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恋のてっぽうだま
「そうかぁ…世間はバレンタインデーかぁ…」
左腕にすれ違う人が皆振り返って思わず見とれてしまうような彼女をくっつけて、いささか鼻の高い加藤鳴海は呟いた。
デパ地下を巡りながらの買い物帰り。
甘党の鳴海は自然とスィーツ売り場で目移りが止まらない。
「なあなあ。オレまだ、おまえからチョコってもらったことねぇ。折角、街に出てきたんだからよ、バレンタインのチョコ…」
ちょうだい?
犬のように今にも尻尾を振りそうな鳴海にしろがねはしれっと返事をする。
「私はあなたにチョコを買ったことあるわよ?尤も、とてもじゃないけれど受け取ってもらえる雰囲気じゃなかったから…渡せなかったけれど」
「う…」
しろがねは去年のバレンタインのことを言っている。
鳴海が仲町サーカスに合流し、しろがねを「フランシーヌ人形」と呼んで憎悪真っ只中だった去年のバレンタイン。
それを言われると鳴海はちょっと弱い。
「チョコ…無駄になっちゃったのよね。それで仕方ないから自分で食べたの」
「わ…悪かったよ…」
「奮発したのだけど」
「悪かったってば」
鳴海は小さくなって頭を掻いた。
小さくなる、と言っても今現在デパ地下で一番の長身の彼は人波よりも頭が一つも二つも飛び抜けているのでほんの気持ち、でしかないが。
「だ、だからさ。今年は去年の分までちゃんと食うからさ。何でもどんだけでも喜んで食うからよー」
チョコレートの甘いに匂いに囲まれた鳴海は喜色満面だ。
「何だかそれってあなたにずい分と分がない?」
「そんなことないって」
そんなことあるでしょう?そんなにニコニコしちゃって。
小さく息をついたしろがねはゆっくりと狭い通路に溢れる人波を鳴海と並んで泳ぎながら、とある店名に目が留まる。足も止まる。
「いいわ。ちょっとそこのソファで待っててくれる?買ってくるから」
「マジ?うわー楽しみ~」
そわそわとウキウキと、自分の言う通りにエスカレーター脇のソファに腰掛けて待つ鳴海に苦笑しながら、しろがねは目当ての店で目当てのチョコレートを買う。
「はい、お待ちどう様」
「さんきゅー。食べてもいい?」
鳴海はしろがねから受け取った包みを早速ガサガサと解きだす。
「ここで食べるの?家に帰ってからにしたら」
「いーの、いーの♪」
鳴海が袋から出したのはシンプルなカンに入った、これまたシンプルな丸くて平べったいたくさんの小粒なチョコだった。
「ここはフランスのチョコレートのお店なの」
鳴海としては色んな形で色んな色の、目に見て楽しいチョコのアソートが来るかと思っていたところがあったけれど、こういうシンプルなものを選ぶあたりしろがねらしいと言えばらしい。
「ピュアチョコレート、って名前なの」
純粋な愛、ってことか。鳴海はしろがねの気持ちをしみじみと噛み締める。
「ではありがたく…」
「一粒ずつ食べた方がいいわよ」
「こんな小っちゃいのまとめて食べないと味分かんねぇよ」
鳴海はしろがねの忠告を聞かず大きな手の平にザラリ、とチョコを出すとガバッと口の中に放り込んだ。
そして青くなる。
にっ、がっ!!!
鳴海の舌が反射的に平べったくなった。あまりの苦さに悶絶しそうだ。
愛するしろがねの買ってくれたチョコだ…!
本人の見ている前で吐き出すわけにはいかん…!
鳴海はダラダラを脂汗をかきながら時間をかけてゆっくりと、舐め溶かして飲み込んだ。
「だから言ったでしょ?一粒ずつ食べた方がいいって」
まさに苦々しい顔で口の中に新たな唾液が溢れてくるのを必死に待つ鳴海は
「何だこの苦いの。これ、チョコか?」
と殆ど口を動かさないようにしてしろがねに訴える。
「カカオマス100%のチョコよ?“ピュア”チョコレート、って名前だって言ったでしょ」
そっちの“ピュア”かよ…
「ポリフェノールがたっぷりで健康にいいのよ」
『しろがね』のオレに健康言われても。
とツッコミを入れたいところだが、鳴海はにこやかなしろがねの前に沈黙する。
というよりも話すことで舌を動かして下手に苦味を増長したくない。
唾液で口の中を洗い流すことを繰り返し、ようやく吐息と一緒に声が出た。
「それにしても苦いなぁ…」
「あら?私は毎日苦いの飲んでるわよ?あなたの」
オレの何?
澄ましたしろがねに代わって鳴海が少し赤くなる。
「言うようになったなぁ…おまえ…」
感慨深そうに言う鳴海に
「そうかしら」
と返すしろがねはどこまでも涼やかだ。
確かにしろがねは毎日のように鳴海が吐き出す苦いものを舌に受けている。
それもこんな小さなチョコレートの比ではなく大量に。
朝に夜に(時に昼にも)。
しかもそれは飲んだところで健康にいいのかどうか(良質の蛋白質でお肌にいいとか?それもどうか?)。
何でもどんだけでも喜んで食う、そう宣言した手前もある。
このチョコレートが一年前のバレンタインでしろがねが受けた苦い想いの味なのかと思えばどうってことない。むしろ責任持ってそれを呑み込むことがしろがねを愛する男たるものの度量の大きさというものだろう。
「ありがたく頂きます」
鳴海は苦いチョコレートを頭の上に捧げ持ち、恭しく頭を下げた。
「砂糖をたっぷり入れたコーヒーと一緒に毎日少しずつ食うよ。健康にもいいんだろ?」
ニッと笑うと、「さあ、帰るか」と鳴海は立ち上がる。
「そうね、帰りましょう」
鳴海の背中を追いかけるしろがねの手には苦いチョコレートを買ったお店の小さな紙袋。
中にはもうひとつのチョコレート。
甘いチョコレートだってちゃんと買ってあるわよ。
舌を突き出して、まだ苦いと泣き言を言う鳴海にくすりと笑いながら
甘いのは家に帰ってからね
と彼の太い腕に腕を絡め、身体を押し付けた。
甘い楽しみは後で、ね。
あなたを一撃で打ち落とす、恋のてっぽうだま。
End