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SAND BEIGE
Phrase.14 崩れる私を支えて お願い
しろがねは予期せぬ訪問者に対してはこれといって何の疑問も持たなかったが、その応対に出たヴィルマがなかなか戻らないことに関しては何か変だな、という考えがノロノロと頭をもたげた。それでも、今のしろがねはそのままヴィルマが戻ってこなくても、このままひとりぼっちになったも構わなかった。
あるだけのアルコールを飲んで、なくなったらベッドに倒れて眠りこけるだけだ。
しろがねは険しい表情で手の中のビール缶のラベルを睨んだ。
いつもだったらすぐに酔い潰れる筈のビールを幾ら飲んでも潰れない。身体の方はいい感じにアルコールに浸かっていて思い通りの動作ができなくなってはいるが、どうにも頭の方が麻痺してくれない。しろがねが期待するような酩酊状態がやってきてくれない。彼女が酔い潰れて欲しいと熱望するのは身体ではなく精神の方なのに。
どうしてもどうしても、鳴海のことが気になって、彼が今何をしているのかが気になって、アルコールの効果よりも心の痛みが大きくて飲んだ先から酔いが醒めてしまう。
現実から逃げて楽になりたいのに…。
しろがねは苦しそうに、張り裂けそうな胸に溜まる空気を何度も何度も吐き出す。
その時、入り口とベッドルームを仕切るドアがゆっくりと開く音が聞こえた。
「遅かったなヴィルマ、どうかし…」
訝しそうな視線と一緒に無造作に放り投げたしろがねの言葉が途中で止まった。扉の向こうに立つ人物の姿に、しろがねは手の中からビールの缶を取り落とす。残り少ないビールが絨毯の上にぶちまけられてシュワシュワと白い泡を噴いたがそんなのは気にも留めない。
「ヴィルマは帰った」
「カトウ…」
私は酔っ払っていないと思っていたのに。
だけどこんな幻覚を見てしまうほどに酔っていたのか。
こんな幻覚を見てしまうくらいに、私はカトウを欲しているのか。
夢でも幻覚でも、何でもいいと思った。
そこに、鳴海の姿があるのなら。
実物でなくとも、自分の願望の生み出した偽者であっても、傍にいて欲しいと思った。
アルコールのせいでいつもみたいに無意識に作り上げる仮面をつけないしろがねは幼げなキラキラした瞳で鳴海を見上げる。そして身に着けているのは、ナイスバディをほんの気持ち隠すだけのしどけないホテルの薄いガウン。おそらく下着は全くつけていないと思われる。
ったく、ヴィルマのヤツ。
本当に美味そうじゃねぇかよ。
「ファティマとの食事は終わったの…?」
しろがねが訊いてくる。泣きそうな顔で。
鳴海は何だか胸が詰まって短く「ああ」とだけ答えて、しろがねの目の前に立った。
しろがねはメールの画像で見たのと同じ、顔も身体もピンク色に染めている。何でこんな色なのか、今なら鳴海にも分かる。怪しい照明プラス酒の飲みすぎだ。
壮絶な数のビールの空き缶がベッドサイドに積み上げられている。
窓も開けられないホテルの部屋はビールの匂いが充満していて(それとヴィルマの吸った煙草の匂い)、下戸の鳴海には正直きつい。酒の臭気に当てられて酔ってしまいそうだ。
「何でこんなにビールを空けてんだよ。ワインしか飲めねぇんだろが、おまえ」
自棄酒、なのだとしたら一体に何に自棄になったのか。
オレがファティマと食事に行ったから?
自棄になるほど自分を想ってくれていたのか、そう自惚れてもいいのか?
