で口元を覆うと、うぷ、と込み上げるものを堪えている。顔から赤味が引くと一転して蒼褪めているのが分かる。
「ナルミ。庭に出ましょうか」
庭にも椅子が置かれていて、幾人かがワインを手に語らっているけれど、風が吹いて空気が散らされているだけマシだ。エレオノールは自分のグラスを卓に置くと、鳴海の腕を取って外に出た。


「お水、もらって来る?」
椅子に腰かけた鳴海の顔を、エレオノールの心配そうな瞳が覗き込む。
「いいって。酒のこもった場所から出て来ただけで気分がいいから」
とんとん、と隣の席を叩くとエレオノールは大人しく席に着いた。水なんかよりもエレオノールと近く語らえる時間を持つことの方が復調に効果的だ。
庭の端にふたり掛けの籐のソファを移動させ、大きなヤマボウシの樹が作る木陰で風の香を頬に受ける。ヤマボウシの花はまだ咲き始めで、淡いグリーンの花弁が瑞々しい。
「悪かったな。せっかくワインをしこたま飲めるはずだったのに。もしなんだったら、おまえだけでも」
「ううん。いいの。ナルミの傍にいる」
「そ、そっか」
エレオノールに話しかけてくる人はごまんといそうだから一人で会場に戻っても淋しくはないだろうと思ったけれど、ワイン飲み放題よりも自分を選んで一緒にいてくれるというのなら嬉しい話だ。エレオノールにしても鳴海をフリーにした瞬間、この席を獲られてしまうことが分かっている。先ほど紹介されたエリは勿論、シャロンという眼鏡をかけた知的な女性も自分と同類な気がした。
「うええ…何で匂いだけで酔うかなぁ…。まだ鼻の奥でワインの匂いがする…」
ズルズルと鳴海の身体がソファに沈む。ガサツで粗野の極みなのにどうしてか鳴海はモテるのだ。
だって。欠点が欠点に見えなくなるくらいにナルミは、懐が広くて、温かくて、やさしいもの。笑顔はこの木漏れ日みたいに眩しくて、キラキラしてて、身に染むように心地よい。
自覚のない女タラシ。やっぱり性質が悪い、とエレオノールは苦笑する。


「でもいいの?」
「パートナーだって私を紹介して、こうやってふたりで抜け出てるの見られて。誤解されちゃうわよ?」
例えばマサルの幼稚園、鳴海の代理で勝を何度か迎えに行ったり行事に参加したりしたエレオノールを、園関係者は『シングルファザーの加藤さんの新しい嫁(候補)』と認識して、最後の方は普通に「加藤さん」と呼び掛けていた。幼稚園は卒園の節目があるから問題はないけれど(同じ小学校に持ち上がった保護者間では今も公然と噂されていることをふたりは知らない)、会社の付き合いはずっと続くものだから、鳴海に支障が出るのではと思う。
「あなたの事情も…」
「オレの事情をそこまで気にかけてくれんのはおまえくらいだ、エレオノール」
ふう、と鳴海は大きく息を吐いた。
「こないだおまえに言われたように、もしも、オレに岡惚れしてるのがいてそれを諦めさせる必要があるってなら、生きた人間のパートナーが既にいるんだって吹聴して回った方が早ぇだろ?」
「それはそうだけど…」
エレオノールは膝の上でモジ…と指を動かした。
「私でいいの?」
「全然。問題があるとするなら、オレと噂が立つ、おまえの方で……おまえが嫌だってなら止める…し…」
「ううん。嫌じゃない…」
「…あくまで…オレの方の人間関係へのアピールだから。おまえのプライベートには…響かねぇ…」
ことん、と鳴海の頭がエレオノールの肩に寄り掛かった。
「な…ナルミ…」
「おまえっていい匂いするよなぁ…」
「え?」
「オレ…好きなんだよなぁ…」
鳴海の言葉に、エレオノールの顔面を走る血管が爆ぜた。自分がエレオノールに投げつけた言葉の威力に気付かない男は、すー…と深い寝息を立て始めた。
「莫迦…」
エレオノールは両手で顔を覆った。熱を放つ頬がどうしても緩んでしまうから。例えそれが『匂い』でも、自分の持ち物を鳴海に好きだと言ってもらえたから。
「莫迦ね。みんなが見てるわよ?パートナーがいる、どころか、バカップルって噂が立ってしまうわよ?」
薫風にヤマボウシが笑いさざめく。エレオノールは鳴海の無防備な重さを受けて、彼の笑顔のような光を透かす梢へと顔を向けた。







     …ルミ… …ナルミ…?」
やさしく身体を揺り動かされて、鳴海はパカと目を開けた。左縦半分が芝生の、横倒しの世界が目に入る。今度は右後頭部に何やら柔らかくて重たい何かがのっさと載った。
「ナルミ?起きて?」
耳元で囁かれるエレオノールの声に一気に目が覚め、自分の置かれている状況を即座に理解する。エレオノールの膝枕という幸甚を満喫している己の頭は彼女の乳房に圧し潰され、己の右手が撫でているのは彼女のストッキング越しの太腿である状況     
がばっと身を起こす。
「起きた?もう会はお開きですって」
「あ…?オレ、いつの間に寝てた…?」
「ぐっすり。お酒にまいっちゃったのね」
それで衆人環視の中、エレオノールの膝枕で爆睡していたと?
「う、わぁ…」
脳みその中まで茹だる。お陰で「カトウナルミには決まったパートナーがいる」と宣伝できたは良かったが、かてて加えて「カトウナルミはパートナーにベタ惚れである」これはまだ事実だからいいにしても「カトウナルミは人前でも膝枕で甘える男である」、これはないだろう?
「エリさんが『お酒が苦手と聞いていたけれどこんなに弱いとは思わなかった。無理に誘ってごめんなさい』と伝えて欲しいと」
「ああ…そお…」
鳴海が辺りを見回すと、自分をニヤニヤと眺めている視線に複数気が付く。後で何を言われるものか、考えるだに恐ろしい。余りの恥ずかしさに勢いよく立ち上がる。こんな場からはとっとと退散するに限る。ちっくしょー。やっぱ酒は鬼門だぜ……、と鳴海は独り言ちた。


