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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(26) 花がみんな散ってしまうといい 2/2





約束通り、エレオノールは鍋を突きにやって来た。
食事の間、エレオノールは勝とはいつも通りにこやかに会話をした。勝が新しい小学校生活での出来事や、先生や友達のことを一生懸命に話すのを楽しそうに聞いていた。鳴海は一見、その輪の中に混じっているようなのに、エレオノールからはとても自然にさりげなく、悉くスルーされた。生七味の感想も特にはもらえなかった。何度も手が伸びていたから美味しかったんだろうとは思う。
貴女のお気に召さない匂いはなくなりましたよ?、とシャワー済みの身体をアピールしつつ、エレオノールの周りをウロウロしても色よい反応はまるで得られなかった。
取りつく島もない、とはああいうエレオノールのことを言うのだろう。全身から黒い何かがどよどよと流れ出て、彼女の周りに結界のようなものが張っていた。それに踏み込んで近寄ることは自殺行為だ、と動物的勘が訴えた。
エレオノールの不機嫌の元が分からない、鳴海の狼狽はパニックを呼び恐慌を来たす一歩手前だった。






新生活の興奮からくる心地よい疲れと、身体を温める満腹感から、勝がテレビを観ながら早い寝落ちをしたのを頃合いと、ダイニングに腰かけてウーロン茶を啜りながら、鳴海はエレオノールに
「なァ?……おまえ、何に怒ってる?」
と呼び掛けた。勝に毛布を掛けたエレオノールは、その声を背中で聞いている。
「もう一度言うけどファティマのキスは不意打ちだ。で、それが発端、てのは分かる。分からねぇのは、それでどうして、おまえが腹ァ立ててんのか、ってコトで…」
「……」
「ヤキモチ」
の単語にエレオノールの瞳が見開かれた。鳴海に背中を向けていて良かったと心底思った。
「…ってコトはねぇんだから…」
もしもエレオノールの不機嫌が嫉妬に端を発するものならば。自分の『設定』を棚に上げて正直嬉しい。でも
「そうよ、ヤキモチなんかじゃない」
わけだから、糠喜びな上、やっぱり原因が自分では見つけられない。
「だ、だよなァ…」
自惚れた自分を自嘲しながら、頭を掻いた。エレオノールが薄い微笑みのポーカーフェイスで鳴海の向かいの席に腰を下ろした。勿論、鳴海にはそれが作り笑いだと分かる。自分はまた、エレオノールに何かを我慢させている。


「ファティマってひと、あなたの昔の彼女なんでしょう?」
言われて鳴海は目を丸くした。
「…すげぇな、エレオノール。姐さんの時もだけど、何で分かるんだ…」
何で、問われたら鳴海のことを愛しきっているからだ。だから、自分と同じように鳴海を愛している同類のことが判別できるだけのこと。
「ナルミは分かりやすいから」
と言えば、鳴海は自分に落胆したような嘆息をした。
「大学生ん時の。エレオノールが引っ越してくる前にはもう別れてたけど。バイト先が一緒でさ…」
学生時代の彼女。
独り暮らしをしていた鳴海の、このマンションにも足繁く遊びに来ただろうことは想像に難くない。大学生だったふたりがここで何をして過ごしていたのかも。たった一度だけのミンシアとは比べ物にならない程に絡み合ったことだろう。そう思うと、エレオノールはこのリビングにすら自分の居場所がないように感じる。あんなにも長い時間を鳴海と共有したこのリビングにも。
ああ嫌だ。嫉妬なんかしたくないのに。胸の中に黒い炎が燃え盛る。
私の嫉妬心が向くのは、ナルミの愛情を持ち逃げしたマサルさんの母親な筈なのに、どうしてもこうも生きた女性が私を苦しめるのだろう?


「彼女、あなたのことが好きなのね。まだ、今でも」
「は?だってもう別れて何年経つよ?」
「嫌いで別れたんじゃないのでしょう?ナルミだって」
「それは…その通り、なんだけど」
ファティマの教養課程が終わった翌年、彼女は別キャンパスに移動となりバイト先を止めることになった。それなりに多忙な生活を送る学生同士、潔く疎遠になることを選択した。鳴海は別れることを残念だと思いつつも納得して過去の恋にしていたから、社会人になって再会したファティマに特別な感情を抱くことはなかった。向こうもそうだと思っていた。
「好きって気持ちは、何年離れているかなんて関係ないわよ」
フランスで過ごした自分の5年間がまさにそれだった。
「あなたなんて最たるものじゃないの」
エレオノールはじっと鳴海と目を合わせた。
「死んでしまった彼女のことを忘れらないでいる、あなたは」
「あ、ああ…そう、だったな…」
エレオノールの強い視線を受け止めきれず、鳴海は苦し気に目を逸らした。
「大事なことでしょう?しっかりして、ナルミ!」
滅多にないエレオノールの強い語気に気圧され、鳴海はたじたじとなった。
「あなたは酷いひとだわ?あなたは自分の持つ魅力をまるで分かってない。周りに、あなたに莫迦になっている女がいるのにそれに気付かない、気付かないのにやさしくする、やさしくされるから誰も、希望があるんじゃないかって勘違いするのよ?ミンシアさんも、ファティマさんも…」
私も。
細い両指がスカートにたくさんの皺を寄せた。
「きっと、マサルさんの母親の彼女も」
だから、別れても、独りで愛する男の子どもを産んで育てた。
自分だってもしも鳴海の子どもを身籠ったら、同じことをする。


