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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(2) さよならだけが人生だ





今から10年前。
桜の花が新しい出会いを謳う季節。







来週からは大学4年、就職先も無事決まり、大学にはたまーに授業行って、たまーに拳法部に顔を出しての気ままな一人暮らし、後はバイトに勤しむだけと言うモラトリアムラストイヤーを満喫していたある日。
新しいマンションの隣人として、彼女は鳴海の前に現れた。
「隣に越して来た者だ、よろしく頼む」
夜間バイト明けで昼間まで惰眠を貪ろうとしていた鳴海が玄関を開けると、それはもう目に眩しい兄妹が立っていた。揃いも揃って髪も瞳もピカピカの銀色に光っていた。そしてふたり揃ってクールと言えば聞こえがいいが、全くにこりともしなかった。
「どうぞ、お近づきの印です」
肩よりも長いストレートヘアが非常に可愛らしい少女が差し出したのは蕎麦だった。
今どきの都会で蕎麦なんか日本人でも配らないと思ったが、鳴海は眠たい目をこすりこすり
「どうも」
と礼を言った。
可愛らしい少女はエレオノールと言い、春から高校1年生の15歳で、兄ギイの日本への転勤にくっついてフランスからやって来たとのこと。
海外転勤族の両親を持つ鳴海はこう見えてマルチリンガルで、フランス語も日常会話くらいなら大丈夫だったから向こうさんのお国言葉で話しかけてみたけれど
「日本語で大丈夫です」
とさらりと受け流された。銀色だけど、父親が日本人だそうだ。
兄はキザったらしくていけ好かないし、妹はハッと目を惹く美人だけど愛想がイマイチだしで、鳴海は「たぶんこれといった隣付き合いはないな」という第一印象を受けた。
この10年後の自分がその印象を覆し、兄とは腐れ縁に近い友人関係を築き、妹のことを心底惚れ抜くことになろうとは夢にも思わなかった。


お隣さんとは道すがら会えば挨拶をする程度の平行世界に生きていた。
特にエレオノールは如何にも警戒心丸出しで胡散臭そうに睨んでくるので、鳴海も「はいはい分かりましたよ」とばかり深入りする気は欠片もなかった。
けれど、鳴海が帰宅する時に鉢合わせするエレオノールはいつも、一人分の出来合いの弁当を提げているのに気が付いた時、何となく訊いてみた。訊けば、ギイはいつも仕事が遅くて夜ご飯はいらないと言うので、自分は簡単に買って済ませているのだと彼女は言った。困らない程度に料理は出来るけれど、自分だけのために作って食べるのは味気なくて嫌なのだとも言った。
そうなると、鳴海生来のお節介の虫が騒ぎ出す。
鳴海は自炊した料理をエレオノールにお裾分けをするようになった。勿論、警戒をされた。差し出した料理は毒でも入っているかのような目で見られた。
「オレの両親は中国在住で、オレも高校から一人暮らしで、それでも頑張って出来る限りは自炊してんだ」
と伝えると、エレオノールは黙って受け取ってくれた。翌日「美味しかった、ありがとう」と感想をくれた。その一言で、単純な鳴海は非常に喜んだ。
そのうちにエレオノールの方からもお裾分けをされるようになった。エレオノールも料理が上手だった。だから翌日「すげー美味かった」と伝えたら、エレオノールは頬を染めて「あ、ありがとう…嬉しい…」とはにかみながら微笑みを初めて見せてくれた。その時の、胸を何かに鷲掴みにされたような感覚を、鳴海は今も覚えている。
そうしていつの頃からか、エレオノールは鳴海の家で一緒に晩ご飯を食べるようになっていた。
鳴海がエレオノールに合鍵を渡して「勝手に入って寛いでいいから」と言ったのはそれから間もなくのことだった。


ある時、エレオノールがストーカーにつき纏われるようになった。あれだけ美人なら被害に合わないわけがない。鳴海はストーカーを完膚なきまでに叩きのめしてやる心積もりだったが、ひとりやふたりじゃないようでキリがないと止められた。溺愛する妹のピンチに切れ気味のギイも交えて話し合った結果、エレオノールは下校して真っすぐ自宅に向かうのではなく、駅の近くで鳴海の祖父が経営している喫茶店に一度身を寄せ、その後ギイか鳴海が迎えに行き、一緒に帰る段取りに落ち着いた。
祖父ケンジロウの喫茶店はとにかく古くて、店に入る前から昭和の匂いが漂っていた。
「お店の名前、何?『曲馬団』…?」
「それで『サアカス』って読むんだとさ」
ケンジロウは目付きの悪さが鳴海とよく似たじいさんだった。
店内は昔ピエロだった彼が集めたサーカスグッズで埋まってて、エレオノールはあまりの雑多さに驚いたけれど、ケンジロウが彼女をまるで本当の孫のように接してくれたから割とすぐに打ち解けた。ケンジロウはストーカーを決して店に入れず撃退してくれたため、『曲馬団』はエレオノールの安全地帯だった。仕事が忙しいギイが迎えに来ることは結局殆どなくて、ほぼ毎日、鳴海がエレオノールを連れて帰った。社会人になってもエレオノールを迎えに行くのは鳴海の役割だった。
ストーカー被害が治まった後も、彼女は『曲馬団』に普通に入り浸るようになっていた。ケンジロウの客は彼の碁仲間など年配の爺さん婆さんが多かったから、エレオノールのような若くて可愛い娘は珍しく、皆からもずいぶん可愛がられたようだった。鳴海は元々爺さん子だったから、エレオノールがケンジロウに懐き、彼の喫茶店を好いてくれたことが嬉しかった。


