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義務教育を終えてない方はご遠慮ください。
Unbalance.
21. Crack. - 6 -
女が居なくなってもエレオノールはその場を動けないでいた。
そのうちに鳴海の部屋の中からシャワーの流れる音が聞こえてきた。
『恋人』と流した汗を洗い落としているのだろう。
エレオノールがそんなことを思いながら、白い置物のように廊下で丸くなっていると、今度は騒々しい足音が近づいてきた。
一見真面目なサラリーマン風だが、散々表で酒を飲んできたようでフラフラとエレオノールのすぐ傍を通り過ぎる。
が、これまでのホテルの客とは違い、エレオノールの存在に気がつくと即座に声をかけてきた。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん?こんな時間にこんな場所で。締め出されちゃったのかい?」
言葉を受けてエレオノールは疲れ切った面を上げた。
酔いも思わず醒めてしまうほどの美貌。
酔っ払いの男はあまりにエレオノールが美少女だったので目を見張って息を呑んだ。
「困ったことでもあるのかい?」
男の声が辺りを憚るかのように小さく、低くなる。
それに反して多分に含まれるようになったある種の欲望。
エレオノールは男の内面の変化などにはとんと無頓着に、彼女自身を今も締め付ける疑問をぶつけてみた。
「ねぇ、教えて欲しいの。どうしたら胸って大きくなるの?」
「む、胸?」
「そう、胸。私のが大人の女の人のみたいに大きくて柔らかそうなおっぱいになるのにはどうしたらいいの?」
この世のものとは思えない美少女の口から漏れる魅惑的な言葉。
男はごくりと喉を鳴らした。
エレオノールは澄んだ瞳を目の前の濁った瞳に惜しげもなく向ける。
「考えたんだけれど……分からなくて。髪は切ればいいって分かるんだけれど……」
「お、大きくしたいのかい?」
「ええ、今すぐにでも」
エレオノールは澄んではいるけれど虚ろな瞳で返事をする。
男はエレオノールの身体を嘗め回すように見、そしてその瞳に好色そうな光を宿して言った。
更に更に声を潜めて。
「だったら僕の部屋においでよ。僕はどうしたらおっぱいが大きくなるのか知っているよ?手伝ってあげようか?」
エレオノールは男の瞳の色をどこかで見たような気がした。
ああ、そうだ。悪夢の中に出てくる男もこんな瞳を私に向けるっけ。
「さあ。おいで。身体が冷えてしまっているじゃないか。まあ、放っといても身体もついでに温まるから…」
男はエレオノールの華奢な肩に手を回し、その身体を立たせようとし、エレオノールも大人しく男に促されるままに立ち上がった。
何て上手そうな子羊だろう。
数分後に我が身が浸すだろう快楽に思いを馳せて、男はべろりと舌なめずりをした。
バタン!
