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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(20) 盈盈一水 8/8





それを聞いた鳴海は
「そっか…記憶ねぇか…」
と、明らかな安堵の表情を見せた。
鳴海にとって、エレオノールの記憶がないということは、自分が正体の無い彼女に働いてしまった狼藉を彼女は知らないということで、そのことにホッとしただけだった。抱き締めて、キスをして、犯そうとした、それらをエレオノールがほんの欠片でも覚えていたらと考えると恐ろしくて、鳴海は眠ることなんて出来なかった。吐き気を訴える重たい胃に、無我夢中で啜ったエレオノールの唾液に含まれていたアルコールが拍車をかける。夜が明けるのが怖かった。急ぎでもない仕事を広げて、エレオノールがどんな様子でやってくるのかを一番早く見られる場所でずっと待っていた。
己への失望とエレオノールへの罪悪感に苛まれていた鳴海は、普段通りを演じるのに精一杯で何の含みもなかったのだが、それを知る由もないエレオノールは何とも言えないショックを受けた。
鳴海は。
自分がした『何か』が『なかったこと』になった方がありがたいのだ。
そうだろうとは分かっていたけれど、こうもあからさまにホッとされると、悲しかった。
自分が覚えていなければ、これまで通りの日常を続けることが出来る。
本当に、ナルミは私の心がいらないのだ。
隣人以上の関係を望んでいないのだ。
ピリピリと裂けて行く心を抱えて、エレオノールは力無く頷いた。


「酒飲み過ぎるとホントに記憶が飛ぶんだな。危ねェから、今後は気を付けろよ?」
鳴海は笑顔を見せた。その笑顔はどことなく、憂いが消えたようで。
「ざっとシャワー浴びてサッパリして来るわ」
と全くの進捗のなかった仕事道具をまとめる。
「おまえも。ホント、具合が悪ィなら無理しねぇでさ。いつもやってもらってんだ、今日ぐらいはオレが」
「ううん。大丈夫」
と淡く微笑んでみせると、鳴海は「そっか」と明るく笑って、ぽんぽん、と頭を撫でて元気づけてくれた。温かな手、大きな手、この温もりに触れなかったら、こんなにも苦しくなんかならなかっただろうにと、手の陰で唇を噛んだ。
「じゃ私、朝ごはんの支度するから」
「あ、エレオノール」
手を振り切るようにして立ちあがろうとするエレオノールを、鳴海は呼び止めた。
「なあに?」
「あのよ…昨日、オレは…いや…」
何かを言いかけて、止めて、肩で大きく息をついて改めて語り出す。
「おまえに色々と謝らねぇとな、オレ。その…姐さんのこととか。姐さん、おまえに酷ぇ話、した、みたいで」


ドキンと心臓が大きく跳ねた。エレオノールは両手で熱を放出する顔を覆う。
「そ、…やだ私、あなたにそんな話、したの…」
「うん……かなり、怒ってるように感じた…からよ…」
なんという失態。昨日一日、笑顔のポーカーフェイスを続けた苦労が台無しだ。
「や、その。…おまえが覚えてねぇんならいっそ触れねぇ方がいいのかとも思ったんだが。黙ってんの、オレの性分に合わなくて。隠し事してるみてぇでヤダし」
エレオノールの視線が鳴海の首筋を泳いだ。それに気付いた鳴海が、エレオノールの爪に抉られた辺りを摩る。
「酒飲んで訊いて来る、ってコトは腹に据えかねてたってコトだろ?おまえがやさしいから、オレもおまえの厚意に胡坐掻いてた。すまん。だから言いたいことがあるなら言ってくれ。どんなコトでも聞くし、何でも答えるよ」
鳴海の瞳は憎らしいくらいにいつもと同じく星が瞬いている。
私が、ミンシアさんのその話をどんな気持ちで聞かされたのか、知らないで、私の気持ちはいらないくせしてそんな真っすぐな瞳で見ないで!
澄んだ明るいその星を、エレオノールは乱したいと思った。
自分の心の中と同じ、嵐が逆巻く濁った色に。


