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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
12.Nightmare.
エレオノールには決まって見る夢がある。
悪夢。
真夜中に見ては、恐ろしくて怖くて、泣きながら跳ね起きる。
それはもう物心がつく前から、ずうっと小さな頃から繰り返し何度も何度も見る夢で、どうしてこんなに同じ夢を頻繁に見るのかいつも不思議に思う。
悪夢。
悪夢なのだから、エレオノールは見たくないのに。
エレオノールの悪夢。
それはきっと誰かの記憶。
エレオノールの中に残る誰かの記憶を、『夢』という形で自分は繰り返し見ているのだと、幼心にも気付いたのは何時の頃だろう?
エレオノールが成長するに従って、その夢は鮮明になり詳細になった。
そして、小さい頃はただ怖いだけで理解できなかったその夢も、成長するに従って、それの内容の持つ意味がおぼろげながらに分かり始めた。
夢の中でエレオノールは大人だった。
とてもきれいで、手足もスラリと長くて、将来こんな風になれたらきっと鳴海は自分を好きになってくれるかもしれない、そんな女性の姿をしていた。
夢の中のエレオノールは貧しくて、生きていても辛いことの方が多かったけれど、あるひとりの男性と知り合ってから彼女の人生は変化した。
その男性は大好きな鳴海に似ていた。エレオノールは彼を愛した。彼も愛してくれた。
ふたりは教会で誓いのくちづけを交わした。
愛する人に愛してもらえるなんて決して在り得ないと思っていたから、涙が止まらないほどに嬉しかった。
教会を出てからふたりで色々と語り合った。
これからのことを。貧しくても支えあって、慈しみあって、共に生きていこうと。
押し包むような彼のやさしいくちづけはエレオノールの身体を奥底から震わせた。
どんなに辛く苦しい時でも人前で笑顔だけは絶やさないでいようと心に誓っていたエレオノールだったけれど、彼のお陰で生まれて初めて、自分は心から笑えたのだと知った。
未来は途方もなく明るかった。
でも、エレオノールの夢で幸せなのはそこまで。
そこまでの夢はまるで古い恋愛映画を見るように物語は柔らかく滑らかに進み、明るくキラキラと輝いているのに、
そこからは
ぶつん、
ぶつん、
と途切れるように
虫食い穴がたくさん開いて
高い高い天井から 真っ黒な墨の雨が 降り注ぎ
夢の中のエレオノールがようやく掴んだ幸せは
もぎ取られ
食い荒らされ
塗り潰され
抗えない絶望にあっという間に
取って代わられた。
エレオノールはどこか遠くへと浚われた。
そして、エレオノールは愛する男とは別の男のものとなった。
その男がエレオノールにした仕打ちが何なのかは、夢に見ても幼いエレオノールにはまだよく分からない。
でも、それが良くないことなのは分かった。
夢の中のエレオノールは嫌がり、怖がり、泣き叫び、彼の元に帰りたがり、その度に男に殴られて、痛くて、無理やり、言う事をきかされた。
そのうちに諦めが支配して、
ああ、このひともかわいそうなひとなのだな
そう思った時に、もう、神の前で愛を誓ったあの人の元には戻れない身となった。
涙も流れなくなった。
時が経ち、やっと彼がエレオノールを探し出してくれた時には彼女の魂の火は消える寸前で、本当はその胸に飛び込んで離れたくはなかったけれど
自分の仕出かした彼への裏切りは、例え彼が許してくれても自分が許せなかったから、死の決別を選んだ。
火にまかれて、熱かった……
それでも、最期まであなたを想った……
夢の中の登場人物は現実の自分でも鳴海でもないということは、エレオノールにも分かっている。
でも、自分達と置き換えてしまうくらいによく似ていた。
この悪夢を見ると、エレオノールは泣いた。
男にされる仕打ちが怖いからなのか、愛する男と引き裂かれるからなのか、愛する男と長い別離が待っているからなのか。
