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Pocketful of Rainbow.
~ポケットが虹でいっぱい ④ ~
「鳴海さん、迷惑がってなかった?大丈夫?」
「さあ……大丈夫だとは思うが……」
客で混み合うちょっと小洒落たレストランバーで、ギイとエレオノールは鳴海の到着を待っていた。
普段スポーツライクな格好が多いのに今日に限ってそこはかとなくフェミニンな服装のエレオノールは本当にソワソワとして落ち着かない。何度も何度も店の入り口に目をやっては小さな吐息をつくの繰り返し。
妙に女の子、と言うか、きっちり女の子、と言うか。
「ねえ、兄さん。ちゃんと言ってくれたの?その…今日は私も一緒だって」
「一応、伝えはした」
「そうなの…?」
私が来るって知っててこんなに遅いのは……どうしてなのかな?
純粋に仕事がたくさんあって遅刻してくるのならいいけれど、私のことなんかやっぱりどうでも良くって急ぐ気もないだけだったら?
そう思うと、エレオノールは兄に鳴海と会う席を設けるようにせっついたことが性急だったように思えてならない。善は急げ、だなんて自分の都合でしかない。社会人の鳴海には仕事の都合だってあるというのに。
その実、ギイは鳴海に「エレオノールが一緒」とは言っていない。「連れがいる」とは言ったけれども。ギイとしてもエレオノールのことをわざと黙っていたというわけではない。単純に純粋に口が動かなかったのだ。だから鳴海に伝えた今日の夜会うための用件も「エレオノールがおまえに会いたがっている」ではなく「ちょっと用があるから顔を貸してくれ」だった。
なーんとなく、「エレオノールも一緒」と聞いて浮かれる鳴海が見たくなかったからかもしれない。可愛い妹を奪っていく(かもしれない)男の浮かれ顔など見たくもないというのが古今東西の可愛い妹を持つ兄の心情として正しいものではないだろうか!
今日の鳴海は仕事でトラブルがあったらしく妙にバタバタゴタゴタしていて、ゆっくり話をする雰囲気ではなかったのも一つの要因だ(とギイは言い訳をしている)から仕方がない。鳴海は朝から自分の席にはほとんどおらず会社内のどこかに詰めているようで、ギイが鳴海に約束を取り付けたのは実は終業時間ギリギリだった。話すチャンスは何度かあったのだが上手く言い出せず、覚悟を決めると今度はなかなか見つからない。ギイとしてはこのまま鳴海が捕まらないなら捕まらないでもラッキーだったけれど、やることもやらずに捕まらないというのも何なので一応携帯の留守電に折り返し連絡をくれるように入れておいたら時間ギリギリに返事がきたのだった。(ちょっとギイががっかりしたのは言うまでもない。)了解した、けれどトラブルが未解決なのでもしかしたら仕事が押すかもしれない、とのことなので約束の時間も遅めに設定したし、職場の最寄の店に決めたのだが、遅刻しているところをみるとまだトラブルがいまだ解決していないのかもしれない。
「そんなに心配しなくてもナルミは来るさ。今日は少し仕事が立て込んでいたようだから遅れているのだろう」
そのせいか、今日のナルミは朝からちょっと薄汚れた印象を受けたが…ま、あいつはいつもあんなものだろう。
「そ、そんな大変なときに私…鳴海さんに悪い事しちゃったのかも」
「いいのだ。トラブルを迅速に解決できないあいつが悪いのだから」
「そんなに鳴海さんに意地悪言わないで」
そのとき、ギイの携帯にメールが届いた。今から会社を出る旨の鳴海からのメールだった。
「よかったな、もう4,5分で到着するぞ」
「そう…よかった…」
鳴海の来訪を心待ちにしてか、頬を染めて店の入り口を見つめたままじっと動かない妹の姿に、ギイはやはり筆舌に尽くしがたい感情を味わっていた。
女らしく綺麗になった妹の姿というものは感慨深いものではあるけれどなかなかに寂しいものだな、と。
ギイの言った通り、それから5分程して、店の奥の席に着いているエレオノールにも一目でそれと分かる大きな男が入店してきたのが見て取れた。エレオノールはパパッと居住まいを正して真っ赤な顔で下を向いた。こそこそと小さくなってギイの影に隠れ、鳴海からの死角に入る。
「何をしているんだ、エレオノール?いままでずっと心待ちにしていたのだろう?隠れることなんてないだろうに」