「エレオノール…」
さっきまで判子の笑顔だったエレオノールが感情的になっている。いつも冷静なエレオノールを思えば竹の花が咲いたのと同様の珍しさだ。だからそれだけ、彼女の訴えが真剣なものと知る。
「私は。あなたには、あなたの心に棲んでいるひとを大事にして欲しいの!生きている人間が例えどんなにあなたからのキスが欲しくても、あなたが愛情を注ぐただひとりには絶対に勝てないって、あなたから自ら離れていくくらいに…!」
「……」
「あなたには、中途半端をして欲しくないの。私は許せないの。あなたの、事情を知っていながら、あなたから愛情を引き出そうとしているひと達が」
鳴海の心を尊重して、自分はこんなにも我慢をしている。鳴海を愛する心を押し殺して、鳴海からはただの情しかもらえないのだとしても一番近くで笑顔が見られるのならそれでいいと自分を慰めている。なのに何故、鳴海の心を尊重しない彼女たちが、鳴海にキスをしたり、彼に腕を絡めたり、髪に触れたり、その恩恵を受けているのか?どうせ情しかもらえないならば、好き勝手やってもやらなくても同じ、それでも鳴海が嫌がらないのであればやった者勝ちではないか?
だとしたらエレオノールの、鳴海を尊重する意思は無駄なのか。何のために心を腐してまで我慢しているのかまるで分からない。
「前に…マサルさんが、ミンシアさんのこと、苦手だって言ってたわ…、自分から父親を取り上げそうで怖いって。だから、あなたには…マサルさんを一番に考えて…」
「おまえ…そこまで考えてくれてたのか」
違う。私は、私のことしか考えていない。
あなたの心に手が届かないのならば、他の誰にも手を伸ばして欲しくないだけ。
あなたの心に手が届かないのだとしても、自分だけが近くにいたいだけ。


彼の周りに咲く花はみんなみんな散ってしまえばいい。
雨に打たれて無残に花びらを散らしてしまえばいい。
彼の目に留まる花が、私だけに、なればいい。
そうしたら、こんなに醜い花でも花は花。
仕方なくでも、ほんの少しでも、彼は愛でてくれるでしょう。


「ナルミ…?」
「なんだ」
「変なこと訊くけれど、許してね」
「お、おう…」
「あなたはマサルさんの母親に操を立てて独りでいる」
「うん」
「でも、あなたはまだ若いわよね。……女の人に触れたいって、思うことあるでしょう?」
「……」
「だから、キスを拒まないの?」
「……」
「誰かを、抱いたりしてるの?」


鳴海は苦しそうに目を顰めると、視線を落ち着きなくテーブルをノックする自分の手に落とした。鳴海から答えはもらえないようだ。不躾でプライベートを侵す質問だったと自覚もしている。それに、訊ねたものの答えを聞きたいわけでもなかった。
「変なこと訊いてごめんなさい、忘れて…。あなたのプライベートに踏み込み過ぎた。感情的になったわ…。不機嫌になってあなたを困らせたのもおかしな話…私の出しゃばる幕ではなかった」
「いや、そんなことは。実際、おまえは何にも悪くねぇんだし。謝ることなんてどこにも」
「私は……あの日『曲馬団』であなたが私に言ったこと、その気持ちを貫いて欲しいだけだったの。前にも…言ったけれど」
「そうだったな…オレが悪かった。迂闊だった」
「私、帰るわ。ごちそうさま」
エレオノールに続いて鳴海も席を立ち、玄関まで見送りに出る。薄暗い廊下で前を行く、エレオノールの背中がとても心細そうで、鳴海は抱き締めて温めてやりたい衝動をぐっと呑み込んだ。
「それじゃ」
とエレオノールは鳴海の肘に軽く触れ、腰を屈めた鳴海と頬が触れる寸前で身を引いた。
「エレオノール?」
「チークキス、止めるわ…もう」
肘からやさしい重みが消えて、鳴海はハッとした目を向ける。
「私のは挨拶…だったけれど」


