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「ねえ、いっしょに絵本を読まない?」
ナルミ少年が習ったばかりの拳法の型を練習していると後ろから女の子に声をかけられました。
振り返ると、そこにいたのは銀色の瞳の、同じく銀色の髪を肩よりも長く伸ばした、とても可愛い女の子です。
ナルミ少年の顔はボッと火がついたように赤くなりました。
お人形のような笑顔が少し気になりましたが、ナルミ少年はこんなに可愛い女の子を見たことがありませんでした。
「ねえ、いっしょに絵本を読まない?」
女の子はまた声をかけました。
「それとも、その練習が忙しくて、私と絵本を読んでる時間はない?」
「そ、そんなことないよ!」
ナルミ少年は慌てて言いました。
「稽古は…絵本を読んだ後、またすればいいから」
「どうしてそんなに一生懸命なの?」
「僕の兄弟は生まれてこられなかったけど…いつか会う、違う兄弟のために強くなっておきたいんだ」
「ふうん。えらいね、ナルミは」
どうして僕の名前を知っているの?ナルミ少年はそう言おうとしましたが、女の子が床に座ったのにつられて座って訊きそびれてしまいました。
「この本はね、特別な本なの。ナルミの未来がかいてあるのよ」
「僕の?未来?」
女の子は黙って笑っています。ナルミ少年は冗談だと思いました。
「じゃ、私が読んであげる。それでは始まり始まりィー!」
女の子が素早く表紙をめくったので、ナルミ少年はその絵本のタイトルを読むことができませんでしたが、そこにはこう書いてありました。
悪魔の絵本
「まずはひとつめの物語。かわいいピンク色のお話」
絵本のページは女の子の言う通り、ペールトーンのお花のようなピンク色の絵の具でかかれていました。
『ナルミは一生懸命稽古をつんで18歳になったときには誰よりも強い男になっていました。身体もとても大きくて、誰よりも背の高い男になりました。』
「ホントに?僕、そんなに大きくて強くなれるの?だって今はこんなに弱くて女の子にだって負けちゃうんだ」
「悪い奴らなんかあっという間にやっつけちゃうくらいに強くなるの。背なんか天井に頭がついちゃうくらい。筋肉なんてまるで仁王様みたいなんだから」
「そんなに…すごいなぁ。僕、頑張ろう!」
女の子は話を続けました。
『誰よりも強くなったナルミでしたが病気には勝てませんでした。
他人を笑わせないと死んでしまうゾナハ病という不治の病にかかってしまいました。』
「僕、病気になるの?」
ナルミ少年の顔は心配に曇りました。
「どんな物語にも、ヒーローに困難は付き物でしょ?」
女の子はこともなげに言いました。
『ナルミは日本に戻り、他人を笑わせるためにサーカスのキグルミに入ってバイトを続けました。いつ治る当てもないゾナハ病の苦しい発作がやってきます。ナルミは懸命に他人を笑わせる努力を続ける毎日をひたすら送るしかありませんでした。』
「僕、笑わせるの苦手だよ。それに発作って辛いの?」
「呼吸が苦しくなって、身体中に激痛が走るの」
女の子はにっこり笑って答えました。
『そんなある日、ナルミはふたりの人物に出会いました。
ひとりはとてもいい笑顔で笑う、泣き虫な男の子。
もうひとりは笑うことのできない、とてもきれいな女の人でした。
男の子はおとうさんが死んでたくさんのお金を相続したために身内から命を狙われていました。その男の子が誘拐されてしまったので、ナルミは女の人と助けに行くことにしました。
初めのうち、ナルミとそのきれいな女の人はケンカをしてばかりでしたが、行動をともにして心を通わせるうちにふたりの距離は少しずつ近くなりました。
きれいな女の人は自分の悲しい過去をナルミに語り、
自分は笑えない人形なのだ、と辛そうに言いました。
ナルミは彼女に、おまえは人形じゃない、と言ってあげました。
きれいな女の人はナルミのその一言でとても救われました。
彼女はナルミに対してほんの少しですが微笑むことができました。
ふたりはゆっくりと、お互いを愛し始めていました。』
「え…?僕、そんなきれいな人と両想いになれるの?」
ナルミ少年の顔は照れて真っ赤になっています。
「そうよ、すごいきれいな人なんだから。スタイルも抜群でおっぱいもおしりもとっても大きいの。ウエストなんかきゅっとくびれてて」
「そんな人が僕を好きになってくれるの?僕、これまで誰からも好きになってもらったことないから…」
ナルミ少年はまだ見ぬそのきれいな女性に心を馳せているようでした。
「ナルミはその人に、おまえはオレの女になる、なんて冗談まで言って喜ばせちゃうんだから」
「ぼ、僕が?!」
ナルミ少年の顔はもっともっと真っ赤になりました。
『ナルミは足に大怪我をしたきれいな女の人を残し、
爆発する建物の中に男の子を助けに行くことになりました。
そのとき、またもゾナハ病の発作がナルミを襲います。
ナルミのためにきれいな女の人は笑顔を作ろうとしましたが、どうしても笑えません。彼女はナルミに謝りながら泣きました。ナルミは彼女に笑いかけ、すぐに戻ってくる、と言い残し、建物の奥に姿を消しました。
ナルミは男の子を守ることができました。
でもナルミが戻ってくることはありませんでした。
ナルミは左腕を残し、彼女たちの前から姿を消してしまいました。』
ナルミ少年は自分の左腕を思わず押さえました。
「僕の腕、とれちゃうの?僕、死んじゃうの?」
せっかく、きれいな人と両想いになれたのに?
