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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(14) 盈盈一水 2/8





翌夕方、エレオノールと鳴海親子はマンションのポーチでばったり出会った。エレオノールはお互いに買い物袋をさげている姿に、どことなくホッとした笑顔を浮かべた。
招かれざる宿泊客は朝早くに「お邪魔しました」と出て行ったけれど、その出て行った足で鳴海宅を急襲したことが壁越しの騒音で分かっていたので、もしも今も彼女が彼らと一緒にいたら嫌だなと今日一日ずっと考えていたのだ。
「エレオノールっ!」
飛びついてくる勝を両手を広げて出迎える。
「マサルさん、お父さんと一緒にお買い物?」
「うんっ、ばんごはんのおかいもの。きょうはギョウザなんだー」
「ふふ。私もマサルさんのお父さんの餃子、美味しくて好きよ」
にっこりと笑い合う。鳴海が近寄るのに合わせて、エレオノールは腰を伸ばした。自分を見返してくるエレオノールの瞳がやさしかったから、鳴海は安堵の息を漏らす。
「デパートまで出かけてたのか?」
エレオノールの持つ紙袋に指を指す。
「ええ。月曜日に現場の皆さんに差し入れをと思って」
旧ケンジロウ邸のリフォームが始まり、エレオノールはちょこちょこ顔を出している。こんな美人が現場見舞いに来てくれれば、そりゃァ作業する野郎共の気合だって違うだろうと鳴海はいつも思う。頭を深く下げ
「エレオノール。その…悪かった、ミンシア姐さんのこと」
と謝った。
ミンシア、の名前を出されてエレオノールの胸中はささくれ立ったがそれをおくびにも出さず
「気にしないで。私は気にしてないから」
と涼やかに言って見せる。鳴海はそんなエレオノールの言葉と表情に一瞬、眉根をほんの少し寄せたものの
「おまえがそういうなら」
と頭を掻いた。
「なぁ?良かったら晩飯、一緒に食わねぇか?気にするなって言われたけど詫びを全く入れねぇってのも」
「…餃子?」
「うん。腕をふるうからよ」
「エレオノール!いっしょにたべよう!」
勝に腕を引かれる。
「分かった。夕飯、楽しみにしてる」
笑みを作りながらも強張っている印象のあった彼女の表情が柔らかくなったので、ああ良かった何とか元通りになれそうだ、と鳴海の肩から力が抜けたその時
『あ、ミンハイ!いたいた!』
嵐がまだ去っていなかったことを悟る。


『姐さん、まだ帰ってなかったのかよ』
鳴海がぎょっとした声を出すと、勝がエレオノールの腕にしがみ付く動作をした。エレオノールは薄い笑顔のポーカーフェイスを貼り付ける。ミンシアは三人三様の反応にもお構いなしに
『ミンハイ。今からちょっと付き合ってよ』
と鳴海の腕に腕を絡めた。
『いまから?何を?』
『父さんのお土産選ぶの付き合って』
『いつもそんなん付き合ってねぇだろ』
『いいから。あんた姐さんの言うこと聞けないっての?』
中国語で話されると何が何やら分からない。
鳴海は腕を振るものの完全にミンシアを振り解こうとはしない。立場が上のひとだからなのか、長い付き合いだからなのか、過去に深い関係になったひとだからなのか、純粋に好きなひとだからなのか。エレオノールには分からない。
最後に上げた仮定には首を振る、鳴海が愛しているのは世界にただひとり、この世にはいない勝の母親だけだ。それでも。そうと分かっていても、鳴海の気持ちが自分に向くことがないと知っていても、自分以外の誰かが鳴海と親しくしているのを目の当たりにして面白いはずがない。
エレオノールは鳴海の気持ちを尊重して隣人としての分別を守っているのに、ミンシアは少しもそんな素振りはない。ミンシアだって鳴海の事情を知っているだろうに、何でこんなにも自分の好意を押し付けているんだろう。