本当は違う。
挨拶に託けて鳴海に触れる口実が欲しかっただけ。そうでもしなければエレオノールには鳴海に触れることなんて出来ない。時折、鳴海から贈られる、頭を撫でるスキンシップを待つしか彼女には出来なかったから、半分フランス人であることを利用してチークキスをした。初めてキスをした時、鳴海に嫌がられはいないかと物凄く不安だった。けれど鳴海は受け入れてくれたから、それがとても嬉しかったのだけれど、鳴海は誰からの好意も受け入れられる人だった。キスは彼にとって特別なものではなかった。
鳴海にはもう女性に対する愛情が存在していないから、誰に何をされても心の琴線に触れることがない。
「でも、日本の習慣ではないのだものね…。私、あなたから愛情を欲しがっているように思われたくないの」
あのひと達みたいには。鳴海にミンシア達と同類に思われたくない。
「エレオノール、オレは、そんな風には」
「おやすみなさい。また明日の朝に」
「ああ…おやすみ…」
「きっと、あなたを好きなひとは、ミンシアさんやファティマさんの他にもいるわよ?」
エレオノールは予言めいた言葉を残して、扉の向こうに消えた。少しして、隣の扉が開いて閉まった。錠の下りる音を確認して、鳴海は家の中に戻る。


「他にもいる…?そんなにオレはモテやしねぇよ」
鳴海はバリバリと後ろ髪を掻いた。
そしてその、他にも、の中にゃ、おまえはいねぇんだろ?エレオノール。
鳴海は苦苦と笑った。本命以外のキスを幾らもらっても嬉しくないのだと、どうしたら分かってもらえるのだろうか。
力無くダイニングチェアに腰を下ろす。そしてカウンターに長い腕を伸ばしノートパソコンを取り上げるとSNSの自分の頁を開いた。カチ、カチ、とクリックを繰り返す。
鳴海の吐いた一世一代の大嘘をエレオノールは完全に信じている。信じて、鳴海がその純愛を全うすることを望んでいる。他の女に付け入る隙を見せる自分を軽蔑しかねない勢いで。
「はあ…」
がっくりと肩が落ちる。
「おまえは…オレが他の女を心底愛してるって設定を本気で信じてんだなぁ…。こんな、嘘を吐くのが苦手な男の嘘をよ?素直すぎるぜ…」
カチ、カチ。静かな部屋にクリック音が響く。
「でもよ、それってさぁ……オレが他の女を愛してても、おまえは気にならねぇって、コト、なんだよなぁ…」
はあ。大きく息を吐いて棘を含む空気を全部吐き出す。


「でも、それでもいいって決めたのは、オレだ」
エレオノールに愛されることがなくてもいい。だからせめて決して嫌われたくない。軽蔑も、されたくない。
「オレは、おまえが、あの家に、喫茶店に、ずっと、根を生やして、くれるなら、いいんだ」
文節ごとに鳴るクリック音。エレオノールが自分の生活から去らなければ、それ以外の付き合いで何を失おうと構わない。
「これでよし、と」
鳴海のSNS上から仕事関係以外の女性の名前が全てデリートされた。続いて連絡先もブロックしていく。ミンシアもファティマも。だからってエレオノールに「身綺麗にしましたよ」とアピールするつもりはさらさらない。自分の自覚のない中途半端がエレオノールを不機嫌にさせ、日々の細やかな喜びだった彼女のチークキスを永遠に失ってしまった。
いつか、彼女自身がいなくなるのだけは困るから。これ以上は幻滅されたくない。
だから、鈍さに定評のある自分でも思いつくことはくらいはせめてやっておく。
鳴海は天井を振り仰いだ。エレオノールがあの作り笑いをしなくなるには、後は何をすればいいのだろう?彼女のことを晴れ晴れと笑わせてあげたいのに、どうも上手くいかない。
「オレ…笑わせるのって苦手だからなぁ…」
エレオノールが笑ってくれる時は大抵、鳴海が相手を笑わせようと意図していない時。もしかしたら『笑われている』のかもしれないけれど、それでもエレオノールが幸せそうに笑ってくれるなら下手くそな道化で構わない。鳴海は息が詰まるくらいに胸の中に込み上げる想いを、大きく深呼吸して腹の底に落とし込む。そして
「さ、マサルを布団に持ってくかぁ…」
ノートをぱたんと閉じると、涎を垂らして幸せそうに眠りこける勝の元に向かった。



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花がみんな散ってしまうといい。
林芙美子 / 新版 放浪記より
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