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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
9.Believe it ? - 3 -
「……なぁ」
ボソリ、と鳴海が色なく呟いた。
「ギイ。オレと仕事、変わらねぇか?」
ギイのワインを呷る動作が鈍る。
「このままだとよ……近いうちにオレはエレオノールに手をかけちまいそうで怖いんだ。おまえの大事な『妹』を、正二の大切な娘を、おまえたちのくれた信頼を、エレオノールがオレに向ける『妹』の瞳を裏切っちまいそうでよ……オレは……」
背中を丸め、最強の男であることも、『デモン』の異名も見る影もない鳴海が弱音を吐く。
ギイはワインを喉に流し込みグラスをテーブルの上にカチリと置くと、努めて無表情に淡々と答えた。
「おまえに、情報戦や推理戦、張り込みのために何日も何週間も同じところに不動で居る、痕跡一つ残さずに隠密に行動する、そんな芸当ができるならな」
「……できねぇ」
考えるまでもなく、鳴海は即答する。
鳴海には小細工はできない。いつも派手に真正面からぶち当たるのが彼の持ち味でもある。
「だろう。だから無理を言うな。この僕が何年もかけてやっとここまで調べ上げてきたものを、おまえなんかに引き継いだら全て水泡に帰してしまう」
「でもそれじゃあ、エレオノールが…」
口火を切ってしまったエレオノールの愛情は留まる事を知らない。
もう、エレオノールを犯さない自信がまるでない。
「我慢しろ」
ギイは言い捨てるように言った。
「何?」
「ひたすら我慢しろ」
「何だよ、それ。そんなことならこれまでだってずっと」
鳴海は蒼白な顔を上げ、ギイを縋るように見つめた。
分かりやすい男だな、ナルミは。
エレオノールへの想いを隠す気もなくなった鳴海の全身から、どうしようもない程の彼女への愛情が噴出している。
おまえが、『しろがね』でさえなければな。
ギイは静かに首を振った。
「これからもずっとだ。この先、エレオノールは更に成長する。もっと美しく、もっと女らしく。それでもその傍で彼女を守ることだけに徹し、愛情を殺して生きろ」
「それが難しいからこんな…」
「それでも我慢するんだ。おまえがそんな状態なら、本当は、僕は代わりたいんだ。エレオノールのために!けれど、仕方ないだろう、適材適所なんだ。エレオノールの傍で彼女を守るか、彼女の敵を炙り出すか、仕事はふたつにひとつ!そして、僕の仕事はおまえには向かず、おまえの仕事は僕にはできない」
鳴海の苦渋がギイにも感染ったのかもしれない。
鳴海はこんなに熱く、真剣に、そして一生懸命に語るギイを初めて見た。
いつもいつも、冷めた顔で、どこか不真面目さを漂わせて周りの人間を煙に撒いているのに。
「ギイ」
「いいか?おまえはエレオノールを愛しているのだろう?ならば、彼女を傷つけたくはないだろう?だったら彼女の幸せを一番に願え。僕らは彼女と生きる時間が違うんだ。彼女と同じ時間を歩める伴侶と新しい暮らしを始めることができるようにしてやるのが僕らの務めだ」
「分かってら!そんなこたぁ!」
鳴海は吐き出すように叫んだ。
そんなことは、オレが一番に考えている!
エレオノールの幸せも、エレオノールに『しろがね』の男が相応しくないことも!
それでもいつか、エレオノールと結ばれたいと、彼女に愛されたいと、そう願わずにいられない心と義務責任に板挟みにされて!
心がズタズタに切り裂かれるような痛みを毎日毎晩、堪え続けているんだ!
鳴海はギリギリと砕けんばかりに歯噛みをした。
「分かってる……だから、オレは徹底してエレオノールには『兄』らしく振舞っている……。エレオノールも『妹』としてオレを慕ってくれている。何度もエレオノールに、オレは『しろがね』だからおまえとは時間の進み方が違うんだって教え込んで、言い聞かせて…」
鳴海が大きな両手で顔を覆ったので、最後の方は不明瞭で何を言ったのかギイには分からなかった。
だけれど、聞かなくとも、鳴海が何と言ったのか、ギイには分かったような気がした。
それでも、オレはエレオノールを愛さずにはいられない。
エレオノールに『兄』だとなんか思って欲しくない。『妹』からの愛情なんかいらない。
あいつから、『女として』愛してもらいたい……!
「シェイクスピア曰く、『そもそも人間の真の姿が立ちあらわれるのは運命と敢然と立ちむかうときをおいてほかにはない』…」
ギイはグラスにワインを注ごうとした。
が、ボトルにはワインがもう一滴もなかった。
「なあ、ギイ」
しばらくして鳴海は草臥れきった顔を上げ、ギイに声をかけた。
「オレさ……我慢するよ。自信なんてどこにもねぇから、おまえと約束はできねぇけど…。それでも、我慢する…。だからさ」
黒い瞳が苦痛に歪む。それでも強く、銀色の瞳を射抜く。
「頼むから。一刻も早く、ディーンをどうにかしてくれ。オレがエレオノールを守らなくて済むように。エレオノールの傍に居なくても済むように。一刻も早く、だ。頼むから、オレからエレオノールを……遠ざけてくれ」
魂が慟哭する。
本当はエレオノールから片時も離れていたくないのだと。
エレオノールの魂も身体も、自分のものなのだと訴えている。
けれど、自分の幸せはエレオノールの幸せではない。
鳴海に許されているのはエレオノールが幸せになっていく姿を見守ることだけ。
「ナルミ……だが、エレオノールを愛したこと自体は後悔するな。誰かを愛することは気高いことだ」
慰めにもならないことは承知の上で、ギイがらしくもない慰めを鳴海にかける。
「後悔は……してるよ、もう。出会ってしまったことすらも」
鳴海は力なく笑う。
出会わなければ良かった。
結ばれるどころか、愛することすら許されないのならば、いっそ。
死ぬまで真実の愛とやらを知らずにいた方が、きっとマシだろう。
愛する事を知らぬ、自動人形を憎悪するだけの果てない人生が目の前に続いていた方が、きっとオレのためになったろう。
エレオノールと出会ってしまったばかりに、ただでさえ『しろがね』になりきれていなかった男は、元の人間、それも恋に狂う愚かな男に成り果てた。
「心を見失った『しろがね』になった方が、きっと、楽だった」
愚かな道化の仮面を被った日々が後どれくらい続くのか、考えただけでも気が遠くなりそうだった。