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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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Capter.3



耳元に風切りの音、胃の腑を酔わす浮遊感、頭を抱え込む大きな手、腕。
クラリッサはエドワードを抱き締めて、小さく小さく身を屈めることしかできなかった。
どこまで落ちるのか?
このまま死んでしまうのか?
そんなことを考えたような気もするけれど、考える余裕なんてなかったのかもしれない。
長いようで短い落下時間。
速いようで遅い落下速度。
自分を抱き込む腕にグッと力がこめられた瞬間に起きた騒々しくも派手な激突音と水飛沫。
わんわん、と落下の際に生じた音がこだましている。
土くれや、腐った木っ端がパラパラと上から落ちてくる。
着地した瞬間は身体中の骨がバラバラになったかと思うほどの衝撃で頭蓋骨もグラグラと揺さぶられたけれど、クラリッサもエドワードも気絶することもなく、ただ放心状態を強いられた。
辺りが元の静けさを取り戻す様に、ふたりはじっと聞き耳を立てていた。



3人が落ちた場所はぽっかりと大きな空洞になっているところだった。底には浅い水が溜まり一種の地底湖のような様相を呈している。10M程の高さにある天井部分に彼らが落ちてきた穴があり、そこから薄い月光を落としていた。けれど月光はあまりにも薄すぎて3人のところまでは届かない。
穴の底には冷水の他にも暗闇も溜まっていた。化け物が棲むと言われる鍾乳洞を包むこの暗闇にはまるで意思があるように思われる。否、暗闇自体が化け物の一部なのかもしれない。闇は流動的に蠢き、思いがけず飛び込んできた餌の存在を蜘蛛の糸のように巣のどこかにいる化け物に伝えているような気がして、クラリッサもエドワードも恐怖に心臓を鷲掴みにされた。ただでさえ底無しの奈落に落下したという衝撃が恐ろしいくらいに心臓を酷使している。
クラリッサは自分も弟も、無事でいることが不思議だった。
それも偏に自分たち姉弟の下敷きになっている、どこの誰とも知れない男のおかげに他ならない。落下の恐怖と混乱がクラリッサに間髪入れずに襲いかかったが、そんな中、男が自分たちを庇うようにして硬い地面に激突したことは理解できた。
男はピクリとも動かない。濃い暗闇は自分のすぐ間近にいるはずの男の顔も見せてはくれない。手にゴツゴツとした硬い筋肉が触る。そこに男がいることは確かだ。



「ちょ…ちょっと。ねぇ、大丈夫?」
落下からどれくらいの時間が経ったのだろう?
ようやく混乱と恐怖から脱したクラリッサが男に声をかけた。が、返事はない。
男は浅い水の流れに身を横たえて、クラリッサとエドワードの腰掛けになっている。男の身体に厚みがあるから、ふたりは冷たい流れに身を浸すことからも免れているのだ。服だって落下の際に起きた水飛沫に多少濡れた程度で済んでいる。しかし、男の方は冷水に浸かり続けている。このままでは体温が奪われてきっと死んでしまう。もしかしたら落下の怪我で物凄い流血をしているかもしれない、頭を打って朦朧としているのかもしれない、頭は水に沈んで溺死しているかもしれない!
「おじちゃん…死んじゃったの?」
エドワードがおずおずとした声で訊ねた。クラリッサは慌てて男の体を弄って、広い胸に耳をつけ心臓を捜す。ドクンドクンと力強い鼓動が聞こえた。心音とは別にパキパキと何かが鳴る音も男の身体の中に響いているような気もしたが、鍾乳洞に反響する何かの音かもしれないと深く考えることはしなかった。
「心臓、動いてる…生きてる…でもこのままじゃ…」
次にクラリッサは手探りで男の顔を探す。指先に水で冷えた男の顔を見つけた。閉じたままの瞳、結ばれた口、高い鼻筋、微かな呼吸…。新たな生きている証を見つけてクラリッサは
「大丈夫よ、息してる」
と早口に呟いた。頭を打っているかもしれないから頭は動かさない方がいいのよね、と男の分厚い胸を「もしもし?」と軽く叩いてみる。
「ねぇ…しっかりしてよ!ねぇってば!」
クラリッサが何度目かの「ねぇ」を口にしたとき、
「…そんなに深くねぇ穴でよかったなぁ」
ねっとりとした真の闇の中から男の少し掠れた低い声が聞こえてきた。クラリッサは、はあ、と大きな安堵の息をついた。