「何と言ってるの?」
「あ…姐さんが買い物に付き合ってくれって」
エレオノールは心の中で溜息を吐いて
「行ってくればいいじゃない。いいわよ、マサルさんは私が預かるから」
と英語で会話する。
「え…でもよ…」
「気にしなくてもいいわよ。私は気にしないわ」
笑顔で答える。そんなエレオノールに、鳴海は瞳に少し傷ついた色を滲ませた。エレオノールは勝に日本語で、お父さんはご用事が出来たから晩ご飯は私とふたりでたべましょう、お父さんみたいには出来ないけれど一緒に餃子を作りましょうね、と伝えた。勝は「えー」と口にしたけれどコクリと頷き、鳴海から買い物袋を受け取ったエレオノールと並んでマンションの中に消えて行った。
勝の残念そうな瞳に無言で非難されたみたいで、鳴海は胸をぐっと突かれた。
そして自分から夕飯を誘っておきながら放りっぱなしにして宙ぶらりんにしてしまったエレオノールとの約束も、鳴海はやりきれない。要は彼女に嘘を吐いてしまったのだ。鳴海は嘘が大嫌いなのだ。
『で?どこに付き合えばいいんだよ』
鳴海は言葉に憤慨を隠さずミンシアを置き去りに、通りに向かって歩き出す。こんな用事、とっとと済ませて家に帰るに限る。
『あ、ちょっと待ってよミンハイ』
夕飯をドタキャンして勝を預けた分の詫び入れはどうしようかと鳴海は一生懸命考えた。







「おとうさん、かえってこなかったね」
空いた食器をシンクに運ぶ手伝いをしながら勝は言った。
「そうですね」
勝から食器を受け取ったエレオノールは、はあ、と溜息を吐いた。もしかしたら夕飯が終わるまでには帰って来るかもと期待していた分、落胆が大きい。すると
「ためいきつくとね、しあわせがにげるって。おとうさんがいってた」
なんて勝に言われてしまった。
「あ、でも。エレオノールのぎょうざも、おとうさんのとおなじくらいおいしかったよ!」
「ありがとうございます、マサルさん」
勝の幼いながらの精一杯のお世辞に苦笑する。
「ホント、ナルミは一体、何を隠し味に入れてるのかしら……工程の手際よさも勿論なんだけれど……」
エレオノールも料理は上手だけれど、鳴海の本場仕込みの中華料理は一線を画すのだ。中華、中国、ミンシア、と連想した先でまた溜息が出てしまう。チラ、と目を上げ壁掛け時計の針の位置を何度も確認してしまう。
まだ一緒にいるのだろうか。そんなに時間のかかる買い物なのだろうか。それとも別の、何かを、しているのだろうか。
「なに…か…」
昨夜の暴露話を思い出す。今日これまでに幾度思い出しただろう。ミンシアに『食べられる』鳴海、ミンシアを『食べている』鳴海。モヤモヤとエレオノールの胸の中が真っ黒に焦げていく。そして、その度に憶測で悪感情を育てている自分を物凄く醜いと思い、自己嫌悪に陥るのだ。
シンクの前に立ち尽くして深刻な顔で俯くエレオノールに
「あのね、ぼく…」
と勝が話しかけた。その声にハッとして
「どうしたの、マサルさん?」
膝をついて目線を合わせた。


「ぼく、あのおねえさん、にがてなの」
「おねえさん…?ミンシアさん?」
勝はコクンと頷いた。
「どうして?」
「ぼくからおとうさんをとっちゃおうとしてるみたいで」
勝の大きな瞳が寂しそうに下を向く。エレオノールには勝の気持ちが手に取るように分かった。同じ感想を持っているから、彼の不安が身に迫る。母親を亡くして父親しか寄る術の無い勝には、恋情を包み隠さずに鳴海に押し込むミンシアは穏やかな父子の生活を脅かす存在に映るのかもしれない。
一歩間違えば、エレオノール自身も勝に同じ感情を持たれてしまう。勝のためにも本心は心の奥底に沈めないといけない。
「ほかにもあるの」
「なあに?」
「おねえさん、ぼくにね、おかあさんになってあげる、っていったの。ぼくがわかることばで。おとうさんはおこるけど、おねえさんはいうの」
それは鳴海に対する、ミンシアからの間接的な求婚ではないか。エレオノールの心臓が軋むような嫌な音を立てた。怒る、ということは鳴海には気が無いという裏付けになるかもしれないけれど、ああやってずっと好意を示され続けたら先のことは分からない。何より鳴海はミンシアに強く出られない。
でも、と思う。
「大丈夫ですよ」
白い手が、勝の頭を撫でた。
「お父さんはマサルさんを何よりも大事に、一番に考えているから。心配しないで大丈夫」
そして彼が愛しているのは死んだ勝の母だ。ミンシアも自分も、鳴海に心が届くことはない。
「ほんとう?」
「本当」
勝がにこう、と大きく笑ったので、エレオノールの胸の痞えも幾らか取れた気がした。すると勝がとんでもないことを口にした。


