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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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原作にそったパロディです。







三月の風 

四月の雨 

五月の花を咲かせるため。




(2)


「なかなか上達しない娘だねぇ」
「『しろがね』であれほどまでに人形繰りに間誤付く者などいなかったねぇ」
マリーとタニアが言う。最近よく交わされる内容の会話。
ルシールはいつも黙って聞いているだけに終始する。
せいぜい、
「年が小さすぎるんじゃないのかね」
と言うくらいで、別に大したことではない、といった風を崩さない。





『しろがね』は皆キュベロンでマリオネットを操る技術を学ぶ。
『しろがね』には根底に銀の知識が根付いているから、数年の厳しい訓練を重ねれば自由自在にあの大きなマリオネットを操れるようになる。まるで、あたかも自分の手足のように。
『しろがね』は誰もが皆、同じ銀の知識を持っているから特に説明は必要としない。生徒は教師の最小限の言葉で理解ができるからだ。
『しろがね』は大抵、10年もかからずに一人前となる。そして自動人形を破壊する旅に出る。
土は土に、人形は人形の還すために。





けれど、件の最年少の『しろがね』エレオノールは10年経っても一人前になれなかった。何しろ、子供騙しの小さなマリオネットで修練を一から始めなければならないほどに、彼女の人形繰りは拙かった。
こんなことはこれまでの『しろがね』には在り得なかったことだ。
最小限の言葉で理解可能、意思疎通可能だったものが、一から十まで丁寧に伝えなければ分からない。『しろがね』ならば歩くこと、食べることと同等にできるはずの人形繰りの基本的な動作すらもできないのだ。
それ故に、3人の老婆の彼女に対する教育は他に比べて非常に厳しいものになった。
しかも、厳しい鍛錬に涙を流す『しろがね』というのも前代未聞だった。
『しろがね』なら誰しも自動人形への憎しみが先んじて、人形繰りが辛くて泣く、己の境遇が悲しくて泣くことなど考えもしないのに。
エレオノールは泣くのだ。人形を繰りながら。
はっきり言って、『しろがね』としての自覚、がまるでないといえるだろう。彼女はどこまで行っても『しろがね』ではなく『エレオノール』なのだ。
だから彼女は「エレオノールの名とともに感情も捨てなさい」と厳しい叱責を受けもする。





「上達はしないがね、練習はできないなりに一生懸命やっているさ」
ルシールが事も無げに言う。
「真面目なのは認めるが」
「これまでの『しろがね』とはどこか違う気がするけれどね」
マリーにもタニアにも、言葉の中に幾ばくかの戸惑いを嗅ぎ取ることが出来る。永年、感情の揺らぎなどどこやらへと打ち捨てた老練の『しろがね』が一体何を今更、とルシールは思いながらも、彼女自身、ふたりの言い分には同意せざるを得ないところだ。
「一概に『しろがね』とは言っても色んなのがいるさ。あのお方の記憶を分け与えられた者、基本的なところで同一な者ではあるけれど、なかにはフウやイヴォンヌのように『しろがね』を下りた者もいるんだ。落ち零れの『しろがね』がいたって可笑しかないよ」


それも一理ある。
自動人形を破壊すること、憎悪すること、それが『しろがね』としての正しい在り方なのに、それが出来なくなった者が確かに存在する。
だから、どんな『しろがね』が存在するにしても可能性はゼロじゃない。
自動人形を憎めなくなった、自動人形が自分達の村に家族にどんなことをしたのかを忘れてしまった『しろがね』よりも、まだ落ち零れの『しろがね』の方がましなのかも知れない。
ただ、エレオノールに関しては「自動人形への憎しみ」の点でもどこか首を捻りたくなるようなところが垣間見えるのも確かではあるが。
ルシールは髪の毛一筋ほどの感情の揺らぎも表に出さず、それ以上の論議は堂々巡りになって話すだけ無駄、と言わんばかりに
「それじゃ、私はその落ち零れの練習でも見に行くかね」
と席を立った。
その後姿をマリーとタニアは黙って見送る。
そしてルシールがいなくなった後、ふたりがエレオノールのことで語ることはなかった。ルシール抜きで真実を口にするのが恐ろしかったのかもしれない。
『しろがね』に恐ろしい、などという感情があるのなら、という話だが。