「エレオノール、帰るとすっか……どうした、エレオノール?」
けれど、エレオノールがなかなか立ち上がらない。鳴海は怪訝そうに向かい合った。
「あ、あのね…。脚が…すごく痺れて…力が入らないの」
「オレの頭をのっけてたから?」
それは悪いことをしたと膝下を撫で擦ったら、エレオノールが
「やんっ」
と色っぽい声を上げた。その声にムラっと来た鳴海が今度は人差し指で突こうとすると
「や、止めてったら…お願い…」
と潤んだ上目使いで懇願された。これはこれでそそる。
こんなやり取りもまた生暖かい目で見守られているのを感じる鳴海はやはり居心地悪い。それが分かるエレオノールは
「ごめんなさい。ナルミ、早くこの場を離れたいのに…」
と謝った。でもエレオノールは何にも悪くないわけで。
「エレオノールには全部お見通しか。なら」
鳴海は問答無用に、彼女の身体を抱き上げ立たせた。
「あ…」
痺れている上にヒール履きのエレオノールは案の定バランスが取れずによろめくも、鳴海が彼女の脇から腰へと腕を回し、がっしりと抱き抱えた。エレオノールも咄嗟に鳴海の腰に腕を回す。
「アルコールが抜けねぇオレを、おまえが支えてる態で歩けば大丈夫」
「ナルミ…こんな風に抱き締めてたら」
もっと恥ずかしいでしょうに。と言うエレオノールに
「もう今更だって。膝枕でバカップルだって晒したんだ、恥の上塗りなんざどうってこたぁねぇや」
と開き直って腹を決めた男は清々しいくらいの笑顔で、右へ左へ「失礼します」の会釈を振りまいて、「熱いねぇ」の冷やかしも「どうも」と愛想よく往なした。


通りに出た辺りでエレオノールの脚から痺れが抜けた。それでもふたりは深く寄り添ったまま、駅へと続く道を歩いていく。後数分で、この腕を解くのかと思うと、鳴海もエレオノールも名残惜しくて、つい、歩みが遅くなる。
「ごめんな。ちっともワインを楽しめなかっただろ?」
鳴海が申し訳なさそうに言った。
「デートだって誘ったのに、オレは寝ちまって。やったことと言えば、膝にオレの頭抱えて脚を痺れさせただけって」
エレオノールはふるふると首を横に振った。
石畳を踏む三角形に尖った爪先と歩調を合わせてくれる、大きな革靴。
「ううん。凄く楽しかった」
そう言ったエレオノールは淡く微笑んでいた。最近よく見かけた、綺麗なんだけど判で押したような微笑みじゃなくて、本当に自然にこぼれたことが感じられる微笑みだったから
「そっか。なら良かった…」
と鳴海は心から思った。今日の自分は全く締まらなくて不機嫌になられても仕方がないことをしたのに、エレオノールは楽しかったと、自分と過ごした時間をそう言ってくれた。
はぁ…良かった…。
エレオノールは『オレ自体』が嫌なんじゃなくて、『純愛の「設定」をないがしろにするオレ』が嫌なんだ。良かった…、それがハッキリしただけでも。
鳴海は込み上げてくる感動に鼻の奥がツンとなって、指の背で鼻を擦った。
「まだ、お酒の匂いが残ってる?」
心配そうな瞳を上げてくるエレオノールには笑っていて欲しくて
「いいや平気」
と笑顔を見せた。
「そう?」
エレオノールも淡く笑う。自分が屈託なく笑えば、エレオノールも綻んでくれるようだと、鳴海はようやく分かって来た。


腕を組んで歩くのにもすっかり慣れたのに。
とうとう、駅に着いてしまった。
「ごめんな、家まで送れなくて。オレ、会社に戻らねぇといけないから」
「いいの。駅までで充分よ」
ああ、もう腕を解かないといけない。
お互いに腕を解けば、同じ方向を向いていた身体が向かい合わせになり、『恋人』は『隣人』に戻る。
『恋人』である間に『恋人』じゃないと出来ないことをしておくべきか、と鳴海は思ったけれど、今日の自分にはそんな余裕がどこにもないことも知っている。こうやって身を寄せ合えただけで充分幸せだし、望み過ぎることはいいことではない。
「ナルミ…」
「うん?」
弛んだ鳴海の腕の中で身体を鳴海に正対させたエレオノールが、一度自分の唇に触れさせた指を鳴海のそれにそっと押し当てた。エレオノールは触れたら融けてしまいそうな微笑みで見上げてくる。
「エレオノール…」
鳴海がその行為が間接的なキスだったと理解できないでいる間に、エレオノールはするりと鳴海の腕から擦り抜けた。
「今日はありがとう。とても楽しかった」
「なら、良かった。オレも、楽しかった…」
「それじゃ」
エレオノールが改札を通る。その後ろ姿が人波に紛れて見えなくなるまで、鳴海は見送った。エレオノールの指が触れた自分の唇を愛おし気に撫でて、鳴海も歩き出した。







鳴海はエレオノールに、エレオノールは鳴海に、遠い遠い旅をする。
どんなに歩いても目的地に辿り着くことはないと分かっている。
どんなに探しても欲するものを手に出来ないことを知っている。
けれど、ふたりは旅をする。
背中合わせの旅を。



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