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兄さんが高校3年生で、私が中学1年生の時、私は友達と兄さんの高校の学祭に行った。その日は季節はずれの台風が通り過ぎた次の日で、少し風が強くて被っていた帽子が飛ばされないように一生懸命押さえていたら、パンフレットを持つ手が疎かになって手の中から風がパンフレットをさらって行った。
兄さんからもらったパンフレット。
パンフレットは水溜りをいくつも掠めながら道路を転がっていく。私が追いかけようとしたら、誰かがそれを拾ってくれた。
背の高い男の人。ここの高校の制服を着ている。
『ありがとうございます』
私がその人のところにパンフレットを受け取りに行くと
『あー…これ、汚れちまったなぁ』
その人は私の泥汚れのついたパンフレットをパタパタと振って水滴を落とそうとしていた。
『いいんです。すみません』
私が手を差し出すと、その人は自分のきれいなパンフレットを手渡した。
『こっち持ってけ。風が強ぇから、もう飛ばされねぇようにな』
別に汚れたパンフレットでもかまわないのに。
でも、その人があんまりにも明るく笑うので、私はそのまま受け取って
『ありがとう…』
と小さく小さくお礼を言った。お礼の声が小さすぎたから、あの人の耳に届いたかどうか、あれからもう7年も経っているのに気になって仕方がない。
お礼も満足に言えない娘だと思われてたら嫌だな、って。
それが私、才賀しろがねの初恋だったのかもしれない。
Pocketful of Rainbow.
~ポケットが虹でいっぱい ② ~
次の日、ギイが会社から帰宅すると自分の部屋の中にいる妹を発見した。
床に座り込み、何かに一心不乱に目を通している様子。
「僕の部屋で何をしているんだ?エレオノール?」
『作業』に没頭していたエレオノールはギイの帰宅にも入室にも全く気がつかなくて、証拠を隠滅する以前に現行犯で取り押さえられてしまった。
「いっ、いえ、これは別に何も深い意味は…」
真っ赤な顔でしどろもどろで言い訳するエレオノールの手元には、アルバムがあった。
ギイの高校の卒業アルバム。
の、ギイのクラスの顔写真の並ぶページ。
ギイと同様にどちらかというとエレオノールは冷静沈着なタイプで、ギイ自身、妹が慌てふためく姿などほとんど記憶にない。
一番最後に記憶しているのは幼稚園年長の時にオネショをしてしまった時か?
それくらい記憶を溯らないと、こんなに赤い顔のエレオノールは見つけられない。
「とっ、特に何ってわけじゃないんだけれど、ほら、昨日会った人、兄さんと高校が一緒だって言ってたから、どの人かなって思って…」
エレオノールは語るに落ちている。
「ご、ごめんなさい」
エレオノールはそそくさとアルバムを本棚にしまうと、脱兎の如くギイの部屋を後にした。ギイはそんな妹の姿にいささか眉を顰めながら、たった今エレオノールのしまったアルバムを引っ張り出した。パラパラとページをめくって、自分のクラスを開ける。今よりもいくぶん初々しいギイがそこにいる。
「僕は昔から線の細い儚さと美しさが漂っているのだな…」
(ギイは本気で言っている。)
そして同じ見開きの中に加藤鳴海もいた。今よりも髪はずっと短く、この頃から少年らしさは皆無だけれど、まだいくらか今現在より小ぶりだ。
「あいつは高校のときからゴツい男ではあったが、卒業してから更に背が伸びて、筋肉ダルマになったからな…」
しかし、その脳筋に何故、エレオノールは興味を示すのだ?
兄として、嫌ーな嫌ーな予感がする。
ギイの眉間に寄る皺がもっと深いものになる。
そう、その脳筋も、今日は一日五月蝿かった。
「おまえさあ、妹がいるなんて今まで一言も言わなかったじゃねぇか?!」
高校の頃からずっとよ!