鳴海を見上げるしろがねの瞳の中に溢れるものは、自分の心に飽和している感情と同じ名前がつけられるような気がする。
「あのな、しろがね、オレは」
だから、鳴海は告白しようと思った。
例えしろがねが酔っ払いのしろがねでも。酔いが醒めたらまたあらためて告白すればいい。
そう思って口を開いた。
「オレは」
「行かないで!もう、ファティマのところに戻らないで…!」
そんな鳴海にしろがねが悲鳴のような声を上げて抱きついた。
「おまえ、酔ってるだろ」
腰に腕を回されて、下腹部に顔を押し付けられて、心臓が口から飛び出しそうになりながら鳴海はしろがねの首筋を見下ろした。
「ああ、酔ってる。ぐわんぐわんに酔ってる」
夢でも幻でも、やはりカトウは温かいのだな、切ない体温の交換にしろがねはポロッと涙を零した。好きで好きでたまらない。この人が好きでたまらない。
「しろがね」
「あなたが好き。…大好き」
鳴海は自分が言おうと思っていたことをまさかしろがねの口から先に聞くとは思ってもみなかった。しろがねが小さく震えているのは分かる。でも自分も震えているような気がしてならない。
「…やっぱ酔ってるな、おまえ」
「だから言ったろう…?私はあなたに酔ってる」
しろがねは鳴海に縋りつく拳に力を込めた。
「酔わなければ私は素直になんかなれないから。これでもあなたが素直じゃない、おまえは天邪鬼だって言うのであれば…私はもうどうしていいのか、本当に分からない」
自分にできる精一杯、それでも足りないと言われてもしろがねは鳴海にファティマの元に去って欲しくはない。この手を絶対に放す気なんてどこにもない。見っとも無くても。情けなくても。
「お願い、ファティマのところに行かないで。私と…一緒に…」
決死の覚悟で鳴海にしがみ付くしろがねの頭を大きな手の平が撫でた。しろがねが子どものように澄んだ瞳を上げる。
「行かねぇよ、どこにも。ずっとおまえの傍にいる」
「本当に?」
「うん」
しろがねの隣に鳴海も腰を下ろす。しろがねが小さく笑って鳴海に身体を寄りかからせた。アルコールに混じる、しろがねの甘い体臭。クラリ、と眩暈が鳴海を襲う。
「あなたが好き。あなたに酔っているの」
「オレもだ」
笑う鳴海が言葉を返す。
「オレもおまえに酔ってる」
クラクラするのは室内に満ちる酒気のせいではなく、きっとしろがねの色香のせいだ。しろがねの唾液に混じる苦いアルコールのせいじゃないと思う。
温かい腕に抱き締められて夢中になって唇を重ねているうちに、しろがねは眠たくなってきてしまった。あんまりにも幸せで、哀しい心も癒されていくにつれて睡魔が大挙してやってきたのだ。
急に腕の中でしろがねの身体が重みを増したこと気付いた鳴海が顔を離すと、しろがねはあどけなく熟睡していた。
「ちぇ。きんちょーかんがねぇなぁ」
鳴海はしろがねと一緒になってゆっくりとベッドに身体を倒すと、自分の腕を枕にスヤスヤと寝息を立てるしろがねの額にキスをした。
「だいち…まうぞ…くぁぁ…っ」
鳴海も特大の欠伸をする。トロン、と目蓋が重くなる。
しろがねの気持ちよさそうな寝顔に当てられたのがひとつ。
しろがねがヴィルマに食べられずに無事でいたことに安心したのがひとつ。
この部屋の酒の匂いと、アルコール混じりのしろがねのキスに『本当に』酔ったのがひとつ。
そして、ようやく両想いになれて満足したことがひとつ。
そんな理由から鳴海も睡魔に襲われている。
「ま、だくのは……あしたのあさでも……いつでもいいな……」
折角ヴィルマが用意してくれたシチュエーションではあるが、これからはいくらでもこういう機会があるだろう。鳴海は銀色の頭をナデナデした。
「だいじょぶ…おまえはすなおだ……よ」
鳴海の目蓋の上と下がピタリ、とくっついた。しろがねの頭を撫でる手の動きも止まる。そして二呼吸後に、くかー、と安らかな寝息が鳴海の口から吐き出された。
ふたりに訪れた
至上の眠り。
「バイト、止めちまうのか」
残念だな、と言う鳴海にファティマは
「親身になってくれたナルミさんにはご迷惑をかけましたけれど…私、合わなかったんですよ、このバイト。だから今日付けで辞めることにしました」
