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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(13) 盈盈一水 1/8





三月、勝の卒園式が終わったばかりの週末、真夜中のしじまを切り裂きピンポンが鳴り響いた。続いて玄関をドンドン叩く音、そして
『ミンハイ!ミンハイ開けてよ!私、私!』
と近所迷惑な呼び声。鳴海を「ミンハイ」と呼び、でっかい声で中国語をまくし立てる知り合いの女はただひとりだ。勝が五月蠅そうに「ううーん」とモゾモゾし始めたので鳴海は慌てて跳ね起き、玄関の戸を細く開けた。
『今何時だと思ってんだよっ』
隙間から小さな声で叱りつけ睨みつけるも相手は全く意に介さない。気の強そうな黒目が見上げてくる。リャン・ミンシア。鳴海の拳法の師匠の娘で姉弟子だ。


『また来たのかよっ、つか、どうやってオートロックの玄関破って来たっ?』
『タイミングよく帰宅した人がいたから一緒に入って来ちゃった』
『そういうの、止めろよなぁ?いっつも連絡も寄越さねぇでいきなり来やがって!』
『男のくせに細かいわねぇ。悪かったわよ、また泊めてくれる?』
当たり前のように入りこもうとするのをドアノブを硬く握り阻止する。
『駄目だ』
『どうしてよ?いつもは泊めてくれるじゃない』
ミンシアは年に2,3回、仕事だったり遊びだったりで日本に来ては、宿代を浮かすために鳴海の家に転がり込むのが常だった。だけど今は、昔馴染みといえど異性をおいそれと泊められない理由が鳴海にはある。
『独り暮らしん時ならまだしも。今はマサルがいるから泊められねぇ』
もうひとつ、大きな理由があるけれどそれは内緒だ。
『いいじゃない。まだ小さいから事情なんか分からないわよ』
『そういう問題じゃねぇ』
『宿代はカラダで払うって言ってるでしょ?』
『マサルがいるっつってんだろ?そもそもそんな宿代…つうかもっと小さい声で話してくれ、近所に迷惑が』
「どうかしたの?」


止め処の無い言い争いをしている内に、隣のドアが開き銀色の頭が覗いた。鳴海が幾ら声を潜めてもミンシアに遠慮がないからどうしようもない。エレオノールは目を細めて訝しそうに見ている。
「わ、悪い、起こしちまったな」
鳴海はサンダルを突っかけると表に出た。こっちからエレオノールのところに向かって謝るのが筋だが、そうするとミンシアに侵入されるので広い背中で玄関を塞ぐしか術が無い。美女としか言いようのない隣人の登場にミンシアの目がキツくなり『何よ彼女』と鳴海の腕に手を掛けた。その馴れ馴れしさにエレオノールは内心ムカとしたがそれをポーカーフェイスでやり過ごした。
エレオノールには痴話喧嘩にしか見えないんだろうな、と鳴海はそんな現状に冷や汗も出る。
「あ、あのよ、こっちはオレが中国で世話になった師父の娘さんで、日本に来たもの泊まるとこがないとかで…」
しどろもどろな説明に、何でオレは何にも悪くねぇのにエレオノールに謝んなくちゃなんねぇんだと
『姐さん、いーからどこかのホテルに泊まれよ』
と矛先を変える。
『やーよ。私、日本に来た時っていっつもアンタんとこに転がりこんでたんだもん。今更お金が勿体ないじゃない』
『知るかよ。そうは言ってももう泊めらんねぇし。これからは他を当たってくれよ』
『だったら今日のところだけ、ね?』
ミンシアが婀娜っぽく首を傾げて見せる。その仕草にもエレオノールはムカムカと来る。


「要するに彼女、泊まるところがないの?」
タンクトップにホットパンツの露出の高いエレオノールはショールを肩に巻き付けただけで見るからに寒そうだ。弥生も終わりとはいえ深夜の空気は冷たい。早いところ話の決着を見ないことにはエレオノールが風邪を引いてしまう。
「そうなんだ、それでウチに泊まるって聞かなくて」
ぴき、とエレオノールのコメカミに青い三差路が浮かんだ。鳴海とはいかにも付き合いが長そうで図々しくて押しが強そうで快活そうで綺麗なヒトが鳴海の家に泊まる、考えただけでぞっとする。けれどエレオノールは、表情は至って穏やかに
「ウチでよければどうぞ、って伝えて」
と言った。
「え?でも、エレオノール…」
「いいから。そのひと、ナルミが折れるまで騒ぐでしょう?」
世界のどこへ行っても中国人の声は大きい。鳴海はホッとした顔になって
『彼女が宿を提供してくれるってさ。良かったな』
と伝えた。ミンシアはエレオノールに値踏みをするような視線を投げる。それはエレオノールを甚く不快にさせたが、きっとお互い様ね、と思う。
『ミンハイ。彼女とどういう関係?』
『どうもこうも、ただのお隣さんだよ』
『ふうん』
ミンシアがヒールの硬い足音を響かせて、エレオノールの前に立った。