「だって……急に恥ずかしくなってしまったのですもの……」
鳴海はエレオノールに気づかない様子で大股に近づいてくる。
「すまねぇ、遅れちまった。カピタンの野郎がよー、上得意相手に多重の発注ミスをしやがってクレームの嵐でよ。それをコロンビーヌ部長に火消しを手伝ってやれって言われちまって…もお、オレには関係ねーってのに。あんなにいっぺんにミスできるってある意味すげぇよ、芸術だぜ?お陰で昨日は会社に泊まっちまったのよ。あー、汗ベタベタで気持ち悪ィ…早く帰ってシャワー浴びてぇ」
それでか。そんなに薄汚れた印象を受けたのは、というか薄汚れているのだな。ギイが改めて見遣ると、長い髪はボサボサでいつもの艶がないし、ネクタイも背広も皺がよっているし、毛深くない鳴海には珍しく無精ヒゲなんてものも生やしている。顔も…どことなく埃で煤汚れている。
「でも、ようやく何とか目途がついた。後はカピタンがやれってんだ。くあ……眠……で、何の用だって?おまえが言ってた連れってどこだ?」
大きな欠伸を噛み殺しながら鳴海が訊ねると、エレオノールがおずおずと控えめにギイの影から顔を出した。鳴海の動きがピタリと止まる。
「エ?エレオノール?な、何でここに?!」
鳴海の声が裏返る。
「これが連れだ」
「あ、あの、私が兄に頼んだのです。鳴海さんに一言謝りたくて……ホモ、とか言ってごめんなさい」
ガタリ、と席を立ち、エレオノールが深々と頭を下げた。頭が膝よりも下にいっている。
「いや、別に、そんなことはもういいんだけど…よう、ギイ!」
鳴海はギイの首根っこを捕まえて、その耳元でヒソヒソと
「おい!何でエレオノールが来る、って前もって一言言わねぇんだよ?エレオノールが来るって分かってたらこのカッコ、どうにかしてきたのに!」
と恨み言を言った。
「小手先で何かしてもおまえのことだ、大して変わらん。そもそも心構えがなっていない」
「な・にをう?」
「常に身だしなみを気にするようにならなければダメだということだ。そう、僕のように。いつ素敵な女性と巡り会っても差し支えのないようにしないと」
「おまえの話なんて 聞 い て ね ぇ ん だ よ!」
「あの…どうかしたのですか?」
いきなり内緒話を始めるふたりにエレオノールが心配そうな声をかけるので、鳴海は諦めて、その向かいの席に腰を下ろした。
「あのな、オレ、いつもこんなだらしねぇ格好をしてるわけじゃねぇから。たまたま昨日は会社に泊まりで仕方なく……おまえさんが一緒だって知ってたらもうちっとマシにしてきたんだが」
「私が来る、って知らなかったんですか?」
エレオノールが怒ったような視線をギイに向ける。ギイは素知らぬ顔で
「ナルミを驚かせてやろうと思ったんだよ」
と嘯いた。
「そりゃ驚いたよ。まさかおまえさんの方から会いに来てくれるたぁ…」
鳴海は現状で何とかマシな見栄えにすべく試行錯誤し、背広を脱いでネクタイも外し、ボサボサの長い髪は後ろでひとつに縛った。Yシャツの胸元のボタンもいくつか外し、腕まくりをする。
「へへっ。これならむしろ草臥れたっつーよりもワイルド感が際立つだろ?」
「おまえは普段から野生児だろう?」
「兄さん、そんなこと言わないの。鳴海さん、私は少しも気になりませんから」
「そ、そう?」
控えめに微笑むエレオノールに鳴海は底抜けに明るい笑顔を返した。お互いに想う気持ちを持つふたりは滑らかに会話を始める。ギイの取り持ちは全く必要ないようだ。
しばらくギイはふたりの様子を微笑ましく見守った。でもそのうちに鳴海と妹の間に漂う甘酸っぱい雰囲気にギイの眉間に知らず皺が寄る。エレオノールは幸せいっぱいな表情にギイは「エレオノールはこんな顔も持っているんだな」と思ったくらいだし、高校時代からの親友も喜色満面で妹を心底好いてくれているのが見て取れる。
付き合ったらきっとふたりはうまくいくことだろう。
鳴海はいい奴だ。そんなことは分かりきっている。質実剛健で、真面目で、腹の底が丸見えで信頼における。単細胞が玉に瑕の腕っ節だけが取り柄の男だが、これ、と決めた女のためなら脇目も振らずにひたむきに守ってくれることだろう。エレオノールは幸せになるに違いない。
しかし、それとこれとは話が別なのだ。小さな頃から目に入れても痛くない程に可愛がっていた妹が腐れ縁の親友と付き合う、深い仲になる、ということは!
