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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
10.Believe it ? - 4 -
ギイがエレオノールの眠る部屋に戻ってくると、地上で最強の男を悩ませている小悪魔はベッドの上に起き上がっていた。
「おはようございます」
ギイに天使の笑顔を向ける。
寝乱れた長い髪、寝乱れた服、それでいてあどけない無邪気さ。
毎朝、愛している少女にこんな姿を見せつけられて、それも間近に身体を擦り合わせるようにして目覚めなければならない鳴海は、拷問に合うに等しいのだろう。
ギイには分かっていた。
鳴海が人一倍忍耐強い男だからエレオノールの純潔は守られているのだ。
短気ですぐに熱くなる男だが、一度こうと固めた決意をひたすら貫くだけの辛抱強さがあった。
けれど、それも、いつまで持つか。
エレオノールが母アンジェリーナの面影を会う度に濃くしてゆくにつけ、彼女の将来が如何に美しい娘になるかが容易に想像できる。
美しい少女、そしてこよなく愛する少女。
その彼女をいつかは他の男に持っていかれるのを黙って見ていなければならない鳴海の嘆きは如何ばかりか。
愛情が大きく深いものなほど、絶望も大きく深かろう。
同情なんてしてくれるな、鳴海はそう言いそうだが、それでもギイは同情を禁じえない。
「ギイ先生、ナルミお兄ちゃまのお部屋に行ってきたの?」
「ああ、そうだよ」
「お兄ちゃま、もう起きてた?」
「ああ、起きていたよ」
ギイの返事にエレオノールはにこっと微笑むとパッとベッドを飛び降りた。
「どうしたんだい?」
「お兄ちゃまにおはようを言いに行くの」
ギイはエレオノールの肩を押さえると、そっとベッドに座らせた。
そして自分もその隣に腰掛ける。
エレオノールは少し怪訝そうな顔をしてギイを見上げた。
「鳴海はもう少し眠ると言っていた。おまえが行ったらゆっくりできないだろう?たまには独りの時間を持たせてやれ」
「でも…」
エレオノールはギイに窘められて、それまでの笑顔を曇らせ拗ねた眉を作る。
「でも、ギイ先生は今までナルミお兄ちゃまとお話してたのでしょう?先生ばっかりずるいわ」
「ずるいと言われても別に僕は喜んでナルミの部屋に行っていたわけではないのだぞ?仕事の話があったのだ」
「『しろがね』のお仕事?」
「ああ、そうだ」
エレオノールは頬をぷうっと膨らませる。
「あーあ、私も『しろがね』だったら良かったのに」
エレオノールは遠くを見つめて心底残念そうな声を出した。
「どうして?『しろがね』なんて碌なものじゃないぞ?」
「ギイ先生のように人形繰りを上手にできるようになって、ギイ先生のようにお兄ちゃまに背中を守ってもらって、私もお兄ちゃまの背中を守って一緒に戦うの」
エレオノールは立ち上がると優雅にくるりと一回転し、きゅうっと両腕を胸の前で交差させて、ギイがオリンピアを操る手つきの真似をしてみせた。
でもすぐにその手はだらんと下に垂れ、ぽふん、とギイの隣に戻る。
「そうしたらきっと……ナルミお兄ちゃまは仕方無しに私と旅をするのではなくて、私を必要として旅をしてくれるでしょう…」
エレオノールは悲しそうに目を伏せた。
「私、お兄ちゃまの足手纏いになっているの、自分で分かっているから…」
鳴海はいつもエレオノールにやさしい。
どんな時も気遣ってくれて、手を繋いでエレオノールの足に合わせて極ゆっくりと歩く。
自分が居なかったら鳴海はもっともっと先を歩けるのに。
鳴海がやさしければやさしいほど、泣きたくなるのは何故だろう。
自分の手を包む大きな手が温かければ温かいほど、寂しくなるのは何故だろう。
幼くて小さなエレオノールは、ずっと上にある鳴海の瞳が何を見ているのか、自分も同じものを見つめることができているのか、
それが分からなくて、とても怖い。
今も、自分が居ないことで鳴海が清々して眠っているのかと思うと胸が痛い。
やはり私は邪魔なのだ、居ないほうがのびのびできる、足手纏いな存在なのだ、居ないほうがいいのだ、と言われているようで。
「エレオノール、ナルミはおまえのことを足手纏いだなんて欠片も思っちゃいないぞ?」
「でも……いつも、人形が現れるとお兄ちゃまは私を庇いながら戦うから、しなくてもいい怪我をするし…」
鳴海は強い。だからどんな人形にも必ず勝つ。
でも自分が一緒にいることで鳴海は戦い方に制約を受ける。
自分を庇って怪我をする。
すぐに治ると言っても、時には深い傷を負う。
そんな時、エレオノールは「大丈夫?」と声をかけることしかできない。涙を流すことしかできない。
泣くと鳴海が困るから泣きたくないのに、涙は勝手にこぼれてしまう。
「泣くなって。しょうがねぇなぁ、エレオノールは泣き虫で」
鳴海は大怪我をしていても、そう言って笑って抱き寄せてくれる。
「良かった……おまえが無事で。怪我をしたのがおまえでなくて……」
鳴海に囁かれると、エレオノールは堪らない気持ちになる。
苦しい気持ちが小さな胸いっぱいに広がって、その気持ちを何とかして鳴海に伝えたいと思うのだけれどどうしていいのか分からず、結局また新しい涙が溢れてきてしまうのだ。
この無駄に流れる涙が、鳴海を染める赤い血の代わりになればいいのに。
「僕らは『しろがね』だ。怪我をしてもすぐに治る。おまえが心配することはないよ」
ギイはエレオノールの気苦労を取り除こうと、極めて明るい声で言った。
「でも、痛くないわけではないのでしょう?」
「それはそうだが。でも、それもすぐに癒える」
例えそうなのだとしても、エレオノールは鳴海の血は見たくない。
死んでしまったらどうしよう?
もう二度と鳴海に会えなくなる、そんなことは考えるだけでも背筋が凍った。
今もエレオノールは寒気がして、自分の身体を両手で抱くとぶるるっと身を震わせた。
「それからもうひとつ、ナルミはおまえと旅をするのを仕方無いとも思ってはいない。おまえを守りながら旅をすること、それはナルミの仕事だ。そしてそれを達成した暁に、おまえが幸せになること、それがナルミと僕の一番の望みだ」
「幸せ?」
エレオノールは小首を傾げた。
「そうだ」
ギイの返事には迷いがなく、当たり前だろう?という顔をしているが、それを聞いたエレオノールの表情には不可解な色が浮かんでいる。
「いつも思うの。『エレオノールの幸せのために』。ナルミお兄ちゃまもよく言うわ。でも、それってすごく変」
「変?どうして?」
「だって、私、今がとても幸せなの。ギイ先生にはたまにしか会えなくてそれだけが残念だけれど、いつもいつも大好きなナルミお兄ちゃまの傍に居られる。
私、充分幸せよ?それ以外の幸せなんて想像も出来ないし、どこかにあるのだとしても私、ちっとも欲しくないわ?」
今度はエレオノールの言葉に迷いがない。
ギイの中にすうっと冷たい風が吹いた。
それはひとつの予感を運んできた。
ギイは常に冷静沈着な自分の心に焦燥感に似たものが押し寄せてきたことに驚愕を覚えた。