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無愛想な男と好奇心旺盛な女の子。
「ねえ、新入りさん。お願いがあるんだけど」
涼子は少し勇気を出して、背中を向ける大きな作業着の男に声をかけた。
男、加藤鳴海はゆっくりと振り返ると涼子を認め、
「なんだ?」
と無愛想に返事をする。
「あのね、英語、教えて欲しいの」
「オレは英語なんて話せねぇよ」
鳴海はそう言ってまた背中を向け、作業に戻る。
「嘘。知ってるもん。この間、テントの前で外人さんに道を教えてたでしょ」
『ち、よく観察してやがる』
鳴海は涼子に見えないように小さく苦笑いした。
「オレじゃなくても、このサーカスには英語が達者なヤツがいくらでもいるだろ。
リーゼかヴィルマに聞けばいい」
あえてもうひとりの名前は、言わない。
「だってみんな興行の最中で忙しいんだもん。悪いじゃない」
『しかもヴィルマは変な英単語をわざと教えるし』
「オレだって仕事している」
「でも表にでるわけじゃないから、多少は融通きくでしょ?ね、お願い。
私、今、英語の通信添削を受けてるの。どうしても負けたくないヤツがいるのよ」
『才賀勝。絶対、あいつには負けたくないんだもん』
負けず嫌いな涼子はどうしても勉強で勝に勝てないことがくやしくて堪らない。
「すっごい差をつけられちゃってるけど、私だって精一杯頑張ればその差も少しずつ縮めることができるはずだもん。絶対負けない」
「……その精神は評価できるな」
鳴海は大きな空箱をいくつか持ってくるとそれを机にした。
「どれ、相手してやるよ。その代わり、期待すんなよ。
オレは話せるけど、書いたり読んだりは得意じゃない」
涼子はにっこりと笑って、その即席の机に着いた。
新入りのこの無愛想な大きな男を、涼子は初め「怖そうなヘンなヒト」と思っていたけれど、あのバスジャック事件で自分を助けに来てくれて以来、まったく見る目が変わった。
それからは鳴海のことをよく『観察』するようになった。
よく見ると、こどもたちを見る目はとても優しい。薄く笑っているように見える。
仲町サーカスのメンバーともほとんど口もきかず険悪なムードが漂っているが、
法安と自分には比較的あたりが柔らかく、会話も成立していた。
『弱い立場のヒトにはわりと優しいらしい』
涼子はそう分析していた。
「過去完了…おまえ、小学生なのにもうこんなのやってんのか?
オレ、理屈で英語じゃべったことねぇからなぁ…」
『ほら、私しかいなければ意外と多弁』
今もこうしてぶっきらぼうながら、一生懸命、涼子に付き合ってくれている。
『ノリさんたちが言うほど、悪いヒトじゃ絶対にない』
そこにしろがねがやってきた。
「あの…カトウ、お昼を持ってきました…。
あら、リョーコさんもこちらにいたんですか?」
鳴海の表情が、憎悪に凍りつき、憤怒の瞳がしろがねを射抜く。
見た目よりもずっといいヒトの鳴海のことで涼子が一番不思議に思っていることは、鳴海がしろがねにとても辛くあたること。
『しろがねサンてきれいでやさしくて、芸だってなんだってできるヒトなのに。
どうして新入りさんはしろがねサンが嫌いなのかな?
前に訊いたら「二度と言うな」って睨まれたから、もう二度と訊く気はないけれど』
今も、ものすごく怖い顔でしろがねを睨んでいる。
「うん、今、英語を教わってたの」
しろがねは少し驚いたような顔をして、少し嬉しそうな柔らかい表情になった。
ノリさんたちは
「あいつは昔、きっとしろがねにフラレたんだぜ。
それを根に持ってしろがねに辛く当たってるんだよ」
なんて話してたけど、それはちょっと違うと涼子は思う。
『私には“しろがねサンが新入りさんを好き”に見えるもん。
まあ、ノリさんたちはそんなこと絶対に認めたくないんだろうけど』
「じゃあ、リョーコさんのお昼もここに置いていきますね」
「用が済んだらとっとと失せろ」
「はい…」
しろがねは淋しそうに背中を向けた。
鳴海はその背中をまだ睨んでいる。
『本当にこのふたりに何があったんだろう?』
好奇心旺盛な涼子は気になって仕方がない。
『ふたりは大人だもんね、いろいろあったのかな?
何でこんなにしろがねサンを嫌うんだろう、これってよっぽどよね』
しろがねは辛そうだけれど、鳴海が仲町サーカスにやってきてからきれいになった。
もともときれいなんだけど、もっともっときれいになった。
『辛い恋だけど……やっぱり、恋をすると女ってきれいになるのね』
おませな涼子は少ししろがねを羨ましく思う。
鳴海はまだしろがねが去った方向を睨んでいる。憎悪を込めた眼差しで。
でもこんなときの鳴海の瞳もまた同時に
『辛そうなのよね』
涼子はそう思うのだった。
End