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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
11.Believe it ? - 5 -
「エレオノール、おまえにもやりたいことはあるだろう?人並に遊びたいことだってあろうだろう?今、おまえは旅することだけしかできない。それに将来なりたいことだってあるだろう?このままではおまえの望みも…」
「だから、私の望みはナルミお兄ちゃまとこのままずっと旅をすることよ?それが私の幸せ」
エレオノールはにっこりと微笑んだ。
そして、その笑顔にちょっぴりいたずらっ子の色を挿して唇を人差し指で押さえると
「内緒よ?ギイ先生にだけ特別に教えてあげる」
そう言って、ギイの耳元に両手で丸く囲った口を近づけ
「私が将来なりたいものはね、ナルミお兄ちゃまのお嫁さん、なの」
と囁いた。
ギイが呆然とエレオノールの顔を見つめると、彼女は頬を薔薇色に染め、少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「だって私、ナルミお兄ちゃまが大好きなのだもの」
あっけらかんと、淡く、それでいて明確な鳴海への恋情をエレオノールは口にした。
と言うことは何だ?
鳴海とエレオノールは両想い、と言うことなのか?
ギイは思わず絶句してしまった。
「あ、でもこれ、本当に内緒にしてね?ナルミお兄ちゃまには絶対に言っては駄目よ?だってお兄ちゃまは私のことを子ども扱いするのだもの。だから私は少しでも早く大きくなって、お兄ちゃまに『結婚してくれ』って言ってもらえるくらいの素敵な女の人になるの」
恋々と語るエレオノールをギイは狼狽を隠し、遮った。
「エレオノール、ナルミは『しろがね』だぞ?おまえとは時間の進み方が違う…」
「分かっているわ」
「ならば」
ナルミとおまえが結婚できないことが分かるだろう?
そう続く筈のギイの言葉はエレオノールの明るい声に掻き消された。
「要するに、私が大人になるのをナルミお兄ちゃまは今のお兄ちゃまのまんまで待っていてくれるってことでしょう?それって何て素晴らしいことなのかしら!」
その言葉にギイは鳥肌が立つ思いをした。
幼いエレオノールにはまだ時間の概念がないのだ。
確かに、あと10年の月日が流れ、エレオノールが19歳になったとしても、『しろがね』の鳴海は2歳しか年を取らない。
21歳の鳴海と19歳のエレオノールは釣り合いのとれた恋人同士になれるだろう。しかし、その後は?
仮にそれから更に30年が経たとしよう。エレオノールはまもなく五十路。でも6歳しか年を取らない鳴海は27歳だ。
エレオノールが嫌でも己の肉体の衰えを感じずにいられなくなっても、愛する男はまだ若い肉体を保っている。
彼女はその現実に耐えられるだろうか?
残酷な現実に、無情な時の流れに。
耐えられる筈もない。
時の流れの違う者同士の愛の先には絶望が待っている。
幼いエレオノールはいつまでも釣り合いの取れた姿のままで鳴海と一緒に居られるものだと信じている。
彼女の想像は、子供らしく、目に見える範囲の幸せな事柄にまでしか及んでいない。
結ばれた先に広がるものは明るい未来だと信じているのだ。
「エレオノール。おまえにとってナルミが強くて頼り甲斐のある存在であることは僕も認めるよ。けれど、おまえはナルミしか異性を知らないのだ。だから憧れを好意と勘違いして…」
「勘違いなんかじゃないわ、ギイ先生。私はナルミお兄ちゃまが大好き。愛しているの」
愛している。
そんな言葉がエレオノールの口から聞かれようとは、ギイは夢にも思わなかった。
彼にとってのエレオノールは『小さな妹』でしかないのだから。
それに9歳の少女が実際は30歳にもなる男に惚れるだなんて、誰が信じようか?
ギイは未だかつてこんなにも動揺をしたことなど一度もなかった。
「私はナルミお兄ちゃまを愛している。本当よ?私ね、ナルミお兄ちゃまが居なくなったらきっと死んでしまう。お兄ちゃまがいつも傍に居てくれるから、どんなに辛くても笑っていられるの。だから私、お兄ちゃまのためなら何でもしてあげたいの、どんなことだって」
鳴海への想いを語ったエレオノールは妖艶に笑う。
その微笑みはとてもではないが9歳の少女のものとは思えなかった。
これではいけない。
鳴海とエレオノール、ふたりがお互いの気持ちに気付く前に何とかしなければ。
取り返しがつかなくなる前に。
その二日後、ギイは再び旅立ちの日を迎えた。
「くれぐれもエレオノールのことを頼む」
別れ際には必ず言う言葉だが、今回はその意味合いが多分に違った。
「ああ、分かっている」
そう答える鳴海は、エレオノールに抱いている気持ちをギイに吐露したせいか、すっきりとした顔をしていた。
神に懺悔した罪人のように心が軽くなったのかもしれない。
磨き抜かれた鏡のように澄んだ瞳だ。
だが、その鏡はいささか磨かれすぎて薄くなって脆くなっているように見える。
今にも割れそうな危険を孕んだ鳴海の決意。
そこまで分かっていても、今のギイには如何ともし難い。
鳴海の忍耐力に賭けるしかなかった。
汽車に乗り込み座席に腰掛けたギイが窓から見下ろしたふたりはしっかりと手を繋いでいた。
鳴海は愛おしそうな視線でエレオノールを包み、守る。
鳴海を見上げたエレオノールは極上の喜びを湛えた微笑を浮かべている。
ギイは思う。
鳴海とエレオノールは相思相愛なのだ。見た目や年齢はアンバランスもいいところだが。
なのに、ふたりを待ち受けるものは別離なのか。
鳴海はそれを覚悟し、エレオノールはそれを知らない。
もう、ふたりは、取り返しがつかないところに来てしまっているのかもしれない。
車輪が軋んだ音を立てて動き出した。
だが、ギイにはそれが不運の女神フォルトゥナが運命の車輪を回す音に聞こえて仕方がなかった。
プラットホームに立ちギイに手を振る鳴海とエレオノールの姿は離れ、小さくなり、やがて見えなくなった。
神の名など口にしたことのないギイではあったが、この時ばかりは加護を祈らずにはいられなかった。
願わくば、善良なる彼らが底無しの悲しみの湖に沈むことのなからんことを。
線路沿いを縁取る木々の、残り少ない葉が落ちる。
ギイの心の中に懸念の落ち葉が降りかかる―――――。
End