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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
28. The root of all evil. -4-
瞬きのうちに人形の壁が崩壊する。
「な…?」
「まだるっこしいマリオネットと違ってオレの武器は身体一つでな」
破壊された自動人形の小山を飛び越えて爛れた顔に不敵な笑みを浮かべた鳴海がディーンの目の前に迫った。
初めて見る、人形を操らない『しろがね』の身体能力を目の当たりにしたディーンは後手に回るしかなかった。
動きが人間離れし過ぎている…!
「一撃必殺なんだよ」
「く…っ」
ならばもう一度、その身体を焼いてやる!
必死に突き出されたディーンの腕を掻い潜って鳴海はディーンの間合いに入ると、ギミックを発動される前にその両腕を圧し折った。
「間合いに入っちまえばオモチャのついた手なんて怖かねぇ。こんなもん、一度使っちまったらおしまいだぜ?」
「ぐああっ!」
「同じ手が二度も通用すると思ったら大間違いよ。オレをなめんな」
続けて顔面ど真ん中に渾身の正拳突きを一発入れた後、秘中、水月、電光、丹田、と急所に狙い違わず拳を減り込ませる。
重い拳は深々とディーンの身体に沈み、全身に骨の砕ける音を響かせた。
「あっ…が…っ」
堪らずディーンは口から血泡を吹いて身体をふたつに折った。
「おまえは『しろがね』だからな、手加減なしだ」
ディーンは憎しみの篭った瞳を鳴海に向けるが、血反吐交じりの涎を両端から垂らした口は激痛に話すことも呼吸することもできない。
「10倍返しだ」
「ナルミお兄様!」
ディーンから逃れたエレオノールが鳴海の背中にしがみ付く。
「大丈夫?」
「ああ、こんなのどうってことねぇ火傷だ」
そう強がる鳴海の表情は言葉とは裏腹に苦渋の色が濃い。
「さ、『しろがね』本部に連れてってやる。申し開きはそこでするんだな…」
鳴海はディーンへと歩を進め、長い腕を伸ばした。だが、ディーンの首根っこを押さえようとした鳴海の手は空を掴んだ。
身動きできないディーンの身体を逃走用の自動人形が手を伸ばし抱き上げると、空に飛び上がったからだ。
「しまった!そいつらの破壊が先だったか!」
鳴海は自分の詰めの甘さに舌打ちをする。
「くそ!逃げんのか!」
ディーンは鳴海の手が届かない位置で人形をホバリングさせると鬼のような形相で鳴海を睨みつける。
そして何やらと言葉を吐いて、天高く舞い上がり、そのまま西の空へと消えていった。
騒々しいプロペラの音で掻き消された、苦悶するディーンの口元から搾り出された声はエレオノールには聞こえなかった。
常人離れした『しろがね』の鳴海の耳にだけ届いた。
「…新しい真夜中のサーカスで待ってるよ…」
逃げるディーンの姿が青い空に豆粒ほどにも見えなくなった時ようやく、鳴海は地べたに座り込んだ。
ハッハッと犬のように浅く息をつき、ひり付く苦痛を逃そうとする。口の中も少し、焼けていた。
「お兄様?」
エレオノールが心配そうな声で訊ねながら、どこかで濡らしてきたハンカチを差し出した。
「さんきゅ…」
鳴海は受け取ったハンカチを顔に当てる。冷たいそれは酷く沁みて鳴海は悲鳴を上げそうになるのを堪え、思い切り顔を顰めた。
白いハンカチはすぐさま真っ赤に染まった。
「すまん……汚しちまった…」
「いいの。痛む?」
「オレは『しろがね』だから、アクア・ウィタエ入りの血が流れている限り傷は治る。気にするな。それより、今のオレの顔は見ない方がいい。胸が悪くなるぞ?」
鳴海の相貌の左半分は見るも無残に崩れていた。皮膚は溶け、柘榴のように肉は弾け、ところどころに白い骨が覗いている。
顔から首、胸にかけては肌がケロイド状になり、上下の目蓋が融け固まってしまったせいで分からないが眼球も焼けてしまっているようだった。