「英語は大丈夫?」
「ええ。話せるわ」
エレオノールは中国語が分からず、ミンシアは日本語が分からない。三人ともに操れる共通言語は英語だ。
「私はミンシア。よろしくね」
「エレオノールと言います。どうぞ入って」
開けた扉にミンシアを入れる。非常に申し訳なさそうな鳴海が
「おい、エレオノール…その」
と近づこうとするので、それを手の平で制し、黙って玄関の扉を閉めた。鳴海はひとり廊下に立ち尽くし、額に滲む嫌な汗を腕で拭った。
「あー…怒ってるな、あれ…」
微笑みを浮かべてはいたけれど、背筋が凍る目をしていた。それもそうだろう、夜遅くに五月蠅い話声で叩き起こされ、予想外の見知らぬ宿泊客を招き入れなければならなくなったのだ。
「明日、エレオノールにちゃんと詫び入れしねぇと」
と思いながらもやっぱり自分は何にも悪くないのに、と不条理さを嘆きながら鳴海も寝床へと戻った。







「どうぞこちらへ」
「あなたどこの国の人?」
ミンシアが案内されたリビングに足を踏み入れながら言った。
「フランス。父は日本人だけど」
「ふうん」
「何か?」
「インテリアがおしゃれだからフランス人なら納得って思っただけよ」
ミンシアの言葉の端々にカチンと来るポイントがあるが、エレオノールはそれらを完全無視する。
「…ずいぶんと変わったフィギュアを集める趣味があるのね」
部屋のあちらこちらに飾られた、サーカスやピエロの古い人形やフレーム。
「こういうの…前にミンハイのおじいさんの店にあったような…」
「その通りよ。縁あって、ケンジロウさんの遺品を譲り受けたの」
その内のお気に入りの何点かを、エレオノールは自宅にも飾っていた。ミンシアはハッとした目をエレオノールに向ける。
何が『ただのお隣りさん』よ!ただの隣人がアンタの大好きだったおじいさんの形見を譲られるわけがないじゃない!
エレオノールはエレオノールで、ミンシアが『曲馬団』に行ったことがある事実に、想い出の場所を土足で踏み躙られたような心地がして気分が悪かった。


エレオノールはクローゼットから取り出した枕と敷布、毛布を
「寝る場所、ここしかないけれど」
とソファに置く。
「構わないわ」
ミンシアはどさっとソファに腰を下ろした。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ねぇ?」
寝室に引っ込もうとするエレオノールをミンシアが引き留める。
「ミンハイはあなたのことを『ただのお隣さん』って言ってたけれど。ホントにそれだけ?」
ミンシアの瞳が探ろうとする意思を隠そうともしない。エレオノールは肩をすくめて
「それだけよ」
と返事をした。
「それだけで、私みたいな見ず知らずをウチに泊める?」
「気の毒じゃない?彼、一人で小さな子どもを育てているのに面倒ごとなんて。こうでもしないとあなた、騒ぎ続けそうだったし」
「ミンハイのこと、好きなんでしょう?あなた」
図星を差されても感情を表に出さないように心掛け、もう一度、肩をすくめる。
鳴海のことを好きなのはあなたも同じでしょうに。それを誤魔化さないだけ、ミンシアの気性は真っすぐだとも言える。


「ミンハイとはねぇ…彼が私の父の拳法道場に子どもの頃に通い始めた、それ以来の付き合いになるの。私はミンハイの姉弟子」
確かにさっき、鳴海はそんなことを言っていた。彼女が姉弟子ならば、骨の髄まで体育会精神の沁みついた鳴海が強く出られないのも理解できた。
「初めはヒョロヒョロでさぁ…吹けば飛ぶような貧相なカラダで。厳しい修行にすぐに音を上げるって思ってたんだけど、親の仕事にくっついて中国に来る度に道場に来てたわ。来る度来る度、逞しくデッカクなっちゃって」
自分の知らない鳴海を語るミンシアを妬ましく思う反面、自分と出逢う前の鳴海の話を聞けて嬉しくもあった。
「いつの間にか私よりずっとデカクなっちゃったけど可愛くてね」
ミンシアが
「だから私、ミンハイを食べちゃった」
と言うまでは確かに。


「あなた、寝たことある?あいつと」
きっとポーカーフェイスが崩れたんだろう、ミンシアの声色が楽しそうなものになった。
勝ち誇ってる。どうして勝ち誇られなければいけないのだろう?
「凄いのよ、ミンハイ」
稽古が終わると男たちはミンシアがいようと構わずに全裸になり水浴びをする。ミンシア自身、小さい頃から見慣れた景色だったからどうということもないのだが、ナスやキュウリが居並ぶ中で鳴海の一物は別格だったと艶を帯びた声で語られた。
どうしても試したくなって、鳴海を誘ったら応じてくれて、童貞だった鳴海は何度も何度も飽きることなく求めてくれた、と。ふたりで交わした行為や体位を「例えば」などと言いながら。
「宿代はカラダで支払う、って言って泊めてもらってたんだけど。もうダメかなぁ…小さい子いると無理かしらね」
「そうね。マサルさんも四月から小学生ですし」
エレオノールはにっこりと笑うと
「楽しいお話をありがとう。私はもう寝るわ。おやすみなさい」
と寝室の扉を閉めた。そんな話、まともに聞いてなんかいられない。エレオノールは唇を噛み締めたままベッドへと身を投げた。
『澄ました顔しちゃって』
ミンシアは静まった扉の向こうを睨みつけると、ふん、と鼻を鳴らし寝支度に取り掛かった。



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盈盈一水(えいえいいっすい)
恋しい相手が目の前にいるのに、声をかけられなかったり、言葉を交わせなかったりするじりじりするような切ない思い
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