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翌日、しろがねは機嫌も悪く、番組の練習前のストレッチを行っていた。
その脇で、ヴィルマはナイフの手入れをする。
しろがねが何を考えているのかが手に取るように分かるヴィルマはニヤニヤ笑いがどうしたって止まらない。
SAND BEIGE
Phrase 2. 砂も風も乱れて 逢いたいあなた。
「カトウが『面倒見が良くて』、『力持ち』だなんてこと、そんなことは分かっている!」
しろがねは昨夜からぶすぶすと胸の中で不完全燃焼を続ける想いを、ぶちぶちとヴィルマに聞かせるともなく繰り返す。
初対面の人に改めて教えてもらうまでもなく、私はカトウと付き合いが長いのだから!
昨日、ファティマが鳴海を手放しで褒め、その言葉に鳴海がヤケに嬉しそうな顔をしたことが、しろがねはどうしてもどうしても許せない。しろがねだって、ずっとそのことは何度も何度も鳴海に言っている(つもり、な)のに鳴海はそんな顔をしてくれたことが一度もないのだ。
きれいな眉を思いっきり寄せてプンプンと何やら怒っているしろがねがヴィルマは面白くて可愛くてたまらない。
「まあ、もっとも…アンタはその同じ内容をいつも、『おせっかい』とか『力自慢』とかいう表現で評価をしていたっけね」
しろがねの心の中を見透かしているヴィルマは、端的な返事をする。
「同じことでも表現が違うと意味も変わって聞こえてくるから不思議よん」
「ぐ…」
しろがねは言葉に詰まる。ヴィルマの言う通りなのだ。
「あんたはナルミに『面倒見がいいわね』とか、『力持ちですごいわね』とか言ったことあったっけ?いっつも、『余計なお世話だ!』とか、『この力自慢!』とか言ってなかったっけね?」
「う、うるさいな!」
ヴィルマに図星を指されまくりのしろがねは、伸ばした両足に身体をふたつ折りにしたまま動かなくなってしまった。
昨夜のしろがねはせっかくの食事の味がまったく分からなかった。
何を食べて、何を飲んだのか、テーブルを囲んだヴィルマや勝とどんな会話をしたのか、店の内装がどんなだったのか、その他モロモロを一切合切、思い出すことができない。
(ちなみにヴィルマと勝はしっかりと楽しんだ。勝は鳴海が「サービス」と言って注文してないのに内緒で持ってきてくれた料理や通常より大盛りにして持ってきてくれた料理を満腹以上になるまで食べたし、ヴィルマは何やら鳴海に耳打ちをしてアルコールをサービスさせることに成功していた。どうやら鳴海はヴィルマに弱みを握られている模様。)
ただしっかりと覚えているのは、鳴海とファティマがお揃いの服を着て(店の制服ですよ、しろがねさん)、店内をすれ違うたびにふたりはにっこりと笑顔を交わし、和やかに会話をしている姿ばかり!
どうして私以外の女にそんなにこやかな笑顔を向けるのだ!
どうして私よりもファティマとやらと話してばかりいるのだ(今のあなたはお客さんで、ファティマは仕事仲間ですよ)!
だけれど、そんな文句を口に出せる訳もない。
それは歴然としたヤキモチ以外の何モノでもないからだ。
おかげでしろがねは店にいる間も、店を出てからも、そして一晩たった今もずうっと難しい顔をしている。
「ファティマって、可愛い娘ねぇ。ナルミのことが好きってのが丸分かり。愛情表現が素直でストレート。口を開くたびにナルミをガンガン褒めて褒めて、褒めまくる。それでいて嫌味ってのがまるでないのよね。あれは天然だわ」
ヴィルマがナイフをかざし曇りがないかどうかを確認しながら、しろがねもそう認めざるを得ないことを言う。
「アンタとは正反対」
「だっ、だから、私はカトウのことを何とも想っていないというのに!」
ヴィルマに抗議するために上げたしろがねの顔は赤く、言葉とは真逆のことが書いてある。
「そ~んなことを言ってるとォ、本当にファティマちゃんに盗られちゃうわよう」
ヴィルマは違うナイフをかざし
「ナルミを」
と付け加えた。
しろがねの顔はもっともっと難しくなる。
「ま、アンタがそれでいいってならアタシは何にも言うことないけどね…。でもさ、思うでしょ?ファティマのナルミへの好意の示し方は分かりやすいわよ?」
ヴィルマのナイフを磨く手元を横目で見ながら
「それは……そう、思う、けど……」
と、しろがねもしぶしぶ認める。
「ナルミがとんでもなく鈍い男で助かってるって分かってるの?どんなにファティマに褒められても『いやあ、照れるなあ』ですんでるんだから。あれが普通の男だったら今頃落ちてるわよ。即日、セックスよ?ファティマってばかなり可愛いし」
「……」
鳴海とファティマのセックスなど想像もしたくない。そんな話は興味がない、とアピールしたいのか、しろがねは今度は開脚したストレッチを始めた。
「ま、それも時間の問題よね」
「え?」
ストレッチの動作はあえなく止まる。
「え?じゃないわよ、だってそうでしょう?愛情表現があんなに分かりやすいのよ?いくら天然記念物級の鈍感男だって気付くわよう。万が一、気付かないにしてもあんなに褒められてごらんなさい、好感持つに決まってるでしょうが。褒め殺し、って言葉、知らないの?」
「そ、そんな」
「まあ、客観的に考えてごらんなさいな、いつも自分のことを『素敵!』って褒めてくれる女と、口を開けば憎まれ口の女、どっちが可愛いかしらね。同じことをしてあげて片や『どうもありがとう!』、片や『おせっかい!』、どっちに良くしてあげたい?」