それが鳴海の本日第一声。
鳴海は何だか瞳に星が輝いて、鼻息も荒くて、ニンジンをぶら下げられた馬が目の前にいるようでギイはうんざりした。
「おまえみたいな悪い虫を寄せ付けないためだ。見れば分かるだろう?僕の妹の美しさは」
ギイはこれまで、どこに行っても妹がいることを内緒にしていた。こんな風に五月蝿い男がわんさかやってくることが容易に想像できたからだ。
「うん、分かる」
鳴海の答えは迷いがない。
「だから紹介してくれよ、エレオノール」
「馬鹿者!おまえみたいな悪い虫を寄せ付けないと言ったろう?誰がおまえなんかに!それにエレオノールと呼び捨てにするな、図々しい!」
「なあんで?!オレとおまえの仲じゃないか」
「おまえのことをよく知っているから彼女には薦めない。腕っ節だけが取り得の一浪一留男が」
「一浪一留でも、高校は同じだし、今はおまえと同じ会社の同じ部署だろ。結果はおまえと同列じゃねぇか」
「…それでもダメだ。おまえは彼女に相応しくない」
「だから、何で」
「ルックスが僕の好みではない」
「おまえの好みなんてどうでもいいよ。問題はエレオノールの好みだろ」
「だから呼び捨てにするな。エレオノールは僕の好みとよく似ているのだ。昨日もおまえのことを『見るからに同性愛者』だと言っていただろう?僕もそれに同意見だ」
本当はエレオノールに同性愛者呼ばわりしたことを平身低頭して鳴海に謝ってくれ、と頼まれているのだが、もとより却下するつもりでいた。こんなヤツに謝る必要はない。この高貴な首をこんなイノシシに下げる気もない。
何故なら、もう二度とふたりが会うことなどないのだから。
「…エレオノール、オレのこと、何か言ってたか?」
鳴海の声のトーンがいくらか落ちる。エレオノールに同性愛者と言われたことは意外にも鳴海に大きなダメージを与えているらしい。
おまえは本当に腹の底の読める男だな。ギイはその点を突くことに決めた。
「だから、あんなにホモっぽい人なのに本当にホモじゃないの?、とな」
鳴海はぐっと喉を詰まらせる。
実際は家に引っ込んでからも、どんな人なのか、高校時代はどうだったのか、五月蝿いくらいにエレオノールは鳴海の情報をギイから引っ張り出そうとしていたのだが。
「分かった。直接会って、誤解を解く」
「彼女に会うことは僕が断固阻止する」
「何だよ、このシスコン!」
「彼女と付き合う男は僕が選りによりをかけて厳選する。僕の認めない男は会うことも許さない」
こんなやり取りが一日中続いた。一日中、「エレオノールはおまえは絶対にホモだと言っていた」と言い続け、帰る頃にはその口を噤ませることに成功していた。
「全く…昔からしつこいんだ、あいつは」
ギイがぶちぶちと鳴海に対する文句を言っていると、
「兄さん」
とエレオノールが再びやって来た。エレオノールは戸口で少しモジモジと照れくさそうにしている。こんなエレオノールも珍しい。
「あの…カトウさんに、ちゃんと謝ってくれた?」
「ああ、謝っておいたよ」
ギイはしれっと嘘をつく。これ万事、可愛い妹のため。
「そう、ありがとう、兄さん」
エレオノールはにこっと微笑んで兄に礼を言うと、パタパタとスリッパを鳴らせて階段を下りていった。妹の笑顔に少し罪悪感がないわけではないけれど、彼女に悪い虫がつかないようにするための努力の結果だ。
「おまえにはいつか僕が認める最高の男を紹介してやるよ。あんな拳法バカじゃなくて。そう、僕のように完璧な」
全てはエレオノールの幸せのため。
ギイは誓いを新たにするのだった。
更に次の日。
一晩寝て、ダメージが薄れてきたのか、鳴海はまたエレオノールを紹介するようにギイに何度も迫った。
この単細胞!
作りが簡単だと、ダメージから立ち直るのも早くて困る!
ギイも負けじとホモネタを繰り返した。
「昨日僕がおまえの話をふったら、『誰それ?』と言われたよ」
と爽やかに笑い飛ばす。本当は今朝、出掛けに
「カトウさんによろしくね」
と言われたのだが、そんなことは軽く無視だ。
ギイの話すエレオノールの自分への評価があんまりにもあんまりなので、鳴海は昨日よりも早くその話題に触れなくなった。鳴海はいささか傷ついているようだったが仕方がない。ギイにとってはエレオノールが最優先なのだから。
更に更に、その次の日。
鳴海はエレオノールのことをぱくとも言わなくなった。
よしよし、これでいい。
ギイとしてもデマカセで鳴海のことを傷つけるのは本意ではないのだ。この男は考えていることがそのまま顔に出るので、傷ついたら目一杯心の痛そうな顔をする。それが(かなりほんの少し)、ギイには辛い。(一応おざなり程度に)ナルミ、許せ。
その日の退社時間が近づいた頃、話は動いた。
ギイがそろそろ帰り支度でも始めようかと思い始めたとき、ギイの部署のある室内がそれと分かるほどにどよめいた。何事か?と思い、皆の視線を追いかけ、ギイもまた目を剥いた。
誰あろう、エレオノールがそこにいるではないか!
首を伸ばして誰かを探すような仕草をしている。
一目で誰の身内かが分かる銀色に、室内の誰もがギイを見る。
ざわざわする室内をすり抜けて、ギイは素早くエレオノールの元に駆けつけた。
「どうしたんだ、エレオノール?何かあったのか?」
エレオノールがギイの会社を訪れるなんてことは初めてのこと。
「ううん、ちょ、ちょっと…用事があって兄さんの会社の近くまで来たものだから…一緒に帰ろうと思って…」
ほんのり頬を桃色に染めたエレオノールは、そう言いながらもチラチラとギイの肩越しに室内を窺っている。ギイに用がある、と言いながらも誰かを探す仕草が止まらない。もしかしなくても、エレオノールは鳴海を探しているのだとギイは察した。運のいいことに(エレオノールにとってはあいにく)、鳴海は今席を外している。ミーティングの真っ最中だ。
よし、あの拳法バカが戻らないうちに即行で帰ろう。
「ここで待っていてくれ。今、荷物を取ってくるから…」
ギイが身体を反転させようとしたその刹那、
「ふゥ、やっと終わったぜ。長かったなあ、今日のミーティング」
大きく伸びをしながら鳴海が帰って来てしまった。ギイにとってはあいにくのタイミング。(エレオノールにとってはホントにラッキー!)