エレオノールは『しろがね』年齢7歳でキュベロンにやって来た。
それから12年、『しろがね』としては9歳になった。
9歳、確かにマリオネットを操る筋力をつけるのに成人の『しろがね』よりも時間がかかっているから、そう言えなくもない。
けれど、エレオノールには本来『しろがね』ならば持っているはずの『知識』が殆どないのだ。マリオネットと自動人形の内部構造についてはそれなりの知識を断片的に持っていたり、語学力も全くないわけでもない。錬金術についても全く知らないわけでもない。それも何かのきっかけから思い出すことが常で、知識が奥深くで眠っている、そういった印象を持たざるを得ない。
12年間、エレオノールを観察してルシールが結論として出しつつあるのは、「エレオノールはあの方の溶けた『生命の水』を飲んでいないのかもしれない」ということだった。確かにエレオノールは銀目で銀髪で、老化の遅延、驚異的な治癒力という『生命の水』を飲んだ者の特徴を示している。だが、それが自分達『しろがね』が飲んだ『生命の水』と由来を同じくするものではないのかもしれない。そんな気がするのだ。エレオノールを見つけて『しろがね』にしたギイは真実を知るのだろう。けれど訊いたところで正直に話す人物じゃないことはよく分かっている。ルシール自身、言いたくないことはどんなに尋ねられても口を割るつもりはない。
結果、ルシールに残された術は推理することだけだが、おそらくそれは限りなく真実に近いのだろう、と本能が訴えていた。


何の運命のイタズラかは知らないが、エレオノールはルシールの娘・アンジェリーナに生き写しだったから。


幼い頃のアンジェリーナを良く知るマリーとタニアもきっと気付いているに違いない。エレオノールとアンジェリーナに何らかの繋がりがあるのではないか、ということに。エレオノールとアンジェリーナが酷似していることについて何も言わない、沈黙を守っていることが雄弁に語っているのだ。


もしも、エレオノールが飲んだ『生命の水』の由来が違うというのなら、彼女の飲んだ『生命の水』は一体どこからやってきたのか。
『生命の水』は『柔らかい石』がないと生成できない。そして『柔らかい石』はアンジェリーナの中にあった。エレオノールとアンジェリーナに何らかの繋がりがあるのだとしたら、エレオノールが銀目銀髪になったことにも深い関係を孕んでいるに違いない。
いなくなってしまったアンジェリーナ。現れたエレオノール。
アンジェリーナの体内から『柔らかい石』を取り出し、彼女の生んだ赤ん坊に埋めて持ち帰るようギイが特命を受け、それに失敗したのはエレオノールがここにやってきた年から遡ること35年前。赤ん坊は死に、それにショックを受けたアンジェリーナが出奔してしまったのも同じく35年前。
もしも、その赤ん坊が生きていたら?何らかの事情で『しろがね』になっていたら?35年、『しろがね』年齢で7歳。
ちょうど、エレオノールが初めてキュベロンを訪れた年齢と合う。


だからルシールはエレオノールがキュベロンを初めて訪れたあの日から、分かっていた。エレオノールが成長すればする程、キュベロンを去ったアンジェリーナに似てくるだろうことを。手っ取り早く言えば、この屋敷の地下に掲げられている肖像、フランシーヌ人形に似てくるだろうことを。
だから、ルシールはエレオノールを他の『しろがね』から隔離するようにして教育することにした。「どうしてあの『しろがね』は憎きフランシーヌ人形に似ているんだ」と他の『しろがね』達の耳目を集めれば、アンジェリーナの二の舞になることが目に見えていたからだ。マリーもタニアも何も言わなかった。人形繰りに関してはマリーとタニアの手を借りることもあったが、基本的にはエレオノールはルシールの担当だった。『しろがね』は何も言わずしても事情に通じているのだから、と自分に理由をつけてエレオノールを意図的に『しろがね』事情から隔絶した。エレオノールを『しろがね』ならば必ず連れて行く地下室に連れて行ったこともない。よってエレオノールはフランシーヌ人形の肖像を見た事がない。自分が敵の首領に瓜二つであることを知らない。


マリーもタニアも何も言わない。自分達がギイを差し向けたことで結果アンジェリーナの子どもは死に、精神を病んだアンジェリーナが姿を消してしまったことに咎を感じているからなのかもしれない
『しろがね』にそんな人間臭い情が残っているなら、という話だが。







ルシールがエレオノールの練習している部屋に着くと、彼女はマリオネットの手入れをしていた。床にぺたんと座って練習用のあるるかんを膝に抱いて、赤子をあやすかのようにその額の羽飾りを梳いていた。
そして歌を歌っていた。