「わ、私……私は……」
しろがねは俯くと黙り込んでしまった。ヴィルマはニヤッと笑う。
「昨日からそんな仏頂面ばかりでナルミとあの娘の関係が気になるんなら、ナルミんちに行って直接訊いてみたら?どんな関係なの?って」
「そ、そんなこと訊けるわけがないだろう?それに、今日もカトウはバイトだ」
しろがねはそう言って指を噛む。
何だかんだ言って、しろがねは鳴海のバイトスケジュールをきっちり把握している。
「ふうん…。ナルミも夜遅いバイトから真っ直ぐ家に帰ってくるといいわね」
ヴィルマの唇の両端はニタリ、と持ち上がる。まるで妖怪のよう。
「どういう」
「ラブホで道草食わないといいわね、ってことよ、ファティマちゃんと」
「カトウはそんなこと…!」
「あ、そうよねえ」
目を尖らせるしろがねをヴィルマはやんわりと制する。
「ナルミは一人暮らしだもんねぇ。自宅に連れてくるわよねぇ。ホテル代もったいないし」
しろがねは、絶句する。
「超脳筋、って言ってもね、あいつだって男なの。女に迫られれば硬くなるモノ、持ってんの。女を抱きたくなるときだってあるって忘れちゃダメよん」
ヴィルマの手の中のナイフがキラリと太陽を反射する。
「しかも、ファティマはナルミの『据え膳』になることに迷いはないわね。しかもその『据え膳』ったらとっても美味しそう!アタシだって食べてみたいと思うもん。ああいうアラブ系の女の子ってどんな味がするのかしら?あの肌の色が野性味たっぷり。普段大人しそうでもベッドの上では積極的になりそうよね。ナルミが食べちゃうの、ホラ、時間の問題だと思わない?」
ヴィルマは光る小さな、でもとても鋭いナイフをしろがねの大きな胸に向けると、その柔らかさを確かめるようにナイフの先でつんつんと突いてみせた。
「ナルミは、空腹状態がとんでもなく長いんだから。本命ディナーが高くて手が出ないって察したら、とりあえず小腹を満たすものを口にしないとは、言えないわよう?」
ヴィルマの言う『本命ディナー』が何のことかしろがねにはよく分からなかったけれど、彼女はまたしても難しい顔をして黙り込み、何事かを懸命に考えているようだった。
その夜遅く、しろがねの足は鳴海の家に向かっていた。
雨の中、傘を差しながら。
宵から降り出した雨はけっこう強い。
自分には、『これはあくまで散歩だ。たまたまカトウの家の方角に向かっているだけで』と言い訳する。暗い中、しかも何もこんな大雨に好き好んで散歩をする人なんていないというのに。
本音は。
昼間、ヴィルマに言われたことが頭から離れてくれないからだ。
カトウがファティマと『寄り道』していたらどうしよう、そればかりが心と頭を飽和させてしろがねは何にも手に付かないのだ。
だって本当にファティマという娘は可愛かった。
カトウもきっと好ましく想っていることだろう。
そして、カトウは私よりもファティマと共有する時間が長い。
これまで、鳴海に一番近しい女は自分だった。そう、信じて疑わなかった。これまではそうだったのかもしれない。けれど今現在は違ったのだ。昨日初めて、それを知った。
何だかんだと鳴海としろがねは毎日のように顔を合わせている。勝と一緒に鳴海の家に遊びに行ったり、鳴海がサーカスに顔を出したり、サーカスの買出しに鳴海と出かけたり。でも、そんなに長い時間は一緒にいられない。しかも、ほとんど毎日、小さなことで小競り合いをしているのだ。お互いにしなくてもいい憎まれ口を叩いて。売り言葉に買い言葉でケンカになることだってしばしばだ。
ヴィルマの言う通りに素直になることができたらいい、しろがねだってそう思う。
でも、素直って何?
どうすればいいものなのだろう?
あのファティマのようにカトウに接しろということなのだろうか?
しろがねはふるふると首を振る。
できない。とてもじゃないけれど。
仮にできたとしてもカトウはきっと気持ち悪がるに違いない。
なんか悪いモンでも食ったのか?、とかなんとか。
しろがねはほんの少し目を上げた。
次の角を曲がれば鳴海の家が見えてくる。
もう鳴海のバイトの終わる時間はとっくに過ぎている。今頃はいつもだったら帰宅している。でも、鳴海の家の灯りが点いていなかったら、と考えると足が全然前に進んでくれない。
しろがねの視線は地面に吸い付いたままで、なかなか通り過ぎていかない街灯が道路を照らす滲む光の輪を数えながら、いつもの3倍の時間をかけてようやく鳴海宅前に着いた。
恐る恐る、顔を上げる。
しろがねはほうっと息をついた。
よかった、電気が点いている!
玄関前に停められたバイクが濡れているのを見て、もしかしたらカトウも降られて濡れて帰ったのかもしれない、と思う。
このまま帰ってもいいけれど、鳴海の顔を見たいしろがねは躊躇いもなく呼び鈴を押した。
しばらくして家の中に人の気配がして、玄関の扉が勢いよく開いた。
「カト…」
呼びかけたしろがねの言葉は途中で途切れる。
応対したのは鳴海ではなかった。
「しろがねさん、でしたっけ?こんばんは」
にっこりと笑う。
そこにいたのは、ファティマ。
「雨が強いですね。濡れちゃいますからどうぞ、中に入ってください」
ただのバイト仲間であるはずのファティマが、鳴海の家の玄関を開けて、顔の筋肉の凍りついたしろがねを笑顔とともに迎え入れるための言葉を発したのだった。