一緒に帰って、一緒に晩ご飯を食べて、宿題や課題(社会人になってからは持ち帰った仕事)を一緒にやって、時間が来たら「おやすみ」を言い合ってエレオノールは隣の家に帰る。ほぼ毎日、穏やかな営みは繰り返された。その生活はエレオノールが高校を卒業する日まで続いた。
その春でギイの日本勤務が終了し、エレオノールも母国の大学に編入することが決まっていた。
三年間、鳴海はエレオノールと殆どの時間を共有したが、兄と妹みたいなものと言うにはそこはかとない遠慮があり、友達と言うには濃厚で、恋人と言うには素っ気ない、名前の付けようのない関係だった。
スキンシップと言えば、鳴海がエレオノールの頭を撫でることくらいで、手を繋いだことも一度だってない。
ただ。ひたすらに、鳴海が己に自制を強いた三年間だったことだけは確かだった。
鳴海も4月から、中国の両親の元で家業に就くことにした。
何となく、エレオノールのいなくなる生活に見切りを付けたかった。







エレオノールが日本を発つ前夜、最後のいつも通りの夜をふたりで過ごしていた。一緒に晩ご飯を食べて、一緒にテレビを観て、笑って、「おやすみなさい」を言う時刻になった。
「それじゃ帰るね」
「うん。おやすみ」
「おやすみなさい、ナルミ」
サンダルに足を掛け、玄関の扉を開ける時
「ナルミ、これ…」
エレオノールは鳴海に合鍵を差し出した。この鍵を渡した頃に戻れたら、そんなことを思った。鳴海はゆるゆると首を振って
「持ってていい」
と言った。
「餞別だ」
エレオノールの指を手折って鍵を握らせた。
「せんべつ?」
「んーと。お守り代わり、ってコト」
彼女の瞳の銀色がゆらんと滲んだ。


「ナルミ…本当にありがと…」
「いいよ、そんなん」
「あのね。私には日本名があって…『しろがね』って言うの」
「しろがね…?」
鳴海にその名前で呼ばれたエレオノールはどこか嬉しそうに見えた。
「仏名がエレオノールで日本名がしろがね。基本的にエレオノールで通ってるから、しろがねは秘密の名前にしているの。誰にも教えたことない名前よ?家族の他にはナルミしか知らない」
エレオノールは震える唇を噛んだ。
「私にはそれくらいしかナルミに感謝を伝えられない。ごめんなさい」
つう、と透明な雫がエレオノールの頬を流れた。


鳴海はもうだいぶ前からエレオノールのことが好きだった。それが、鳴海の家で一緒に過ごすようになった頃なのか、初めてはにかんだ笑顔を見せてくれた時なのか、目力いっぱいに引っ越し蕎麦を手渡された時なのか、いつからなのかは分からない。ずっと自分の傍にあるのが当たり前の宝物のように思っていた。
本当は、毎日毎日、無防備な姿で手の届く場所にいるエレオノールに本能の赴くまま触れてみたかった。抱いて。愛して。心置きなくカラダを重ねる時間も環境も自分たちにはあった。でも、鳴海がそれをしなかったのは彼女がまだ高校生で、一線を越えた途端に箍が飛ぶのが見え見えの、自分の性欲が枯れ果てるまで付き合わせるわけにはいかなかったからだ。
エレオノール相手に手加減できる自信がなかった。歯止めなんか掛かるはずもなかった。ひたすら負担を掛けるセックスしかできない自覚があった。何よりエレオノールは鳴海の宝物だったから壊すような真似をしたくなかった。
有りっ丈の理性を掻き集めながら過ごした三年間、母国で新しい生活を始める彼女をいつものように送り出したかった。


なのに、エレオノールの流した涙は鳴海が懸命に張った理性の糸を、緩めた。
鍵を握るエレオノールの手首をやんわりと掴み玄関扉に押し当てると、怪訝そうに上向いた彼女の唇をそっと吸った。幾度かやさしく唇を吸い上げてやると、エレオノールのそれが薄く開き、鳴海は彼女の舌をふうわりと絡め取る。鳴海に握り取られたエレオノールの手が指を開き、求めるので、舌と同じに指も絡めた。
エレオノールのもう片方の手は鳴海のシャツの胸元をおずおずと掴む。鳴海のもう片方の手は玄関扉の冷たい鉄板でギリギリと爪音を立てていた。
腕に抱いてしまったら、コントロールの利かない馬鹿力で彼女を壊してしまう。抱き潰してしまうから。彼女をキレイなカラダで送り出せなくなってしまう。
帰せなくなってしまう。
せめて重なる唇で、想いの全てをこめて愛した。


最後の夜。
いつもと変わらない夜だった。
いつもと違ったのは、鳴海がエレオノールにキスをしたことくらい。
三年間でたった一度だけ、ふたりはキスをした。たった一度だけのキスは長く深いキスだった。
名残惜しい唇を開放し
「これもハナムケだ」
と鳴海は言った。
「元気でな」
最後の最後に、鳴海は万感の想いをこめてエレオノールの頭を撫で、送り出した。
彼女の消えた玄関扉に背中を預けた鳴海の瞳からも、ぽろ、と涙がこぼれた。
もうこれで彼女とは二度と会うことが無いんだと分かっていた。







春。桜の花が遥かな別れを謳う季節だった。



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