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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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元々鳴しろ勝が仲町サーカス団員→軽井沢→行方不明→再合流
の設定の原作ベースパロ。






「神秘」の花言葉





滝のような大雨のため、ガテン系バイトがキャンセルになってしまった、特に仕事もやることもない男どもの今日の暇つぶし話題。
テーマは『しろがねを花に例えると』。





「しろがねってさァ、大輪の薔薇?白、でもいいけどオレは赤を押すね。情熱の赤いバラ!なんての、あのクールな表情の下で本当は溢れんばかりの愛が燃え盛ってると思うんだよね。そりゃあモチロン、オレに対する愛に決まってんだろ?一本だけでも華やかで人目を引いて、そのクセ棘があってなかなか触れせてくれない、美しいものには棘があるっつの?まさに体現してると思うんだよなー。具現化された美。オレのしろがねへの愛だって情熱的だぜ、当然な」


「アニキ、しろがねを薔薇に例えるのは在り来たりだね。オレは真っ白い百合の花に例えるね。気高くて崇高で純潔で。しろがねって一見すごく冷たそうに見えるけど時々母性あふれる優しさが覗くときがあるよな。まぁ、そ-ゆーときって勝に向いてるんだけどね。聖母マリアのような何とも言えない優しさをオレは感じるわけよ。もしかしたらキミタチは感じたことがないかもしれんね。しろがねがオレだけに見せてくれた顔なのかもしれんしな」


鳴海はざんざか降る雨の音に、「あーあ、バイトに行けなくて実入りが減っちまったなァ」、なんて考えつつ、「よくもまァあんな女のことで一生懸命ギロンができるもんだね」、なんて半ば呆れ半ば感心しつつ、「あいつを花に例えたら、かァ…」なんて耳半分ながらも知っている花を脳内検索なんてしたりもしていたから
「なァ、おまえだったら何だと思う?しろがねを花に例えたら」
と訊かれたときに、思わず自分の中で出ていた答えを返してしまっていた。





「で、カトウは私を何の花だと言っていたのですか?」
翌日の一幕。
銀色のでっかい瞳を見開いて、顔を近づけて訊いてくるしろがねに「ちょっと怖い」という感想を持ちながら
「兄ちゃんは、水仙かな、て言ってた」
と勝は答えた。
「水仙…?」
「ヒロさんたちに、しろがねがそんな地味な花かよ!って突っ込まれてたよ」
「水仙って春の花デシタっけ?」
「冬の花です。雪の中でも花を咲かせ春の到来を告げるので『雪中花』の別名もあります」
「へーそうなんだ」
「水仙、ていうとアレが思い浮かびマスよネ。ナル…あっと」
リーゼは慌てて口を噤んだ。


水仙。


そう、今のリーゼのようにその名を聞いて大概の人が思い浮かべるのはその学名にもなっている英名「ナルシサス」の語源がどこにあるか、ということではないだろうか?
「ナルシサス」または「ナルキッソス」。「ナルシスト」の語源でもあるギリシャ神話の美少年は水に映った己の姿に恋をして手を伸ばしても触れられない、その報われない恋に憔悴し一本の花になってしまった。それが水仙。自己愛の象徴。


「……」
しろがねは微妙な顔をする。
勝の話題はいつの間にか「僕がリーゼさんを花に例えたら」に移っていて、そのお相手リーゼときゃいきゃいと楽しげにハートマークを飛ばしている。
微笑ましくて大変結構。
結構でないのは鳴海のしろがねの評価だ。
「私のどこが自己愛……私がナルシストだとでも?」
納得がいかない!正直言わさせてもらえば自分のことは好きではない。人間なんだか人形なんだかハッキリしない、上手く笑えない自分など好きになれようもない。
だのに鳴海は自分のことを他よりも自を愛する者、と見ている。
どうして!
どうして、と疑問に思ったからには問い詰めねばなるまい。





「カトウ!私のどこが水仙なのだ?」
サーカスの台所事情と現在の余剰食材とを睨めっこをしながら、今日の晩ご飯の献立を考えていた鳴海は物凄い剣幕でやってきたしろがねに後手を取る。
「どこ、って」
男同士の他愛ない話で終わりと思っていて、まさかそれが当の本人の耳に入り、しかも目力たっぷりで詰問されるなんて思っても見なかった鳴海は思いっきり狼狽する。
「どこ、って…おまえ、その…全体的に…」
しろがねはキレイな顔と柔らかそうな胸がくっつきそうなくらいに詰め寄ってくる。鳴海はじりじりと後退した。
「薔薇と百合はイメージが湧く。だが水仙は分からない。はっきり教えてもらおう」
「く…す、水仙っ、つったら…イメージはひとつだろが!オレは何にも捻ってねぇよ、その、そのまんま、だ」


そのまんま、と言われたしろがねが切なそうに眉を顰めた。
こいつ、こんな顔もできるのかよ、と少し憂いを秘めたような表情に鳴海の胸は早鐘を打つ。
「カトウ、どうして私をそう思う?」
何でオレがおまえを水仙だって思った理由を知りたがるんだよ…鳴海はどうにもこうにも対応に苦しんで、どうしてもしろがねの瞳を見ることが出来ない。
「どうして、って。どうもこうも、あのときオ、オレはおまえをそうだと思ったの!それしか思い浮かばなかったの!それでいいだろ?それでも理由が分かんねぇってなら…別にいいっ」
鳴海は真っ赤な顔をして、何だか怒っている口調で
「買い物行って来るっ!」
とドカドカと大股でどこかに行ってしまった。しろがねはポツンとひとり残される。


「やっぱり…私をナルシストだと思っているのだな。悪口が本人の耳に入ったと知って…罰が悪くてあんな態度を…」
鳴海に訊ねてみたけれど、具体的に自分のどんなところがナルシストなのかが分からなくてその悪いイメージを治そうにも治せない。しろがねはぷくっと膨れて
「カトウの莫迦」
と呟いた。





中国の言葉に『歳寒三友』というものがある。これは日本でもおなじみの松竹梅を讃える言葉だ。風雪や厳寒に耐えながら千歳緑、また長寿でもある松の持久力。屈することなく天へまっすぐ伸びてゆく竹の成長力。百華にさきがけ早春に開花し、芳香を放つ梅の生命力。それらを素晴らしいものとし、転じてそんな苦境の中で友情を育む事ができる友人は何ものにも換えがたいの意ともなっている。
だがそんな『歳寒三友』よりも中国では水仙が尊ばれることがある。
「仙人は、天にあっては天仙、地にあっては地仙、水にあっては水仙」という中国の古典に由来する水仙。その美しさ、香りが仙人、仙女のようだと思われたのだろう。
中国では桜よりも水仙の方が親しまれるのだという。


そして加藤鳴海は中国生活が長い男。
実は、水仙は鳴海が一番好きな花だったりする。
日本人として桜を愛するように、鳴海は水仙も愛していた。
だから鳴海にしてみたら思いもよらずに告白をしてしまったようなものなのだけれど。
相手が由縁を知らないのならまるで意味はない。





花に纏わる、ちょっともどかしいお話。
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