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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
35. Forget - me -not . -4-
再会をひとしきり喜んだエレオノールと正二が仲良く手を繋ぎ、鳴海とギイのところにやってきた。
「さあ、ここにいても寒いだけだ、中に入ろう」
豪華で立派なコンパートメントで、鳴海とギイと正二とで旅ができるエレオノールは嬉しくて嬉しくて堪らないようではしゃぎまくっていた。
鳴海は全員の荷物を棚に上げるとギイとともに腰を下ろした。
「そうだ、エレオノール。発車までまだいくらか時間がある。正二と一緒にホームの売店でお菓子や飲み物を買ってきてはどうかな?」
ギイが提案した。
「お父様と?」
「おう、いいじゃねぇか。親父に甘えて好きなものを山ほど買ってもらえよ。いいなぁ、正二。可愛い娘と初ショッピングだな」
「初めての買い物が駅の売店というのは物足りないが…」
「日本に戻ったら心置きなく買い物して金使えばいいだろ、社長さんよ?」
鳴海が頬杖を付きながら正二に茶々を入れた。
「そうだな。行くか、エレオノール?」
「はいっ!」
鳴海の向かいに座っていたエレオノールは勢いよく立ち上がった。
「エレオノール」
コンパートメントを出て行こうとする少女を鳴海は呼び止める。
「なあに、ナルミお兄様」
エレオノールは必要以上に愛情を込めないように気をつけながら、キラキラと輝く瞳を細めた。
鳴海は自分のマフラーを解くとそれをエレオノールの首に巻きつける。マフラーはグルグルと何週もエレオノールの首にとぐろを巻いた。
「おまえにはちっと長いな」
鳴海は苦笑した。
「なあに?」
鳴海の温もりの残るマフラーを撫でながらエレオノールが訊ねると、鳴海は殊更真面目な顔で答える。
「外は寒いからよ。風邪引いたら困るしな」
「相変わらず過保護だな、ナルミは」
「売店は近くよ?こんな心配しなくても」
「いいから。しとけ」
しょうがないわね、と微笑むエレオノールの顔を鳴海はじっと見つめ、その頭を撫でた。
指がエレオノールの長い髪を一房すくう。腰まである銀糸を梳くとそれはゆっくりと鳴海の手から零れていった。
「さあ、早く行け。買い物に欲張って乗り遅れるなよ?」
「うん」
待ちきれないエレオノールはコンパートメントを飛び出していった。
エレオノールのいなくなった場で正二が真剣な顔になり
「……鳴海……面倒をかけた。これまでありがとう。ギイも…」
と頭を下げた。
「エレオノールはお利口さんだったからな。ちっとも苦じゃなかったぜ」
「正二、エレオノールと時間を取り戻せ。それにこれが今生の別れ、というわけでもあるまい」
「……」
「そうか、そうだな」
「害虫退治をとっとと済ませて帰ってくる。なあ、ナルミ」
「ああ」
「待ってるぞ。いい知らせを」
しんみりとするコンパートメントにパタパタと軽い駆け足が近づいてくる。
「お父様、早く早く!」
エレオノールが正二を急かしに戻ってきたのだ。
「あ、ああ、今行く」
「早くしないと列車が出ちゃう。たくさん買ってもらうのだから」
「ようし。エレオノールの欲しいものは何でも買ってやるぞ」
正二と手を繋いで嬉しそうなエレオノールの横顔を、鳴海は目元を歪めて見送った。
「すまん…正二…」
鳴海はギイに聞かれないように、口の中で正二への謝罪を呟いた。
「さあ、行くか。ナルミ」
「おう」
たくさんの袋を両腕に抱えたエレオノールが列車に飛び乗ったのは、列車が動き出す寸前だった。
「お父様、乗り遅れるところだったわね。びっくりしちゃった」
「エレオノールがあれもこれも欲しがったからなぁ」
「だって、お兄様に食べて欲しいものがいっぱいあったのですもの。お兄様は甘いものが大好きだから」
「……」
「ギイ先生はすぐに『ワインに合わない』って言うから知ーらない。でも4人で旅をするなんて嬉しくて堪らないわ」
「……」
正二は黙っていた。ウキウキと前を歩くエレオノールの背中をただ見つめるしかできなかった。
「ただいま!…あら?」
エレオノールが元気よく戻ってきたコンパートメントは無人だった。
「あ、あら?私、部屋を間違えたのかしら?」
エレオノールは通路に戻り部屋番号を確かめる。間違ってはいない。
「お兄様たちどうしたのかしら?」
ふたりしてお手洗いかしら?
もう一度室内を見回す。棚には見慣れた自分のカバンがある。正二のものもある。
けれど鳴海の荷物がない。ギイの大きなトランクも。
「ギイと鳴海はこの列車には乗らなかった」
正二が低い静かな声で言った。エレオノールは青くなって父親を振り向いた。エレオノールの腕から袋が滑り落ち、床にお菓子をばら撒いた。
パラパラカラカラと転がるお菓子を踏み越えてエレオノールは窓際に寄ったが、加速度を上げる汽車は駅のホームからはとうに離れている。
エレオノールは正二に詰め寄りヒステリックに叫んだ。
「ど、どうして?!」
「ふたりは『しろがね』の任務でここを発った」
「『しろがね』の…?」
エレオノールの瞳には涙が盛り上がる。
「彼らは『しろがね』…」
「それで私が邪魔になってお父様に預けていったというの?!どうして私を連れて行ってはくれなかったの?!」
「ふたりが向かったのが……戦争だからだ」
「戦、争?」
ぽふ、とエレオノールは床に力なく座り込んだ。
正二は娘をやさしく抱き起こすと座席に座らせ、自分もまたその隣に腰掛けた。
「彼らは戦うのが運命、だからな…」
エレオノールは正二に頭を持たれかけさせながら、ポロポロと涙を零した。
だからなの?
だから、ナルミは私を抱いてくれたの?
本当の夫婦になってくれたの?
別れることが分かっていたから?
最後の夜になるって知っていたから…?
だからなの…?
思い返してみればここ数日の鳴海は溜め息がちだった。瞳が寂しそうだった。
それでもいつもと変わらずにやさしくしてくれた。温かかった。
エレオノールは自分の首を抱き締めるマフラーに手をやる。匂いを嗅ぐと、濃い鳴海の匂いがした。
鳴海の残滓。
元気で、幸せになれ。
でも、できるなら、オレを忘れないでくれ。
鳴海からのメッセージ。
「ぅ…ぅ…」
エレオノールは正二にしがみ付くと声を上げて泣いた。
「大丈夫。ふたりとも返ってくるさ。ギイと鳴海が組めば向かうところ敵なしなのだから」
正二はエレオノールの身体を力強く抱き締めた。父の腕は安心できた。
けれど。
エレオノールは鳴海の腕が恋しかった。
そして、鳴海がその戦争から自分の元に戻ってくることはない、そんな予感に胸を締め上げられて、エレオノールは声が枯れるまで泣き叫び続けた。
もしかしたら、ひょっこりとそのコンパートメントの扉を開けて、あの人懐こい笑顔を見せてくれるかもしれない。
冗談だよ、驚いたか?って言ってくれるかもしれない。
そんなエレオノールの切なる願いは裏切られ、終着駅に着いても鳴海は帰ってこなかった。
End