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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
5.Tears. - 2 -
白く煙る景色の向こうに汽車が見えてきた。
「エレオノールがおまえに懐いてくれて良かったよ」
「やっぱり……行くのか?」
「ああ」
ギイは短くそう答えて立ち上がった。
「待て。今、エレオノールを起こして」
「いい。寝かしておいてやれ。……気持ち良さそうだ、とても」
鳴海を制し、ギイは頭を振った。
「でも」
「いいんだ。エレオノールが起きていると別れが辛くなる」
レールの軋む音がだんだんと近づいてくる。
「たまにエレオノールに会いに来る。彼女が起きたらそう伝えてくれ。僕はいつでも見守っていると」
「…分かった」
「ナルミ」
「何だ?」
「エレオノールのこと。くれぐれも頼む。僕も正二もおまえを信用している」
「何だよ、気持ち悪ぃなぁ…」
鳴海はボリボリと首筋を掻く真似をしてみせる。
ギイはエレオノールの丸くて小さな頭をやさしく撫でた。
「今度会うときはきっと大きくなっているな……僕のことを忘れないでおくれ」
地響きを立てて、ホームに汽車が滑り込む。
「僕の妹をよろしく頼む。間違っても可愛いからって手を出すんじゃないぞ?」
その言葉に鳴海の心臓がドキリとする。
「オ、オレには少女趣味はねーよ!」
そう答えながら鳴海は動揺していた。
その自分の返事が、どこか嘘くさく聞こえてならない。
どうしてなのかは分からないけれど。
「そうだな。おまえの買うのは皆、ショートカットの身体つきにメリハリのある女ばかりだものな」
「うるせぇよ!」
「冗談さ。おまえが少女に手を出すなんて思っちゃいないよ。じゃあな」
ギイは真っ赤な顔で怒鳴る鳴海に気取って手を振ると、大きなトランクを携え汽車に乗り込んだ。
そして、そのまま、ギイは二人の元から去って行った。
再び、駅には静穏が戻った。
相変わらず、雪が落ちてくる。
「手を出すな……か」
ふん。どうやって出せってんだよ、こんな子供に。
鳴海は独り言ちた。
鳴海は手の平を差し出して落ちてくる雪の一片を受け止める。
無垢で真白なそれは温かな手に触れて、瞬く間に溶けた。
鳴海は手の上に残る小さな水滴を黙って見つめていたが、舌を伸ばしてそれをペロリと舐め取った。
静けさが返って耳に痛いのか、エレオノールはギイの乗った汽車が去ってすぐに目を覚ました。
「あれ?ギイ先生は…?」
眠たい目を擦りながらエレオノールは起き上がる。
「ギイは……急に仕事が入ってよ。汽車に乗って行っちまった」
「私、寝てたのに?」
「おまえがあんまり気持ち良さそうだったから、起こさなくていいってギイが……すぐ帰ってくるからって」
「……」
エレオノールが下を向いて俯いてしまったので、鳴海はきっと泣いてるんだろうな、と思った。
案の定、エレオノールは静かに泣いていた。
「淋しいのか?」
「うん…」
鳴海はエレオノールを膝の上に横抱きにして乗せると、その泣き顔を覗き込んだ。
「お利口さんにしていればすぐに帰って来るさ。だからそれまで、オレとふたりで旅をして待っていようぜ?もっとも…オレはギイと違っておまえに何かを教えてやれるのか、ってゆーと……自信がねぇんだけどよ」
「うん…」
エレオノールは目元をゴシゴシと拭ってはいるものの、泣きじゃくりそうになるのを懸命に堪えているようだった。
「もう、泣くな」
「うん…」
せっかく拭ったのに、その大きな瞳にはまた涙が溢れそうになっている。
鳴海はエレオノールの銀色の眦を舌先で拭った。
さっき、溶けた雪を舐め取ったように。
反対側の眦にも舌を這わせる。
エレオノールは一度ぴくんと身体を揺らした後は瞼を閉じたまま、大人しく鳴海のなすがままになっていた。
最高級の絹の如き舌触りと、塩辛い涙の味。
初めて飲み下す、エレオノールの体液の味。
図らずも、鳴海の下腹部がうねる。鳴海はそんな自分に驚愕した。
そして荒げそうな呼吸を整えるために、鳴海は大きく吐息した。
鳴海の熱い息がエレオノールの瞳にかかる。
唇を離すと、エレオノールはもう泣いてはいなかった。
泣き疲れたのか、熱ぼったい眼差しで鳴海を見上げていた。
「偉いぞ、泣き止んで…」
「…はい」
エレオノールを見ていると、しかもその身体を腕に抱いていると、鳴海は奇妙な気分になってくる。
まだ下腹部がドクドクと脈づいている。
何を考えているんだ、オレは。エレオノールはまだ4歳だぞ?!
居た堪れず、鳴海はエレオノールを地面に下ろすと自分もまた立ち上がった。
「行こう。今夜は近くの村に宿を取ろう」
鳴海の伸ばした手に、エレオノールは縋るように手を差し出した。
ふたりの手はしっかりと繋がれる。
雪の降り方はどんどんと酷くなる。
「すぐに止む」
そう言ったギイの予想は外れた。
ゆっくりと歩き出す鳴海とエレオノールの姿を季節外れの雪が白く掻き消していく。
この日より、鳴海とエレオノールのふたりきりの旅は始まったのだった。
End