忍者ブログ
『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。







おりがみのおほしさま





★黒い海の底へ 答えのない旅へ 暗闇の向こうに何があるの★





薄桃色に膨らみ出した桜の蕾を冷たい雨が弱く濡らす、晴れの日には相応しくない空の下、鳴海の幼稚園では卒園式が執り行われた。
幼い卒園児達は『卒園』の何たるかを理解しているわけでもなく、非日常的な一張羅を着せてもらえた興奮と、漠然としたランドセルへの憧れを胸に、元気いっぱいの歌を合唱している。
我が子の成長に涙する保護者達に混じり、涙脆さに定評のある鳴海もまた鼻を啜っていた。
小憎たらしくも可愛い教え子達との別れ、この先、小学校、中学、高校と進んで行くにつれ、朧になっていく記憶。
ずっと同じ所に住み続ける子らばかりではない、幼稚園児とその教諭は、希薄になることが定めの関係なのだ。
その脆い関係性の中に、エレオノールもいた。
この春から彼女の父親の日本勤務が始まり、新居もめでたく完成したと聞く。
エレオノールも、都内にある良家のお嬢さん御用達の有名私立小学校に入学が決まっている。
そして鳴海は、彼女の未来が明るいものであれと、送り出す立場だ。


幼稚園生活最後の「みなさんさようなら」を終え、園庭で待つ親元へと、子ども達がぞろぞろと教室を出て行く。
その波に逆らって、エレオノールが鳴海の元にやって来た。
「なるみせんせい!」
鳴海はその前に膝を突いて目線を合わせると、
「エレオノール、卒園おめでとう」
と伝えた。
本当は、彼女がいなくなる卒園式などクソ喰らえだと思っていたけれども。


「せんせいのキレイなカッコ…はじめてみた」
鳴海はネクタイを締め直してみせる。
「さすがに卒園式にジャージってワケにゃいかねぇからな」
「うふふ。かっこいい」
「だろ?」
エレオノールの笑顔が見るからに萎んで行く。
「あのね…このあと、おひっこし、なんだって」
「うん」
懸命に作る笑顔は、唇を震わせる痩せ我慢の賜物だ。
『そつえんおめでとう』と書かれた安っぽいピンクの胸花の花弁も、散ってしまいそうだ。
「だからもう、みんなみたいに、ここにあそびにくること、できないの」
「うん」
電車の距離は、幼い彼女にしたら地球の裏側と同義だろう。
そして、大人の鳴海にとって他愛ないその距離は、踏みこんではならない高い壁に遮られている。


「せんせい…、わたしのこと、わすれないでね」
そう言って、エレオノールは園服のポケットから何やらを取り出した。
小さな両の手の平に載るのは銀色のホイル折り紙で作った、星。
鳴海が初めてエレオノールを読書以外の場に連れ出した時に、一緒に折ったものだ。
「好きな色を選んでいいぞ」
と言ったら、遠慮がちに選んだ色が、銀色だったのを覚えている。
「おまえの色だな」
なんて言ったことも覚えてる。


「わたしのたからもの。せんせいにあげる」
「へへ…ありがとよ」
受け取った星をキラキラと振って見せる。
蛍光灯の灯りを反射した星の光が、涙の盛り上がった大きな銀色の瞳の中で瞬いた。
んじゃあお返しに、と鳴海もスーツの尻ポケットから何かを引っ張り出す。
それは、エレオノールがくれたものと同じ、金色のホイル折り紙の星。


「くれるの?」
「うん」
「いっしょに、せんせいがおったおほしさまね」
両手で受け取った星を、エレオノールは胸に抱きしめる。
「わたしの、あたらしいたからものにするね」
「うん」
「せんせいがつくったおほしさま…おひさまと、おなじいろ…」


次の瞬間、エレオノールの涙が堰を切った。
否、決壊したのは彼女の感情だったかもしれない。
エレオノールは聞き分けのいい子どもだった。
泣いた顔なんて、一度だって見たことなかった。
大人びたそのエレオノールが、年相応の子供らしく、しゃくり上げて泣いている。
鳴海の胸にしがみ付いて、ずっと堪えてた本心を訴えた。


「わたし…わたし、とおくにいきたくない…っ」
「せんせいに、あえなくなるの、やだ…」
そして、
「せんせいの、およめさんになりたい」
エレオノールはそう言った。


先生のおよめさんになる、これまで何人のマセた女子に言われたろうか。
婚約者予備軍が山といた鳴海だけれどどれひとつとして本気に受け取っていないし、言った本人達だって言ったことすら忘れている。
エレオノールが、これを言ったのは初めてだった。
エレオノールのこれも、他と同じ、時が経てば忘れてしまう、可愛い感情だ。
この先、環境が変わって、新しい出逢いが幾らでもある。新しい、恋もする。
幼稚園の時分の、年上の男性教諭に抱いた恋情で、未来の彼女の恋愛を肥沃に出来ればいい。


だって、エレオノールは6歳で。


オレは、21歳だ。


「ねえ、せんせい?せんせいのおよめさんになったら、わたし、せんせいといっしょにいられる?」
エレオノールは寂しいのだ、温かな家庭から遠ざかっているから。
その心が言わせている台詞。
大体が、『結婚』の概念を、この年の子どもは厳密な意味で理解していない。
だから、いつも通り、他の園児にしてきたように、軽く流せばいい。


だけ、なのに。
鳴海だって、幼児であるエレオノールに恋愛感情を持っているわけじゃない。
当然、彼女を性欲の、そういった対象に見たことは、神に誓って一度だってない。
それでも、流せないのはきっと、どうしたってエレオノールに対する気掛かりのせいだ。
この年で達観せざるを得なかった環境に置かれた、彼女の幸福を祈らずにいられないからだ。
ならば、自分との約束がしばらく、彼女の心の支えになるのであればそれでいいじゃないか、そんな風に結論付けた。


鳴海はエレオノールの身体を抱き起こし、涙で汚れた頬をスーツの袖で拭ってやる。
「エレオノール?」
ひっくひっく、と泣きじゃくるエレオノールの喉はまともな言葉を形作れない。
大きな手の平でエレオノールの銀髪を撫でつけるようにして撫でながら、鳴海は噛んで含めるように言った。
真っすぐにエレオノールの目を見て。
エレオノールも、ウサギの瞳で鳴海を見返した。


「おまえが18歳になった時、これを失くさずに持っていたら。そんで、その時まだ、それを叶えたいと思ったなら。ここにもう一度来るといい。オレはここで待っていてやるからよ。な?約束だ」
だから泣くな。
笑っていろ。
太い小指をエレオノールに差し出すと、彼女は細い小指を絡めて来た。
きゅっと、口約束でしかない契りを結ぶ。
「ゆびきりげんまん、ウソついたらハリセンボン、のーますっ」
上下に軽く揺する指を、「ゆびきったっ」と解く。


「約束したぞ?」
鳴海は、折り紙のおほしさまを挟む小さな手を、ずっと大きな両手で包んでやった。
エレオノールは一生懸命、泣き止む努力をして、
「やくそく、よ?」
と小さく笑った。
それが、鳴海が見た、エレオノールの最後の表情だった。
出て来るのが遅いエレオノールを迎えに来た担任に連れられて、エレオノールは教室を後にした。


以来、12年間、鳴海はエレオノールと一度も会ったことがない。



next
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
ブログ内検索

PR
Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]