「ぼくね、もしもあたらしいおかあさんができるなら、エレオノールがいい」
なんてことを言うのだろう。エレオノールは目頭が熱くなった。
ミンシアとは違う、勝に認められていることがイコール鳴海に認められているような錯覚を生んで、新たに胸を痛くする火種となった。今日は感情の起伏が激し過ぎる。
「マサルさん…」
「ねぇ?エレオノールはおとうさんのことすき?」
好きに決まっている。心の底から愛している。でも、ミンシアのようにはそれを表には出せないから。だからといって「嫌い」も「好きではない」も「特には何も」も鳴海に対する想いを騙ることはどうしたって出来ない。
「私、は……」
小さい勝になら本音を言っても大丈夫だろうか、そう日和った時、玄関の扉が騒々しい音を立てて開いた。待ちに待った鳴海の帰還。
「ただいまっ」
鳴海は肩で荒い呼吸をし、コメカミには汗が幾筋も垂れている。全力で走って帰宅したことが見て取れてエレオノールは少し泣きたくなった。
「おとうさんっ、おかえりなさいっ」
勝が鳴海の膝に飛びついた。
「悪ィ遅くなって」
「もうご飯食べちゃったよー」
「マサル土産。シュークリーム買って来た」
勝は鳴海から包みを受け取ると「食べる食べる」と喜んで、早速ダイニングテーブルで箱を開け始めた。鳴海は整わない息のままエレオノールに頭を下げた。


「す、すまねぇエレオノール」
鳴海にタオルを差し出しながら謝罪は受け流し
「ナルミご飯は?」
と訊ねる。
「まだ食ってねぇ」
「なら夕飯の…」
とその時、エレオノールは鳴海の首筋にあるものを見つけ、言葉は途切れてしまった。もう一度目を遣って、間違いない、と確信する。膝がガクガクするような衝撃に見舞われ
「一応、あなたの分は取ってあるわ。冷蔵庫の中に餃子もあるから焼いて食べて」
と顔を背けた。
「つつむの、ぼくもてつだったんだよ」
足をブラブラさせ、頬っぺたをモフモフさせながら勝が言った。
「それじゃ私これで」
「シュークリーム食ってかねぇのか、エレオノール」
あっさりと帰り支度を始めるエレオノールに鳴海は色を無くす。
「今日は……私もくたびれたわ」
「そ、そうか…そう、だよな…」
そう言われると強く引き留めることも出来ない。靴を履くエレオノールの背中に
「あ、姐さんを泊めてもらったのと、夕飯すっぽかしちまったの。夕飯ごちそうするって約束は次の週末に必ず果たす」
と決意表明する。
「いいの。気にしてないから」
エレオノールに気にしていないと言われる度に、今日の鳴海は何だか苦しくなる。自分がミンシアと一緒にいても気にしない、自分とミンシアの関係など気にも留めない、それは偏にエレオノールが自分に興味を持っていないと言われているのと等しい気がして焦燥感が込み上げてくる。
自分からは距離を置くと言いながら、エレオノールには妬いて欲しいなんて都合が良すぎるにもほどがある。
「あなたもお疲れ様」
ドアノブに手を掛けるエレオノールに鳴海は細長い紙袋を突き出した。


「とりあえず夕飯をすっぽかした方の詫び。これ受け取ってくれ」
「そんな、いいのに」
「いいから」
エレオノールは無理やり手渡された紙袋の中のものを半分引っ張り出す。
「ワイン…」
「姐さんが師父の土産に酒を買うとか言って、気に入ったのがねぇってハシゴして、それで遅くなっちまったんだが……そういや、おまえはワインを飲むんだったなって思って」
褪めた銀色の瞳がエチケットを見下ろす。ボルドーの赤ワイン、ロスチャイルドのシャトーのワインにしてはお手頃価格でも、2万弱はする、安い買い物じゃない。
詫びなんか気にしなくていいのに。
こんなワインより、あなたと一緒に過ごす時間の方がずっと嬉しいのに。
鳴海はお酒が飲めない。動物並みの嗅覚を持つ彼は、酒気が鼻を突いて辛いのだと言う。
お酒が飲めない鳴海にはワインの銘柄なんて分からない、だから選ぶに際しては誰かのアドバイスを受けたということだ。それが店員なら構わない。でももしかしたら、このワインをミンシアと仲良く選んだかもしれない。
誰と選んだの?そんなさもしいこと訊けない、訊けるわけない。訊けないから、このワインにはミンシアの影が付き纏う。見たくもないのに、鳴海の首筋に目が行ってしまう。
「ありがとう…それじゃ」
エレオノールは完全無欠な微笑みで己の感情をガードして「おやすみなさい」を言った。



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