忍者ブログ
『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

原作にそったパロディです。






三月の風

四月の雨

五月の花を咲かせるため。





(3)


キュベロンに冷たい雨が降る。
石造りの古い館を取り巻くようにして咲く菜の花も灰色の雨に打たれて凍えるように重たい首を項垂れさせる。まるで叱られているみたいに。雨粒を涙のようにその細い身体に伝わせて本当に泣いているようだ。
菜の花に自分の姿が重なるように思えたエレオノールは窓から黄色い海を見下ろすのを止めた。振り返ると肌寒い部屋に大きなマリオネットが座っている。額の飾りの羽根が窓から吹き込む風に揺れる。
エレオノールは、ふっ、と小さく息をつくと練習用のあるるかんに歩み寄って指貫をはめた。銀色の細い糸を閃かせると雨のそぼ降る音に混じり、歯車の回る音がする。





いつまで。
いつまで、ひとりぼっちなのかしら。
時が止まったようなこの屋敷には、三人の老婆と、私。
朝から晩まで人形繰りをして、ひたすら人形繰りをして。
この屋敷は私には牢獄のようなものだけれど、私の人生、そして運命そのものも牢獄に代わりがないから。
動かない時計に支配された牢獄。
自動人形を破壊することだけを運命められた私の人生。
きっと、こうしてマリオネットと踊ることしか私には許されないのだ。


雨の雫が煉瓦の壁を濡らす音だけが耳に痛い。


「エレオノール、おいでかえ?」
静かな、それでいて厳然としたノックの後、扉からルシールが顔を覗かせた。
「おります。何でしょうか、ルシール先生」
エレオノールはマリオネットを繰る手を止めて、ルシールに向き直った。
「今日はマリーもタニアも所要でね、今夜は私とおまえしかいない。夕食は簡単に済ましてしまおう。少し早いが支度を始めるよ。厨房に下りておいで」
「分かりました」
厳格な教師は無駄なことが好きではない性質だということをよく知っているエレオノールは即座に指貫を外すと、その針金細工を思わせる背中について部屋を出て行った。





「あるものを食べてしまおう…。エレオノール、じゃがいもの皮をお剥き。昨日の残りのこれと合わせてクロケットを作るとしよう」
「はい」
厨房に下りたルシールはキビキビと生徒に指示を出す。生徒は言われた通りの作業を始める。エレオノールはナイフを手に取るとクルクルとジャガイモの皮を手早く剥いていく。この生徒は人形繰りよりも料理の方に才能があるようだねぇ、とルシールはいつも思う。
エレオノールはキュベロンに来てからというもの、朝昼晩と食事の用意をしている。問答無用に料理の腕は上がるというものだし、純粋に料理を作ることは楽しかったし好きだった。人形繰りなんかよりもずっと面白かった。3人の老婆は入れ替わり立ち代り、エレオノールに料理の作り方を叩き込んでいった。おかげでエレオノールは大抵のものなら玄人はだしに作ることが出来し、『しろがね』を止めてもオーナーシェフとしてやっていくことも可能だろう。


「エレオノール、ようく見ておいで。ベルヌイユ家のクロケットはこういうものさ」
ルシールもまた人形繰り同様、料理を熱心に教えた。
そしてマリーもタニアもいないふたりだけの日は、こうして『ベルヌイユ家の』が枕詞になる料理を教えようとすることがままあった。そして普段だったら出すものは口だけのルシールが手も出してくる。エレオノールはそれを不思議には思ったが、それをあえて訊ねることはしなかった。
自分の隣で一緒に料理をしてくれるルシールのことは意外に好きだった。


ふたりで囲む食卓はいつも静かだ。マリーとタニアが居てもまるでひとりで食べているみたいに静かだが、ふたりだと尚のこと静かだ。
「美味しいです」
クロケットを一口運んだエレオノールは感嘆した。ルシールの作る『ベルヌイユ家の味』のクロケットはいつ食べてもどこか懐かしい味がする。
これって何なのだろう?温かなやさしい手で撫でられているような気になる。エレオノールの手が進む。
「そうかい」
俯くルシールはいつも通り無表情だった。無表情で自分の皿の上の食べかけのクロケットに目を落とした。





アンジェリーナにもこうして料理の作り方を教えてやりたかった。
母から娘へと代々受け継がれていくものがある。貧しくて、形あるものは何一つ伝わらない農家でも、こうして口伝で累々と次の世代へと渡されてきたものはあるのだ。
けれど、ルシールはそれを娘に手渡すことができなかった。不可抗力とはいえ、自分の代で途絶えさせてしまった。
『しろがね』となった彼女は母の顔を捨てたから。
母親らしいことは何一つしてやらなかった。
アンジェリーナは遠い異国で結婚をした。嫁ぎ先であの娘は主婦としての仕事、母としての仕事をこなせたのだろうか。しっかり者で気の強いところはあったけれどどちらかというとおっとりのんびりとした気質だったアンジェリーナは結婚相手に迷惑をかけたりはしなかったのだろうか。
あの娘は私を母としての手本として思い出したりしたのだろうか。
ルシールは時にそんな感傷的な思いに浸る。