「おじちゃん!大丈夫?」
「ああ…」
「大丈夫ならとっとと返事して起きなさいよ!心配するじゃない!こんな冷たい水に浸かっているのは身体に毒よ!」
クラリッサはいつの間にか男を心配していた自分が何だか嫌で、それを吹き飛ばすためにワザと強い口調で言う。
「ああ、そうだな…」
そうだな、と言いながらも男はすぐには起き上がれないようだった。自分たちがいつまでも乗っているのがよくなかったのかもしれない、とクラリッサはエドワードの腕を支えて立ち上がった。真っ暗闇すぎて平衡感覚がうまく掴めない。ただ立っていることも覚束ない。
身体が軽くなった男は呻き声を漏らしながら身体を起こした。暗闇に男の身体から落ちる水音の他に、ギギギ、と機械が軋むような音がした気がした。何の音?というクラリッサの疑問は
「おまえらケガはねぇか?どこか痛むか?」
という男の言葉にかき消された。
「あちこちに打ち身はあるけど動くのには問題ないわ。エドは?大丈夫?」
「うん。ちょこっと擦りむいただけ」
「ならいい。…おまえら、立ちっぱなしってわけにもいかんな」
「そんなこと言っても座るとこなんか…真っ暗で何も見えないわ」
クラリッサは自分にギュッとしがみついてくるエドワードの身体を抱き締めてガタガタと震えていた。暗闇の恐怖と、足首から体温を奪う冷水が彼女たちを震えさせていた。


「こっちだ」
ザバア、と大きな水音がしたのでふたりは思わず身をすくめた。どうやら男が立ち上がったようだった。暗くてクラリッサたちには見えなかったが、男は落下の際に痛めた左肩を庇い、その顔は痛苦に歪んでいた。
「こっちに少し行ったところに中洲みたいになっている場所がある。そこに移動だ」
「中洲?何でそんなものがこんな真っ暗で見えるのよ?」
男はクラリッサの当然の疑問を軽く無視する。エドワードを抱えるクラリッサを更に抱え込むような格好になり、男はゆっくりとした確かな足取りで、中洲のようになっている岩へとふたりを案内した。そしてその上にふたりを押し上げると、ここは大丈夫だから、と座るように促した。続いて自分も上がると腰を落ち着け、痛みに顔を顰めつつバックパックを下ろし、その中から小型のランタンのようなものを取り出した。
左手が上手く使えない男は足でランタンを押さえてどうにかそれに灯りを入れる。すると、ぼうっと辺り一面を照らす光が突然に現れた。クラリッサもエドワードも実際はそれほどの強くはないはずのランタンの光に、暗闇に慣れた目を瞑る。ランタンはそのコンパクトさに似つかわしくないくらいの明るさを闇に怯えていた子供たちに提供してくれた。クラリッサたちに笑みが戻ったのでいささか大儀そうな男も少しホッとしたようだった。
「おじちゃん、これは何?」
エドワードが好奇心から訊ねる。
「これはフウっていう怪しげなジジイが寄越したランタンでな。燃料要らずで半永久的に使えるんだ。どうして半永久的なのかってジジイが何やら小難しげな講釈を垂れていたが忘れた。使えりゃいいんだ、こんなもんは…でもま、こんなに小さいのにこんだけの光量が得られりゃ御の字だ。あのジジイもたまにゃあ役に立つモンを作りやがる」
男はケケケと笑いながらバックパックの中身を漁り続ける。
男が「こんなもんしかねぇんだ」と言いながら絆創膏を取り出したのでクラリッサはエドや自分のケガに遠慮なくそれをペタペタと張っていった。それでようやく、周りの様子を観察するだけの余裕が出てきた。



流水が永い時間をかけて作り上げた玄妙な鍾乳石の洞窟がランタンのオレンジ色の光に照らし出されてキラキラと光り、なかなかに幻想的な世界を作り上げている。非現実的な物珍しさにしばし我を忘れていたクラリッサではあったが、男が痛みから思わず漏らした小さな呻き声にハッと我に返った。男はだらんと左腕を落としている。クラリッサたちの手前、痛みをできるだけ表に出さないように痩せ我慢をしているようだった。男の、右手と両脚が動くかどうかの確認の仕方もクラリッサの目には奇妙に映った。一本一本の指を折り、関節を屈伸させ様々な方向に捻ってみる。一瞬、それがまるで『機械が動くかどうかの点検をしている』かのように見えたからだ。
クラリッサは怪訝そうに眉を顰めた。
膝半分の高さまでの水が張っていたとはいえ岩場に落下し、しかもふたりの人間のクッションにもなったというのにほんのしばらく伸びていただけで男はムクリと身体を起こした。人間離れして頑健な男に対し、クラリッサは「何で無事でいるのよ」と胡散臭さに加点がなされる。この男のおかげで自分も弟も無傷で、さっきまで感謝もしていたにも関わらず。
エドワードが素直に
「おじちゃん、助けてくれてありがとう」
と感謝を述べた。だからクラリッサも普段礼儀を五月蝿く説く姉として仕方なしに
「あ…ありがと」
と礼を述べた。