でももう、それは言っても仕方がない。エレオノールの気持ちを優先してふたりの付き合いを認めることにしたのだから。
分かってはいる。分かっているのだが。
ギイは無意識のうちに大きな大きな溜め息をついた。エレオノールがその溜め息に気がついた。
「兄さん?」
エレオノールの呼びかけを合図にギイは席を立った。
「お?どうした、ギイ?」
「後はふたりでごゆっくり。邪魔者は早々に退散するとしよう」
「兄さん」
「エレオノール、あんまり遅くなるなよ?まあ、多少の門限の遅れには口裏を合わせてやるから」
「もう、兄さんたら!」
エレオノールは赤くなる。
「それじゃ。ナルミ、エレオノールをあんまり引っ張りまわすなよ?」
「おう」
別れの言葉とともに背中を向けるギイの表情がエレオノールには何だか寂しいものに感じた。切ないような、やり切れないような、何かを我慢しているような、そんな感じ。エレオノールはギイの態度が気になって表情を曇らせた。
兄の背中がとても寂しく見える。昔、いつも負んぶしてもらっていた背中が。
鳴海はギイの態度の微妙な変化にはまるで気づかず、純粋に友情の有り難味を噛み締めているようだ。
「あいつ、オレたちに気を使ってくれたのか…?ホントにいいヤツだよな、おまえの兄さんってのはよ…ん?どうかしたのか?」
鳴海は返事の返ってこないエレオノールに声をかける。
「い、いいえ…別に…」
エレオノールは店の入り口にさりげなく目をやったがもうギイの姿はなかった。
それからのエレオノールは本当ならば楽しくて仕方がない筈の鳴海との時間に気が漫ろになってしまった。どうしてもギイの態度の根底にあるものを考えてしまうからだ。
ギイは昔から自分の周りに男が言い寄ってくるのにいい顔をしない。これまではすべてギイが排除してきた。エレオノールも特に男というものに興味がなかったので気にも止めなかったし、返って楽でいいと思っていたくらいだ。ギイが自分のことを大事に想ってくれてのことだということはエレオノールには痛いくらいに伝わっていて、彼女はそんな兄が大好きだった。極度のブラコンとシスコン、そう揶揄されてもどうってこともなかった。実際そうなのだから。
小さい頃はずっと「大きくなったらお兄ちゃまのお嫁さんになる」、「お兄ちゃまみたいなひとが好き」、そんなことを言っていた。でも今回、エレオノールが生まれて初めて好きになった人は鳴海でどこからどう見ても『ギイっぽさ』が欠片もない。むしろ真逆だろう。見た目も性格も。
先程のギイの表情を鑑みると、自分と鳴海の付き合いを口で言うほど歓迎してなさそうなのがエレオノールには伝わった。手放しで喜んでいる、というよりは自分に気を遣っての苦渋の判断だった、みたいな。ずっと続きそうな兄妹喧嘩を治めるために兄として折れた、みたいな。
兄さんとタイプが違う人を私が選んだこと、それが嫌だったのかな?悲しかったのかな?ダダをこねた私との喧嘩を収拾するために仕方なしに鳴海さんとの付き合いを認めることにしたのかな?鳴海さんのこと、本当は私が付き合うのには向いていない、そんな風に考えていたのかな?
エレオノールは鳴海のことが好きだった。何しろ再会できた初恋の相手なのだから。こうしてふたりでいるとものすごく幸せで楽しくて心の中が温かくなって、ずっと一緒にいられたらいいな、と思う。こんな短い時間で自分がどんなに鳴海のことが好きなのかが苦しいくらいに実感できた。
だけど、兄のギイのことも大事だった。大好きだった。
だから、店を出ての帰り際、
「オレと結婚を前提に付き合ってくれないか」
と鳴海に告白された時、舞い上がりそうなくらい嬉しかったけれど、どんなに鳴海のことが好きでもギイに祝福されていない状態で付き合うことは、そして兄に寂しい思い、悲しい思いをさせてしまうようなことはエレオノールにはどうしてもできなかったから、彼女の返事は
「ごめんなさい」
だった。
次の日、鳴海は入社以来初となる欠勤をした。