「恋愛にだって障害は付き物でしょ?」
女の子はまたもこともなげに言いました。
「さあ、次はふたつめの物語。きれいな黄色の物語。始まり始まりィー!」
女の子がページをめくりました。そこは女の子の言う通り、ひまわりのような鮮やかな黄色の絵の具でかかれていました。
『ナルミは生きていました。日本から遠く離れたフランスで、美青年に左腕に義手をつけられ魔法の薬を使って死にかけたところを助けられていました。
ナルミはどうして左腕を失ったのか忘れていました。
それどころか、きれいな女の人といい笑顔の男の子のことも忘れていました。でも、ほんの少しだけ、男の子の笑顔と、哀しげに謝りながら泣くきれいな女の人の顔がナルミの頭の中に残っていました。
記憶を忘れるような事故に遭いながらも覚えているということは自分にとってきっと大切な人たちだったのだろう、ナルミはそう思って心に大事にしまいました。』
「僕、大変な目にあうんだね」
女の子は黙って話を続けました。
『ナルミはそこで自分を苦しめていたゾナハ病が何なのかを知りました。
それは悪い人形のサーカスがばら撒いている病気だったのです。
大昔から今日まで、たくさん人を苦しめてきた病気だったのです。
鳴海は自分の命を救った魔法の薬でゾナハ病を克服することができましたが、ナルミはいまだゾナハ病で苦しみ、死んでいくたくさんの子供たちに会いました。両親も笑顔も未来もどんな小さな幸せすらも奪われた子供たちの悲鳴を聞きました。
ナルミはその悪いサーカスの人形たちが許せませんでした。ナルミは火のように怒りました。
自分が、悪魔、と呼ばれようと物言えぬ子供たちのために、
その悪いサーカスを叩き潰すことを心に決めました。』
「そんな小さな子供たちも、その苦しい病気にかかっていたの?」
「そうよ、今のナルミくらいの子、ううん、もっと小さな子たちがね、たくさんたくさん苦しんでたの」
ナルミ少年の目から涙が落ちました。
「どうして泣くの?」
「何だか…可哀想で…何かしてあげられたら、と思って…」
「大きくなったナルミもそんな風にやさしいから、悪いサーカスがどうしても許せないの」
「……」
「さあ、気を取り直して、みっつめの物語。すてきな青の物語。始まり始まりィー!」
女の子が開いたページは透き通ったような青い絵の具でかいてありました。
『ナルミは旅をして、ようやく悪いサーカスの本拠地のテントを見つけました。そこにはナルミと同じように悪い人形たちをやっつけたいと思う仲間が集まっていました。
テントに入ってナルミは驚きました。
悪い人形たちのリーダー、フランシーヌ人形はナルミの記憶に残る、
あのきれいな女の人にそっくりだったからです。』
「え?じゃあ、僕の好きになった人が悪者だったの?」
ナルミ少年は目をまん丸にしています。
「さあ?ナルミの出会った人は人間だったわよ?テントの中にいるのは人形。同じものか違うものかは分からないわ。そこんとこ、絵本にかいてないから」
「そう…」
ナルミ少年は目を伏せました。
そのきれいな女の人が悪い人でありませんように、ナルミ少年は祈りました。
『ナルミは戦いました。ナルミはとても強くてたくさんの人形を倒しました。
でも、彼もまたたくさん傷つき、たくさんたくさん血を流しました。
そして後もう少しでフランシーヌ人形に辿り着けるというところでナルミは力尽き、その命は儚くなりかけてしまいました。
ナルミの両足と右腕は石となり、脆くも崩れてしまいました。
彼の仲間たちはナルミを死なすまいと懸命に彼の命を繋ぎとめました。
自分たちの命と引き換えにして。
再びナルミが目を覚ました時、彼には新しい手足が付けられていました。
そしてナルミの命は多くの仲間の犠牲の上に成り立っていました。
フェイスレスはナルミをフランシーヌ人形のいる部屋へ行かせるために
地獄の機械に身を投げ出して死にました。
リィナはナルミをフランシーヌ人形のもとに行かせるために立ち塞がるアルレッキーノと戦い、緋色の手を受け燃えて死にました。
ダールはナルミの手術を邪魔するたくさんの人形たちを引き付けて
身体の中の爆弾を爆発させて死にました。
ティンババティはコロンビーヌを倒すために純白の手で身体を真っ二つに引き裂かれながらもナルミに想いを託し、死にました。