ルシールはパクパクとクロケットを夢中で食べるエレオノールを見遣った。
こうしてアンジェリーナに教えてやれなかったことをエレオノールに教えているのはルシールの自己満足に過ぎない。エレオノールは、自分と目の前の老婆との間に血の繋がりがあるかもしれないなどと夢にも思っていないのだから。感傷的な自己満足。エレオノールが我が娘・アンジェリーナの娘である確証などどこにもない。ただ、自分の血が勝手に騒いでそう言っているだけだ。
それでも、例えクロケットの作り方ひとつでもエレオノールの中に息づくことが出来れば遠い昔に捨ててしまった何かの帳尻が合うような気がするのだ。
長くて不毛な自分の人生も、報われるような気がするのだ。





皿を空にしたエレオノールが顔を上げると向かいの席のルシールがじっと自分を見つめていることに気が付いた。既に空っぽな自分の皿とは対照的にルシールの更にはクロケットがまだ半分以上残っている。
「す、すみません。あんまりにもルシール先生のクロケットが美味しかったものですから」
ガツガツと早食いしたことを咎められているような気がしたエレオノールは罰が悪そうに肩をすくめて謝った。ルシールは少しだけ目元を緩めて
「別に私は怒っちゃいないよ。どうして謝るんだい、変な娘だね」
そう言うとクロケットを口の中に放り込む。
「はい…。でも、あっという間に食べ終えてしまって。先生に品がない、と思われたのかと思って」
エレオノールが所在なさげにしている。ルシールはナフキンで口元を軽く押さえ拭くふりをしながら唇に上る笑みを隠した。


「手料理を美味しいと食べてもらってそんな風に思うものかね」
「そうですか?」
「…クロケットはまだ残っているよ。よかったら全部おあがり」
「はい」
エレオノールが皿を持って席を立つ。
ルシールはエレオノールの背中を見送って、ひょいとクロケットを口に入れた。郷愁を誘う変わらない素朴な味。
目を閉じると、時間が遡る心地がする。
小さくて粗末なテーブルに、ほんの少しのクロケット。それを分け合うようにして夫と娘と息子で食卓を囲む。
『クロケットは子供たちの大好物だったねぇ』
ルシールはあっという間に食べ終えてしまう子どもたちに自分の分も与えた。子どもたちが喜ぶ顔の方が自分の空腹よりも勝ったのを覚えている。
お母さんのクロケットは美味しいね、そう言って無邪気に笑う娘は名前の通り、本物の天使だった。





「ルシール先生のクロケット、本当に美味しいです」
エレオノールの面影の中にもノスタルジーを見た女傑はその後、食事が終わるまで口を開くことはなかった。





エレオノール。
『ベルヌイユ家のクロケット』をいつか、おまえの大事な人に食べさせておくれ。きっと幸せな気持ちになれるはずさ。相手も、おまえもね。



End



postscript
ルシールが鳴海との別れの際に口にした「ルシール特製クロケット」。今はクロケットと言えばおそらく中にクリームの入った俵状のアレを指すんだと思います。ですが、ルシールがクローグ村で主婦をしていた頃のクロケットは『前の日の残り物を細かく刻んでじゃがいもと混ぜたもの』であった筈なんです。言うなればお惣菜、それも如何に残飯を美味しくいただけるか、から始まった料理がクロケットのルーツで、日本ではコロッケとして一洋食の地位を築いているクロケットも本場フランスでは付け合せのようです。だからルシールがどういったものを指して『特製』と言ったかは分かりません。昔の残り物で作ったクロケットのイメージがあったのか、それとも長いこと生きてきた上で知ったクリームクロケットを思い描いたのか。いずれにしても鳴海が好物なのは日本人なら誰もが知っている定番コロッケだと思うので、多分ルシールの考えていたものとは開きがあるんじゃないかなぁ。

で、私が何をしたかったのかというと、ルシールのクロケットを鳴海に食べさせてあげたいと思ったのでした。でもルシールは故人ですから無理です。で、いつか平和になった時にエレの手料理としてそれを「ルシール先生に教わったのよ」なんて食べる機会があったらいいな、なんてね。そのためもあって、今回出したクロケットは家庭料理のお惣菜としてのクロケットにしました。

いっそのことなぁ、「好きなものは何か」と訊かれた鳴海の答えが「ロールキャベツ」だったらよかったのに。そうすればこんなこじつけ話なんかでなくとも、因縁めいたものがあるのに。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
ブログ内検索

PR
Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]