その時、壊れるほどの勢いですぐ傍の部屋の扉が開いた。
「とっとと失せろ。彼女はオレの連れだ」
地を這うように低い声が扉の向こうから響く。
気圧されるような威圧感が開いたドアから噴出してくるようで、男はたじろいでしまった。
そしてエレオノールも青くなった。もともと蒼白だった顔面が更に紙のように白くなる。
「うるさい。こんな小さな子をこんな場所に放っといたくせに!邪魔をするな」
こんな獲物にはそうはお目にかかることはできないだろう。
膨らみきった欲望に手伝ってもらい、酔っ払いの男は威勢良くそう返事をした。
「何だと?」
扉から現れたのは天井に頭の天辺をこすりそうな大男だった。
上半身は裸。薄暗闇の中でも見事な筋肉が隆々と盛り上がっているのが簡単に見て取れる。
少女の緊急事態に急いで出てきたのだろう、ジーンズはとりあえず足を突っ込んだ程度でボタンもファスナーも閉まっていない。
しかもその大男が髪を逆立てる程に怒り心頭なのが目に見えて、酔っ払いのそれは所詮張子の虎でしかなかったら呆気なく、恐る恐るエレオノールから手を離した。
「失せろ」
鋭い眼光で静かに威嚇され、男はそそくさと居なくなった。
狭い廊下にはまだ鳴海の殺気が渦巻いているようだった。
鳴海はふーっふーっ、と肩で息をつき、ギラギラとした瞳で男の去った方向をまだ睨みつけている。
エレオノールは恐ろしくなった。
こんなにも怒っている鳴海を見たことがなかったから。
先日鳴海に叱られたときも怖かった。けれど今の方がずっと怖い。ずっと怒っている。
今のエレオノールには「叱られることをした」という自覚もはっきりとある。
鳴海の『恋人』を廊下で待ち伏せして。
部屋に戻るように言った鳴海の言葉に従わずその間、ずうっと浅ましくも鳴海の部屋の様子を窺って。
そして、見ず知らずの男について行こうとした。何が待ち受けるのか、大体予想しておきながら。
ガタガタと身体が震える。
鳴海はもっと自分を嫌いになるだろう。
嫌いになられてもいいと思った。
どうなってもいいと思った。
鳴海が『恋人』と会うのなら、私も誰かの『恋人』になってしまおう、そうすれば鳴海も私の痛みが分かってもらえるかも、
そんな風に一瞬考えた。
けれど。やっぱり嫌!
お願い!もうこれ以上私を嫌いにならないで!
「馬鹿!」
頭上から降り注ぐ言葉に殴りつけられたような心地がして、エレオノールはびくっと身を竦めた。
「ご…ごめんなさ…い」
エレオノールは両手で顔を覆うと、鳴海の次の叱責に身構えた。
カタカタカタカタ。
小さなエレオノールの身体が小刻みに震える。
笑わなくなってしまったエレオノール。苦しそうに鳴海の動向を窺うエレオノール。謝って泣いてばかりのエレオノール。
ほんの数日前までの明るくて無邪気なエレオノールは影も形もなくなってしまった。
そうさせたのは自分。
愚かな劣情を我慢できない最低な自分の責任を幼いエレオノールに転嫁した結果がこれだ。
エレオノールはまだ幼いんだ、身体が成長しても心がまだ不安定なんだ。
エレオノールの心が不安定なのは確かなことだが、それは決して「幼いから」が理由ではなく、「鳴海を女として深く恋しているから」が正しい。
けれど鳴海はそんなことを夢にも思わない。自分の想いで精一杯で。
矢継ぎ早に叱責が飛んでくると思った。
「馬鹿タレ……何であんな変な男について行こうとするんだよ……」
でも続いて聞こえた鳴海の声はどこか苦しそうで、どんな表情で鳴海が自分を見ているのかが知りたくなったエレオノールが顔から手を離した瞬間
彼女はふわっと鳴海に抱き締められた。
頬に当たる鳴海の髪はまだしっとりと濡れていて、先程の『恋人』の甘ったるい匂いはどこにも嗅ぎ取れなかった。
いつもの鳴海の匂い。
一緒に眠ると、いつもエレオノールを包んでくれていた大事な匂い。
鳴海もエレオノールもホテルの備え付けの石鹸を使うから、ふたりはいつも同じ匂いをさせる。
鳴海とひとつになれたような気がして、エレオノールを幸せにさせてくれる愛する男の匂い。
とんでもなく叱られると覚悟していても、抱き締めてもらえるだなんてエレオノールは欠片も思っていなかった。
自分は鳴海にとって邪魔な子。
もう手も繋げないと思っていたのに。手を差し伸べられても絶対に繋がないと決めていたのに。
けれど、鳴海は怒らず、突き放さず、エレオノールを抱き締めた。
まるで恋人にそうするように。
だからもう離れたくなくて、エレオノールは鳴海の身体にぎゅっとしがみ付いた。