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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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あんばらんす





★その音に耳をすませば 確かに記憶に存在する不変の物語★





人は、幼年時代の記憶をどこまで覚えているものだろうか。
幼き頃の記憶を留めるメモリは小さ過ぎて、その後の膨大で新しい記憶に押しやられて、大抵は忘れ去られてしまうだろう。
12年も前の、5歳の頃の記憶。
小学校に上がる前の、幼稚園に通っていた頃の記憶。なんて。


彼女自身、思い出せるのは断片的な記憶ばかりで、殆ど、覚えていないのが正直なところだ。
母親の急逝がショックで、父とも兄とも離れて、忘れたくない、忘れたいことが多過ぎて、余計。
面白くとも何ともない毎日、寂しさに死んでしまいたい毎日。
そんな彼女の幼い心を救ってくれたのは、幼稚園のとある先生だった。
若い男の先生で、親身になって彼女の話を聞いてくれた。
感情が乏しく、孤独に過ごしている子どもなんて扱いに困ったろうに、彼はいつも笑って話しかけてくれた。
他の先生みたいにアヤすような調子じゃなくて、子どもと同じ目線まで下りてくれた。


大好きな先生だった。
幼い自分の、初恋の人だった。
だいぶマセていたのね、私…、と苦笑せざるを得ないが、あの頃、幼いなりに真剣にその先生が好きだった。
色褪せた忘却の時代。
だけれど、その先生に纏わる思い出だけは、今でも鮮明にたくさん残っている。


でも、そんな先生は皆から人気があって、ぼっちでいる自分の元に引き留めてばかりもいられなくて、先生の傍に出来るだけいるためには、殻から飛び出さねばならなかった。
頑張って、遊びの輪に加わった。
そうしたら、先生が物凄く嬉しそうに「えらいぞ」って頭を撫でてくれたのだ。
自分の細い手で、先生がしてくれたように自分の頭を押さえてみる。
温かくて、大きな手。忘れない。


「せんせいのおよめさんになりたい」
そんなことを口走る女の子もいた。複数いた。
他の子にそんなとを言われて、「うはは、嬉しいなぁ」なんて返している先生が、心底憎らしかった。
彼女だって、そう思っていた。
でも、子ども心にそんなことはおいそれと言う物ではないって気付いていたし、他の子同様、十把一絡げにあしらわれたらと思うと怖くて、言えなかった。
本気だから言えなかったけれど、言わないから本気だって気付いてもらえないのかも、なんて酷く悩んだ。
「だいすき」と告げて抱きつく時は、全身全霊をこめて、「だいすき」と念じていた。


相当に情念深くて嫉妬深い5歳児だったと思う。
きっと、その性格は三つ子の魂で、今も変わらない。
だから、幼稚園の頃の他愛ない約束を、12年も経った今、果たそうとしているのだ。
(ようやく会える…先生に、逢える…)
幼稚園に行くのが毎日楽しかった。
幼稚園に向かう道のりは、毎朝輝いて見えた。
思い出す、その角を曲がると、先生の待つ幼稚園     


もどかしい歳月を飛び越えて、ついに視線の向こうに、その幼稚園が現れた。
建物の外観の、現在と過去を照らし合わせながら、ゆっくりと近づいて行く。
12年の時が流れて更に鄙びた建物、外壁を最近塗り直したのだろうか、それだけが妙にちぐはぐな真新しさを醸し出している。
人工芝の園庭と道路を隔てるフェンスの前に立つ。
「……こんなに……狭かったかしらね…」
大きな背中を一生懸命に追いかけた園庭は、果てしなく広かった気がするのに。


建物の中からは賑やかしい声が聞こえる。
天気は申し分ないのに、園庭には誰の姿もない。
「あ…ちょうど…お弁当の時間ね」
腕時計に目を落とす。間もなく、お昼も終わる時刻。
心臓がとくんと音を立てた。
ほんの少し待てば、お昼休み、この園庭も園児達で溢れるだろう。
そして、付添いの教諭も、出て来るだろう。
ぎゅ、と締め付けられるように胸が痛くなる。


敬愛する先生が、12年経った今もこの園に在籍していることは、年に2回の季節の挨拶で把握している。
その為に、ハガキには幼稚園の住所を書いていた。
ポストにハガキを落とす度、あて先不明で戻って来たらどうしようと心配だったけれど、先生は、彼女の便りに必ず返事をくれた。
果たして彼が、差し出し人が誰であるかをちゃんと把握して返事をくれるものか、その他大勢のひとりとしてくれているものか、毎回変わり映えしない同じ文面からは計れない。
ただそれでも、手書きの「元気にしているか?」の一言が、彼女にとって何よりも楽しみだった。
だからきっと、こんな急な訪れでも、先生は園にいると思う。


フェンスに添って歩きつつ、園の様子を懐かしんでいると、園舎から子ども達がひとりふたりと飛び出して来た。
心臓の駆け足は、ただでさえ落ち着かない心を不安にさせて、彼女の足を園庭から遠ざけた。
園舎の裏の、人気のない通用門へと逃げ落ちた。
「…こ、怖い…わ…」
自分の縋っている約束が、急激に、ちっぽけなものに思えて来た。
12年間、それだけを頼りに生きて来たけれど、それが何だと言うのだろう。
大切に思っているのは、自分だけ、その事実を白日の元に晒されたら、
「どうしたら、いいの…」


通用門の脇に設えられた道具置き場には、桜の樹が描かれた大きな看板が立て掛けられている。
もうじき、卒園式の季節。
私の心はまだ、あの教室から、動けないまま。
「いくじなし…」
緊張に震える唇を噛み締める。
園庭にはいよいよ、昼休みを満喫しようとする園児の声が本格的に溢れ出した。
先生はきっと、彼女の記憶にあるがままに、園児達と全力で遊んでいるだろう。
『ほら、天気いいぞ?一緒に遊ぼうぜ?』
大きな手の平を差し出して、太陽の下に駆け出して行く。
そういう先生だった。


「どうしよう…このまま、帰っちゃおう、かな…」
そうすれば、傷つかない。
夢は夢のまま、理想は理想のまま、希望は希望のまま、鍵を失くした宝箱を抱えているのだと諦めることが出来る。
「一目だけ…遠くから、一目だけ…。先生を見て、それで帰ろう、かな…」
そのくらいなら、約束は壊れない。


もう一度、園庭へと爪先を向けた時、園舎の通用門への扉がガチャリと開いた。
反射的に音のする方に目が行った。
建物から出て来たのは、とても背の高い、遠目に見ても、筋骨隆々とした体躯の男性だった。
これから作業でもするのか、頭にタオルを巻いて、サンダルに足を突っ込んでいる。
あの先生も、とても背が高かった。
でもそれは、幼稚園児だった彼女の記憶だったから、大人は皆大きく見えたのだと思う。


「さぁて…ガキ共が遊んでる間に、もう一頑張りするかぁ…」
声が聞こえた。
途端、その声に向けて、神経が記憶が、彼女の全てが解放する。
自分の中で停滞していたものが突如として物凄い勢いで流れ出し、遠い昔に置いて来た点が、現在地点と線で結ばれて、ようやく自分が自分になれたような不思議な心地がした。


顔も、確認するまでもない。
それが誰かなんて、教えられるまでもない。
「ナルミ、先生…」
愛おしい恩師の名前を口の中で、大事に呟いた。
突っかけサンダルの裸足をペタペタ鳴らしながら、男はやって来る。
「うう…北側は流石に寒……ィ……」
そうして、通用門に手を掛けたまま棒立ちになっている女性を見つけ、彼もまたその場に根を生やしたかのように固まった。



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