それとも、そんな儚い人生しか歩めなかった自分が不憫なのか、そんな儚い人生が現世の自分にもまた用意されているのではないかという恐怖からなのか。
エレオノールは暗闇に跳ね起きて、大声で泣き叫んだ。
溺れる者が喘ぐように、闇雲に手を振り回し、縋れるものを探す。
彼女が愛して止まない者の名前を呼び続ける。
すると必ず、力強い腕がどこからか伸びてきて、エレオノールを抱き締める。
「大丈夫。オレが居るから。いつでも傍に居ておまえはひとりじゃないから。安心しろ。泣くんじゃない」
太くて低い声が耳にやさしく心地いい。
温かくて逞しい胸の打つ鼓動がエレオノールの身体に響いて、悪夢はどこかへと消えていく。
残るのは教会で愛を誓うくちづけを交わす、自分と大好きな人の姿だけ。
自分を包むように守ってくれるこの腕の中でなら悪夢はエレオノールに近寄っては来ないから、だからエレオノールはいつもいつもこの腕に抱き締められて眠りたかった。
腕の中のエレオノールが安らかな寝息を立て始めたので、鳴海はホッと安堵の息をついた。
怖い夢を見た後のエレオノールは鳴海がこうやって胸に抱かないと泣き止まないし、落ち着かないし、眠らない。
小さな頃から変わらないエレオノールの癖。
鳴海は涙で汚れたエレオノールの頬をそっと指の背で拭った。
「どんな悪夢がおまえを苦しめているんだ…?いつになったら、悪夢から開放されるんだろうな?おまえは…」
まだ彼女が 4,5歳の頃、どんな夢を見たのかを訊くと、取り留めなく、
「知らないおじちゃんが私を苛める」
「お兄ちゃまに会えない」
「熱くて苦しい」
などとしゃくり上げながら教えてくれた。
それらがどう繋がるのか、そもそもそれらがひとつの物語になっているのかは分からないが、いつ訊いても同じようなことをエレオノールは言った。
それがある程度大きくなってくると
「言いたくない」
「思い出したくない」
と口を噤むようになった。
魘される回数自体はめっきりと減り、こうして鳴海があやすことも滅多になくなったが、エレオノールの魘され方は年を経る毎に酷くなる。
10歳の少女の魘され方にしては尋常じゃない。
今夜のエレオノールはまるで誰かに犯されているようだった。
何やらと許しを乞い、喘ぐような声を漏らした。
そしてエレオノールは、彼女を抱き抱えた鳴海に幾度も幾度も謝った。
「ごめんなさい、あなた」、と。
それが10歳の少女の物言いだろうか?
実は鳴海も悪夢を見る。
エレオノールと初めて出会った頃から、時々見る、悪夢。
すっかり美しく成長したエレオノールが鳴海の求愛を受けてくれたので至上の喜びに浸っていると、この世で一番信頼していた男にエレオノールを奪われてしまう夢。
弟に、妻となったエレオノールを拉致され、陵辱されてしまう夢。
ようやく探し出したエレオノールは病に苦しんでいて、やっと作り上げた万能の薬を与えようとした矢先、罪を悔恨した彼女が炎に包まれて死んでしまう夢。
夢から目覚めた鳴海は闇に暗い涙を流す。
隣に眠るエレオノールの存在を確認し、その髪にくちづけをする。
鳴海はその同じ悪夢を繰り返し見る。
「前世の夢…?」
鳴海はポツリと呟いた。
鳴海には弟はいない。そして夢の中の女はエレオノールによく似てはいるがエレオノールではない。
前の世の、誰かの記憶か?
それとも、近い将来、エレオノールと離れ離れになることを憂いて、それに擬えてあんな夢を見ているのだろうか?
腕の中でスヤスヤと眠るエレオノールを鳴海はグッと胸に抱き寄せる。
「結ばれることが難しいのだとしても、せめて、ずっとおまえの傍に居ることができたらな……」
しかし、それもまた難しい。
「オレが見つけてやるから。おまえに相応しい男を。……どうあっても、オレじゃ太刀打ちできねぇようないい男をよ……」
そいつに預けて、オレは逃げよう。
鳴海はエレオノールの睫毛に光る涙の名残をそっと吸った。
エレオノールは薄く微笑んで、この世で一番愛する男の匂いに包まれて深い眠りに落ちていった。
End