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琥珀の蟲。
「ミンハイ、あんたの担当はここ。しっかり掃除しなさいよ?!」
鳴海がミンシアに連れてこられたのは、彼女の屋敷の敷地内の外れにある蔵の中。
もう何年も何十年も人が足を踏み入れたことがないのではないか?と思われる、『蔵』と言うと響きもいいが、はっきり見た目で言ってしまえば『大きな物置』を鳴海一人で掃除しろ、とミンシアは言う。
「ちょっと待ってくれよ、ミンシア!何でオレがここの掃除なんか」
「今日は門下生全員で大掃除って決まってたでしょう?ウチの中を掃除してるのはあんただけじゃないわよ」
年も押し迫った時節、ミンシアの言う通り、今日は門下生総出で師父への日頃の感謝を込め掃除を手伝っていた。
鳴海が文句のあるのはそこではない。
皆は道場やら庭やら家の周囲やらを掃除している。
なのにどうして自分だけが如何にも『骨の折れそうな』場所をたった一人で掃除しなければならないのか、そこが問題なのだ。それも別に鳴海が一生懸命掃除したところでこの先また何年も何十年も誰も足を踏み入れることなんてなさそうなのに。
「掃除には文句ねぇよ。ミンシア、オレが言いたいのはこんな誰もこねぇようなトコ掃除したって意味ねぇんじゃってことだよ」
「父さんがたまに来るわよ。年代物の武術書やら兵法書やら、代々伝わる辛気臭い書物なんか読みに」
はっきり言ってそんな黴臭い代物は、若くて父親に反発しているミンシアにとっては何の興味は引かないけれど。
「今日は天気がいいんだから中身をそっくり表に出して虫干ししてよね?」
「…ちぇ。分かったよ、ミンシア」
何にしてもここをひとりで掃除しろ、と言うのはイジメだろう。
「それに、ミンシア『姐さん』、でしょ?最近あんた生意気よ?道場のお嬢さんを呼び捨てにしちゃってさ。父さんに目をかけられてるからって増長してんじゃないわよ?」
「へぇへぇ、分かりましたよ、ミンシア、姐 さ ん 」
背中を向けるミンシアにべえっと舌を突き出す。そして「しゃーねーなっ」と呟くと鳴海は伸びかけの髪に手拭を巻いてさくさくと手間の掛かりそうな作業に取り掛かった。
「ふうっ、これで最後、っと…」
蔵の中身を全て表に出し切って、鳴海はぐぐっと伸びをするとポキポキ、と骨が鳴った。
「さすがに、くったびれたなァ」
きれいに虫干しされている古書に混じって鳴海も地べたにごろんと横になる。
見上げる空が青い。
「師父ってすげぇなァ、こんな本を読んでっから内側からも強くなったのかな」
鳴海は寝転がりながら手近にある本を次々に取る。
親の仕事にくっついての長い長い滞在生活により、お陰様で中国語は母国語のように読むのも書くのも操れる鳴海だったがここにある本はどれも達筆すぎて理解するどころか読むこともできなかった。
「むぅぅ…どれもこれも字が読めねぇや、図解しか分からん…お?これは何だ?」
次にとった本も達筆だった。けれど挿絵が他の如何にも武術に絡んだものだったのとは異なり、何だか稚拙な絵日記のような印象を受けた。パラパラとページを捲る。物語のようだった。内容も理解できなかった。けれど、一人の男が一人の女を抱き抱えて逃げるような挿絵を見た時、言いようのない禍々しさが鳴海を襲う。ゾクリと全身の毛が逆立って、訳もなく吐き気が込み上げたので鳴海はそれ以上見る気にはなれず、その本を投げ捨てるように放り投げた。
「うわ…何だ、今の?鳥肌がすげぇ…この本、『曰く付』ってヤツなんじゃねぇの?」
マジで悪いモンが取り憑いているとか?
鳴海はその本の傍にいるのも嫌になって後ずさる様にして跳ね起きると、掃除の続きをしに再び蔵の中に戻った。続いて鳴海は叩きをかけて埃を落とし、下に落ちた埃を掃き出す作業に取り掛かる。
舞い上がる埃が凄い。頭を覆っていた手拭で今度は口鼻を覆う。
「埃の積もり方が半端ねぇ…前に掃除したの何時なんだよ…」
本当に師父はこんなトコにくんのかよ?
