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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
42. Mon amour. -1-
ギイは空港の発着ロビーに腰掛けて、人を待っていた。
人波が途切れることなく流れギイの前を行過ぎていく。ギイは人波に目当ての人物を探すが待ち人は現れない。
ギイは何度も何度もロビーの時計をイライラと見上げた。待ち合わせの時間は大きく過ぎている。
金との戦いから30余年。
『しろがね』としてのギイの生活は何ら変わらなかった。
自動人形を破壊するだけの人生。『しろがね』と『真夜中のサーカス』との追いかけっこは依然続いている。
『真夜中のサーカス』を率いているフランシーヌ人形は、本物の作った影武者だ。本物は既にこの世にない。
だが、お前たちの崇めているフランシーヌ人形は偽者なのだと言ったところでそれを信じる連中ではなく、狂信的に目の前のフランシーヌの形をしているものに傅いている。
偽者を本物と信じて、偽者を笑わせようと懸命になっている。間違った方法で。人形は愚かで哀れだ。
そしてそんな人形を壊すことにしか生きる意味を見出せない『しろがね』もまた、哀れだ。
この30年、『しろがね』の数は減り続けている。アクア・ウィタエはもうない。
アクア・ウィタエを生み出す『柔らかい石』はエレオノールの中だ。心臓に癒着しているそれは、器が死ぬまで取り出すことができない。
減り続けるだけの『しろがね』の、永遠に続くような絶望的な戦いはまだ終わりそうにない。
ギイはまたロビーの時計を見上げた。
このままではギイの搭乗する飛行機のフライト時刻になってしまう。ふう、と溜め息が何度も漏れる。
ギイが苛苛と脚を組み替えたとき、背後から
「よう」
と低く太い声が聞こえた。
懐かしい声に思わず、ギイはそれまでの苛つきを忘れ、大きく息を吸い込んだ。らしくなく、心臓が高鳴る。
「変っわんねぇなぁ、おまえ。後ろからでもすぐに分かったぜ」
まー、その銀色は目立つしなぁ。悪びれもせずに大きな身体がギイの並びの席に腰を下ろした。
最後に言葉を交わしたあの日から30年経っているとは思えないくらいの自然体。
ギイ以上に30年という年月に影響を受けなかった男がニヤニヤと笑っている。
消息不明だった加藤鳴海がそこにいた。
「おまえこそなんだ。30分も遅刻じゃないか」
感無量になっていることを鳴海に気付かれたくないギイはかつてのように素っ気無く、ポーカーフェイスで文句を言った。
「そう言うなよ。オレのいたとこからここまでどんだけかかると思ってんだよ。それに30年ぶりなんだから大目に見ろって」
長い髪も逞しい体躯も変わらない。見た目の年齢にようやく実年齢が追いついた鳴海からは幾分落ち着いた印象を受けた。
「30年…おまえは連絡もなしに何をしていたんだ。僕らがどれだけ心配していたと思っているんだ」
「悪いと思ったし、今でも悪かったと思ってるよ…」
鳴海は目元に細かな皺を刻んだ。
「でも、オレだって広い中国を人形を壊して回ってたんだぜ?『しろがね』の本分は全うしてたぞ?」
僕が言いたいのはそういうことじゃない。
ギイはそう言いかけたが、グッとそれを呑み込んだ。
「そうみたいだな。今回、おまえからの連絡を受けたと『しろがね』本部から聞いたとき耳を疑ったよ。何しろ、あの戦いで行方不明になった男からの時を飛び越えての連絡だったのだから。…おまえは、今回のことがなければ行方を晦ませたままでいるつもりだったのか?」
鳴海は真っ直ぐにギイの責めるような視線を受け止めると、
「ああ」
と短く答えた。
先月、中国のある小さな村に『真夜中のサーカス』が訪れた。
ゾナハ病がばら撒かれ、自動人形たちの餌食にされた村は、たまたま村を留守にしていた村人などごく一部を除いて全滅をさせられた。