「じゃあ…訊くわ?ミンシアさんがあなたの初めての相手って」
「本当」
「その時、あなたが何度もミンシアさんを求めたって」
「正直、覚えてねぇ」
早速の曖昧な返事に、エレオノールの瞳がすっと細くなった。
「昨日のおまえと同じよ。酒で潰されてて覚えてねぇの。道場で新年会があって、生まれて初めて酒を飲んだ日でさ、自分が下戸だって知らなかったから勧められるまま飲んで飲んでグロッキー。逆レイプされた一発目は覚えてるよ?実際、気持ち良かったことも否定しねぇ。でも、その後は…覚えてねぇんだ。一度で済んだもんだか、枯れるまでヤっちまったもんだか」
ミンシアの口振りだと複数回行為に及んだらしいけれど、覚えてないんだから死人に口無しと同義だ。あのミンシアと生でいたしてナカに出す、それを一度でもヤってしまったのであれば、結果は同じだ。関係を持ったという事実は消せない。あの時の「もしもミンシアが妊娠していたらどうしよう」と蒼褪めて生きた数ヶ月を思い出すにつけ、身も心も凍るのだ。
「ミンシアさん、こっちに来る度に宿代をカラダで払ってあなたのところに泊まったって」
「姐さんはウチに来る度にそう言ったけど、オレはそんな対価を受け取ったことはねぇし、天地神明に誓って姐さんとは逆レイプの一回こっきりだ。以来、オレは酒が怖くて姐さんの前では持参した飲みモン以外絶対に飲まねぇしな」
「……」
「後、コレ」
鳴海が自分の首筋を指差す。
「昨日、帰り道でイタズラされた。何の脈絡も無しに、だ。そういう嫌がらせをしてくるヒトなんだよ。昨日は、姐さんの買い物が長引いて帰るのが遅くなったんであって、絶対にホテルやなんぞには行ってねぇから」
オレはとっとと帰っておまえと一緒に餃子を作って食いたかったんだ、と言い切った。


「他には?他にはねぇのか?」
鳴海の瞳はやっぱり真っすぐで、その中で星はきらきらと瞬いていて、どうしたって自分の心の中のような毒々しい色には染められない。悔しい、けれどそれ以上に鳴海のことが好きで仕方がない。
「どうしてナルミは…そんなに一生懸命、弁解しているの?」
「おまえの深酒の原因は姐さんに、そんな面白くもねぇ話聞かされて、よっぽど嫌だったから、だろ?でなきゃ…おまえが…」
こんなに生真面目なエレオノールが羽目を外すなんてことはない。妬いてくれた、わけじゃない。キスだってボディタッチだって、半分フランスの血が流れている彼女と生粋の日本男児である自分とは感覚の違いがあるのだから、自惚れなんてヒトカケラも持ってはいけないのだ。
「…ホント、すまないことをおまえに」
「どうしてナルミがミンシアさんのことで謝るの?」
「え?」
「ナルミは何にも悪くないじゃない?むしろ迷惑を掛けられた側でしょう?どうしてミンシアさんの代わりに謝るの?謝るのなら、私に謝るべきはミンシアさんじゃない?ナルミじゃないわ?」
「それは…そう、だけど…」
エレオノールは嫌だった。鳴海がミンシアを庇っているように思えて。鳴海のことだから純粋に自分に対し悪いと思って彼としての謝罪をくれているのだと分かっているけれど、燃え出してしまった嫉妬心は、鳴海がどんな言葉をくれたとしても悪戯に延焼面積を増やすだけ。
「ナルミはミンシアさんのこと、好きなの?」
本当は絶対に言いたくないことも、もろもろと、唇からこぼれてしまう。


「まっさか」
思いもよらない指摘を受けて、鳴海は全力の否定を眼差しに込めるけれど、俯いたエレオノールには届かない。
「でも……彼女はあなたのこと、好きよ?」
「……は?」
「気づいて、なかったの?」
「……」
「たぶん、あなたを逆レイプしたのも、立場上、素直になれなかったからだわ」
「……えー……」
そんなコト言われても…困るんだけど、と鳴海は思う。
「こっちに来る度にあなたの家に来たのも、あなたに会う口実。そのキスも嫌がらせなんかじゃない」
「そ…んな…」
それも困る、と鳴海は思う。
「何……で、エレオノール、そんなコト分かんの…?」
何で、と問われたらそれは、同じく鳴海に恋する者同士だからだ。でもそれは言えない。
「だって彼女、あなたとの馴れ初め話、一生懸命に話していたもの。好きなひとの話をするときって、キラキラするじゃない…?」
「そう…なんだ…」
鳴海はエレオノールに全幅の信頼を置いているから、彼女の指摘は正解なのだろうと疑う頭がない。ミンシアが自分を好きだった、なんて考えたこともなかったけれど、そう言われてみればそうだったのかもしれないと、常々理解不能だと思っていたミンシアの言動が腑に落ちる。
「あー…、じゃあ、マサルに言っていたのも……」
本気で母親になろうとしてたってコト…?てコトはオレと一緒になりてぇって遠回しに言ってたってコト…?
「ミンシアさんの気持ちを知って、ナルミもミンシアさんのコトが気になった?ミンシアさん、明るくてキレイなひとだものね」
「何…」
でオレにミンシアを勧めるような言葉を吐く?
と訊ねたかった鳴海に、彼が口にした「マサルに言っていた」内容を知っているエレオノールは逆巻く不安を押し込めて笑顔を作って見せた。嫉妬の顔を笑顔で塗り潰す。その笑顔を目にした鳴海が、頭をガリガリと掻いた。