文句を言いながらも鳴海は一切手を抜かず、真面目に端から掃き清めていく。棚の下も腰と膝を深く折って、隅から丹念に箒を這わせる。固く絞った雑巾で手の届くところ全てを拭き、それが終わった頃には虫干しも完了していた。ブツブツとミンシアへの恨み言を呟きながらもひたすら真面目に鳴海は表に出したガラクタを元の場所に戻していく。
「さあて、これでゴールが見えてきたぞ…ととっ」
鳴海が棚の高いところに片付けようと持ち上げた箱は閉まり方が充分でなかったようで、ばく、と蓋が開いた途端、何か硬くて重たいものが床へと転がり落ちた。
「いけねっ、割れモンだったら困る!」
鳴海が慌てて手を伸ばし、掴み上げたそれは真っ黒の汚れがこびり付いた、平べったいコンパクトみたいな形をしたものだった。
触れた鳴海の手指にも真っ黒なそれが汚れを移す。
「何だコレ……煤?焦げてんのか?」
落ちた衝撃で周りを覆っていたものが幾らか剥がれ落ちて中身を覗かせている。
「ガラス、かな?」
爪の先で突いてみるとコチコチと透明で硬い音がした。
鳴海はそれにこびり付いた汚れを爪でこそげ落とす。
「コレ…懐中時計だ、きっと。何となく文字盤みてぇのが見えてきた」
その懐中時計は高価なものなのか、年代物なのかも分からないくらいに汚れていた。汚れというよりもむしろ、火事場から拾ってきたもののように焼けた灰が溶けて固まって、溶岩のように時計の周りに纏わり着いていた。
「塩釜焼きみてぇだな」
爪が剥げそうなくらい汚れが強固だったので、鳴海はどこからか持ってきた木っ端で時計の周りの灰の塊をこそげていく。
「こんなもんでも置いてあるってことは誰かの思い出の品なのかもしれねぇしなぁ……おし、何となく原型が見えてきた」
それは見るからに古びたハンティングカバーのついたタイプの懐中時計だった。頭に巻いた手拭を取って残りの汚れをきれいに拭う。
「へえ……けっこう綺麗な細工じゃん……あれ?コレ蓋が壊れてんのか?あ、開かねっ!固っ!」
懐中時計の蓋の隙間にも滑らかな細かい灰が詰まり、高温で溶けて密着している。
んぎぎぎぎ。
蓋と本体がぴったりとくっついてしまっていて開かない。
鳴海は今度はどこからか薄くて鋭い剃刀のようなものを持ってきて根気良く、その隙間の灰を削り出していく。そして粗方の固まった灰を穿り出したところで指を鷹の爪のように曲げ、力技に出た。そして鳴海は力だけは馬鹿みたいにあったから、しばらく格闘した後、それを振り絞って無理やりその蓋を抉じ開けた。
「よっと!開いたっ!」
ばかん、と懐中時計が大きく口を開いた瞬間。
鳴海は小さな銀色の煙が舞い上がったように感じた。
舞い上がったそれは空中で一塊となり、薄い靄のように、まるで意思を持っているかのように形を変えて、鳴海の周りを漂っているようだった。
鳴海はそれは埃だと思った。
自分が懐中時計の蓋を開けるのに大きな身動きをしたから、掃除がし足りなくて蔵の中にまだ残っていた埃がまた舞い上がってしまったのだと。そしてそれが銀色に見えたのは暗い蔵に射し込む細い太陽の光が反射したからだと。
それを証拠に、銀色の煙に見えたものは瞬きのうちに消えてなくなった。
「何だったんだ今の……ぐ……ごほっ!…ち、こんな埃っぽいとこで作業してたからだな…喉がイガラッポイぜ…」
鳴海は喉を押さえる。
何だか焼けるようにひり付く。
ぜひっ。
いつも通りの無意識の呼吸に想像を絶する違和感。
「あ…?どうした、オレ…?」
身体がものすごく痛い。息が苦しい。世界が痛みでグルグルと回る。
「何とか……片付けだけは終わらせねぇと……後、も少しだから…」
でも身体が言う事を聞いてくれない。あまりの痛苦に、オレはこのまま死んじまうのかも、鳴海は暗い蔵の中で喘ぎながら絶望を見つめた。
鳴海の突如降って湧いたような苦しみは、様子を見にきたミンシアが埃まみれで難しい顔をしている鳴海を見て笑うまで続いた。
50年程昔、中国のとある村が奇病に襲われ全滅した。
その村には人形使いの家があり、奇跡的にそこの赤ん坊は生き残った。
その赤ん坊は父親の懐中時計で遊ぶのが好きだった。懐中時計があれば何時までも一人遊びをして大人しかったから、仕事で忙しい家族から離れて囲炉裏端の籠の中で時計で遊んでいた。
奇病が家の中に入り込んできたあの日も。
何も知らない赤ん坊は、突然誰かに抱き抱え上げられ、その弾みで懐中時計は宙を飛んだ。そして懐中時計は蔓延する銀色の煙を一握し、床に落ち、蓋を閉じ、コンコンと跳ねながら囲炉裏の中の焼けた灰の中に埋まった。
囲炉裏の火はいつもと変わらずパチパチと楽しい歌を歌っていた。
家中に、否、村中に恐怖と死に支配された叫び声、呻き声、喘ぎ声が満ち溢れてもパチパチと楽しそうに囲炉裏の火ははぜていた。
蓋の内側に、無数の業の病の元を咥えたまま、時計は止まった。
後日、国の憲兵がやってきて村中を劫火で嘗め尽くし、時計は更に焼かれた。
閉じ込められたソレは滑らかな時計の内側を動き回り、何時か表に出られる日を無機質に待った。彼らには時間の流れ、などあってないようなものだから。
まるで琥珀の中の蟲のように。
静謐に、再び舞い上がる時を待つ。
その家の生き残りである赤ん坊は、幾つかの形見や家に伝わる大事なものと一緒に遠く離れた拳法を生業とする家へともらわれていった。
その中には火事場を最後に点検した者が見つけ拾っておいてくれた焼け焦げてしまったけれど大好きだった、父の形見になってしまった懐中時計と、先祖が書き遺した禍々しい冊子も含まれていた。
加藤鳴海に下された診断は『ゾナハ病』。
鳴海が日本に帰国を余儀なくされたのは
それから間も無くのこと―――。
End
postscript ゾナハ病罹患に関する捏造話第二段、鳴海編です。日本では自動人形の被害が出ていないわけですし、唯一の黒賀事件の頃の鳴海は中国にいたものと思われます。中国で鳴海しかゾナハになっていない、師父はゾナハに因縁がある、じゃあ師父がゾナハになったときの蟲がどこかに残ってればいいのかな、なんて短絡的に考えて創作してみました。よく読むと突っ込むところが幾らでも出てきそうな話ですが(汗)。だからよく読まないでさらっと流してください。