「全くよ、おまえさんがひっぱたいてくれなきゃ落っこちなくて済んだんだぜ?」
男はオレンジの明かりの中でニヤニヤ笑いを浮かべながらワザとらしく頬を擦ってみせた。
人が殊勝に礼を述べたってのに何よその無礼な態度!クラリッサはカッときた。
「な、何よ!あんたが私のむ…胸を触るからでしょー!」
「胸?」
男の視線がクラリッサの顔から胸に下がり、そしてまた顔に戻ってきた。クラリッサは反射的に胸を両腕で隠す。
「ちょっとどこ見てんのよ!」
「ああ、胸。胸ね。そんなの胸にカウントできねーよ。あるんだかないんだか分っかんないよーな脂肪の塊なんざ」
「しぼ…ッ!あんたねぇッ!花も恥らう17の乙女の胸を何だと思ってんのよ!」
「花も恥らう胸ねぇ…」
男はクラリッサの非難も物ともせずにまたしても胸元に視線を落とし、へへん、と笑った。
「彼氏でも作って大きくしてもらえよ。オレのよく知ってるバストに比べたらおまえさんのはまだまだ…」
「ねえ。彼氏ができると胸って大きくなるの?」
「いいの!そんなことは知らなくて!エドの前で変なこと言わないでよね!」
「お姉ちゃんって胸小さいの?」
「エド!」
「世間一般から見てどのくらいのレベルかってのは分かんねぇけどな、少なくともオレ専用乳には遠く及ばん」
「オレ専用乳」
「エド、そんな言葉は忘れなさい!下品よ、あんた!エドの前で変なこと言わないでって言ったでしょ?」
「おまえさん、痩せっぽちだもんな。冷え性だろ?血行がよくねぇと乳も育たねぇって話だぜ?まずは冷え性を治すことから始めてよ」
「うるさいわね!大きなお世話よ!」
男と姉のやり取りにエドワードがぷぷっと噴き出した。
「おっかしーの。お姉ちゃんがそんなにムキになるなんて」
「何よ!」
「あっはっは!」
エドワードのクスクス笑いにつられて男が可笑しそうに大声で笑った。大口を開けた、屈託のない明るい笑い声。クラリッサは一瞬、男の笑顔に飲まれて呆気に取られてしまっていたが文句を言いかけていたことを思い出す。
「何よ!この…へ…へ…」
ヘクション!
変態!と言いたかったクラリッサの文句は派手なクシャミに打ち消された。ぶるるっと身を震わせる。



「さ、寒…」
腕を擦るとボツボツと鳥肌が立っている。クラリッサのが感染ったのか、エドワードも笑いながらクチンクチンとクシャミを連発した。男が「ほれみたことか」という顔になる。
「鍾乳洞なんてものは外気温よりずっと温度が低いんだよ。真夏っつってもな。なのにそんな薄着じゃあな」
男は自分のベストを脱いでパンパンと水気をはたくとエドに着せた。
「かなりデカいがないよりマシだろ?さっきまで水に浸かってたけど撥水性があるからそんなには濡れてねぇはずだ」
「うん。ありがとう、おじちゃん」
「ポケットに色々突っ込んであるからちいとばかしエドには重いだろうが…平気だな?」
「うん」
男は続いてバックパックの中から新しい長袖のTシャツを引っ張り出しそれをクラリッサに差し出した。真夏に換えの服も長袖?クラリッサは男を訝しそうに見た。
「な、何よ」
「上から羽織っとけ」
「嫌よ、あんたのなんか」
クラリッサはツンと外方を向いた。
「この先、温度は下がる一方だぞ。凍え死んでも知らねぇぞ?」
男はシャツをクラリッサの膝の上に放り投げた。
「いらないってのに!」
「おじちゃんは寒くないの?」
「オレは寒いのは平気なんだよ。筋肉が多くて熱量が高いからな」
「脳みそまで筋肉なんじゃないの?」
「意地張らんで着とけ」
「いいわよ、いらない!このおせっかい!」
男はクラリッサの言葉など小鳥の囀りほどにも思っていないようだ。男はバックパックから引っ張り出した細いロープを適当な長さに切って、腰で縛るようにとエドワードに手渡している。軽くいなされたクラリッサは更なる文句を言おうと思ったがまたもクシャミで遮られた。濡れた身体は更に冷えたような気がする。本気で風邪を引く予感がした。
「し、仕方ないから着てやるわよ」
「そうそう。早いとこ着ねぇとただでさえ冷え性で発育が悪い乳が寒さで萎むぞ」
「うるさいな!」



男が寄越したシャツは頭を通すとブカブカで、袖は長すぎて鬱陶しい。
クラリッサはブチブチ言いながら、男のシャツのおかげで震えが止まったことは軽く無視することにした。



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