まただ。エレオノールの微笑みが判で押したもののように見える。
きっとまた、何かを腹の中で押し殺しているに違いない。
それはおそらく、オレに関係する何か。
本当は、昨夜のオレの狼藉を覚えているんじゃねぇだろうか、そんな懸念が頭を離れてくれない。
オレの懸想を知ったから、だから、ミンシアへ気を向かせようと…しているのだとしたら…


鳴海が黙り込んでしまった。エレオノールは自分で言い出したにも関わらず、鳴海がミンシアをどう想っているか、の答えが知りたくなくて
「でも、もうこの話はこれでおしまい」
と切り上げた。
「私にしたら聞いてて気分のいいものではなかったの。ナルミの…、そんな話なんて」
聞きたくなんてなかった。あなたが他の女を抱いた話なんて。
お陰で、私の胸の中に修羅が生まれてしまった。報われない恋心を糧に日々育っていくだけの、醜い修羅が。
「……」
「ナルミも気にしないでね。私も気にしないから」
エレオノールに気にしないと言われる度に鳴海の胸が引き裂かれる。他の女と何があっても気にしないと、おまえに興味などないと、暗に言われてしまっている。
「そっか。おまえがそう言うならもう終わりな。…ちゃんと本当のことを、シラフのおまえに、伝えておきたかった。昨日も同じ話したんだけど、あの酔いっぷり、そんでもって今朝の感じだと覚えてなさそうだったから」
「あ…ごめんなさい」
「ホントに…すまなかった…」
これはエレオノールに働いた不埒に対しての謝罪だったけれど、事情を知らないエレオノールには「もういいわよ」と流された。
「その…女にダラしねぇって思われて、おまえに敬遠されるのは……」
鳴海は言葉を途中で切った。それは話しても詮無いことだ。
昔の彼女との間に無責任に子どもを作り、数年後にそのツケを払い独りで子育てしている、それが今の自分の『設定』なのだから。女にダラしないことは既に織り込み済みだった。
むしろエレオノールには敬遠された方がいいんだった。そう、自分の手が届かないところまで。
「つうかオレ…やっぱミンシアを『女』にゃ見れねぇわ」
でも、これだけははっきりきっぱり否定しておきたい。


すると一瞬だけ見せたエレオノールの微笑み、それは判子のようには見えなかった。けれど、瞬きのうちに溶けてしまった微笑みは、また判子の笑みに置き換えられていた。
「マサルさんの…あなたの昔の彼女が、あなたの中に居るから?」
話し合いのうちに高く上った太陽が、室内を明るく白く染めていた。窓からの光を後光のように背負うエレオノールが本当に綺麗で、鳴海は瞳を細くした。誰よりも幸せになって欲しい、唯一無二のひと。
鳴海は自分の胸の真ん中をとんとんと指差した。
「オレがココに棲み付かせたヤツは、何があっても居なくならねぇよ。一生だ」
一生、愛し抜くよ、エレオノール。
おまえが、誰を選んでも。
「そうね。ナルミにはその想いを貫いて欲しい」
私の手が届かないなら、誰の手も届かないで。
私は、二番目に近く、あなたの隣に居られるなら、それでいい。


恋しい相手は手を伸ばした距離にいるのに。
本当に言いたいことが決して言えない。
「そろそろ朝ごはんの支度するわね」
「オレもシャワー浴びてくら」
互いに背中を向ける。
もどかしい想いが喉元に込み上げる。それを懸命に呑み込んで、ふたりはいつも通りの朝に一歩踏み出した。



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