かわいいぼうや
愛するぼうや
風に葉っぱが舞うように
ぼうやのベッドは ひいらひらり
天にまします 神さまよ
この子にひとつ
みんなにひとつ
いつかは恵みをくださいますよう


それはルシールもよく知る子守唄だった。
大昔、彼女が幼い娘と息子を寝かしつけるために何度も何度も繰り返し繰り返し歌った、懐かしい歌。
懐かしい旋律。懐かしい歌詞。
エレオノールは戸口にルシールの姿を認めると歌うのを止めて、慌ててパッと立ち上がって「別にサボっていたわけではありません。あるるかんの手入れをしていたのです。本当です」、という顔と態度をした。でもルシールがいつものようにじっと無表情で自分のことをジロジロ見るものだからサボっていたのがバレたのかも、お見通しなのかも、と
「すみません」
と結局は謝って頭を下げた。


「今すぐに始めるところだったんです…」
「今の歌、誰に教わったんだい?」
「え…?あ、あの…母です…」
エレオノールに母の記憶はない、けれど咄嗟に嘘をついた。ギイの用意した彼女の嘘履歴によればギイに拾われる7歳までは両親と暮らしていたことになっているのだから。
でも、とエレオノールは思う。
私はこの子守唄をどこで覚えたのだろう。誰も子守唄を歌ってくれるような人なんて身の回りにはいなかったのに。歌など何も知らない私だけれど、この歌だけは、身に染むように知っていた。


「それが、何か?」
「いいえ、何でも。さあて、練習を再開しようか」
「はい」


ルシールは確信を強める。
この子はやはりアンジェリーナの娘に違いない。
この子守唄はクローグ村、この地方に伝わる歌なのだから。スカンジナビアの娘が知っているはずもない歌なのだから。
そして今、エレオノールは子守唄をフランス語で歌ったり、日本語で歌ったりしていた。本人は誤魔化すことに必死で何語で歌っていたのか気にもしなかったようだが。
日本。アンジェリーナが嫁いだ国。





ルシールは、自分に厳しい言葉を浴びせられて瞳に涙を浮かべながら一生懸命に人形を繰るエレオノールを見つめる。
しっかりしなさい!
そう母親に叱られて、涙を堪える幼い娘の姿が瞼の裏に蘇る。
何の因果だろうね、アンジェリーナ。あんたの娘にまで同じ言葉をかけなくちゃならないなんてね。ルシールは娘に語りかけながら心を鬼にする。
「しっかりしなさい、エレオノール!」
エレオノールは涙で濡れた頬を手の甲で拭って、グッと歯を食い縛った。








正二とギイの報告は『アンジェリーナは行方不明』だった。けれどルシールはアンジェリーナはきっともう、この世にはいないのだろう、心の中でそう結論付けていた。



End



postscript
説明くさくてスミマセン(汗)。エレが『しろがね』の事情に疎すぎることについてのこじつけ話です。キュベロンに15年もいたくせに『しろがね』だったら誰しもが知っているはずのゾナハ病を名前すら知らないエレ。鳴海にフランシーヌ人形呼ばわりをされて、どうしてそんなことを言うの?、モードなエレ。サハラの主力メンバーですら「~というしろがね」という表現をしてしまうエレ(『空白のナルミ』参照)。どう考えても三婆からしてエレを温室育ちにしていたのでは、という疑惑が持たれます。

サハラにおいても(偽)フラン人形を見ても誰もエレを思い出さない。「そういえばフラン人形の肖像にそっくりな『しろがね』がいたよな?」「件の『しろがね』にそっくりじゃないか!」「どうしたアイツ、ここに来ていないじゃないか?どうしたんだ!」って話になるはずでは?フラン人形に生き写しの『しろがね』なんて、素手で人形を倒す東洋の『しろがね』よりも超有名人ですよ?でも、エレについて一言もない。誰もエレオノールという『しろがね』を知らない、としか思えない。ルシールも何も言わない。

そうなるとエレオノールと他の『しろがね』との間に接点を持たせないようにしよう、というルシール(もしくは三婆)の意図が汲み取れるような気がするんです。そんな中、ディーンにはエレを見つけられてしまうわけですが、そこはそれ、あそこは元々彼の家ですから立ち入り禁止区域も平気でチョロチョロしてたのでしょうね。
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