エレオノールの目がなかったらあまりの痛みに悶絶して恥も外聞もなく、地面の上を転げまわっていることだろう。
「大丈夫、平気」
エレオノールは鳴海のすぐ傍に膝を抱えて丸く座る。
「どんなでも、お兄様はお兄様だから…大好きよ」
愛しい。
愛しくて堪らない。
汲めど尽きぬ愛情で痛みすらも癒えていくような気がする。
地元の警察が現場に到着するまでの間、鳴海はエレオノールにこれまで秘密にしていた彼女の身の上をとつとつと話して聞かせた。
彼女は両親ともが『しろがね』であり、先程ディーンが語った事情により、母・アンジェリーナは殺されてしまったこと。
『柔らかい石』はどうしてかエレオノールの体内に移り、それは心臓と同化していて取り出すことは無理であること。
自動人形の大群に襲われたエレオノールを守ることを任されたフランシーヌ人形は逃走中、井戸に落ち、命の危機にさらされたエレオノールの中の『石』が井戸水をアクア・ウィタエに変化させたため、溶けて消滅してしまったこと。
『柔らかい石』は『しろがね』にとっても自動人形にとってもディーンにとっても必要なものだったため、エレオノールの身には危険が隣り合わせだったこと。
エレオノールを戦いに巻き込みたくないと考えた父・正二とギイは彼女を死んだことにしたこと。
身の安全が保証されるまでは一つ所に居ない方がいいだろうと旅暮らしをするようになったこと。
そして、そんな境遇のエレオノールの守人として自分は選ばれたこと。
「私には……そんな秘密があったの…」
鳴海と並んでベンチに腰掛けるエレオノールの瞳から涙が静かに零れ落ちた。
「誰にも知られちゃならない秘密だから…エレオノールがそれなりに大きくなるまで黙っていよう、そういう話だったんだ。知れば親父に会いたくなるだろ、子どもなら。それに何かの拍子に『私のお父さんは才賀機巧社の社長なの』って言っちまってそれが聞きつけられでもしたら事だからな」
「うん……分かる…」
エレオノールは小さく頷いた。
「だけどもう、黙っている理由はなくなった。これがオレの知るおまえの事情の全てだ。もっと詳しいことを知りたければギイに訊けばいい…。そうでなくても、きっと近いうちにおまえは親父に会える」
「父に…?」
鳴海は力強く「ああ」と答えた。
「そのときに全部訊くといい。おふくろさんがどんな人だったのか、おまえがどんなに望まれて生まれてきた子どもだったのか」
エレオノールは鳴海の手をきゅっと握った。
「ね、ナルミお兄様はずっと傍に居てくれるのでしょう?私が事情を全部知っても…父に会っても…」
自分を見上げるエレオノールの瞳があまりにも無垢で純粋だったから鳴海は直視するのがとても苦しかったけれど、懸命に瞳を合わせて
「そうだな…」
と一言だけ返した。
そうだな。ずっと居られると、いいんだけどな。でもきっとそれは難しいな。
短い返事の後ろの空白にはそんな言葉が続く。
ずっとは一緒に居られない。
けれど、真実を吐露してしまった今しばらくの間だったら……もう、我慢はしなくていいのではないか?
「無人駅でよかったな、ここ……でなかったら大騒ぎになってた…」
「うん」
「警察にとっとと片付けてもらったら、すぐに宿に帰ろう。草臥れたぜ、何だか」
「うん」
「エレオノール」
「はい」
「愛してるよ」
「……」
「初めて会った時からずっと愛してた」
「……」
エレオノールは鳴海の痛くない右側に抱きついた。
「私も…」
それ以上は涙で声にならなくてただただ力一杯しがみ付くことしかできないエレオノールを鳴海はやさしく右腕で抱き止める。
愛しい温もり。ずっと手にしたかったエレオノール。
エレオノールと出会ってから鳴海が己に課していた忍耐の緒は終に切れてしまった。
すまん、ギイ。
すまん、正二。
鳴海はエレオノールの身体に回す腕に熱を込めながら、心の中で懺悔した。
エレオノールを愛する気持ちをもう塞き止めることはできなかった。
塞き止める気もなかった。
End