鳴海は入り口にエレオノールを見つけると、そのまま伸びをした形のまま、固まってしまった。
鳴海を見つけたエレオノールの胸は高鳴った。
先日はあんまりなシチュエーションだったこともあったし、それにまさかあんな形で初恋の人に会えるなんて思ってもみなかった。現在の鳴海がエレオノールの記憶の中の7年前の鳴海といくぶん容姿が変わっていたのも彼が自分の初恋の人だと気がつかない要因だった。
でもこうしてまじまじと見ると、あの時パンフレットを差し出してやさしく笑ってくれたあの人の面影がいくつも見つかる。
今はあの頃よりずっと背が高く、逞しく、束ねるくらいに髪を長くして。
そして更に男らしく、大人っぽくなって。
あの時みたいに笑ってくれないかな?
今日はどうしても会いたいという衝動を抑え切れなくて、つい「近くまできた」なんて嘘をついてまでふたりの会社へと足を運んでしまったのだった。
「あ、あの……こんばんは……」
エレオノールの恥ずかしそうな小声の挨拶に、鳴海は少―し、口角を下げた。
きっと「ホモが来た」とか思ってんだろ?、なんて考えたものだから。ギイの洗脳はある意味成功していた。だから鳴海はエレオノールの恥らう乙女心に対し、ぶっきらぼうな態度で、彼女の精一杯の挨拶にも返事を返さず
「ここは会社の中だからな、でっかい声でホモ呼ばわりするのは勘弁してくれよ」
そう言って、その前を大股で通り過ぎた。
この目の前で起きた寸劇に冷や汗をかいたのはギイ。
鳴海の対応にエレオノールは顔面蒼白でその場に凍りついた。すでに誤解はなくなっているものと信じて疑わなかったエレオノールは鳴海の笑顔がきっと見られると期待していた。
自分の兄を心底信頼していたのに!
「兄さん………謝ったって言うのは嘘だったのね………」
カバンを持つエレオノールの手が小刻みに震えている。
「いや、エレオノール、それはだな…理由が…」
「兄さんのバカっ!」
会社中に響くようなエレオノールの大声に、室内は水を打ったように静かになった。どこかで鳴っている、出ることを忘れられている電話の音だけがヤケに大きく聞こえるくらいに静かに。
誰も彼もの視線が銀色兄妹に集中 。
鳴海も目を丸くしてギイとエレオノールの兄妹の大喧嘩に視線を投げる。
背が高く、視力もとんでもなくいい鳴海は、遠目にもエレオノールの瞳からボロボロと大粒の涙が零れているのが分かった。
何だかその泣き顔もまた、とても可愛くて。
鳴海の胸は苦しいくらいに騒いだ。
「エレオノール、何も泣かなくても…」
「兄さんなんて、もう知らない!絶対に許さないんだから!」
エレオノールはだっと走り去った。
ギイは生まれて初めて妹を泣かせ、妹にバカと呼ばれた。(しかも鼓膜が破れそうなくらいの大声で。)途方に暮れ、我を忘れるほどのほどの大ショック。
「おい……何、ケンカしてんだよ」
鳴海が傍にやってきて、その目がもう消えてしまったエレオノールの背中を追いかける。
「誰のせいだと思っているのだ!」
脳天気にやってきた鳴海にギイは声を荒げるが、鳴海には少しも話が見えない。八つ当たり以外の何物でもない。
「い、一体何なんだよ?」
「知るか!脳筋!」
ギイは自分の席に戻り乱暴に帰り支度をすると、ポーカーフェイスで再び鳴海の前を通り過ぎた。
筋肉馬鹿は軽く無視だ!
「おい、ギイ」
「フン」
ギイはスタスタと帰っていった。澄ました顔の下で初めて怒らせてしまった妹とどうやって仲直りしたらいいのか、いい解決方法が見つからずに非常に惑溺しながら。
「何なんだよ、あの兄妹」
鳴海は首を捻りながらも、思いがけずエレオノールに会えたことを純粋に喜んだ。
自分に挨拶をする恥らうような表情や、でっかい瞳から涙を零す泣き顔が繰り返し思い出され、
『やっぱ、すげぇ可愛いなぁ…。エレオノール』
と改めて思った。
そして、あんなぶっきらぼうな態度をとったことをすごく後悔した。
「うん、やっぱ、彼女の誤解を解こう。明日またギイにせっつこう。おし、明日は絶対折れねえぞ!」
鳴海は誓いを新たにすると、残業に取り掛かった。