中国国内を流離っていた鳴海が自動人形の気配を察知し駆けつけたときには後の祭りで、『真夜中のサーカス』は既にいなくなっていたのだが、問題はそこが銀と金の兄弟が生まれ育った村だということだった。惨殺された村人たちの無念の亡骸に首を垂れることも忘れて、鳴海はあまりの懐かしさに胸を打たれてしまった。正確には鳴海の中の銀の記憶が揺さぶられていたのだが、古い村の佇まいは彼らが離れたときと殆ど変わらず、狂おしいほどの郷愁に溢れた鳴海は自然と生家に向かっていた。
白家。人形傀儡師の家。
家に足を踏み入れる。記憶の中の家よりは古惚けてはいるけれど確かにそこは『自分』が生まれ育った家だった。家中を懐かしく見回っていたとき、どこからか弱弱しい赤ん坊の泣き声が聞こえた。声を頼りに探したところ、竈の中で弱った赤ん坊を見つけた。母親らしき女が竈の口を自分の背中で蓋をして死んでいた。おそらくゾナハ蟲が我が子に害をなさないように、そうしたのだろう。鳴海が急いで重湯を作り食べさせたので、その赤ん坊は命を取り留めた。
廃村となることが決定したその村の生き残りは誰も孤児を養うゆとりがなく、鳴海は赤ん坊を自分の中国拳法の師父の家で育ててもらうように話をつけた。既に鳴海の師父は引退して息子に代替わりしていたが、息子には子どもがいなかったので男の赤ん坊を養子にすることにしてくれたのだ。
養子に出すにあたり、赤ん坊の相続するものの整理をしていた鳴海は一冊の帳面とそれと一緒に保管された煤ぼけた鍵を見つけた。
鳴海は帳面を取り出し、頁を捲り、そして鳴海は愕然とした。それは大昔に金が残した手記だった。
人間のように動く人形を作るための学問を修めようと村を出るところから、死を覚悟したそのときにフランシーヌに再会できる方法を思いついたことまでが詳細に書きとめられていた。鍵には『霊泉の鍵』の但し書きが付けられていた。
それから村人に白家が管理していた山を教えてもらい、山門をその鍵で開け未踏の山道を何時間も登ったその先に、鳴海は薔薇色がかった銀色の水の噴出す泉を見つけた。
鳴海は一目でそれが何かが分かった。
アクア・ウィタエだ!
ということはこの泉の底のどこかに『柔らかい石』が今も存在しているということだ。
このまま放っておくわけにはいかなかった。これまで自動人形に見つけられなかったことは奇跡だとしか思えない。
『しろがね』に連絡して、『柔らかい石』を早急に回収する必要がある。
鳴海は悩んだ。
そのためには自分が『しろがね』に連絡をしなければならない。そもそも、『しろがね』でない者が『柔らかい石』など知っているわけがないのだ。
匿名で連絡をしてもいいが、『しろがね』がやってくるまでの間、自分がここを見張り、引き継がなければならない。
それは自分の生死を明らかにすることに他ならない。
どうして自分は生死を濁し、世の中から切り離されたような場所ばかりを転々としながら自動人形を破壊していたのだっけ。
鳴海は薄く笑った。
もう、あれから30年経っている。いい加減、彼女も平和で幸せな人生を送っていることだろう。オレのことなんか忘れてるさ。
オレが彼女の前に姿を現さなければいいだけのことだ。
結局、鳴海は自ら『しろがね』と連絡を取った。
「『柔らかい石』のことさえなければな。オレはずっと行方不明でいるつもりだった」
「そうか…」
ギイにしても鳴海が行方を晦ませた理由が分からないではない。
鳴海がどんなに悲痛な覚悟で死んだ人間になることにしたのか、この30年、どんな思いで過ごしていたのかを考えると、ギイはそれ以上何も言うことはなかった。
「よく生きていたな」
「ああ」
「おまえ、あの時、金と心中するつもりでいたんだろう?」
「…ああ。オレにできる償いはそれしかなかったからな」
「あの後、僕を追い出した後、何があったんだ?正直、おまえですら生きて這い出ることは不可能だった筈だ。あの爆発では…」
鳴海はふう、と肩で息をついた。
「おまえが出て行ったあの後な、金と話をしたんだ。久しぶりにゆっくりと兄弟で話をしたんだ。金は死にかけていて口を開くのもしんどそうだったけどよ…」
そして鳴海は少し遠くを見ながら、教会が爆発して崩れるまでの間に何があったのかを語りだした。