トーアはパンタローネの深緑の手で深手を負いながらもナルミの手術を続け、その最中に死にました。
ファティマはナルミから自動人形を引き離す囮となって
愛するナルミのために死ねるのは本望と微笑みながら死にました。
ロッケンフィールドは愛する家族のもとに戻ることを諦めて、ナルミをテントから脱出させ、彼の命を救うことを望み、死にました。
テントの周りにいた三万人の仲間もみんなみんな死にました。
みんな、命を投げ出して、自らが人間らしく生きることを諦めて、
ナルミにフランシーヌ人形を倒すことを託して望んで期待していたのに
ナルミはフランシーヌ人形を倒すことが出来ませんでした。
何故なら、それは、偽者のフランシーヌ人形だったから。』
女の子の隣のナルミ少年は、ナルミ青年に姿を変えていました。
四肢に異形の手足をつけて、髪と瞳を黒と銀の斑にした、鳴海に。
「……」
『彼の肩には大きな責任が圧し掛かりました。仲間の命が彼の運命を縛ります。
本物のフランシーヌ人形の行方はまったく分かりません。
ナルミはこれからどうしたらいいのでしょう?』
「てめぇ…何モンだ?これは未来じゃねぇ、オレの過去と現実の話じゃねぇか!」
鳴海は女の子の顔を見てぎょっとしました。
女の子の顔には目も鼻も口もありません。のっぺらぼうでした。
のっぺらぼうがにいい、と笑います。口がないのにしゃべります。
「私は虚無。私、ナルミの心に棲みたいの。とても居心地のよさそうな場所なんだもの」
「な、何?」
「さあさ、とうとうお別れの物語。かくのはナルミ、あなたよ」
「や、やめろ!放せ!」
虚無は信じられないくらいの力で嫌がる鳴海の手に絵筆を握らせると、無理やり絵筆に絵の具を含ませました。
真っ黒な、墨を流したような、絶望の色。
虚無はひとつめの物語、ピンク色のページを開きました。
「このページ、塗りつぶして。愛とか恋とか、そんな幸福な過去、やさしい思い出、期待に胸が膨らむような未来の予感なんてこれからのナルミに必要ないの」
「や、やめねぇか…!」
「この人、邪魔なの。あなたの心から消して」
鳴海は抵抗しましたが手は勝手に動いて、ピンク色のページを真っ黒に塗りつぶしてしまいました。
鳴海の瞳から光が薄れました。
虚無は続いてあかるい黄色のページを開きました。
「記憶の欠片もね、みんな消しちゃいましょう。あの女の痕跡はみんなきれいになくしましょう。男の子もいっしょに消してね。何かの拍子に思い出すきっかけになっても困るから」
鳴海の手はさっきみたいに抵抗することもなく、そのページのきれいな女の人と男の子の部分を塗りつぶしました。
鳴海の心からは大事な記憶が消え、それとともに瞳の星も消えました。
「そう、これでいいの。あなたの心にはこの感情だけがあればいい。
後は他の負の感情のスパイスが効けばもっと棲み心地が良くなるでしょう」
女の子は満足そうないやらしい笑みを顔に貼り付けると、『悪魔の絵本』といっしょに鳴海の身体の中に入り込み、消えました。
鳴海の心を支配した感情の名前は。
絶望。
真夜中のサハラの夜を明るく、残酷なまでに照らす火の柱。
鳴海は吠えました。
鳴海の激しい絶望の雄叫びが響き渡ります。いつまでもいつまでも。
そこにいる鳴海はもう、かつての鳴海ではなくなっていました。心も、身体も。
茫漠とした砂漠に、鳴海の破壊的な絶望の慟哭が、深く冥く、底無しに吸い込まれていきました。
『彼の肩には大きな責任が圧し掛かりました。仲間の命が彼の運命を縛ります。
本物のフランシーヌ人形の行方はまったく分かりません。
ナルミはこれからどうしたらいいのでしょう?』
End
postscript 谷山浩子さんの『悪魔の絵本の歌』がモデルです。初めはしろがねの鳴海への報われない想いを書こうかな、と考えていたのですが、悪魔の絵本だったら鳴海の絵本か、と思いなおしました。できあがったら鳴海にとってとても残酷な話に仕上がっていました。歌の中ではおしまいのお話の色は鮮やかな赤。赤で胸の中を塗りつぶします。鳴海は大きな絶望を抱えてしまったので心を真っ黒に塗りつぶしてしまいました。どうしてサハラの後、鳴海が記憶の欠片すら忘れてしまったのかを私の中でこじつける話になりました。