と肩をすくめながら答えた。
本当は、楽しくて楽しくて仕方が無かった。鳴海と過ごせるバイトの時間が何よりも待ち遠しかった。
「今度はちゃんと自分に合ったバイトを探そうと思って」
鳴海が自分に振り向くことがないと分かった今、失恋の痛みを抱えたまま、まだ想いの残る男の近くにいることは苦しすぎた。そして当の男は鈍感すぎて不必要に優しくて困る。
だから、素直なファティマは生まれて初めて天邪鬼を口にした。
「他のヤツからファティマが辞めるって聞いてよ、オレ知らなかったから飛んできた」
鳴海は休みの日だったけれど、一言、言いたかったから。
「すまなかった」
と。
「改めて謝りたいって思ってたんだ。バイト辞めんのもオレのせいか?オレがいると気詰まりだから…」
鳴海は本当に申し訳なさそうに目元を歪めている。
本当になんでこんなことを言うのかしら?ファティマは苦笑する。
「ナルミさんが一番素直ですよね」
「は?」
「何でもないです。ナルミさんのせいじゃないですよ?自惚れないでくださいね」
「そ、それならいいんだけどよ」
「そうですよ」
ファティマは笑った。
「それじゃ…最後のバイトに行ってきます。……さようなら」
「ああ、さよなら。元気でな」
「ナルミさんも」
鳴海はずい、と大きな手の平を差し出した。
ファティマは鳴海のその手をぎゅ、っと握って実らなかった自分の恋心も一緒にお別れをした。
鳴海は店を出るとガードレールをひょいと飛び越えて、路肩でハザードをチカチカさせる愛車に乗り込んだ。車体が大きく右に傾ぐ。
「挨拶できたの?」
少し不安そうな声色が助手席から鳴海の顔色を窺う。そこには鳴海の帰りをじっと待っていたしろがねがいた。
「してきたよ。話したのはほんのちょっとだったけど。…何だ、そんなツラして」
鳴海がニヤニヤと笑う。
「何?」
「すげぇ心配顔」
「し、心配なんか、別に」
しろがねは鳴海から顔を背けて、その心配顔を見られないように抵抗した。
「別に…あんな可愛い娘をふっちゃって…惜しいことしたわね、って思っただけよ」
「ほーぉ、そーゆー素直じゃないこと言うんだ」
「え?」
自分の真似をしてそっぽを向く鳴海にしろがねが動揺する。
「あ、あの、その…惜しいことをしたな、ってあなたが思ってたら嫌だな、って思いながら…待ってた…」
自分の膝頭を見つめるしろがねに鳴海はにっこりと笑いながら
「最初からそう言えって」
と彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「さあて。これからどこに行こうか?」
ふたりはこれから鳴海の愛車で初デート。大喧嘩したあの日の仕切り直しだ。
「お昼ゴハン食べに行かない?この間は結局、私、お昼をおごってないから。その約束を果たしたいの」
「別にそれはもう」
「いいの。あなたにおごりたいの」
「そおか?だったら行くか。途中でいけなくなったレストランに」
鳴海は可笑しそうに笑いながらシートベルトを締める。
「おっと」
と、ギアをドライブに入れかけて、ジーンズの尻ポケットから真新しい財布を取り出してそれをしろがねに手渡した。しろがねから鳴海への誕生日プレゼント。
「せっかくおまえからもらった財布をケツに敷いてるのも何だからな、預かっててくれよ」
「はい」
しろがねはくすぐったいような表情で鳴海の財布を自分のバッグの中にそっとしまった。鳴海の車が車道に滑り出る。
「メシ食ったらどこに行こうか。どこでもいいぞ、海でも遊園地でも」
「じゃあ、海」
「おし。海に行こう」
「ナルミは行きたいところないの?」
「ホテル」
「ホ…」
「こっちもこの間の仕切り直ししようぜ?結局、何にもしないで出てきちまったんだもん。せっかくヴィルマがお膳立てしてくれたのによ、オレもおまえもチェックアウトの時間まで一回も起きねぇで寝ちまったんだもんよ。大体が酒の飲みすぎなんだよ」
「……」
「返事は?」
「…はい」
「よし」
鳴海の愛車は空いている道をスムーズに流れていく。
助手席に、可愛い素直な彼女を乗せて。
きっとずっとどこまでも。
End