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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(25) 花がみんな散ってしまうといい 1/2





街を彩る桜には黄緑色が目立つようになった。麗らかに風が吹くと名残の花びらがヒラヒラと舞う。
エレオノールはひとり、電車に揺られていた。
真っ白なコートに身を包み、きちっと足を揃え、文庫を手にしているエレオノールはさながら鶴が読書をしているかのよう。
周辺の男性乗客がチラリチラリと視線を送ってくるが、彼女は全く頓着ない。
カタタン、カタタン、と電車が揺れる度に銀糸も揺れる。


来月の半ばには旧ケンジロウ邸のリフォームが終わる。
日中の空き時間には時折、新しい家に入れるカーテンやリネン、生活雑貨などを探しに出かけるようになった。家具に関しては基本的に、ケンジロウが使っていたものを再利用するつもりでいる。ケンジロウの使っていた調度品はどれも、古民具・時代家具といったカテゴリに入るもので、相当古びてはいるが落ち着いていてエレオノールは好きだった。家具だけでなく、建具や柱・木材等、使い回せるものは使って欲しいとお願いしてある。
ケンジロウの遺したもの、ケンジロウの喫茶店を出来るだけ感じられるように、それがエレオノールの願いだった。
エレオノールのその意向を知った時、鳴海は物凄く嬉しそうな顔をした。言葉にはしなかったけれど、おじいちゃん子だった鳴海にはとても有難い申し入れだったに違いない。
エレオノールはふと、ちょいちょいと指先で彼女の頬に触れ、照れたように感謝を示してくれた鳴海を思い出して、緩んでしまう口元を読んでいた本で隠した。
この4月に晴れて小学生になった勝は学童に入り、園への送り迎えも弁当作りもなくなった鳴海は、時間のゆとりが多少生まれたとほんの少し寂しそうに笑っていた。
屋敷の引き渡しが済んだら、エレオノールは鳴海の隣人ではなくなる。今度は「ご近所さん」に名前が変わる。エレオノールはそれが、物凄く寂しい。
とはいえ流れる時間は止まってくれない。


鳴海を思うと、エレオノールの胸の中は暖かくなる。
それはもうずっと昔からなのだけれど、最近ではその暖かさにきゅうと締めつけられるような苦しい疼きも混じる。
エレオノールは流れる車窓に目を遣った。
青い空に金色の太陽。
まるで鳴海の笑顔のようだ。
終わりかけの桜が流れていく。
「桃栗三年、柿八年、柚子は九年でなりかかり、梅はすいすい十三年、梨の大馬鹿十八年……人間は……もっと時間がかかるわよね……」
何事も、すぐには熟成しない。長年待っても実らない樹もあるだろう。私の想いは…どうなのだろうか。
また、胸の中が疼く。
エレオノールは詰まる息を小さく吐き出した。


最寄りの駅で降り、改札を抜け駅舎を出る。商業施設が取り囲む駅前はロータリーになっていて、バスやタクシーの他にも送り迎えの一般車も混じっている。今もちょうど車が一台停まるのが見えた。女性が好みそうな可愛らしい色の、コロンとした形の小型車だった。よくある日常風景なのに何故かエレオノールの心が落ち着きを無くす。胸騒ぎに従い様子を眺めていると、助手席から見知った大男が下りて来た。
「ナルミ…」
鳴海は窮屈な狭い空間に折り畳んで収めていた身体を伸ばして拡げている。
こんなまだ陽も高い時間に、それも家から少し離れた場所で彼を見かけることが出来るなんて思っていなかったエレオノールはこの幸運を喜んで、声を掛けようと速足になった。でもそれはあえなくスピードダウンする。運転席のドアも開き、そこからは女性が現れたからだ。
エレオノールの眉がキュッと寄った。


鳴海とは同年代には見えない、若く見える、けれど鳴海はどちらかと言えば老けがちだから同い年くらいなのかもしれない。むしろ、自分と年格好の差が大してないように思う。服装は鳴海同様ビジネスライク。
「社会人…?OL、ってところかしら…?」
鳴海は後部座席から大荷物を引っ張り下ろした後、ボンネットを回り、女性に近づいた。鳴海はエレオノールに背を向ける形で、彼の表情は測れない。ふたりが何やらを談笑しているのは分かる。女性は愛想のいい可愛らしいタイプのひとだった。遠目にも分かる健康的な褐色の肌、中東系の顔立ち
「ファティマ」
以前、ギイのSNSから鳴海のページを覗いていた時に見かけた彼のフレンド名が頭の中に閃いた。
胸の中が、チリ、と焦げた。エレオノールはその熱を手で押さえる。
にこやかな会話は続いている。その砕けた親密さ、鳴海の傍に寄る女性の距離の取り方に、男女の一線を乗り越えた仲だから生じる匂いを嗅ぎとれるのは気のせいではないと思う。
エレオノールの妬けた胸を割って、醜い修羅が頭を擡げた。


エレオノールの暗い瞳が見つめる先で、女性が鳴海の髪に手を伸ばし、触れた。
それを見て、エレオノールの胸のチリチリは、大きな苛々に変化した。
そうして女性は爪先立ちをすると昼の往来にもかまわず、鳴海にキスをした。それはエレオノールが挨拶として頬で交わすものではなく、軽くでも唇同士を触れ合わせるものだった。鳴海はびっくりして身を引いていたけれど、それはそうだろう、自宅のあるマンションの最寄駅前だ。誰に見られているとも限らない。実際、こうしてエレオノールに目撃されてるわけだから。
女性は笑いながら謝るジェスチャーをすると、車に乗り込み走り去った。鳴海は車に軽く手を振ると、大荷物を担いでガードレールを跨いだ。エレオノールは駅舎の作る死角に入り、鳴海をやり過ごすことにした。
あんなに鳴海の傍に寄りたかった気持ちが悲しいくらいに萎んでいる。
「キス…とても親しそうだった…」
大きな荷物を持ち帰る必要のあった鳴海をあの女性が車で最寄り駅まで送って来た、ことは分かる。エレオノールが知りたいのはそういうことではなくて
「あのひとはあなたの何なの?」
エレオノールの唇が微かに震えた。


「エレオノール?」
物思いに沈み込んでいたエレオノールは鳴海の作る影に取り込まれていることにも気づかなかった。いきなり名前を間近で呼ばれて、自分でも驚くくらいにびくっと全身を震わせてしまった。
「な、ナルミ…」
「こんなトコで会うなんてなぁ。いや何、銀色がチラっと見えたから」
鳴海はニコニコとしている。
隠れたつもりだったのに。こんな時、目立つ自分の色を疎ましく思う。
「誰かと……待ち合わせ、か?」
「ううん。買い物から帰るところ。買い忘れが無いか、考えていただけ」
「そ、そっか、待ち合わせじゃねぇのか」
鳴海はホッとした顔で笑うと、ひとりで納得してひとりで満足して頷いている。
「オレも一度家に戻ろうと思って。一緒に帰るか」
「どうしたの?こんな時間に」
「明日プレゼンなんだけど家から直行なもんで、必要なブツを一旦持ち帰ろうかと。帰宅ラッシュ時にこれもって電車はキツいからさ」
足元に置いた大荷物をぽんぽんと指先で叩いて見せる。エレオノールは先ほどのキスシーンを思い返しモヤモヤがぶり返して来た。醜い嫉妬の鬼が、エレオノールの心を抱き締めた。


「それで車で送って来てもらったのね?」
「あ?」
「可愛い女の子だった」
「……」
エレオノールに見られていた、なんて露とも思っていなかったようで、鳴海はパクパクと口を動かして音にならない声を吐き出している。
「でも駅前のたくさんの人のいるところで堂々とキスするのは……日本ってキスの習慣ないでしょう?」
「ち、ちょっと、エレオノール」
「あれって、バカップル、のすることよね?」
「お、オレの話を」
鳴海が近づくと、エレオノールは同じだけ身を引いた。呆れたような冷たい目。
その露骨な嫌がり方に鳴海は固まる。降って湧いた狼狽は、鳴海の思考にパニック味を添えてくれた。と、少し何やらを思いついた顔をしているエレオノールが、逆にそろそろと鳴海ににじり寄った。顔を近づけて鳴海の胸元や首元をふんふんと嗅いだ。見慣れぬ物に警戒心を顕わにした猫のように。
「え、エレオノール…」
近寄るエレオノールに態度軟化を期待した、鳴海の希望も束の間。エレオノールは嗅ぎ終わるとさっきと同じくらい距離を取って
「この匂い、好きじゃない…」
ポツリと呟いた。
「私の知ってる鳴海の匂いじゃないわ。知らないひとの匂い……」
「え?」
つられて鳴海は自分の着ている背広の襟元を引っ張って嗅いでみる。そこには残っていたのは先の女性   ファティマ   の付けていた香水の匂い。さっきのキスの時だ。
キスシーンをエレオノールに見られてた。
耳の中でザザーッと音がする。生まれて初めて聞く音だが、これが名立たる『血の気の引く音』であることは直感で分かった。


エレオノールはすたすたと歩き出す。鳴海は大荷物を抱え上げる動作のせいで一足出遅れる。わたわたと追いかけて
「お…お…おいっ!アレは、したんじゃなくてされたわけで!」
必死に弁解を開始する。
「ナルミっていつもキスされるのね。不意を打たれて」
「う…」
エレオノールが言ってるのは先月のミンシアの一件だ。
「いや…それはオレが…間が抜けてるわけで…」
「間抜けなのは、私よ」
鳴海にはそうエレオノールが呟いたような気がしたけれど、エレオノールのどこにも間抜けさは見受けられないから聞き間違いだと判断する。
「あ、あのな、エレオノール」
「私に言い訳する必要なんてどこにもないじゃない」
それは、そうかもしれないけど。どう見てもエレオノールは自分に対して不機嫌になっているわけで。それはさっきのキスが発端なのは明らかで、ただ何がどう作用して不機嫌になっているもんだかそのメカニズムが皆目見当がつかない。見当がつかないけれど、エレオノールには不機嫌を解消してもらいたいのだ。
駅前で彼女を見かけて物凄く嬉しかった分、今の苦境が辛すぎる。
「あ、そうだ。夜、メシ食いに来ねぇか?一週間前に拵えた生七味がいい感じに仕上がったんで鍋でもやろうと思ってさ。マサルも久し振りにおまえと食いたいって言ってたし…」
エサで釣ろうっての?と思ったけれど、鳴海が生七味を作ったのは自分が季節外れの柚子をお裾分けしたからで、以前に鳴海がご馳走してくれた手作り生七味が美味しかったのが忘れられなくて、また作ってと催促して、その出来上がりを心待ちにしていたのは事実。無視、したいところだけれど、エサに釣られるしかない。それにマサルの名前を出されるとエレオノールも断れない。鳴海にとっては勝様様だ。
「分かった…晩ごはん時に伺うわ」
「そか。良かった。待ってるからよ」
「……」
多少の軟化を見て鳴海はホッとする。けれど帰路の道中、エレオノールは言葉少なで、ふたりの会話が弾むことはなかった。



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